第4話
エクリプスちゃんに対するおれの思い入れが伝わったのだろう。別のキャラに乗り移るという案はなんとか受け入れてもらえた。
「ちょっとシャワーも浴びたいので、お風呂場使わせてもらっていいですか? そのついでにいろいろ試してみます」
かすかは「覗いたら殴ります」と抜かしながら風呂場に引っこんだ。
「さっきはすごんでみたけど、エクリプスちゃんの顔してたら殴れねえよ。そもそも女子に手を上げたことのないおれにそんな度胸ねえよ……困った」
麦茶を飲んで一息つく。
しかし、危ないところだった。
いくら中身がいけ好かないリア充JK(故人)であろうと、姿形はまるっきり、おれが毎晩寝床で抱いてごろごろごいちゃいちゃしているアニメキャラなのである。
それが具現化した肉体を目の前にしたら、すぐにでもこの両腕に強く抱きたいと願うに決まっている。
おれにとって彼女達は、現実で手の届かない異性の代替物、欲望をぶつけるだけの愛玩具では決してない。
もちろん、いくら否定してもそのような側面と切り離せないことは百も承知だ。
物心ついてから十数年、男性向けオタクコンテンツを常に前線で消費し続け、おびただしい数の二次元キャラとの仮想恋愛を作品に求め、また求められてきたおれのようなオタにとって、彼女達はかけがえのないものでありながら、その実、単なる消費物として扱うことすらも簡単にできてしまう存在だ。
日々、膨大に生み出される作品の波に、仮構の恋人達はいともたやすく消えてゆく。
平均して週四、五〇本程度のテレビアニメを可能な限り全て視聴するうち、あっという間に思春期の貴重な時間をすり減らし、数々の美少女との逢瀬もいつしか倦怠に塗り潰され、学生時代にすべきであろうことは、暇を見つけて消化している新旧のラノベやエロゲのなかで疑似体験するばかりになる。
おれの日常は、夢も、娯楽も、そして恋さえ、不可視の濁流に踊らされている。
その荒波に逆らうための
流行作品の変奏と反復。類似、代替、模造品。無限に増殖する誘惑の恋人達の中から、一枚約一万円という安くない対価を支払って、一人の女性を出迎える。抱き枕カバーを購入するという行為自体が儀式なのだ。
それは性的要請によって薄汚い現世に不完全な肉体で産み落とされた堕天使の墓標であると同時に、幻想のファム・ファタールの胸に流れる血の音を聞くための、救済の女神像なのである。
「だから、中身はけったいな女子高生だと分かっているのに、思わず襲いかかってしまいそうになるほどの興奮を必死に堪えているこの状況は、仕方のないことなんだ……」
「なっがいポエムが最悪の自己弁護で完結しましたけど大丈夫ですか?」
「うっわもう風呂出たの、恥ずかしい! あ、知らぬ間に時計が二十分も進んでる!」
「お風呂場まで声が聞こえてきて、怖かったから急いで出てきました。それより、裸になって抱き枕カバーを頭から被ったら別キャラになれました」
「その斬新な変身シーン見てみたいんですけど? あっ、本当に変わってる!
「知りません。この子がその堕天使でファム・ファーファな救済の女神なんですか?」
確かに柔軟剤は使っている。
「おれ、話題作に乗っかれないタチだからさ。作品自体は蛇蝎の如く嫌ってたけど、放送が終わってしばらくしてから枕が発売されたんで、キャラ単体で見ればいける! と、つい魔が差してだな……」
「救済どころか混じり気のない性的消費だったんですね」
ヘビーユーザーの心情はなかなか理解されない。
「もっとお互いの心情に歩み寄ろうぜ! あ、やっぱりこむこむだとエクリプスちゃんより遥かにおれの獣性が刺激されないで済むな。うん、そのままでいて欲しい」
「ほんとですか? じゃあお菓子買いたいので、近くのコンビニに連れてってください」
言いつつ、何気なく手を引かれた。
「って風呂上がりの火照った身体で触れるなよ! 好きでもないアニメキャラを無駄に好きにさせんじゃねえよ」
「歩み寄れって言うから、距離を縮めてあげたのに……」
遊びで抱いているキャラに本気で惚れかねないのが恐ろしい。もっと厳選すべきだった、と密かに反省する。
「いいです、買い物にはひとりで行きますから。どこに行けばいいのか教えて下さい」
最寄りのコンビニへの道順をざっくり教え、千円札を渡してやると、かすかは足取り軽く部屋を出て行った。ちなみに我が家は学生向けボロアパートの二階建ての一室で、隣室の住人が立てる物音や鉄の錆びた階段がぎしぎし軋む音や「空気がおいしい!」と喜びもあらわに上げられたアニメ声などは余裕で丸聞こえなほど壁が薄い。
帰りを待つかと思ったが、今日が平日だったことに気付いて頭を切り替えた。
制服に着替えながら考える。もしも寝坊しなかったらどうなっていたか。おれが寝付いてから憑いたとして、寝てる間にキスなどしてしまったのだろうか。理想のアニメキャラとのファーストキスは、せっかくなら意識のあるときにしたかった。
大遅刻の言い訳が思い浮かばず、ぼんやり思考を遊ばせながら、身支度をこなして部屋を出る。
「あいつ、コンビニに行ってそれっきり、なんてことはないよな……」
ちょっと玄関前で考えてから、鍵はかけずに学校に向かった。
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