第5話
「小松~」
聞き覚えの無い声が教室に響く。
「あ~よっち、お待たせ~」
「なにやってたの?」
「ん~、ちょっとねぇ」
なんだろう、教室?
あぁ、夢か
「あ~、そこのが例の彼氏?」
「カレシじゃない!」
「ふ~ん、そうなの?」
こんな会話あったなぁ。
いつだったか忘れてしまったが、教室で転寝をしていたら小松とその友人らしき人物の間で会話が始まってしまい起きるに起きられなくなってしまったのだ。
「でも、デートはしてたんでしょ?」
「あれはデートじゃないってば」
「そうなの?でもここのクラスじゃ皆同じ事言ってたけど」
あぁ、そうそう。こんな感じで俺と小松が付き合ってるなんて認識がクラスで広まってしまって、なんとなしに小松と話すこと自体恥ずかしさを感じるようになったんだっけ。
「ねぇ、田辺もちょっと起きてってば」
「――――?」
どうした事だろう。あの時小松は俺を起こすことなく会話を続け、結局あの後に随分と長い事寝た振りをし続けなければならなかったはずなのに。
「あぁ!しっかりしてくれる?
ちょっとどうしたの?」
「小松?」
目の前の小松は見た事が無いような服を着て、化粧もつけている。化粧を始めたばかりの在りがちな失敗は見られない。薄付けのチークも健康そうに見える程度でほとんどつけてもいないのだろう。
「――髪を染めるのは流石に校則違反だぞ?」
以前から若干髪の色自体が明るめで、スイミングに行っていたらこうなったと笑っていたが、流石にそれと分かるほど明るくしていれば教師からの目も厳しくなるだろう。
「――!あっはははは」
突然大笑いを始めた小松に、俺は言葉を失った。
お腹を押さえて、口を押えて、こらえきれないと跳ね上がる方はそのままに体ごと揺らしながら笑っている。女子なんだからもうちょっと笑い方考えた方が良いと思うぞ。
「いや、もう最高
田辺、あんた今何歳よ」
「――!!」
全身が鼓動し首から頭にかけて一気に血が流れていく気がする。
「――すまん、今何時だ?」
「いや、もう最高だわ田辺
『髪を染めるのは流石に校則違反だぞ』
だってぇー、あはははは」
油断した。と言うよりいつの間に俺は寝てしまっていたんだろうか。
「あーもー、戻ってきたら寝てんだもん
びっくりしたわよ」
小松は一旦会社に戻り、制服を着替えて戻って来ていた。
話し合いを行ってある程度の叩き台ができたところで、小松が空腹を訴えたのだ。喫茶店のメニューだと、軽食程度しかない為店を出て少し移動するかと言う話になった。
「でーも、ほんとに良いの?
私はお昼代浮くから助かるけど」
「良いんだよ
相手方担当者のおかげで、ある程度緩やかな所で妥結出来そうな感触ですと報告を上げたところ、喜んだ担当者は相手方との食事を勧めてきたのだ。
まぁ、提携外食チェーンではあるのだが。
「まぁ、チェーンとはいえわりかしいいトコみたいだから早く行こう」
「はいはーい、会席なんていつぶりかしら」
担当者の約得というものだろう。御相伴に預かる俺も当然、費用は会社持ち。
夜半のディナーメニューを打診されたが、流石に連日呑むのは不味いと言う事で特別ランチメニューを用意してくれる事になっている。
まぁ、酒は無くともその分料理は良い物らしい。
「ねぇ、ホントにここであってるの?」
「メッセージで見る限りGPSデータでも間違いないんだが」
徒歩十分程度で到着した店舗は、何というか入口の構えからして一見さんお断り的な雰囲気を感じさせる佇まいなのだが、本当に大丈夫なのだろうか。
張り合わせでない、と言うより板加工すらしていないと思われる丸太をそのまま使った柱もそうだが、アルミなどの金属類を一切使っていない純和風の引き戸となっている。
「なぁ、チェーン店舗ってこんなに金かけてそうな入口使うかな?」
「基本画一的なデザインで統一した店構えを取るからあんまりコストはかけないんじゃないかしら」
入り口を開けて、お前誰だ?的な扱いを受けたら土下座して謝りたくなるんだが大丈夫なのだろうか。
「まぁ、一応指定されてるのはココだし
ちょっと聞いてくる」
「よろしく
ちょっと私は飛び込む勇気はないわ」
何時までも店の前で呆然と突っ立っていてもどうしようもないし、店にも迷惑だ。
思い切って戸に手をかけると、思った以上にスムーズに音すらたてずに戸がスライドする。これ、手入れもしっかりしてるなぁと更に気後れする。
「すみません」
戸を開けると、目の前に半畳ほどもある飾り棚が展示され焼き物の壺と大皿が飾られている。プレートらしきものが添えられているが、読んだところで価値なんて分かろうはずもない。
下駄箱が無く、カーペットが店の奥まで続いているので土足のままでも入れそうではあるが、どうしたものかと店を見回す。
しゅ、しゃらーー
と、静か過ぎる空間に布が擦れる音が僅かに聴こえると、お着物に身を包んだ女性がにこやかな笑顔と共に姿を表した。
「いらっしゃいませ
ご予約のお客様でしょうか?」
「あ、田辺と申しますが」
「畏まりました、二名様でご予約の田辺様ですね
お連れのお客様は後からのお着きですか?」
「あぁ、少々お待ちください」
気後れするが、間違いではないらしい。
慌てて店舗の戸を開けると、少しばかり距離を置いて立っていた小松を手招きする。
「ヤベェ、どうやらここで合ってるらしい」
「え〜っと、まぢで?」
なんだろう、このいっそ間違いであって欲しかったと思ってしまう小市民感は。
「ねぇ、この格好で行っていいのかな!
場違い感半端ないんだけど!」
小松の格好も別におかしな格好という訳ではないのだが、高級店に足を運ぶには少しばかり気になるのかも知れない。
俺自身の格好も良いのかな?と思わなくもないが、日本におけるスーツは万能だ!という日本人的勘違いに乗っかってあまり考えないようにしよう。
「取り敢えず、お店の人きっと待ってるから早く行くぞ!」
「うわぁぁぁあ
こんな
そうなんだ。
今時ネットにも載ってなかったから油断した。
「すみません、お待たせしました」
覚悟を決めて戸を引き開けると、思った通り先程の中居さんは全く動くことなくにこやかに俺達を迎えた。
「いらっしゃいませ、お話は伺っております
お席とお座敷どちらがよろしかったでしょうか?」
ぽかんとしてしまった小松を突いて、席と座席を選択させる。
「あ、じゃあお座敷で」
「はい、ではこちらになります」
袖を押さえながら優美に右手を差し出す様に、気圧される俺と小松。
とことん小物だなぁ。
中居さんの先導のもと座敷席の前までやってくると、各座敷に対して靴箱を設けているようだ。棚のような物ではなく、それぞれの部屋用に専用の箱を用意している。ますます敷居は高くなり、志気は低くなる俺たち。
「お履物はそのままでお上がりください」
にこやかに告げられる度に何故かごめんなさいと謝りたくなるような不思議な感覚を味わいながら座敷席へと入っていく。
部屋から日本庭園が見える。というのは流石にないものの、お寺の一室か何かを切り取ったかのような見事な
青々とした畳に置かれた座布団も俺が使うクッションの倍近い厚みがあるのだが、頭の中を白くしながらそれに腰掛ける。
「本日はお越しいただき誠にありがとうございます
ただいまお食事をお持ちいたしますので少々お待ちくださいませ」
ますます場違いなものを感じて絶句していると、音を立てず机に近づいた女性から声をかけられる。「失礼いたします」と一声かけると、流れるような手つきで急須から湯飲みに緑茶を注いでいく。
どういうマジックか無音で俺たちの前に湯飲みを置いて座敷から退室していく中居さんを呆然と見送り、小松と顔を突き合わせる。
店舗というよりもう、料亭と言った方が絶対正しいだろうというこの空間にすっかりやられてしまって最初引きつっていた顔も、もはや何か突き抜けてしまったかのように感情の抜け落ちた顔をしていた。
「ねぇ、田辺
あなたの所っていつもこんな良い所使ってるの?」
「そうだとしたら、俺の給料ももっと良いものだと思うぞ」
「だよねぇ…」
言葉をなくし、ただ顔を突き合わす俺と小松。
「ねぇ、田辺」
「どうした?」
「これってどんな罰ゲーム?」
「――まぁ、罰ゲームだよなぁ」
食事を楽しむどころか、食事が喉を通るか自体を心配する羽目になるとは思いもよらなかった。
「またのお越しをお待ちしております」
「ごちそうさまです」
もう来ることは無いと思います。
そんな言葉を飲み込みながら、小松とともに引きつった顔を何とか笑顔に変えようと頑張りながら料亭から足早に離れていく。
もう、あそこは料亭で良いと思う。
「ねぇ、今回のお食事ってお詫びの意味がなかったっけ?」
「――すまん」
小声でやり取りする俺たちは強張った体を解すかのように肩を回す。
「――とりあえず、コーヒーでも飲んで休憩するか」
「さんせー、ちょっとこのまま仕事する気になれないわ」
「どこが近いかな?」
「あんまり歩きたくはないわね」
二人でのんびり歩きながら、どこかに休めるところはないかと周囲を見回す。
「あー、あそこでいんじゃない?」
「んー、あ、あれか」
個人経営の趣味の店なんだろう、戸建ての一階部分が店舗になっている様だった。
「まぁ、どんなでもいいか」
「休めればそれで良いよ」
疲れ切った状態で二人してドアを開ける姿は端から見て滑稽だろう。
カランカラン、とドアベルが店舗に響くとすすっと店員が近寄ってくる。
「いらっしゃいませ、おふたりですか?
おタバコは吸われますか?」
あー、いたって普通の店員さんだ。
先ほどとのギャップで非常に心休まる。小松も出て来た店員さんを見て頷いている。きっと今店員さんはこのよく分からない客の行動に内心首を傾げているだろう。
「いや~、駄目ね
やっぱり私たちみたいな小物はこっちの方がよっぽど落ち着くわ」
「たちって言うなよ、たちって
――否定はしないけど」
ホットコーヒーを頼んでソファにぐでっと座り込むと、よく分からない緊張感で固まっていた体がようやくほぐれていく。やや気の抜けた顔はそれだけ先ほどの料亭がショックだった証だろう。
「いやぁ、でもあれはないわぁ」
「凄かったよなぁ、美味しいは美味しいんだろうけど
味わうだけの精神的余裕がなかった」
「あ~、次々に料理を機械的に口に入れるって感じだったよねぇ」
「あぁ、どっちかっていうとファミレスの方がまだマシだった気がするよ」
やってきたコーヒーに口をつけると、インスタントと変わらないチープな味わいが逆に心を打つ。
「あぁ、俺はまだこっちの方がいいや」
「言いたいことはなんとなくわかるけど、すごく失礼だからね、それ」
苦笑いしながら同意する小松。
「お店の衝撃で忘れてたけど、行く前の田辺もなかなか衝撃だったわね」
「頼む、後生だから忘れてくれ」
「『校則違反だぞ?』」
「――忘れてくれ」
よりによって、なんであんなタイミングで転寝するかな。
「第一、なんで今更
「まぁ、間違いなくお前と会ったからだろ?」
「あら、意外とストレートに来た」
「何がだ?このタイミングで高校時代の夢なんてお前さん以外に理由はないだろ?」
「これっぽっちも私を意識したことなかった癖に~」
はて、何のことを言っているのだろうか。
正直高校時代の自分は一年生後半からは思い出すだけで赤面しそうになるくらいに純情少年をやっていた様な気がするのだが。
手元のコーヒーカップに角砂糖を追加しながら、穏やかに笑って見せる小松はティースプーンをくるくる回しながら話し続ける。
「文化祭の直後にクラスからあれこれ言われても全部スルー
その後で何だかんだで組になる事が多かったけど、これまたスルー」
「あ~、そういえばそんな事もあったな」
特に文化祭直後は酷かった。
思春期ど真ん中の高校生たちに二人きりで作業してたというのは格好の噂の的だったらしい。クラス内に置いての共通認識で『田辺と小松は付き合っている』というものがあったらしい。
「たまに、合コン頼んでくる奴いたけど全部小松からの紹介頼みだったもんなぁ」
「あ~、私もたまに言われてたわ
田辺って古志君とかと仲良かったでしょ?」
「古志?あ~、なんか居たな
でもあんまり仲良いって程じゃなかったぞ」
「そう?クラスの子たちの中で結構田辺達モテてたけど」
いや、だから
「あ~も~、その話題無しで」
「なに?今更照れてんの?」
いたずらっぽく笑って見せるが、そういう表情は止めて欲しい。
「実際、二ヶ上の先輩と付き合ってたんでしょ?」
「なんでそうなる」
「えー、よく一緒に登下校してたとか二人で食事してたとかさぁ」
「ーー一緒に昼食は食べてたけど付き合ってはない
つーか、あの人彼氏居たからな」
高校時代よく話が合ってよく話していた先輩だが、よく彼氏の愚痴を聞かされて辟易していたものだ。
「えー、絶対あれって恋人の距離感だったよ!」
「だったって、見てたのかよ」
俺は今更ながら頭を抱えたくなった。
「いや、だって昼休み入るなり教室出て合流してれば目立つって」
「あぁ、言われてみればそうだよなぁ」
実際、先輩の顔自体尾州で分けると可愛い寄りの美だったためにちょっと良い気になって居たのも事実だが。
「だから、田辺ってやっぱり女慣れしてるんだなぁってちょっと思ってたよ」
「だから違うってぇ」
過去の自分に会えたら取り敢えず頭を殴っているだろう。しっかりと本命に見られてばっちり誤解されてるとかどうにもならん。
「まぁ、そんなこんなで田辺=遊び人って言うのがちょっとだけ話題になったけど」
「あああああ」
とどめを刺されて頭を抱えて天を仰いだ。
「まぁ、でもうちの高校ろくな男子いなかったじゃん
だからそれなりに田辺の人気ってあったわけよ、本命になりたいってくらい重い子は少なかったけど」
なんだろう、今日ほど過去に戻りたいって思ったことないんだけど。
「いや、実際のところ思いっ切りフラレてるから俺は」
「え?」
「あ、やっぱなし」
ボヤきを漏らすのと、口を止めるのでは溢れるほうが早かった。
キラキラと光出す小松の目にまたやったとこめかみを抑える俺は何度めか分からないため息をついた。
「こないだの飲みでそのへん話しただろ?」
「いや!その振られたところ聞いてない!」
「ーー告る前に相手に彼氏が出来ちゃったの!」
半分勢いだが、
小松はそれを聞いて意外そうな顔でこちらを見ていた。
「えーっと、出遅れたって感じ?」
「うじうじ悩んでたら他に先越されたんだよ」
言い切って更に気が重くなる。自分の事ながら情けないことこの上ない。
「手は早そうなのにねぇ」
「手が出せないからうじうじ悩んでたんだろうが」
本人を前にしてどんな罰ゲームだろう。穴があったら入りたい、というか自分で掘るからスコップ貸してほしい位だ。
「ま、しばらく担当は変わらないだろうしぃ
その辺は今後じっくりしっかり聞かせてもらうからね」
そう言うと、運ばれていたコーヒーを一息に飲み干した。
「勘弁してくれよ」
そう力なく答える俺に、小松はニヤリと笑って見せた。それはまるで高校時代によく見ていた見ているだけで心拍数が上がるような、そんな笑顔だった。
「おー、田辺
どうだった先方さん?」
会社に戻るなり課長からすぐさま呼び出される。やはり親会社の不始末とあって少なからず気になっていた様だ。
「
細かい所は書類に起こしますので後でご確認ください」
「おぉ、
そこまで言うなら自分のところで処理しろと言いたいところだ」
「まぁ、どちらさんも
四分の一は課長に言ってるのだが、面の厚さにかけて私が勝てるようなものではない。適当な相槌と共に課長は自分のデスクへと戻って行った。
「バックアップ作業自体は本日夕刻には終了、差分データはクライアントの業務終了時刻から収集します
バックアップ作業終了と共にサーバーダウン、総点検に入ります」
「あぁ、じゃあ悪いが田辺、総点検の監督よろしく頼む」
「はいっ、――って、ええぇ!」
「どうした?」
「いや、総点検って明日の朝まで掛かるんですが?」
「あぁ、今日の分は深夜業務に色も付けておく」
先程から視線を合わせようとしない課長。
「いや、課長?
労働時間が軽く24時間超えちゃいますけど」
「はっはっは
昔のCMにもあったな、確か」
「いや、そんな事言っている訳では無いんですが」
ふと、課内を見回すと誰一人私に目を合わせようとする人間は居ない。
図られた――
「取り敢えず、田辺も準備があるだろう
特別に今日は直行直帰で大丈夫だぞ」
いや、直行直帰って明日の業務はどうなるの?
そもそも労働基準法的に残業時間も業務従事時間もアウトだよね。そんな儚い抵抗を頭の中でだけ行っていた。
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