第6話

 サーバーメンテナンスという言葉を聞いて何を思い浮かべるだろうか。

 スマホの中のお気に入りのゲームにおける手出し無用時間のことを思い浮かべる人間の方が今は多いかもしれない。


「田辺さ~ん、戻ってきてください」

「―—あぁ、すみません

 意識が飛んでました」


 現実はこんなもんだよなぁ、と諦めながら男二人が狭苦しいサーバールームの中で椅子に腰かけているわけだ。


「どうですか?

 倫理エラーの類は大丈夫と伺っていますが」

「えぇ、データの類はまぁ大丈夫だと思います

 自分から壊れたファイル入れ込んでるとか、ウイルスプレゼント付きのファイルを後生大事に抱えてる人とかは居ましたけど」

「まぁ、自己責任の部分は報告のみでノータッチで行きましょうか」


 水戸さんは生返事の状態で、自分の持ち込んだ端末でサーバーの状態を各ブレード単位できっちりチェックしていく。

 普段の定期点検のようなIPチェックの簡略試験なら、一時間もあれば各ブレード毎の確認もできたのに。きっちり性能試験も軽く行っている。


「ところで、ここの担当さんって」

「どうかしましたか?」

「…結構美人さんですよね」

「あ~、まぁ既婚者さんですけどね」


 なんだろう、この会話。


「田辺さん、仲いいんですね」

「――!!」


 体が震えないように、呼吸を乱さないように、視線を動かさないように…


「あぁ、彼女とは実は高校時代の同級生なんですよ」

「そうだったんですか

 随分と親しそうだったので、知り合いなのかな?とは思っていましたが」

「ははは、私も一応妻帯者ですからね

 変にお互い警戒しなくて良いんですよ」


 言ってて白々しい事この上ないが、簡単に表に出るようでは営業職なんてやってられない。


「田辺さんって意外と手が早いのか、とか思ったりしましたけど」

「いやいやいや、会って数日の方といきなり親しくなるのは流石に無理でしょう?」

「そうなんですか?」

――そう見えませんでしたけど


 そんな言葉が聞こえるようだった。


「水戸さんはご結婚はまだみたいですが、お付き合いされてらっしゃる方とかは?」

「――この仕事結構時間とか不安定なので、この間分かれたばっかりなんですよ」


 はい、地雷踏んだ。


「田辺さんはその辺り卒なくこなしそうですよね」

「どうでしょう、うちの奥さんが最初で最後の彼女さんですから」


 いつも事実をありのままに言っているだけなのだが、大抵信じてくれない。言い続けていればそのうち皆信じてくれるようになると希望的観測で言い続けている。


「そうなんですか?

 あの担当さんとか実は昔の彼女とか」

「それはないですねぇ

 彼女ちゃんとした彼氏がいましたから」

「あぁ、そうなんですか」


 ちょっと面倒だなぁ、と感じるくらいには避けたい話題だった。


「外から見てるとまるで恋人同士みたいでしたけど」

「――!!」


 どこで見られた。

 どこまで会話を聞かれた。

 やましくないと言い聞かせている私の背中に冷たいものが流れる。


「おや、どこかで会いましたか?」

「バックアップ作業開始してからお昼を食べてた時にちょろっと」


 淡々と会話を続けてくるから何が言いたいのか解り辛い。単純な時間潰しなのか他意があって言ってきているのか。昨今のドラマやらなんやらのせいで今脅されているのだろうか、なんて突飛な事が頭を過る辺りかなり私自身慌てているのだろう。


「なんか立派な店から二人して出て来てたので良いなぁ、くらいに思って見てたんですけど、声を掛け辛くて」

「あぁ、あの罰ゲームですね」

「罰ゲーム?」


 不思議そうな声を上げているが、前触れなくあんな店に行かされた挙げくにろくに楽しめないままに体力、気力だけがゴリゴリ削られていく時間を罰ゲームと言わずして何と言おう。

 内容を話していると、ようやく水戸さんもこちらを向いて笑ってくれるくらいにはなった。


「なんか、田辺さんって思ってたよりイメージ違うんでびっくりしました」

「そうですか?

 昔からの知り合いはよく腹黒とか言ってきてますけど、基本は良い人風味ですよ」

「風味って」


 水戸さんは話してみるとそれなりに話し易い人物だった。

 専門学校を卒業してそんなに経っていないとの事だが、人物的に元から割としっかりしたタイプだったのだろう。ありがちな学生気分のまま仕事をしているという感じの人間ではなかった。


「それにしても、水戸さんも大変でしたね

 緊急メンテとかでいきなり呼び出しちゃいましたから」

「まぁ、うちみたいな零細は仕事があるだけでもありがたいですからねぇ

 こないだも給与明細見て何かの印刷ミスかと思いましたし」

「あはは~」


 まぁ、うちも水戸さんのとこみたいな零細会社に雀の涙で仕事を流してギリ収益出してるから何とも身につまされる話である。


「うちはよくこんな感じの変則シフトがあったりしますけど、田辺さんの所はあんまりこういうの無いんじゃないですか?」

「まぁ、そもそもこんな冗談みたいな自体が想定されてないからね

 おまけに悪いのうちじゃなくて、うちの親会社のパートさんだし

 ――あ、次のブレード一回外します」


 話をしながらも、メンテナンス自体はきっちり行っていく。

 幸い水分による汚損も見られないため、端子保護のためのセラミックシールだけは怖いので塗りなおしたが、他は特に問題がなさそうでほっとする。


「――無事でよかった」

「まぁ、安くなったとはいえこのクラスのサーバーでもまだ百万近くしますからねぇ」


 笑いながら、サーバーの再起動に入る水戸さん。


「さて、じゃあ担当の美人さんへの報告はお願いしますね」

「え?水戸さんは?」

「すみませんが、実は別件がこの後すぐに入ってまして」

「は?」


 時計を見ると、未だ六時にもなっていない。


「えっと、何かの冗談で」

「――何も言わないでください」


 あぁ、事実ガチだ。

 水戸さんの背後に見える筈のない影が見える。


「おまけに、多分あの担当さんは僕がいない方がきっと喜ぶと思いますよ?」

「え?だから彼女とは何にもないですよ?」

「――何となくなんですけど

 少なくとも担当さんは田辺さんのこと好きそうな気がしますけどね」


「――は?」


 の中の時間が止まった。




「え?なんで居るの?」


 いや、絶対これ好意とかないような気がする。

 私は影を背負って会社を後にする水戸さんにただ頑張ってとだけは告げれたような気がするのだが、それ以上は何を伝えたかも覚えてはいない。


「あ~、おはようございます」

「おはようございます?

 いや、なんで田辺がここにいるのよ」


 出社した小松がまず漏らしたのは疑問、やや困惑した様子で俺をジロジロ見てくる。一応顔見知りで不審者ではないのだからその視線は止めて欲しい。


「サーバーの緊急メンテナンス終了いたしましたのでご確認いただけますか?」

「あぁ!え?あれって田辺が監督してたの?」

「一応担当なので」


 小松は合点がいったのと昨日に私と会っていたという事実とで声を上げる。


「え~、ひょっとして田辺徹夜なの?」

「まぁ、私自身もう若くないんだなと実感いたしました」


 学生時代は少々徹夜しようが眠気は別として体がついて行かないなんてこともなかったのだが、久しぶりに徹夜をすると朝日を浴びている今の状態でなかなか厳しいものがある。


「ありゃぁ、ちょっと待っててね、着替えてくるから」


 慌てて社屋に入っていく小松を見送り、手元にある書類ファイルを手持無沙汰なままに立ち尽くす。水戸さんから預かっているファイルは今回のチェックにおいてサーバーの使用が全く問題ない事、湿気などによる痛みは確認されなかったが、予防処置でパッキンのシールを塗り替えていることなど事細かに記載されている。

 モバイルプリンタがボストンバックから出て来た時は少々驚いたが、初めからこちらに報告業務は全て投げる予定だったのだろう。


「ごめん、田辺お待たせ」

「一先ず、サーバー室の実見お願いします」

「はいはい」


 小松は軽く返事をすると、サーバー室へと足を運ぶ。その足取りがどこかしら楽しげに見えたいのは私の願望なのだろう。


「取り敢えずこのチェックでこの件はおしまいで良いのかしら?」

「ええ、そうして頂けるとうちも助かります」


 どちらかと言えばこちらがそうして頂きたいと言うのが本音だ。


「え〜っと、それが業務内容の報告書よね?」

「えぇ、担当技師から全ての項目で正常値を指しているとの事です」

「うんうん、まぁ大丈夫でしょう

 うちの上には私から言っとくから」


 小松は苦笑いを浮かべながら肩を叩いてくる。


「田辺は早く帰りなよ

 子供オチビちゃんも居るんでしょ?」

「あぁ、そうして頂けると」

「ただ、その口調は駄目」

「――了解

 ありがと、じゃあここにサインだけもらったら帰って寝る」


 諦めとは違うのだが、ため息と共にするっと『私』が抜けていくようだった。


「じゃあ、また今度しっかり寝てから飲みに行こうよ」

「またか?――まぁ、良いけど」

「うんうん、今度は私が奢るからね」


 にっこりと笑ってくる小松に、水戸さんの言葉が頭を過るが、大きく期待しすぎないことが大きく傷付かないポイントである事は高校時代によく学んだ。


「まぁ、期待はしないで待ってるよ

 じゃあな」

「はーい、お疲れ様」


 入り口に向かって歩こうとしたときだった。


「あ、そうだ田辺」

「どうした?」

「番号とアカウント、交換しよ?」


 俺の端末に一人新しく登録が増える。高校時代には聞けず終いだった彼女の連絡先は、高校時代のままの名前で登録された。



「あ、おかえり〜」

「ただいま」


 智花の声が聞こえたと思えばパタパタとこちらに小走りで駆け寄ってくる。


「今日は早いね!」

「まぁ、なんだかんだで昨日徹夜ですからね」

「――何か、元気?」

「何がです?」

「――最近、お仕事楽しいの?

 前より裕くん顔色良くなってるし」

「徹夜明けで言われても、なんともコメントし辛いですね」


 なんだろう、浮気じゃないのに浮気した様な罪悪感が押し寄せる。というか、わたしの顔ってそんなに変化があるんだろうか。


「裕くんが楽しそうにしてるの私は嬉しいよ?」

「ありがとう」


 ほんわかと暖かいものを感じつつ、少し遅めの朝食を軽く頂く。中華粥に酢漬けの小魚だろうか、普段の半分程度の量で机に並べられていた。


「この後少し寝るかな?と思って軽めにしたけど、これで良かった?」

「ええ、ありがとう

 美味しいですよ」


 粥を啜りながら、改めて自分は恵まれているんだろうなぁ。と考え直す。経済的な云々は置いておいて、家庭円満なのはほとんどこの奥さんのおかげなんだろう。


「あれぇ?

 裕くんハンカチは?」


 私のスーツをかけてくれていた智花から声がかかる。ポケットを確認してくれたのだろう。


「入ってなければ、どこかに忘れてしまいましたかね

 明日にでも確認してみますよ」

「酷いなあ

 あれプレゼントしたばっかりだよぉ」


 笑いながら咎める様に、そう言えばこの間智花から贈ってもらったばかりだと思いだした。


「頑張って刺繍したんだからね!」

「ええ、きっと昨日の徹夜の時に落としたんでしょう

 電話して聞いてみますよ」


 刺繍が大の苦手だという智花が頑張った大作との事だが、実際はイニシャル一文字を三時間もかけて縫ったらしい。

 私なら絶対途中で投げ出します、とからかった覚えもある。


「そう言えば新しい担当の人ってどんな人なの?」

「――!!

 新しい担当の人?」

「うん

 裕くん楽しそうにしてるし、ウマがあったの?」


 引きつりそうになる頬を意識の力で押さえ付けながら、ニコリと笑ってみせる。

 にこにこと朗らかに笑う智花に他意は無い。無い筈だ。


「前も少し話しましたが、実は高校時代の同級生なんですよ」

「えぇー、凄い偶然だねぇ!」

「えぇ、お互いビックリしましたよ」


 なんだろう、この申し訳のなさは。


「そっかぁ、裕くんと仲が良かったの?」

「まぁ、そうですね

 悪くは無かったですよ」


 えぇ、特別に仲が良かった付き合っていた訳ではありませんしね。


「でも、もう十年以上前って事だよね

 よくお互い気がついたねぇ」

「あ〜、まぁお互いあまり変わってませんでしたからねぇ」

「裕くん歳取らないからなぁ」


 少しだけ不満そうにこぼす智花。結婚当初、化粧の関係で実年齢より高く見られたことがあるのを未だに引きずっているようだ。


「さて、じゃあ少し休ませてもらいますね」


 欠伸混じりに智花へ告げると、空いたお椀を流しに運ぶ。

 友香はお気に入りのTV番組をつけながら、はーいとだけ答えてこちらを振り向かない。

 そんな智花にため息を付きながらリビングの扉を開ける。


「――つき」

「なにか言いましたか?」

「えー、テレビさんとお話してるんだよ?」


 智花はテレビから視線を外すことなく答えた。




「あぁ、連絡しておきますか」


 徹夜明けの仮眠をとると、既に日は頂点を過ぎてやや傾きつつあった。

 ボケっとした頭で、そう言えばハンカチを聞いておかなければと思い出す。


「私のハンカチが落ちていませんでしたか?っと」


 最近のSNSは非常に便利だ、既読状態も確認出来る。

 メッセージ送信後、数秒後に既読が付くのを確認してアプリを閉じる。後は相手が確認してくれるだろう。


「さて、子どもたちが帰ってくる前に起きますか」


 私を行かせまいとする布団の誘惑を断ち切り、まるで貼り付いたようにまとわりついてくる掛け布団を跳ね除けて寝室を出る。


「おはよぅ」

「あ、裕くんおはよう」


 智花に挨拶しながら水を注いで一口飲み込む。


「あー、今何時ですか?」

「もうすぐ二時だから、あと一時間もすれば尊が帰ってくるよぉ」


 思ったよりも寝ていた様だ。


「少し寝すぎましたかね」

「いいんじゃない?

 でも、お昼は流石にやめておこうか」

「まぁ、尊と一緒におやつでも頂きましょう」


 コーヒーメーカーに電源を入れて水を追加すると、コーヒーポットを置いてソファへと座り込む。


「じゃぁ、パンケーキでも焼こうか?」

「良いですね、お願いします」


 とぽとぽと音を立てて、リビングにコーヒーの香りが広がり始める。


「あぁ、取ってきたげるね」


 そう言って智花が腰を上げると、


――ピコン!


 と、スマホが着信を告げる。


――ハンカチ発見

  報酬は……


 通知に現れたメッセージから小松からのものだと表示している。


「あぁ、ハンカチ

 見つかったみたいです」


 そう言いながらアプリを起動すると、画像付きでメッセージが送られていた。


――ハンカチ発見

  報酬は露伴で一杯付き合うこと!!


「間違いなさそうですね

 よかったです」

「あぁ、見つかったんだぁ

 会社に落としてたの?」

「えぇ、(取引)会社に落としてたみたいです」


――了解

  早めに回収したいのですが、いつなら渡せそうですか?

――というわけで、

  今夜何もなければ露伴へGo!


 メッセージを入力した直後に入ってくるあたり、こちらの本文を読むことなく入れ込んで来たんだろう。お互い家庭持ちだろうにこんなに連続で呑みに出て大丈夫なんだろうか?


――随分唐突ですね?

  そんなに連続して夜外出して大丈夫なんですか?


「じゃあ忘れず明日持って帰ってねぇ」

「えぇ、忘れないようにしますね」


――ダイジョブだって

  今まで家に閉じこもってた分、外に出て呑んだりするのは了承出てるから!

――あのですね…

  多分それ旦那さんにとっては、女友達とかと飲みに出ること前提だと思いますよ


「ちゃんと持って帰ってよ?

 よく裕君そう言って忘れたりするんだからぁ」

「あはは、耳が痛い

 まぁ、外回りで直帰とかでない限り大丈夫だと思うんですけどね」


 考えるより先に口から保険言い訳が飛び出している辺り業が深い。


「ところで智花――」


 そしてきっと俺は人でなしで大馬鹿なんだろう



――田辺は私と飲みたくないの?



――午後七時 露伴で

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こじらせ(仮) @kazuaki_10

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