第17話


「失礼します」

 おれは魔術研究部部室を抜けて、アニ研部室の扉を叩いていた。

「あっ、八木氏……」

 部室には普段通り、五人の部員が揃っていた。

 テレビのスピーカーから、小さくアニメの音が流れている。

「この前、いきなり殴ってしまって、本当にすみませんでした」

 部員達の並んで座る長机の前に立って、おれは頭を下げた。

「あ、いやいやいやいやいやいや。拙者まったく気にしておらず、まったくまったく」

「んふ……あ、あのときは、ちょっとみんな下品で、ん、反省してて、んんふ」

「いや別に、別に? 八木チャンが怒ったときはマジビビりですけど? でででもほら、あさりチャンのこと全部任せてる八木チャンに無神経みたいな? そういうの?」

「ま、ま、デリケートな話題で? ああいうノリは難しいので? すまんので……」

「八木クーン……その、な、俺……ま、まあ、気にせずまた部活、顔出してくれよな?」

 アニメやネットを見るのを止め、アニメ誌やラノベを一旦机に置き、それぞれ気まずそうに身をよじらせて、ぎこちなく目線を合わせて申し訳なさそうに声をかけてくる。

「部長、青木、八王寺、花山、久米……みんな……」

 おれは入部してから初めて、部員それぞれの顔と名前を一致させていた。

 彼らがかすかの抱き枕を抱く姿をふと想像してしまう。

 すぐにそんなビジョンは頭を振って、意識から追い出した。

「ありがとう……みんな、また一緒にアニメ見ようぜ!」

 おれが感謝を込めて言うと、頭を描いたり鼻を鳴らしたり眼鏡をいじりながら「お、おう」とそれぞれ笑って、部員達はいつもの調子を取り戻していった。

「ままままま、我らアニ研枠安定のVVV第二期最新話でもゆっくり座って、な?」

「今日は人待たせてるんで、また今度。それじゃあ、なるべく来るようにします」

 部員達の安心したような「お、おう」の合唱に見送られて、おれは軽く頭を下げると、部室を後にした。



「あ、颯太くん」

 駐輪場から自転車を持ってきて校門の前に差し掛かると、豊かな黒髪を三つ編みにしてふたつ背中に落とした、目鼻立ちの良い女生徒に、澄んだ美声で名前を呼ばれた。

「もしかして、かすか?」

 最近買った練餡絵のオリジナル枕だったか。

「ふふ、そうだよ。気付かなかった? じつは抱き枕カバー、何枚か持ってきてたの」

 両手で提げていた鞄を開くと、丁寧に畳まれた抱き枕が三、四枚詰まっていた。

「学校では留学生ってことにしておくのが便利だけど、颯太くん、あの銀色の髪の子はそこまで好きじゃない、って昨日言ってたよね。それよりこっちの地味な女の子のほうが今は熱くて、愛する甲斐がある……とかなんとか」

「ま、まあ言ったけどさ。いちいち変わるの、面倒じゃないのか?」

「大丈夫だよ、トイレの個室で変わったの。変わるたびに裸にならないといけなかったり、変身する子の服を仕舞わないといけないから、ちょっとエッチっぽいけど……」

 赤い縁の野暮ったい眼鏡をちょっと上げて、ぱっつん気味の前髪を気にしながら、かすかはおれの隣に静かに寄り添った。

「それに、銀色の子じゃ目立って、通りすぎる人に何だろうって見られちゃうでしょ? この子ならそんなことないし、颯太くんがそのとき一番好きな女の子の格好で、なるべく一緒にいてあげたいから」

 かすかは元気にあどけなく語尾を強める喋り方をするのだが、キャラのイメージに寄せているのだろう、いつもよりおとなしく静かな口調で、隣を歩く所作も歩幅を狭く淑やかに歩き、鞄を両手で持って腰の前に軽く回している。

「……自転車、一緒に乗ろうか」

「え、ふたり乗り? だめだよ、怒られちゃうよ……きゃ」

 おれはサドルにまたがって、腰の引けているかすかの腕を取って無理矢理荷台に乗せてしまう。鞄をひったくって、自分のそれと一緒に前籠に放り込む。

 理由はないが、なんとなく走りたい気分になっていた。

「もう、だめなのに……」

「スピード出すぞ」

 住宅地と商店街に挟まれた、ごみごみした大通りを走り抜ける。

 かすかは慌てて荷台に腰を落ち着けると、おれの腰あたりに腕を回した。

「アニメ研究部の人たちと、仲直りできた?」

「できたよ。もともと、どっちも喧嘩できるような人間じゃないから」

「そっか、よかった。ね、あれからあさりさん、しばらく考えてたけど、抱き枕カバーの制作は、先方に謝ってしばらくストップするって言ってた」

「あの守銭奴が、そんな得にならないことを?」

「かすかが変なこと言ったから、出しづらくなっちゃったんだよ。悪いことしちゃった……そのかわり、かすかが色んなアニメの女の子になって、イラストのモデルになってほしいって頼まれたんだ」

「あー、すごいもんな、かすかの抱き枕キャラの再現度」

「なんだろうね、これ。颯太くんがそれだけアニメの子を好きだったのかな? 妬ける」

 かすかが腕の力を強めて、ぐっと身を寄せ、おれの背中に横顔を当てる気配がした。

 街並みを少し外れて、ゆるい登り坂を上がった川沿いの道に出る。

「それでね、しずむちゃんったらおかしいんだよ。かすかが霊だったらシンゴンとかで成仏させたりできるんじゃないかって、オンナントカソワカ、オンナントカソワカって唱えながら、変な踊りしはじめて」

「さすがのしずむさんでも、おれの呪いが強すぎるみたいだからな、無理だろう」

「立川シンゴン流の北海道がどうのって、ほんとだと思う?」

「少なくとも、今までの七年間が無駄じゃなかったって、おれは思いたいからな……」

「うん。ね、あさりさんの抱き枕が完成したら、かすかがそれに取り憑いて、かすか自身の見た目を取り戻せるんじゃないかなって、颯太くんが行ってから気付いたの」

 日が落ちて、空の色がオレンジと青のあわいに混ざっていた。

「……かすかにそっくりだとしても、厳密には違うんだろ?」

「うん。高校生になってあんな可愛いドレス着たことなかったし、胸もあんなに……死んだかすかがお母さんのところに戻ったら、びっくりされちゃうかな」

「ご両親と会わなくていいのか?」

「悲しい顔、見たくないから」

 河川敷のほうか、ぬるい風が吹きつけた。

「かすかそっくりなら一度抱いてみたいけど、そのときになったらかすかはもう色んな男に抱かれてるんだもんな。やってられないよなあ」

「そうだね、ごめんね? かすかをひとりじめできないかわりに、色んなアニメの子になって、ひとりじめさせてあげるから」

「ばか、かすかはお前だけだろ」

 強い向かい風がびゅうびゅうと立ち塞がった。

「うんっ」

 振り向くと、かすかの三つ編みが風の中に暴れていて、つい笑ってしまった。

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