第7話

 突然だが、世のキャラクター抱き枕カバーは、公式系・同人系・オリジナル系のざっくり三種に大別される。

 版権キャラのイラストを原作の絵師やアニメ版のキャラクターデザイナーが描き下ろし、ライセンシーのグッズ会社から製造・販売される、大部分は全年齢向けの公式系。

 個人やサークル名義で活動する絵師が二次創作イラストを手ずから印刷所に入稿して小ロット、あるいは受注数のみ生産し、通販や即売会で捌き切る、多くはアダルト表現を含んだ同人系。

 もちろん、前者でもアダルトゲーム原作のキャラクターであれば、その痴態が大規模イベントの企業ブースに並ぶ光景も馴染み深く、後者の同人活動で評価を得た絵師が性表現の有無に関わらず、オリジナルキャラのグッズ販売に手を広げる例も見かける。

 それこそ、有力なイラストレーター複数人と契約を取り交わし、オリジナルキャラオンリーでもそれなりの品質とバリエーションを確保した、企画制作込みの専門グッズ会社によるアダルト向け抱き枕も、近年存在感を増してきている。それを指してひとまずはオリジナル系、と位置づけられよう。

 一頃ひところは解像度の低い版権絵を印刷した海賊版も低価格で氾濫し、注意喚起の情報がよく回ってきたものだったが、それでなくともプロとアマ、セーフとアウトの境界が曖昧な同人文化に起源を持つ猥雑さで業界全体を見渡しづらく、オタ文化のなかでもとりわけ混沌の度合い深甚、まさに肉体の市場といった観があり……それはともかく。


 「男より美少女を描くほうが楽しい」というあさりは、手早く確実な仕事をすることで各方面から信頼厚く、エロゲ仕事を中心にラノベの挿絵なども手がける傍ら、最近では上の分類の三つ目、つまり抱き枕専門メーカーに発注を受け、ざっくりと提示されたオリジナルグッズ企画のコンセプトに沿うよう、軽く先方とすり合わせつつ手ずからデザインを起こし、抱き枕用イラストを提供している。

 もちろんおれと同い年で、今年ようやく一八歳だが、アダルト関連の仕事は高校入学前から始めており、表ではもちろん、なるだけ業界関係者にも性別年齢不詳の覆面作家で通しているらしい。

 速筆ながら天才肌でこだわりの強いあさりは自分のイラストに関して、おれやアニ研メンバーの意見に耳を貸すことはほとんどなかった。抱き枕の仕事に手を出してからはユーザー目線でのアドバイスを求めてくることはあったが、デザイン段階から意見を求めてくるのはこれが初めてだ。


「ほ、ほんとにいいの? おれの嗜好に染まったキャラとかニッチどころじゃないよ? ネッ広とか日本はじまってるとか言われちゃうよ?」

「自分で思ってるほど特別じゃないから、あんたの勃つ女って」

「一七歳女子高生がそういうこと言う?」

「オタ好きするキャラなんて大体似通ってるでしょ。大丈夫、八木の男の子はその枠の中でも何かしらのツボを押さえてるって、一応信頼してるから」

「下ネタ混じりに愛の告白するのやめろよ、照れる……」

「それで、どんなキャラ?」

 あさりはおれの目を正面から見つめて問うた。思わず心拍数が上がる。日の光を浴びない白い肌で、意外に整った顔立ちをしており、真剣な表情だと目力も強い。


「それこそ俺の嫁、ってやつでしょう。もし結婚するとしたらどんな子がいいか、真剣に考えてみて」


「え、するわけないじゃん……」

 ゲームやアニメのキャラとの婚姻届を書くのが流行った当時はおれも飛びついたが、三ヶ月ごとに新しい婚姻届を書くことに疑問を感じてからは、そうしたオタクリシェに乗り切れない感覚があった。

「そりゃ何をどうしても、あんたは結婚なんてできないでしょうよ。あくまで仮定として考えろって言ってるの」

 半ば拍子抜けしたように、半ば軽蔑したように、彼女は目を細める。

「……冷めるから、飯食ってからでいいだろ」

 手元のビーフストロガノフ丼を指すと、あっさり興味が移ったようだった。

「おっ、いいねえ……」

 外出を嫌うあさりの家に邪魔するときは、必ず飯と紙パックのお茶を献上しなければならない。空腹でないと頭が回らないので仕事中は何も口にしないというのだが、そのぶん食べるときは食べる女で、一口食べるごとに「いいねえ……」と嬉しそうににやける癖がある。いまどき珍しく美味そうに飯を食べる子だと褒められたりすることは別になく、気色悪いからやめろと両親にきつく言われていたらしいのだが、実際これは本当に気色悪い。

 あさりの食事姿から目を離して、おれは抱き枕絵のキャラデザインについて考える。


 現在、おれの所持する抱き枕カバーの数は百枚を超えようとしている。購入資金は実入りのいい軽作業バイトが中心で、あさりの仕事もたまに手伝って稼いでいる。

 二次元オタクとしての道を歩むと決めてから、おれはこの世界を取り巻く不可視の濁流に逆らうため、これまで抱き枕を抱いてきた。

 あまりにも速く消費されていく美少女の群れの中から、忘却されるには惜しい「これぞ!」という少女を選び出し、時には予約開始の一時間前から全裸待機、時には早朝から行列に並び、対価を支払い我が腕に抱く。

 消費物として流通し、共有される少女をより物的に私有するからこそ、甘やかな閨になるのだ。

 当然、それは見世物小屋めいた娼館で娼婦を見繕うこととなんら違いはないのかもしれない。同人枕界隈などはさしずめ私娼窟である。

 心に決めた少女を選ぶと嘯きながら、物言わぬ繊維の身体を金で買い、偏執に彩られたファム・アンファンの楽園で穢れた肉欲に溺れるのだ。

 純情と言い繕っても無意味だろう。おれは人一倍強い恋愛欲求とともに、人一倍強い独占欲と、人一倍強い肉欲をもって抱き枕を飽くことなく求め、消費し続けている。抱き枕によって満たされる一方的で独善的な愛欲は、薄汚く際限ない性の臭いと不可分だ。

 円盤やイベント商法といったコンテンツビジネスの産業構造の中での安易な消費から逃れたいと願っていたはずなのに、たどりついた先には抱き枕ビジネスという産業構造がしっかり口を開けて待っていた。

 そんなおれがとびきりに理想の女性をひとり思い描こうと足掻き、それを抜群の実力絵師に具体化してもらえるとして、どんな美少女が生まれるというのだろうか。

 何も生まれやしないのだ。


「おい八木、茶はどうした」

「え? あ、ああ、買ってきてるよ」

 物思いに耽っているところに突然声をかけられ、行きがけにコンビニで買っておいた千ミリリットルのお茶パックをわたわたとあさりに手渡す。

「あんた、そういう自己嫌悪はかったるいから早く決めてよ……」

「え、声に出てた? うわっ、時計がいつの間にか二五分も進んでる!」

「くよくよ女々しいところ、昔から変わらないね。もう慣れたけどさ……あと、ビーフストロガノフそんな美味くなかった、スパイスのないビーフカレーとあんま変わらない」

 ケチをつけながらも満足げに膨れた腹をさするあさりは、空になった容器をビニール袋に縛ってゴミ袋に入れると、

「じゃあ、決めやすいところから順番に考えていこうか。まず髪の色」

「緑」

「社会生活を営むにあたって不便でない色で考えようか?」

 条件反射で即答したら蹴り飛ばされた。

「現実に髪を緑にするには、アニメみたいに塗りだけじゃダメなわけで、いっかい色を抜いて、染め直したものになるわけだけど」

「そんな現実をいまさら突きつけられても……」

 おれが好む緑髪ヒロインの特徴を振り返れば、その緑髪は「翡翠の髪状かんざし」や「みどりの黒髪」と表現されるような、美しく瑞々しい黒髪の過剰なデフォルメという側面が強い。その核心をとして抽出し、あえて近似する概念を探すのであればフラジャリティか弱さ、すなわち「優しさ、気弱さ、おとなしさ、奥ゆかしさ、恥ずかしがりやといった精神的美徳の過剰な戯画化、ポップカルチャーのリアリティでこそ成立する不確かな美の極端な表現であって」

「黒髪でいいじゃん」

「うっわうぜ、もう絶対黒髪にしねえ」

「現実に還元したら黒と同じなんでしょ?」

「ちげえっつってんだろ! じゃあちょい不本意だけど、あいだを取ってダークブラウンで」

「いいけど。理由は面倒だから聞かない……髪型は?」

「ツ、ツインテ……」

「なに小声でボソッと言ってんの……成人女性がツインテ?」

「ほら茶々が入ると思ったんだよ、いいよポニーとか三つ編みとかのお下げ髪で。いいよ」

「じゃ、顔。目鼻立ち、ついでに表情も決めるかな」

「童顔、タレ目、碧眼へきがん、アルカイックスマイル、照れ顔、低身長、巨乳」

「うわ、先走りはじめた……」

「なんか、調子出てきた!」

「これはデブの洋物幼女ってこと?」

「乳以外は程よい肉付きに決まってんだろ、殴るぞ」

「わあ……」

「まあこのぐらいか。服装はお任せで片面全裸、添い寝構図は再検討の余地アリだな。性格とか考えんの? 表情集とかエロシチュのラフ乗っけた小冊子付けるんだっけ」

 原作のないオリジナル企画系の抱き枕は、キャラクターの肉付けがどうしても弱くなるため、学校での様子や入浴・シャワーシーンなどを描いた、ちょっとした小冊子を付録でつける場合がある。

「ん、まあ付けるね……ここまで聞いたんだし、どんなキャラかも決めてよ」

「一途、献身的、清らか、気弱、おとなしい、奥ゆかしい、目立たない、恥ずかしがりや」

「馬鹿じゃないの……」

「あと、おれに対してだけだけど、ちょっとエロい。これね!」

「はは、くだらね」

 お茶パックにストローを挿してちうちう吸ってから、あさりは笑った。

「結局、理想なんてその程度でしょ? ぐじぐじしてる暇があったら一枚でも多く抱き枕買ってあたし達作り手の財布を暖めてくれればいいの、何も考えず精を吐き出してりゃそれでいい」

「下品に言いやがる……協力料としてサンプル一枚ぐらいタダでくれるだろ?」

「特別気に入ったやつはどうせ予備に二、三枚買うでしょ?」

「おうよ!」

 あさりの笑顔は人を小馬鹿にした薄ら笑いだったが、なぜだかつられて、おれも笑ってしまった。昔から不遜で人を食った態度を崩さないやつだが、おれが何かに悩んでいるときなど、たまにとても頼もしく思ってしまうところがある。

「今日は他に仕事もないし、ちょっぱやで今夜中には第一稿、見せてやるね」

「商売熱心なのはいいけど、あんま無理せずたまには休めよ?」

「商売ってだけじゃないよ。あんたみたいなオタ踊らせんのも好きだから」

 あさりはヘッドホンを装着しなおして、手をこっちに向けてひらひらさせてから、ペンタブレットを使ってさっそく何かを描きはじめた。

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