第7話 結婚したら、こうするって……決めてたんだ!

 翌日が試験休み初日で助かった。あんなことがあったあとで学校になんて行けない。

 お昼すぎに自分でインスタントのラーメンを作って食べる。手間をかけるのが面倒だから具を何も入れない。試験休み中のお昼ご飯はお母さんの手を煩わせないことになってるけど、専業主婦なんだから、やってくれてもいいのに。

 そのお母さんは庭で草むしりをしている。高校も試験休み中のお姉ちゃんは朝から出かけたらしく、まだ帰っていない。

 出来上がったラーメンを食べながら昨日会えなかったから、まさくんの家に行こうかと考える。携帯電話のことも聞きたいし。でも、昨日のことを聞かれたら、なんて答えようか?

 食べ終わった食器とお鍋を洗っていると、玄関からお姉ちゃんの声が聞こえてきた。

「めぐみぃ。もう起きてる?」

 とっくに起きてるよ。玄関先でなんちゅうでかい声を上げてるんだ。近所に聞かれたら恥ずかしいでしょう。

「ああ、起きてたな。はい、これ」

 キッチンに顔を出した、お姉ちゃんが手提げの紙袋をひょいと掲げる。

「なに、それ?」

「なにって、あんたの携帯だよ」

 ……ええっ!?もう買ってきてくれたの?

「私が行かなくてよかったの?」

「名義はお父さんだからね。委任状だけ書いてもらえば、あとはあたしでも大丈夫だよ。機種も色もあたしが勝手に選んじゃったけど構わないよね」

 ……センスのないお姉ちゃんが選んだというのが気になるけど無理言った手前、文句も言えない。まあ、キッズケータイなんだからセンスを気にしても仕方ないんだけどね。

「開けていい?」

 携帯電話の入ってる紙袋を受け取ってから、お姉ちゃんに尋ねる。お姉ちゃんは「どうぞ」と言ってから

「ああ、ラーメン作ったんだ。あたし、何も食べずに帰ってきたから、お腹空いてんだよね」

 後片づけの跡をのぞき込んで、これみよがしにつぶやいてる。

「わかったよ。後で作ったげるから、ちょっと待って」

 紙袋から箱を取り出しながら、恩着せがましく言ってる、お姉ちゃんをあしらう。

 箱を開けると中には薄いピンクの携帯が入ってた。箱から取り出してみる。小さくて私の手でも大きすぎない。

 数字キーが見当たらない、なんて思いながら見ているとスライドできるようになってた。中から小さな数字キーがひょっこりと出てくる。

「お姉ちゃん、これキッズケータイ?」

 キッチンで手を洗ってるお姉ちゃんに向かって質問する。すごくおしゃれだから、信じられない。

「ううん、お父さんが『不公平になるから、ちゃんとした携帯を買ってあげろ』って言ったから。最新機種だぞ」

 私は携帯電話を箱の中にしまうと箱を紙袋に押し込んだ。

「ちょっと、まさくんの家に行ってくる」

 紙袋を持ってダッシュで玄関まで走る。

「ちょっと待って!あたしのラーメンは?」

 お姉ちゃんの声を後ろに、玄関でコンバースを履きながら

「帰ってから作るから!」

 言ってドアを開けて一目散に駆け出した。


 まさくんの家に向かう途中で

「めぐみっ!」

 と、声をかけられた。

 声のした方に振り向くと、まさくんとまさくんのおばさんが、こちらに向かって歩いていた。

「今、家に行こうと思ってたの。どこ行ってたの?」

 近づいてくる、まさくんに向かって声をかける。まさくんは手に持っていた紙袋を掲げて

「携帯を買いに行ってたんだ。そろそろ必要だと思ってさ。めぐみも買ったのか?」

 見せてくれた。私も同じように掲げる。

「まさくんも買ってもらってるって思ったから、電話番号とか登録しようって思って。あ、昨夜はすみませんでした。うちのことで母が電話しちゃって」

 まさくんのおばさんに向かって頭を下げる。

「いいのよ。就職する前に買っとかなくちゃいけないかって思ってたところだったから、ちょうど良かったのよ。……残念だったね、雅也。一緒に買いに行ったら、めぐみちゃんとおそろいになったのに」

「関係ねえよ」

 おばさんの冷やかしに無愛想に応じてる。

 そういえば私たちって、そろいの物ってなかったよね。

 まあ、考えてみればできる限りバレないようにしようとしてたんだから、しょうがないか。

 私が寂しそうにしてたのに気がついたのか

「俺んに来るつもりだったんだろう?来なよ、一緒にセットしよう」

 私を先に促してくれる。


 まさくんの家のリビングで携帯電話のセットアップをやったんだけど、私もまさくんもこの手の機械に弱い。だから、まさくん今まで持たなかったんだ。

 それぞれの説明書を読みながら、ああでもない、こうでもない、って言い合いながらなんとか、やってのけた。

 そして、お互いの電話番号をアドレス帳に入力することも、やっとできた。その後で、まさくんが赤外線で番号を送りあえるらしいっていうのが説明書に書いてあることに気がついた。今さら遅いよ。もう一生懸命手で打ち込んだよ!


 暗くなる前に家に帰ってから、夕飯の時にお父さんとお母さんに電話のお礼を言った。

「絶対、無駄遣いしないから」

 って言うと、お父さんはうんと頷いてからビールを飲んだ。

 日付が変わる前に、お風呂から上がって部屋で携帯を弄っていると、まさくんから電話がかかってきた。

 受話ボタンを押して耳に当てる。

「もしもし……」

 初めての電話だから緊張する。声がうわずってるんじゃないかな?

「もしもし。……電話、遠いんじゃないか?」

 記念する第一声がそれ?まあ、たしかに音が小さくて聞き取りづらいけど。

 電波が弱いのか部屋の中をうろついて、窓のある壁に張り付くことで、やっと少し音が鮮明になった。

「電話代がかかるから、本題だけ言うな。……昨日のこと勇大さんから聞いた」

 ……!?……斉藤くん喋っちゃったの?動揺している私をよそに、まさくんは話しを続ける。

「俺に言わないでほしいって言ったんだってな。でも、勇大さんを責めないでほしいんだ。……昨夜、勇大さんが俺ん家に来て話してくれた。怖い思いをさせちまったな」

「まさくんのせいじゃないよ」

 反射的に返す。

「携帯を買ってくれって親に言うように勧めてくれたのも勇大さんなんだ。たぶん、めぐみはこれからのために携帯を買ってもらおうとするはずだからって。俺も持っていたほうが説得しやすいだろうって」

 そこまで読まれてたんだ。

「でも、できたらめぐみから話してほしかったなって思った。……今回のことだけじゃなかったんだってな。以前から俺たちのことでいじめられてたんだろ?」

 きっと斉藤くん、多央ちゃんから聞いたんだな。私たちよりよっぽどコミュニケーションをとってる。

「電話だけじゃなくって、防犯ブザーも準備してるから大丈夫だよ」

 安心してもらうために説明する。どこまで役に立つかわからないけど、まったく手をこまねいているよりはマシだと思う。

「そのことなんだけど……。勇大さんからその時撮った写真を預かったんだ」

 昨日、斉藤くんがデジカメで撮ったやつだ。

「連写撮影して、その中からそいつらの顔がハッキリわかる写真を一枚プリントしたやつなんだけど。……めぐみに掴みかかってる奴って、たぶん知ってる奴だと思う」

 あのリーダー格のつり目のソフトモヒカンの顔が頭に浮かぶ。

「……そうなの?」

「うん、クラスは違うけど俺と同学年に、こいつの兄貴がいるんだ。そいつに話を通してみようと思ってる」

「そんなことして、まさくんが困ったことにならない?」

 あいつの兄貴なんて、すごい不良なんじゃないの?

「俺は大丈夫だよ。そいつは、そんなに悪い奴じゃないから。俺だって何か役に立ちたいじゃないか。……学校も違うから守ってやれないし」

 電話越しの声から寂しさが伝わってくる。一拍おいてから

「本当はさ。何にも言わずに、こっちで解決したかったんだけど。でも、めぐみに、ちゃんと言ってほしかったって言った手前、黙って進めるわけにいかないからな。そんなのフェアじゃないし」

 照れくさそうな声が受話口から聞こえる。

「ありがとう」

 素直にそう言えた。

「……じゃあ、切るな。……おやすみ」

「おやすみなさい」

 ……ツーという小さな音が電話から流れる。

 携帯を切ってベッドにうつ伏せに倒れ込む。声が聞けちゃった分、寂しさが増した感じだ。

「大丈夫かな……」

 一人つぶやく。まさくんまで巻き込んじゃったのは正直つらい。でも、私から言ってほしかったっていう気持ちもわかる。もし、まさくんのおかげで事態が解決したとしても、後から別の誰かから事情を聞かされるよりも、最初からまさくんから聞いたほうが良かったって思うから。

「また新しいルールができちゃった」

 まあ、ルールっていうより約束みたいな感じかな。……約束か。約束って、なんかあったよう……な……!!


 コンコン。

「……お姉さま。ラーメンをお持ちしました」

「こんな時間に食えるわけないでしょう!」

 ドア越しに怒られた、午前0時。


 試験休み明け、恐る恐る登校すると周囲は驚くほど変わりなかった。女子も男子も私のことなんて関心なくなっていた。いつも通り挨拶を交わして軽くおしゃべりをして、それだけ。

 ……ただ、咲恵子だけは私に近づくことはない。

 私はお姉ちゃんと違って、人付き合いが得意じゃない。お姉ちゃんだって積極的に友だちを作る人じゃないけど、それでもクラスや部活、果てはバイト先でも友だちができてる。

 私なんて小学校や中学に上がっても友だちらしい友だちは咲恵子だけだった。

 だから、やっぱり寂しい。だけど、もう友だちには戻れない。

 ある日、廊下であいつらに会った。ソフトモヒカンの集団だと気がついた時はポケットの中に手を入れて防犯ブザーを握りしめていた。

 つり目が私の方をチラッと見るとそっぽを向いて、そのまま後の二人を連れて行ってしまった。舌打ちをしたような気がしたけど。……どうやら、まさくんの作戦は効果があったみたいだ。

 その後、あいつらが卒業するまで気が気じゃなかったけど、なにもなかった。


 まさくんは高校を卒業して地元の工場に就職した。デートする機会は減ったけど、メールのやりとりはずいぶんやった。私も残りの中学生活を無難に過ごしていった。

 進学しない旨を三年の担任に話した時は驚かれた。学年で数人は進学しない人はいるらしいが、まさか私がそれだとは想像もしていなかったらしい。説得されたり、通信制の高校を勧められたりもしたけど、もう学校自体に興味をなくしていた。だから高校には行かない。


 コーラルピンクの半袖のコードレースワンピースにイミテーションの小さな飾りのついたネックレスをあしらう。本当は大きめのパールのネックレスが良かったんだけど、そんな贅沢はできない。このワンピだって無理を言って買ってもらったんだから。

 机に座って化粧ポーチからスタンドミラーを取り出す。夏場だから日焼け止めを塗って化粧下地をつける。その後、パウダーファンデをしっかり顔の中心から外側に向けて塗る。

 ペンシルでアイブロウを軽く書いて、ベージュのアイシャドウつける。同じくベージュのアイホールをブラシを使って塗って、ブラウンをまぶたの際につける。

 ペンシルを使ってアイラインを目尻から中央に、目頭から中央に向けて書いていく。

 マスカラを終えてからパウダーチークを頬に滑らせるようにつける。

 リップブラシにコーラルピンクの口紅をつけて、上唇から順に塗っていく。下唇を塗り終わってから、一旦ティッシュで唇を押し当ててから、改めて口紅を塗る。

 鏡を少し遠ざけて顔全体を見返そうとすると玄関先から大声で私を呼ぶ、お姉ちゃんの声が聞こえた。


 階段を降りると、お姉ちゃんが下で待っていた。

「早くしなさいよ、待ってるでしょう」

 文句を言ってるお姉ちゃんに向かって

「これ明日取りに来るから、お姉ちゃんの部屋で預かっといて」

 化粧ポーチを手渡す。もう、私の部屋は机くらいしか残っていない。ほとんどの持ち物は処分したか、まさくんの家に送った。

「あ、それと今晩、多央ちゃんたちと会うんだよね?リビングにクッキー置いてあるから、ちゃんと持っててよね」

 お姉ちゃんは夕方から駅前の居酒屋で多央ちゃんとバイト上がりの斉藤くんに、私たちの報告と接待をやってくれるらしい。その二人に渡すクッキーを持っていってもらわないといけないから、そのことを促す。

「わかってるわよ。……今日は、一緒に行かなくていいのね?」

 お姉ちゃんが訊いてくる。

「うん……今までありがとう」

 三年間……ううん、私たちがつきあってからの五年間、なんとかやってこれたのは、お姉ちゃんや多央ちゃんたちのおかげだもの。ありがとうの一言やクッキーくらいじゃ足りない。

「ほら、待ってるわよ」

「うん」

 言葉が続かない私を促してくれる。私は新調した白のエナメルパンプスを履いて、玄関で待ってくれている、数時間後の未来の夫に向かって声を掛ける。

「さ、行こ。まさくん」


「おめでとうございます」

 婚姻届を受け取ってくれた窓口の担当者は、三十歳くらいの落ち着いた女性で必要書類を確認した後、私たち二人に頭を下げて、お祝いの言葉を言ってくれた。

 こういうのってやったことないから、当たり前にやってくれることなのかわからない。だけど、一番最初に私たちの結婚を祝福してくれたのは嬉しい。私たちも

「ありがとうございます」

 と、平凡なお礼をなんとか言えた。

 担当者さんは、書類を見返しながら

「奥様は昨日、お誕生日だったんですね。重ねて、おめでとうございます」

 また頭を下げてくれる。また、

「ありがとうございます」

 と、返す。


 役所のエントランスの自動ドアが開いて外に出ると、差し込んできた日差しを二人して手をかざして防ぐ。

「……結婚……したんだよな」

「うん……」

 太陽に目がなれた私とまさくんは、手を下ろすとやっと声を出せた。あまりにもあっけなく済んでしまって呆然としちゃう。

「あの……さ」

 歩きはじめた私たちは黙ったまましばらく経ってから、やっとまさくんがつぶやくように言う。

「俺たち……もう、結婚したんだから……いいんだよな?」

 そう言いながら左側を歩いている私に向かって手を差し出してくる。今まで手すら繋げなかったんだもんね。

「……やだ」

 私の返事に驚いて顔を向ける、まさくん。

 そんなまさくんに向かって私は言った。

「結婚したら、こうするって……決めてたんだ!」

 パンプスで少し背を伸ばしてる私は、差し出した彼の左腕をとって、両腕で組んだ。

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さわんなっ! 塚内 想 @kurokimasahito

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