第2話

 朝目覚めて一番に美少女の笑顔が目の前にあるというのも、抱き枕の楽しみのひとつだ。

 朝から晩まで目ン玉開きっぱなしかよ恐ろしい、などと贅沢を言うものではない。

 ただ、頭部と眼球のでかいロリ系キャラだと、けっこう怖い個体が多いのも事実だ。

 おれは毎朝の習慣で寝起きの口臭も気にせず、真っ先にエクリプスの唇へ唇を重ねようとしたが、いつもならほんのわずかに口角を上げた微笑を貼り付けているはずの彼女の口が、なぜか今朝に限って半開きになっている。

 気のせいか、すうすうと細い寝息まで聞こえてくるようだ。大きな目も閉じられていて、長い睫毛を伏せている。


「あれ?」

 寝ぼけているのだろうかと違和感を覚え、身体を起こそうと身じろぎすると、何やら手足が柔らかくてほんのりと温かみのあるものに触れていることに気付く。

 繊維のなめらかさとは違う手触りと、綿にこもった熱とも異なる人肌の温みを感じる。

 はだけたワイシャツ一枚の半裸の美少女に、遠近感を付けたイラストではない、明らかな肉体があった。


「ほおおおおおおおおおおお!」

 思わず絶叫して飛び退ると、「ふぇっ!?」と甘く高い声を上げてエクリプスが両目をぱっちりと見開いた。

「だだだ抱き枕が、人体化した!」

「え、抱き枕って何のこと……いやあっ!」

 上体を起こしたエクリプスは、あたりの様子を見回してから自分の姿を確認して悲鳴をあげた。

「見ないでくださいっ」と両腕で肩を抱き、女の子座りにこちらを上目遣い、泣きそうな顔になっている。

 ひとまずそこらに放ってあったパーカーとジャージの下を「それ着といて」と彼女に押し付け、慌ててトイレに駆け込んで戸を閉めた。


 便座に座って衣擦れの音を聞きながら、深呼吸して状況を整理する。

 朝起きたら抱き枕の美少女が人間の美少女になっていた。

 さっぱり意味がわからない。


「あの……着替え終わりました。ありがとうございます」

 扉の向こうから聞こえる声を落ち着いて反芻してみると、エクリプスのキャラクターボイスを担当している若手女性声優そっくりのハイトーンである。しかもネットラジオなどで聴かれる本人の素に近いものではなく、キャラそのもの。作ったような声音で自然にしゃべっている。

 トイレから出て、部屋中の窓や玄関の戸締まりを確認し、あらためて六畳間の真ん中に敷かれた布団の上でびくびく震えてこちらを警戒している少女に目を向ける。

「な、なんでかすかは知らない間に見知らぬ男の人と一緒に寝てたんですか? あなた、連続婦女誘拐殺人犯とかでしたら、かすかを綺麗な身体のまま楽に死なせてくれますか?」

「かすか?」

「かすかは、私の名前です」

「深夜徘徊と家宅侵入とコスプレが趣味の不審人物、かすかさんですか……」

 一人称が自分の名前なのもだいぶ痛い。

「かすか、不審者じゃありません! あなたのほうがよっぽど、それっぽい……」

「おい、狭い部屋にめいっぱい詰め込んだ四〇インチ液晶テレビと三画面のPCモニタとアニメBD棚とラノベ棚とフィギュア棚を順番に怪訝な目で見やがって、おれの生活とひいては人生のすべてなんだぞ……。あ、その洗濯カゴの中身だけは見ないで」

「きゃっ、なんですかこれ!? 裸のアニメの女の子が印刷された布がいっぱい」

 好きなアニメキャラの顔でめちゃくちゃ気色悪そうな渋面を作られると人間はわりと傷つく。

「だめだ。やっぱりこれは夢だ、ちょっと寝直そう、おやすみエクリプス」

「ととと突然抱きつかないでください! なにその一緒に寝るのが当然でしょと言わんばかりの膨れ面、本当に人呼びますよ。って誰がアニメキャラなんですかひゃああああああ!」

 顔の前に手鏡をかざしてやると、かすかと名乗った少女は驚愕をあらわにおれの好きなアニメキャラの顔面をさらに歪めて甲高く叫び出した。

「夜中に女の子をさらって、アニメキャラそっくりに整形手術するなんて……お家に帰る途中で突然気を失ったかと思えば、こんな……ひどすぎます」

「道端で気絶して、気が付いたらおれの部屋で添い寝してたってこと?」

「あなたと添い寝なんて、悪夢のような光景を思い出させないで下さい」

 頭を抱えてくずおれた彼女は、少しずつ記憶を手繰るように続けた。


「……そう、遊んでたら夜遅くなっちゃって、急いで帰っていたら、ご近所で有名な開かずの踏切につかまっちゃったんです。待ちきれなくて遮断機をくぐって走ったら、ヒールが線路のへこみに引っ掛かっちゃって。それから強い光を浴びて、列車のブレーキと警報機の音がぐわんぐわんと」

「あれ、お前それ死んでね?」

「お前じゃありません。かすかです。……え、かすか死んでますか?」

 宝石のように輝く緑色の目をまん丸に見開いて、彼女はぽかんと大口を開けた。

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