第16話
「そうした呪術的憑代は、あくまで土台です。颯太さんとかすかさんは無意識ながらも互いに強く呼び合っていて、魂が惹かれ合う状態にあったのでしょう。その結果、死の直後に現世への未練を残したかすかさんの霊魂は、格好の憑代を見つけて抱き枕に憑依した」
空気を入れ替えるために遮光カーテンを開けながら、しずむさんは付け足した。
「重要なのは初恋を取り戻したいと願う恋人達の想いです。もし偶然の呪術に生まれた肉体が媒介として存在しなかったとしても、ふたりはどこかで再会していたことでしょう」
窓の外は微睡むような春の夕暮れで、街は昨日よりも赤く染まっている。
「そ、そうなの、夜来さん?」
かすかは話の最後までは理解しきれなかったらしく、まだ目を白黒させていた。
「しずむ、でいいです。そう考えたほうが、ロマンティックで良いですから」
がらりと開けた窓から吹き付ける風に黒髪を遊ばせて、しずむさんは静かに言った。
「そっか……そうだよね。ちょっと怖かったけど、颯太くんのことも色々分かったし、すごくためになったよ。ありがとう、しずむちゃん」
「いえ」
一時はどうなることかと思ったが、ふたりが打ち解けた様子なのでおれは安心した。
「えっと、あんたたちの問題が解明されたようなところでなんだけどさ」
疲れきった様子で頭を抱えながら、あさりが気まずそうに低めに手を挙げた。
「かすかちゃんの元の姿そっくりらしいあたしのオリジナル抱き枕、どうすればいいのかなと。もう先方からOK出ちゃったんだけど」
「うおっ、忘れてた!」
おれの理想の女性像、つまりかすかの成長像が完璧に再現されたあさり作の抱き枕カバーがオタに流通してしまうという危機は、まだ去ってはいなかったのだった。
「忘れてたって、あんたね……」
あさりは机に突っ伏し、上目遣いにおれを見つめてくる。
「あんたの気持ちも汲んでやりたいところだけど、金が絡むことだからちょっと、ね」
「あ、ああ」
あさりの困ったような視線を真正面に受け止めて、おれは思わず背筋を正した。
「かすかそっくりの抱き枕って、何のこと?」
そういえば、言い出しづらくてかすかにはまだ伝えていなかった。
「本人知らないのかよ、しゃーないな……」
あさりが手に持ったスマホの画面をかすかに向ける。
「わっ、やだ! かすかがエッチな格好して布団に寝転がってる、なにそれ!」
表示された抱き枕画像を見て、かすかはかあっと赤面してあさりに背を向けてしまった。
「こいつにどんな抱き枕キャラが好みかって訊いた結果、自然とこうなっちゃったわけ」
「え……颯太くんが添い寝したい理想の女の子が、かすかだったの?」
「そ、そんなに生前のかすかとそっくりなのか?」
「うん、ほとんど一緒だよ、泣きぼくろの位置まで一緒……やあ、胸はこんなに、大きくなかったよ……」
もう一度画像に顔を近づけたかと思いきや、すぐ真っ赤になって視線を逸らしてしまう。
「小学生の頃の記憶を頼りに、一七、八歳に成長した姿をそっくりそのまま具体化するとは……颯太さんがかすかさんを強く想っていたこと、高近さんが颯太さんの性的嗜好をとても正確に把握していたことを証明する一枚ですね。しかし、これはやらしい……」
しずむさんまで顔を赤らめて、画像を直視できないのかちらちらと盗み見るような仕草をして、恥ずかしそうに頬に手を当てている。
「生娘どもが。万札はたいてこんなん買い漁るオタのおかげであたしは裕福な引きこもり生活満喫できてるわけよ。抱き枕絵は等身大だからでかいサイズで描かなきゃならないし、他の静止画とは違う決まりを要求されるから、相当手間ではあるけどね。で、ブログにサンプルも出しちゃったし、お蔵入りにはいたしかねるわけ」
かすかには見えないようイラストに微調整を加えたとしても、おれの無意識の底が汲み尽くされたその抱き枕を、他人に晒すのは耐えがたく思われた。自分の理想に意味など無いと捨て鉢で好みを言ったのが、仇とも僥倖ともなったわけだ。
「せめてアニメ公式系のグッズ会社が出すのであれば、印刷品質も発色も悪く、下手すると小人トリミングになるせいで、かえって許せたかもしれないが……」
「あんたよく言ってるね……それ。なんだっけ」
「エロゲ系抱き枕は眼で抱くものであり、アニメ系抱き枕は心で抱くものである」
表現レベルも印刷品質も高いエロゲ枕は端的な実用に耐えうるが、それの低い場合が多いアニメ枕はキャラへの思い入れや妄想で補うことが要求される。有力絵師を集めたオリジナル企画制作込みのグッズ会社から販売される場合、前者に近い即物的な抱かれ方になるのは必定である。
「今はあんたと朝見草さんの気持ちの問題でしょうに……それで、どうする?」
あさりはおれの目を見て、落ち着いた様子で再び訊ねた。
「……一応、考えてはみたけどさ。かすかのあられもない姿を性欲にまみれたオタ達に消費されてしまうなんて、ましてや人気絵師のあさりの絵だから、気に入ったやつには有力な毎日抱く嫁候補になるだろうし、偽装抱き枕業者によって粗悪な品質のコピー品を流されることすらもあるなんて、やっぱりおれには耐えられない……」
「あう……かすかの裸、みんなに見られちゃうの?」
「それどころか舐め回されたり、こすりつけられたり、お出かけに連れて行かれたりね?」
「あぁ~……」
あさりにからかうように口を挟まれて、ようやく事の重大さを認識したらしいかすかは、赤い頬を更に赤く染めて、椅子から立ち上がって数歩よろよろと千鳥足でふらついたかと思うと、床に座り込んでしまった。
「……でも、決めたから。かすかはアニメの女の子を演じて、毎日颯太くんの好きな女の子で居続ける。もちろん、アニメの女の子になりきりすぎて、自分自身を忘れたりは絶対にしない。かすかもアニメの女の子も平等に愛してもらえるように、努力するの」
かすかは言葉を区切り、気持ちを鎮めるように深呼吸する。
「それで、かすかの裸が色んな人に、そういうことされちゃうのは……颯太くんの好きな抱き枕の女の子たちも、それと同じ立場なんだよね? それなら、本当はすごくいやだけど……我慢しなきゃいけないんじゃないかなって思うの」
「かすか……かすかは、それで大丈夫なのか?」
へたり込んだかすかの頼りなさげな小さな肩に、思わず声をかける。
「颯太くんは、抱き枕のアニメの女の子が、本当にいると思って、好きになったんだよね。抱き枕になったその子が、現実に自分のもとに来てくれたんだ、って」
「……そうだよ。彼女達が遍在するものだとしても、せめておれが寝床で抱き枕として抱き締めている間だけは、おれだけの恋人でいてくれているのだと願って……抱いている」
かすかが上半身を少し振り向かせ、長い銀髪の垂れる横顔を見せた。
「そうだよね。アニメの女の子は、颯太くんが想ってあげているから、そこにいることができるんだよね。想っていなかったら、そこにはふかふかした等身大の絵があるだけだもんね……ねえ、颯太くんが想ってくれないと存在できないのは、アニメの女の子も、かすかも同じことでしょう?」
「あっ……」
窓から差し込む夕陽がぎらぎらと、残照らしからぬ強さで照りつけている。
「颯太くんが想ってくれていなかったら、きっとかすかは抱き枕に憑依することもなかった。それに、颯太くんがそう望みさえすれば、かすかは自分がどんな子だったのかも忘れて、アニメの女の子になりきることができる。むしろ、かすかはもう死んじゃったんだもの。二度と戻れない自分にこだわるよりも、心も身体も色んな女の子になれるほうが、魔法みたいで素敵じゃないかなって、少し思ったりもしたんだ。颯太くんは気付いてないかもしれないけど、残酷だよ。もう自分なんていないのに、ずっと自分で居続けないといけないなんて。いっそ消えてしまいたいのに……でも、颯太くんはあくまで、かすかはかすかでいて欲しいんだよね? だから、そうするの」
強い夕陽を反射して、遠くを見つめるような金色の瞳がきらきらと燃えている。
「それでね、かすか、もしアニメの女の子がかすかと同じような立場だったら、どんな気持ちかなって考えたんだ。現実にいないのに現実に連れて来られて、知らない男の人と寝るの。元の世界にいた好きな人とは一生会えなくて、ずっと現実の知らない人と一緒に暮らすの。それに比べたら、かすかは恵まれてると思わない? 連れて来られた現実は運良く自分がいた世界のままで、昔からずっと好きだった男の子のもとにいられるんだから」
おれとあさりとしずむさんは、黙してかすかを見つめている。
「颯太くんと同じように、そんないない子を本当にいると考えたら、他人事には思えなくなっちゃってね? もっとそんな子の気持ちを知りたい。どこにもいない、そこにいないはずの自分を求められる悲しさを、もっと深く分かち合いたいって思うようになった。もしかすかがその子たちと同じ、遍在するものにならないといけないとしたら、それはきっとしょうがないことなの。颯太くんも、アニメの女の子を束縛するように、かすかをここに束縛しておきたいなら、きっと、そうするべきなんだと思う」
かすかの言葉に、全身が鉛のように重くなるのを感じた。
おれの一方的な問題意識を飛び越えて、かすかはアニメキャラと一体になることを望み、その存在の不確かさやいやらしさや不幸を、一身に引き受けることを覚悟していた。
こちらが口出しできるわけもない。
「……かすかは、そんな強いやつだったんだな。おれ、なんて言ったらいいんだよ。完璧にその気持ちを理解できるなんて、納得できるなんて言ったら嘘になってしまう」
「うん……颯太くんもすごく辛い思いをするんだろうなって、分かってる。でも、自分がもういないかすかの、せめてものわがままだから。かすかがかすかでいるために、かすかがアニメの女の子と一緒に生きていくために、必要なわがままだから」
うんしょ、と立ち上がったかすかの目尻が、夕映えの中で小さく光った。
「許して、くれる?」
おれは頷くしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます