第13話

 家路を急ぎながら頭に思い浮かんでくるのは、かすかとのこれからのこと。夜来さんに話したからだろうか、はっきりいろいろなことを考えられるようになっている。

 幽霊になっても会いに来てくれた最愛の人への想いを貫き通すか。それが自己満足にすぎないとしても、青春の友だったアニメキャラに義理を立てるか。

 それは、二者択一というわけではなかったのだと、ようやく分かった。両方ともおれにしかできない、おれがやるべきことだったのだ。

「おれはアニメキャラごと、かすかを抱いてみせる!」

 通りすがりの子供や中年男性から不審の眼差しを集めるが、気にはならない。

 毎日通る川沿いの道が遥か遠く、暮れなずむ夕日に向かって伸びていた。


「颯太くん、おかえりなさいだべさ!」

 ドアが開いたと思ったら、北海道弁(?)を話す少女が、突然おれに力強く抱きついてきた。

 長いビビッドな緑髪をリボンで縛り、広い袖口が特徴的な赤いセーラー服風の制服を着ている。

 何のアニメだったかと頭を抱えるおれの手を強く引いて部屋に上がらせると、かすかは机の上に置かれたDVD-BOXを指し示した。

「颯太くんが置いていった携帯で自撮りして、画像の詳細検索ができるサイトで調べたら、何のアニメか判明したさ! ちょうど本棚にDVDがあったから、颯太くんが学校行ってる間にどんな子か勉強したべさ。かすか、お利口しょやー?」

「すげえ、そんなことできるんだ!」

「ちょうどさっき最後まで見たところだべ。エッチっぽいよりはんかくさくてわやになって、どもこもならん話だったさ。でも、このアニメも颯太くんが好きなアニメなんだよね?」

「それいきなり見るもんじゃないな……そのたどたどしいエセ道産子疲れない?」

「んあー、そ、そんなことないもん?」

「全部だべさでいいよ」

「んあ、颯太くんがそう言うなら、そうする……だべさ」

「ん、あんまり元気ないな?」

「だってかすか、颯太くんの理想の女の子になりたいからアニメの女の子の勉強したのに、しなくていいっていじわる言うんだもん」

 肩を落として恨みがましく言うかすかの目は少し腫れぼったく、アニメキャラの姿になっても昔と変わらない、泣き虫な彼女の面影があった。

「……決めたんだ。たとえかすかがもう死んでいて、アニメキャラの姿でしかおれといることができなくとも、アニメキャラごとかすかの魂を抱いてみせる、って」

 いざかすかを目の前にすると、どう言ったものかと迷いが生じたが、頼りなげに見上げる彼女の様子に、腹の決まるところがあった。

「やっと踏ん切りがついたんだ。無理してアニメキャラを演じなくても、おれの理想はかすかだから! だから、かすかはかすかのままでいていんだ」

「颯太くん……」

 かすかは心細そうに曇らせていた両目をごしごしと手で揉んだ。男子にからかわれて泣きそうになったときなどは、よくこんな仕草でかすかは涙を我慢していた。

 やはり、昔と何も変わってはいないのだ。

「ね、でも……かすか、怖いの。鏡を見ても、自分がどこにもいないの。もう二度と、生きていた頃の自分には戻れないんだって、すぐに泣きそうになっちゃう。でも、それでも、かすかはかすかの大好きな颯太くんが好きな女の子の身体になることができる。何でかは分からないけど、こんなこと、他にないでしょう。だから、かすかにも努力させてよ? 颯太くんがかすかにずっと飽きないように。いつまでも、初恋のままのふたりでいられるように。毎日違う、新鮮な気持ちで、あなたとわたしが触れ合えるように。かすかは、決してかすか自身を忘れたりしないから」

「……かすか」

 あまりにも非現実的でさすがに後景から浮いた色合いの強すぎる緑色の髪が、光を蓄えてぎらぎらと艶めき、おれの目にその虚ろな色彩を鮮烈に焼き付ける。

 だが、もはやそれに心を締め付けられるようなことはない。

「かすかの頬、まるで2Wayトリコットに編まれたような、天使の肌触りだ……」

「ふふ、なにそれ? 違うよ」

「中でも、パールロイカかな?」

「やだ、もう、くすぐったいよ。ふふ、でもね? 抱き枕の身体って、ちょっと楽しいの。自分じゃない自分になれる。現実にはそういない、色んな綺麗な女の子になれるんだ。それに、颯太くんの持ってる子なら、みんな颯太くんが好きな女の子なんでしょう?」

 もう何年も昔、とりわけ本数の多かった時期に放送されていたアニメだったように思う。粗製濫造と罵られても仕方ないような、どうにもならない代物という印象が強かった。

 それでもあの頃のおれは存分に楽しんで、あの頃はさほどグッズとしても一般的でなかった抱き枕カバーを、学生には大金の一万円をはたいて買い求めた。昔から多くのアニメ系抱き枕にはつきものである印刷品質の悪さも気にならなかった。好きなキャラと一緒に寝られるだけで、とびきり幸せな気分になって、いつまでも夢うつつの境界に、微睡みに身を委ねられた。

「……ああ。おれはかすかと同じぐらい、そのアニメキャラも愛してるよ」

「颯太くん、昔から気が多かったもんね。体育の時間、色んな女の子のこと見てた」

「はは、そうだったかな。でも、おれはいつもアニメキャラの後ろにお前を、かすかを、自分でも知らず知らずのうちに求めていたように思うんだ」

「かすかが四年生のとき転校してから、ずっと?」

「そうか、小学四年のときだったな。何も言わず、どこかに行っちゃうから」

「ごめんね、急に決まったことだったから……でも、アニメを見ているときぐらい、その女の子のことだけを見てあげていて。でないと、その子がかわいそうだよ」

「その見た目で言われると、なんか切実だ。終わったアニメの美少女キャラなんて大多数、機会がない限り誰も顧みないもんな」

「ね、かすかが颯太くんに忘れられるのも悲しいけど……アニメの女の子だって、きっと忘れられれば淋しいんだよ。せっかく好きになって、抱き枕まで買ってあげたのに」

「……そんなふうに感じられないと、抱き枕なんて抱いてる意味がないものな」

「ふふ、だからね。これからいっぱい、颯太くんが好きなこと、かすかに教えて? きっと、颯太くんが好きになった子達だもの、かすかも大好きになれるから」

 かすかは慈しむように自分の身体を首筋から腹にかけて、ゆっくりと撫でる。

「本当はいないもの同士、なんて言うとちょっと切ないけどね? ぜったい、仲良くなれると思うから」

 そして両手を後ろ手に回すと、三歩ほど背後に下がって、上目遣いにおれを見つめた。

「かすかも、アニメの女の子も、どちらも平等に愛してくれますか?」

 追慕の彼方に置き忘れてきた恋人と、哀しく此方に揺蕩う愛人達が、重なって微笑む。

 おれはゆっくりと足を踏み出し、異恋の相克に立ち上がる泡沫人にキスをした。

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