第3話
つまり、どういうわけか事故死したばかりの女子高生が霊魂と化し、綿やポリエステル繊維を素材とする無機物であるはずの抱き枕に憑依したところ、アニメキャラと瓜ふたつの肉体を得て動き出したということらしい。
そんなばかな。
「そっか。かすか、死んじゃったんですね」
「その……お悔やみ申し上げます」
弔意を表するも二の句が継げず、ふと寝起きの喉の渇きに気付いたので、冷蔵庫の麦茶を取ってふたり分をコップに注いだ。
エクリプスの外見でかすかと名乗る問題の彼女は、ためらうことなくコップを手にし、口に運んだ。
こく、こく、とわずかに喉が鳴っている。
(飲めるんだ!)
「……まあ、死んじゃったならそれでいいです。最近、なんだかあまり楽しくなかったので。高校生になっても同じ年頃の男の子って、みんなパッとしなかったからかな」
途端に短かった一生を無感動に振り返る彼女の唇は、麦茶に濡れてつやつやと光っている。
「そんなこと言うもんじゃないだろ、親にもらった命を簡単に諦めやがって。おれのエクリプスはもっと気高い女の子で、同年代の男子にも過酷な人生にも決して失望しないんだよ」
「電車にぶつかって死んじゃったんですよ? もう手遅れに決まってるじゃないですか」
窓から差し込む正午のぬるい陽射しを浴び、気怠げに息を吐く。
「そのうえ、あなたみたいなキモオタが毎晩性欲のはけ口にしている抱き枕にとり憑いちゃうなんて……あとアニメキャラの言動や性格をかすかに求めないで下さい、気持ち悪いです」
口調は子供っぽいわりに言葉遣いがえげつない。
「だからさ、おれの好きなアニメキャラの顔で抱き枕を馬鹿にするなよ。返せよおれのエクリプスを! 姫百合十字一番隊の若き女隊長エクリプスちゃんを返せよ!」
「肩掴まないでください殴りますよ……。返せって、そのキャラは抱き枕のままでいたほうがよかったんですか? 中身リアル女子高生のアニメキャラなんてコスプレデリヘルみたいな存在、あなたの願望としか思えません」
貞潔を捧げたキャラに風俗狂いを疑われると、さすがに神経を逆撫でられる。
「や、夜遊びして粋がってるビッチJKとかお呼びじゃねえし。おまけに見栄張った高いヒールの靴履いて事故で死んでりゃザマないだろ」
「ひどい! それに夜遊びじゃないです、清く正しいお付き合いをしていた方のところへ行っていた帰りで……」
「こんな言葉は使いたくないが言わせてもらうぞ、けっっ、この中古が!」
「なんですそれ? ともかくあなたみたいな平日の昼前に起きて女の子の前にも関わらずステテコ履いてケツ掻いてる引きこもりとは比較にならない素敵な人だし、あなたが想像してるようないやらしいことだってしてません!」
お気に入りのキャラクターが目の前に現れた喜びが、他の男の存在を示唆されたことで急速に白けていくのを感じながら、ぷいと目を逸らしたエクリプスの横顔を見つめる。
華奢な腕と手首から続く白い細指が緑色の髪をさらりと梳くと、現実では奇抜な印象しか与えないはずの髪色が、なぜか映像で見るのと大差なく背景に馴染んでいることにあらためて気がついた。
デザインも色彩設計もデフォルメの強いアニメ作画を、京アニ以上の
自分の部屋だからVRではないし、ARにしてはシェーディングやブレンディングがすごすぎる。ともかく抱き枕とは比較にならない実在感で、隊を率いる女騎士として厳しく振る舞いながらも隠し切れない内面の優しさと「繊細さが滲み出ているような緑髪が穏やかに輝いて美しく風に揺れている……」
やっぱり悪くないかもしれない。
「独り言がこわいです。染めてもないのに、性格に合わせて髪の色が変わったりはしないのでは?」
「違うんだよ、現実原則で考えんなよ、キャラクターだぞ、分かってねえな。おれなりに長年データを集計分析した結果、緑髪キャラを緑髪キャラたらしめているその『緑髪性』というものが最近見え始めてきたところなんだよ、追究してんだよ」
「ちょっとわかんないです……」
しかしアニメでは見たことのないような渋面まで作るのだから、不快感もひとしおであった。
「おれの大切な緑髪キャラを汚すなよ、出ていけよ」
「どこにも行くあてなんてないのに……ひどい」
「あ、さすがにそのままほっぽり出したりしないけど……抱き枕にこだわりがあるなら、せめてその子じゃなく他のキャラに憑いてくれない?」
「そ、そんなことできるんですか?」
「やってみようぜ!」
おれは洗濯カゴの中に畳んである、数日前に洗って陰干しを終えた抱き枕カバーのうち、赤いカチューシャを差した黒髪ロングキャラを選び、
「この子はちゃんと服着てるんですね……。制服っぽいし、ストッキングが破れてるのが気になりますけど、普通の絵の子もいるんじゃないですか」
「ああ、
「裏側にもイラストが? って、ビキニ姿でケツ突き出してるじゃないですか。ほんとに不潔です、ちょっと吐きそう……」
「エクリプスちゃんの顔と緑髪を吐瀉物で汚したら殴るぞ」
「怖いです……」
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