第5話 一生許すつもりはないから
あれから何度か佐々木さんたちと一緒に映画を見たりショッピングしたりと普通のデートを楽しめるようになった。二人がどうしてもつきあえない時は私のお姉ちゃんが代役をやってくれた。
佐々木さんもお姉ちゃんも受験生なのに私たちのためにずいぶん時間を使わせてしまったな。
そんなことを思いながら登校すると、廊下のすみで三年生と思われる男子が数人たむろしていた。
さすがに上級生は私に関心をもってない様子だったから、そこも素通りするつもりだったのだけど、その男子たちの中によく知ってる顔がいた。
「さえちん!」
さえちんは私の声を聞くとビクリと肩をふるわせて、こちらを見た。
それに反応するようにさえちんを囲むように立っていた男子たちは、ゾロゾロと散っていった。私は取り残された、さえちんに近づく。
「どうしたの?大丈夫?」
さえちんに駆け寄ると彼女は小さくうなずいた。でも、私の方は見ていない。彼女の視線を追うとさっきの男子のうちの一人がまだこちらを見ていた。そいつは私の方に視線を向けると、上から下に視線を走らせてからフンッといった感じで、そっぽを向いて去って行った。
「なに、あいつら?」
同学年ならクラスメイトじゃなくても顔くらいはわかるけど、上級生の男子なんてほとんど知らない。ましてや、あんな偉そうな態度のやつなんか。
「よく、わかんないけど……」
さえちんは私の方に顔を向けて、小さな声で話す。
「お金取られたりとか、体さわられたりとか、されなかった?」
私の質問に首を横に振って答える。ホッとする。
「先生に言ったほうがいいんじゃない?」
と言うと彼女は
「そんな大げさにしなくていいよ。行こ」
そう言って足早に教室へと向かって行った。
「カラオケ……ですか」
佐々木さんから、お姉ちゃんの携帯に電話がかかってきて今度のデートの話になったので私に替わってもらった。
「うん、うちの学校は来週、期末試験休みになるし、勇大はまあ時間はどうにでもなるから。……めぐみちゃんのところは試験、午前中で終わるでしょう?」
佐々木さんもうちの学校の卒業生だから試験のスケジュールなんか把握している。
「でも、私レパートリーなんてないですよ。友だちと行っても盛り上げ担当ですし」
「いいっていいって。歌いにいくよりもストレスの発散が目的なんだから。ちょうどクーポンがあって安く行けるから今度のダブルデートはそれにしようって勇大と相談したんだよ」
まあ、試験の最終日だったら大丈夫かな。
「わかりました。じゃあ、学校が終わって着替えたら直行します」
そう言うと
「いや、あたしが迎えに行くから、そのまま行こうよ」
と、無謀なことを言いだした。
「ええ!私、制服のままで行くんですか?」
「大丈夫だって。あたしだって中学の時に何度も制服のまま遊びに行ってたよ。遅くならなきゃ補導なんてされないって」
気楽に言ってくれる。
電話を切って緑色の学校指定のジャージを部屋着代わりに着ているお姉ちゃんに携帯を返す。
「今度はカラオケか。……あんたたち、ずいぶん遊ぶようになったけど、お金足りてる?」
「いや、ちょっとキツいかな」
正直に答える。今まで図書館や家デートだったからほとんど、お金を使うことなかったのに。
「あたしから断っとこうか?」
心配してくれてるんだな。お姉ちゃんの友だちだから私からは断りにくいのを見越してくれてる。
「大丈夫。なんとかなるよ」
実際、遊びたいのも事実だし。
お姉ちゃんは黙って私の部屋から出たと思うと、すぐに戻ってきて持ってきた茶色でレザーの二つ折り財布から五千円を抜き取って差し出した。
「夏休みのバイト代が残ってるから貸したげる。たいして無いけど今回の分の足しにはなるでしょう」
「……ありがとう、お姉さま」
両目をウルウルさせて、両手を差し出してお礼を言う。
「気持ち悪いわ……」
差し出した両の手のひらに五千円札がポンと置かれた。
二学期末試験最終日も無事に終わってあとは冬休みを待つだけだ。結果は気にしない。まあ、悪くはないと思うし。
私はこの後、まさくんたちとカラオケに行くことになってる。帰りのホームルームもないから、カバンに筆記用具をしまって立ち上がる。
どこもそうだと思うけど、うちの学校も置き勉は禁止されてる。私は真面目だから、ちゃんとルールは守るのだ。もっとも、あまりに重くなると例外措置を施すことが多々あるけどね。今日は半日分だから、たいした量じゃないし全部持って帰ります。
「……めぐちゃん、これからどうするの?」
さえちんが私の席に近づいて話しかけてくる。遊びに誘ってくれてるんだ。
「ごめん、今日は用事があるから」
片手を上げて謝る。でも、さえちんは
「少しだけでいいから、つきあってもらえないかな」
と、遠慮がちに、だけど一歩も引かないつもりのようだ。困ったな。……少し遅れるけど仕方ないか。
さえちんは、いつものショッピングモールの方には行かないで別方向に足を向ける。こっちは行ったことないな。
「ねえ、どこに行くの?」
私の問いかけに
「もうちょっとだから」
と言うだけで、反応が悪い。嫌な予感がする……。
考え込んでいて周囲への反応が遅れた。私の視界に影が飛び込んできたから思わず避ける。
その避けた方にも別の人影があった。それを避けようとすると、また同じように……。
気がつくと取り囲まれていた。
百七十から八十センチ近くはありそうな男子が三人、私を逃さないように囲んでいる。この間、さえちんを取り囲んでいたやつらだ。
私はカバンを胸に抱いて眼の前にいるやつを睨みつける。詰襟と第一ボタンを外して格好つけている気になっているのか。サッカー選手じゃあるまいし、ソフトモヒカンが似合ってない。去っていく時、私をジロリと舐めるように見ていた男子だ。似たような髪型の他の二人も私を見下ろしながらニヤついている。
「なにか用ですか?」
内心の動揺を悟られないように問いかける。
リーダー格のつり目のモヒカンは首をクイッと傾ける。場所を移動しろっていうの?言うことを聞いたらどんな目にあうかわかったもんじゃない。だけど、足を踏ん張って動かなでいようとしても背中をドンと押されて結局動かされる。
「……お金だったら少しはあります」
お姉ちゃんから借りた五千円の他に手持ちの二千円。それに小銭が少し。私の全財産だけど、これで解放されるなら安いと思う。
だけど、上級生たちは路地裏の壁際に追い込んだ私の言葉を聞くつもりはないみたいだ。ニヤニヤしながらこちらを見下してる。
「お前、チビだな」
私の頭の上で壁に手をやり逃さないようにしている。
「……はい」
悔しい。暴力に屈している自分が情けない。
「こんなチビなのに、やることやってんだ」
「小学生からだもんな。最近のガキは怖えよな」
「図書館でやってるんだってな。信じらんねえよ」
上級生たちは勝手なことを口々に言い出す。
「なあ……」
つり目が私に顔を近づけてくる。
「彼氏とだけじゃなくて俺たちとも楽しまねえか?」
ゾッとした。背中から寒気が急激に上がってくる。心臓が飛び出しそうなくらい息苦しい。
さっきまで「チビ」だって言っておきながら、そういうことを平気で言える神経が理解できない。いや、そんなことより、こんなやつらの望みを叶えてやるわけにはいかない。
でも、そう思ってもどうすればいいかわからない。助けを求めようとしても声が出ない。防犯ブザーなんて今も必要じゃない。
「聞いてんの?」
声の出せない私の頭に向かって、つり目が手を乗せようとする。
「……さわんなっ!」
自分でも信じられないくらい大声を上げて両手で抱きかかえていたカバンで、つり目の手を叩き払う。
「いってえな」
私の行動がかえって上級生たちの怒りを買ってしまった。ニタニタ笑ってた三人の目から一斉に睨みつけられる。……怖い。だけど、もう後には引けない。カバンで誰か一人を殴りつけて、隙きを作って全力で走って逃げようか。
いや、殴って隙きを作る前に他の二人から取り押さえられるかもしれないし、うまく囲みから抜け出せても私の足じゃすぐに追いつかれる。
「お前、先輩にそんな態度とっていいと思ってんのかよ」
「こりゃ謝るくらいじゃ足りねえよな」
……足がすくんで動けない。走って逃げるなんて、そんなこと無理。
「おい、聞いてんのかよ!」
つり目が私のセーラー服の襟を勢いよく掴む。思わず目をつむる。……まさくん、ごめん。
「あのお……」
緊迫した雰囲気になじまない、のんびりとした声が聞こえてきた。
上級生たちが一斉に声のした方に振り向いた気配がする。私も恐る恐る目を開けると、カシャカシャ!という連続音と光が目に飛び込んできて、また目を閉じた。
「なんだ、おっさん?」
再び目を開けると、アイボリーとダークネイビーのチェックのネルシャツとジーンズを穿いた小太りの男性が黒のデジカメをこちらに向けているのが見えた。
「僕のツレがもうすぐ、お巡りさんを連れてここにやってきます。その子を放した方がいいと思いますよ」
おっさんと呼ばれた男性は無表情のまま淡々と三人の中学生に話しかける。
「おっさんには関係ねえだろう。そのカメラよこしてさっさと行けよ」
ネルシャツの男性の一番近くにいる横幅のある細い目の男が、男性に向かって手を伸ばしてカメラを奪おうとする。
「お巡りさん!こっちこっち」
その時、遠くから大きな声が聞こえてきた。中学生三人はあきらかに動揺し始めた。
「おい、行くぞ」
リーダー格のつり目が私の襟から手を離して他の二人を促して声の聞こえてきた方角とは反対に向かって小走りで去っていった。
それと入れ違うように自転車が勢いよく走り込んできた。
「大丈夫?勇大」
自転車を止めてジージャンの佐々木さんがネルシャツの斉藤さんに語りかける。
「……ああ、気をきかせて本当にお巡りさん呼んできてくれるかと思ってたのに」
「はあっ?無茶言わないでよ!いきなり電話かけてきて『今、どこそこにいる。宮中さんが変な男たちに連れられてるから、今からこっちにお巡りさん連れてきてるように装って』って言って一方的に切っちゃったじゃない。ここを探すの手間取っちゃってそんな余裕ないって」
どうやら斉藤さんが連れ去られてる私を発見してくれたんだ。それで佐々木さんと連係をとって助けてくれたのか。
「めぐみちゃん、どうしたの?大丈夫?」
斉藤さんにひとしきり文句を言った佐々木さんが私に近づいて私の背に合わせてしゃがむと肩を抱いて心配そうに声をかけてくる。二人のやり取りへの反応が薄いから気にかかっているんだと思う。
だけど、私の視線は彼らの後ろに注がれている。
「……めぐちゃん」
遠くにいるせいか、小さくか細い声がやっと聞こえる。いつもの甲高い声の持ち主だとは思えない。さすが声優志望だな、って関係ないことを思ってしまった。
「友だち?」
佐々木さんが私に訊いてくる。申し訳ないけど、それについては返事をしないで、さえちんに語りかけた。
「どこに行ってたの?」
先日、やつらがさえちんに絡んでいたのを見てる。さえちんに連れられて、この辺りまで来てやつらに絡まれた。そして、私が絡まれた時、さえちんはどこにもいなかった。
最初は無事に逃げられたのかな、私はボーッとしていたから逃げ遅れたのか。なんて考えていた。でも……。
「あいつらに、私のこと話したんでしょう」
さえちんは
「ごめん、脅されて仕方なく……」
と、俯きながら答える。
「嘘だよね」
断定的な私の言葉に、さえちんも佐々木さんも驚いた顔をする。斉藤さんだけが、いつもの無表情をキープしてる。
「あいつら私が小学生の頃からつきあってるのを知ってたよ。図書館でデートしてるのも。うちの学校でそのことを話してるのは、あなただけだから」
「そ……それも、脅されて」
「どんな風に脅されたら、そんなことまで話すの?あいつらに、そんな話は必要ないでしょう。積極的にあなたの方から話してるとしか思えない」
さえちんは涙目になって
「信じてよ。本当に脅されて。めぐちゃんのことを言わされて、連れてこいって命令されて、でもまさかあんなことまでされるなんて思ってなかったの」
私に訴える。
「……見てましたよ」
斉藤さんが、さえちんに向かってボソリとつぶやく。
「あいつらが宮中さんを取り囲んだ時にはあなた、さっさと先に行ってましたよね。宮中さんたちがここに連れてこられようとしてた時に、あなたは彼らから離れた場所で見ていただけですよね。……笑いながら」
さえちんは
「笑ってません!なによ、あんた!?」
そう怒鳴る。
斉藤さんは黙ったままジッと、さえちんを見てる。
私は
「私の友だちだよ」
と、さえちんに向かって答える。
「…………」
いったい、どれくらい沈黙が流れただろうか。やがて、さえちんが
「……いいじゃん。どうせ、初めてじゃないんでしょう?あいつらとやったって、黙ってりゃわかんなかったじゃん。廣川くんがかわいそうじゃない。頑張って告白しようとしたのに、もうとっくに他の男のものだったんだから。なんで、めぐちゃんなんか好きになったのさ!」
耐えきれずに堰を切ったように様に喋りだす。言ってることが、めちゃくちゃだ。今までずっとそんな風に思っていたんだ。
……私が思いをやっと言葉にしようと口を開こうとした時、
「めぐみちゃんたちは、つきあってから一度だって手すら繋いでないよ。もちろん婚約してからだってさ。それは、あたしたちが証言するよ」
佐々木さんが、私の肩を抱いたまま、さえちんに向かって語りかけた。
「……そ、そんなの信じられるわけないじゃない。つきあってるのに手も繋がないなんてないでしょう」
「そうだよね。あたしも信じられなかったよ。でも、本当だ。自分たちでそういうルールを作って、それをずっと守り続けてるんだ」
佐々木さんが立ち上がると、さえちんは気圧されたように後ずさる。この中で一番背が高いからなおさらだ。
「そんなバカみたいなルールで自分たちを縛ってるのはさ、誰からも後ろ指をさされたくないからだよ。なんせ子どもの頃からだからね。だから、あたしたちも彼女たちがルールを守れるように手伝ってきたんだ。……友だちだからね」
さえちんは戸惑ったように私と佐々木さんを交互に見ている。
「あんたの事情は知らないけどさ。少なくとも友だちだったら、こんなことに大切な友だちを巻き込むなんてありえないんじゃないか?あんた、あたしたちがあいつらの邪魔をしなかったらどうするつもりだったの?」
「……どうって?」
「そのまま友だちづきあいするつもりだったの?」
さえちんは、その質問に明らかに戸惑ってる。
「隠れたまま、ほくそ笑んで見てて、ことが終わってからノコノコと友だち
「ひどい……」
佐々木さんは追及の手を止めない。
「ひどい目にあったのは、めぐみちゃんの方だよ。……どうなのさ」
「佐々木さん」
私は彼女のベージュのスラックスを軽くひっぱって止めさせる。
「……」
私はさえちんを黙ったまま見つめる。
「……めぐちゃん」
口を開いた彼女を遮るように言った。
「何も言わなくていいよ。……一生許すつもりはないから、もう私に関わらないで」
……二本木咲恵子は独りで、この場を後にした。
もうクラスで会っても話すことも挨拶すらすることはないと思う。
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