第3話 私が高校に行かないと決めたのはこの日からかもしれない

 廣川くんに婚約していることを、うっかりバラしてしまってから数日経った頃、いつもの時間に登校してきた私をまたもやクラスメイトがジロジロと見ている。

 人のうわさも七十五日って言うけど結構長いな。なんて思いながら教室に入って思わず身体が固まってしまった。

「宮中めぐみはヤリマン」

 と、でかでかと黒板に書かれている。その周囲にも「俺もやりてー」とか「婚約者とやりまくり」などと卑猥な言葉が無遠慮に書き散らされている。教室内はニヤニヤと気持ち悪い笑い顔を向けてくる男子や、我関せずといった態度をとりながらも、こちらの様子を伺っている女子で溢れている。

 怒りで身体が熱くなる。だけど、ここで怒ってしまえば相手の思う壺だ。

 机にカバンを叩きつけるように置く。教室前の黒板につかつかと歩み寄り、黒板消しをガッと掴むと右端から消しはじめた。

「ええ!?消しちゃうのかよ」

「おーい、上の方が残ってるぞ」

 素行の悪い男子たちが野次を飛ばす。私は精一杯腕を伸ばして黒板の上の方に書かれている落書きを消そうとする。

 百五十センチちょっとしかない身長では、どうしても届かない。つま先立ちをして手を伸ばしても消せないところができてしまう。

 背後でゲラゲラ笑う男子たち。女子のクスクスという声まで聞こえてくる。気にしないようにと思っても、どうしても耳に入ってくる。振り返って黒板消しを投げつけようかと思った瞬間、別の黒板消しを持って私が消せなかった落書きを消しはじめた影が現れた。

 驚いて、その影の正体を見る。

 廣川くんは私の視線に気がつかないのか、ただ黙々と落書きを消し続けてる。

「おい、一基!なにやってんだよ」

 男子たちが廣川くんにまで野次を飛ばしだした。彼はその声も無視して、私の前に書かれている落書きまで消しだした。

 私は彼にふれないように一歩後ろに下がる。ポニーテールの先が頬をかすめる。廣川くんはそのまま一気に消しきって、黒板消しを黒板の溝にガンッと叩きつけるように置いた。振り返って男子たちをジロッと睨みつけると、そのまま自分の席に戻っていった。

 男子たちはブツブツ言いながらゾロゾロと教室から出ていく。

 消すのを手伝ってくれた廣川くんにお礼を言おうかと思った。だけど私は、彼らがあんなことを書いたのは廣川くんが私が婚約してることを喋ったからじゃないかと疑ってる。

 彼も男子たちが、あそこまでひどい仕打ちをするとは思ってなかったのかもしれない。だから罪滅ぼしに落書きを消してくれたんじゃないか。そう思ってる。


 私が高校に行かないと決めたのはこの日からかもしれない。


「バカじゃないの!バカじゃないの!バッカじゃないのっ!!」

「……大事なことなので三回言いました」

 その日の放課後、私はさえちんを誘って帰り道にあるショッピングモール内のクレープ屋さんでチョコバナナクレープとチキンマヨクレープを注文する。くそっ!こんなに腹が立ったら甘いものとお腹にたまるものじゃないとイライラが治まらないっ!散財だっ!散々だっ!!

 さえちんは小さなテーブルを挟んで座ってくれて控えめにバナナクレープを食べる。

「でも廣川くんが、あんな行動に出るなんて意外だったな」

 バナナクレープの二口目を飲み込んで、さえちんがポツリと言った。私は

「どうだか、わかったもんじゃないよ。あいつらにペラペラ喋っちゃって後悔したんじゃないの」

 チョコバナナクレープとチキンマヨクレープを交互にかじりながら、朝に感じた疑問を口にする。

「だけど、それにしてはすごく怒ってたじゃない」

 さえちんはなおも廣川くんの肩を持つ。

「怒ってるのは、こっちだっつうの。……ああ全然、気持ちが治まんないっ!」

 両手に持っていた残りのクレープを一気に口の中に放り込む。

 さすがに、さえちんも

「婚約者がいるってだけで、すぐにあっちの方に話をもっていくなんて男子って、たしかにバカみたいだよね」

 私に話しを合わせてくれる。私は口の中に頬張ったクレープをオレンジジュースと一緒に流し込む。

「……本当だよ。あのエロ猿どもが!」

「めぐちゃん、だんだん口が悪くなってるよ」

 苦笑しながらチョコクレープを口の運ぼうとした、さえちんが思いとどまって

「ごめんね、めぐちゃん」

 謝ってきた。

「なにが?」

 またオレンジジュースを一口すすって問い返す。

「だって、うち。あいつらが落書きしてた時、止められなかったもん。めぐちゃんと廣川くんが消してる時だって一緒にできなかったし」

 申し訳なさそうに、さえちんが詫てくる。

「そんなの仕方ないじゃん。誰だって怖いのは嫌だもん。もし、私とさえちんの立場が反対だったら、私だって何もしなかったかもしれないよ」

「めぐちゃんは、そんなことないでしょう」

 そう言ってちょっと笑顔になって、チョコクレープにかぶりつく。

「なんにしたって謝るほど悪いことしたのは、あいつらだよ。……一回詫びをいれたくらいじゃ許す気になれないよ!」

 だってバカにされたのは私だけじゃなくて、まさくんもだから。まさくんはエッチなことどころか手をつなぐことさえ我慢してくれてる。もちろん、他の女の子のことを見ることだって。本当はお姉ちゃんのことがまだ好きなはずなのに、視線を向けることも話しかけることも遠慮してる。そんな、まさくんを侮辱したんだから許せるわけがない。

 さえちんもクレープを食べ終えてコーラを飲み干した。

「さて、そろそろ行かないと」

 私はカバンと包み紙とカップの乗ったトレーを持って立ち上がる。

「これからデート?」

 さえちんも同じように立ち上がって訊いてくる。

「うん、まあね。元々、帰宅部だから帰りは早いんだけどね。三年になったらもっと早くなっちゃって」

「また図書館?」

 私は首を振って

「ううん、彼のうち

 答えた。

「えっ……?」

 トレーを返却台に置きながら、びっくりしたような声をあげる。

「じゃあ、また明日ね」

 そう言って手を降って別れた。

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