第4話
子供の成長を喜ばない親はいない。
いないが、成長すればするで悩み事も増えてしまうのが子育てというものだと思う。
「ケイ君、みぃちゃん
早くご飯食べちゃいなさい」
子供たちの朝は早い。
夏はともかく、それ以外の季節では日の出はおろか、まだ薄暗い時間帯から起きだしてリビングで何やらごそごそやっているらしい。
「レコーダーの使い方覚えちゃうのも良し悪しだよねぇ」
と、智花は苦笑いする。
両手で抱え込むようなリモコンを器用に操作して自分の見たい番組を映し出す我が家の長男を頼もしいと言うべきかまだ早いと言うべきか。もはや当たり前のようにリビングのテレビにおけるチャンネル権を主張する子供たちに智花と顔を合わせて笑うしかないのが現状だ。
「おとーさん、きょーはおやしゅみ?」
「残念、お父さんは今日もお仕事なんです
明後日は一緒に出掛けましょうね」
みぃちゃんこと、尊は今年保育園に入園したばかりの我が家の王子様だ。
末っ子を皆が可愛がりすぎた結果、長男長女が寂しがったり拗ねてしまったりする事はままあることだが、我が家の場合一番
万事が万事尊優先で行動しようとする我が子に、癒されるやら心配になるやら。
「おとうさん、みぃちゃんがさみしいっていってるよ?」
尊を抱きかかえるように訴えかける敬は、その実自分自身が寂しいと言えない意地っ張りだ。智花はニヤニヤしながらそれを見ては「もう、かわいいなぁ」とこぼしている。
「そうかぁ、明後日はお仕事休みだから敬もみぃちゃんも一緒に出掛けようね」
頭をがしがしと撫でてやると、シェーバーを当てて剃り残しを鏡を見ながら剃っていく。若いころに比べると少し髭が濃くなったな。なんて思いながら、面倒臭さに脱毛を検討した時には自分より智花の方が身を乗り出すくらい食い付いて来たために考えるのを放棄してしまった。
髭が擦れて肌に傷がつきそうだと、たまに智花に怒られては謝っている。
「裕君、今日は何時頃の帰りになりそう?」
「何事もなければ今日は七時には家に帰る予定ですよ?」
「そっかぁ、最近裕君良い事でもあったの?
なんだかいつもより楽しそうだよ?」
「っ。そんな風に見えますか?」
「うん、裕君が元気そうで私もうれしいよ」
そう言ってにっこり笑う智花に胸に重たいものを感じながらにこりと笑い返した。
そう、おれはまだ何も悪いことなどしていない。
「田辺、経費切りするから菓子折りの類をもっていけよ」
「はい、大丈夫です
幸い、担当者が好きそうな物には目星がついてますので」
「そうか、まぁお前なら大丈夫だろう
しっかり頼む」
課長に促されるように席を立つ。
サーバー室の件に関しては、とにかく時間の勝負で早くなかったことにしよう。というのが
技師スタッフとは現地合流という事で話はついているので、スタッフに合流する前に手土産を用意しなければいけない。私は小松の趣味趣向が変わっていないことを祈りながらネットで店舗検索をかける。
「今日の差し替えでどこかフォローが居るか?
ほかの所は大丈夫なのか?」
「え、えぇ
まぁ、まったく顔を出していない訳ではありませんので」
幸か不幸か、小松が担当者になってから三日連続で顔を突き合わせることになった。週一度は担当回りをするようには計算しているのだが、それが多少修正が必要なのも確か。今週はこういったものだと割り切って考えよう。
「技師スタッフは水戸というらしい
まだ新卒三年目らしいが技術は確からしい、礼儀側でフォローしてやってくれ」
「了解しました」
三年目にもなれば、新卒じゃあるまいし多少なりとも世間様に鍛えられているだろう。そんな風に考えながら会社を出る。
一先ず、合流前に手土産を購入しないと。
「あ、お世話になります
田辺さんでよろしかったですか?」
「はい、水戸さんでらっしゃいますか?」
「今日はよろしくお願い致します」
技師スタッフの水戸さんは思ったよりもまとも、と言うより見た目優秀そうな好青年だった。
若い、いや私の年代でこの表現はしたくないが、若い割に髪も遊ばせず、服装も制服の下は変にファッション性の高い服を重ねているようにも見えなかった。
「サーバー室の水拭きは少なくとも数ヶ月に渡って行われています
夏と冬両方越えてるのが最悪ですね」
「最近のモデルはそうそう水でやられたりはしないんですが、ラックマウントの内側まで水拭きされてるのが気になりますね
掃除を行っていないで埃だらけというのはよく聞くところですけどね、水拭きしていたと言うのは初めて聞きました」
「えぇ、正直最初にお聞きしたときはなんの冗談かと――」
お互い顔を合わせるとため息をついて、正面口を見やった。
「あ〜、田辺
早いねぇ」
「お世話になります」
なにはともあれ話を通すにしてもまずは
「弊社グループの者が大変失礼致しました」
「申し訳ございません」
水戸さんと並んでまずは小松に頭を下げる。
「あー、別に田辺の所為って訳じゃないし
実際壊れてる訳でもないしねぇ」
「まぁ、それをこれから確認させて頂ければ、と」
「あぁ、例の総チェックの件ね」
「一応、業務終了後全てのバックアップ完了後に開始する予定ですが――」
作業工程表を小松に差し出すと、バックアップ作業自体は開始したい旨を伝える。
バックアップ中も通常通り業務は可能だが、何分時間がかかる。業務終了後にバックアップ作業を開始していると、バックアップが取れる頃には次の日の業務が始まってしまう。
「まぁ、
「あぁ、そこが少しばかり憂鬱ですよ」
何度か話をした事があるのだが、部署変更等が無いとすれば少しばかり面倒な感じになりそうだ。
細かい数字に頓着するような人間では無いのだが、だからといって、全ての問題に対して要件を飲んでくれるほど優しくもない。
今回の件についてはどう考えてもうちが悪い。痛みが発見されてしまった際の弁済等をどうするか、その保証期間をどうするか。細かい数字の話し合いになりそうだ。
「保証内容については、契約の定める所の期間についての水損の部分について――」
現状まだ確認の取れていない状態だけに、あまり大事にはしたくない所だが、後々こちらの瑕疵を突かれるのは御免こうむる。
正直に水拭きによるサーバーへの危険性をきっちり説明した上で、弊社側の用意した対応策内での対応で今回の件を手打ちして頂けるよう
そっぽを向いてそっちできっちりやっとけよ。と言いたい所ではあったが、サラリーマンは頭を下げるのが仕事だと割り切る他ない。
「まぁ、こちらも小松君からの報告が無ければ気が付かなかった部分もあるが――」
「発見頂いた小松さんには私どもも頭が上がりません」
「部長。一先ず条件的にはこちらを大筋として私と担当者の方とで詰めさせて頂いてもよろしいでしょうか?
別件でそろそろお時間が」
そういう小松は総務部の入り口に視線を流す。
入り口には何度か顔を合わせたことのある営業担当者が申し訳なさそうな顔で立っていた。あまり時間的にぶつかり合わないようにある程度曜日を分けて顔を出していたのだが、ここの所連日私が顔を出しているので遂にぶつかってしまった様だ。
これは私が完全に悪い。
営業担当者に頭を下げる。
「あぁ、そう言えば約束が入っていたね」
少し部長は考え込むように腕を組むと書類に幾つか丸をつけると、小松にそれを差し出す。
「最低限そこはうちとして飲めない部分だ
詳細を詰めたらまた報告してくれ」
「了解いたしました」
部長は「それでは失礼するよ」と一言告げて部屋を出ていく。恐らく商談用の応接室へと移動するのだろう。
私と小松も基本、応接室での商談が多い。今回の様な突発的なトラブルでも無い限り総務室での話し合いの方が少ない。
「やれやれ、まぁ部長も怒ってるわけじゃないし、細かいところの話しよっか」
「お手数お掛けいたします」
小松に深々と頭を下げる。
頭を下げているだけに見下ろす様な感じだが、不思議とそんな私を嫌そうに見る小松。苦虫を潰した様な感じで、心なしか怒っているようにも見える。
「応接室が何個もある程うちも裕福じゃないんで、どっか出る?」
「お任せいたします」
「おっけ、じゃあそこの喫茶店でも行こっか」
「では水戸はお話通りバックアップ作業に入らせていただきますので」
「あー、そっか
じゃあよろしくお願いします」
「畏まりました、ではサーバー室への立ち入り作業を開始いたします」
水戸さんは軽く頭を下げてサーバー室へと向かい出す。作業に対しての立会に関してはここの契約会社の警備員が同室する事になっている。
「さて、じゃ行きましょ?」
そう言った小松はやはり機嫌が悪そうだった。
「――戻ってる」
ぶすっとした口調で開口一番に出て来た言葉がこれだ。
「私事と仕事を分けるのは社会人として当たり前のことだと思いますよ?」
「じゃあ、今は私事」
「れっきとした仕事でしょうに」
今いる喫茶店も割かし長く経営している部類だと思う。
私が学生時代に地元へちょこちょこ帰ってきたときには既に存在していた。モラトリアム時代の大人かぶれとでも言おうか、挽いた珈琲の存在にカッコよさを見てしまった私は少なくない金額を使って様々な珈琲店に顔を出してはバイト料をすり減らしていた。
「露伴で少し戻ったなぁって思ったら、ま~ったガッチガチのお堅い田辺に戻ってるし!」
「お酒の席と仕事を同一視されても困るのですが」
「あー、もー
私が見たいのは高校時代の田辺なの!」
そう言いつつ、書類自体はしっかりと机に置いて準備を進める小松。
「あ、ブレンド一つ、後は――」
「ラテ一つお願いします」
店員さんに注文を付けると、卓上の書類に視線を戻す。
丸が付けられた場所はサーバーの保全契約における水損部分の話だ。
「とりあえず田辺、ここの水損の保全部分だけは飲めないそうよ」
「まぁ、お気持ちはお察しいたしますが――」
水損部分の保全を耐用期間にわたって保守点検することは出来かねる。
もちろん、そうそう水損などという事態は起こらないであろうが、それを口約束する事と契約書類に記載する事とは別物である。
金額的に物理部品だけであれば今回のサーバーは一機二十万程度のブレードを十二基搭載したモデルとなる。まるっと交換すると手数料やマウントラックの入れ替えやらで軽く三百万を超える程度か。
ただ、これにはサーバー変更に伴う各種作業代金や社屋内の機器変更に伴う各種保証金が入っていない。
「まぁ、うちも全然気が付いてなかったんだからそうそう大事にはしないつもりみたいだけどね
うちの部長も未だによく分かってないみたいだし」
「私でしたら、マウントラックの中まで水拭きしてたら発狂しそうになりますけどね」
「あははは、うち機械音痴が多いからねぇ」
そういう問題だろうか。
「それより、その口調は止める
私じゃなくて、『俺』」
「ここは仕事の場ですよ?小松さん」
「はい、さん付けも止める」
到着したラテに口をつけると、何行か書類に文字を記載していく。
「はい、たぶんそこが妥協点」
記載された文字列は
「拝見いたしま――」
「く、ちょ、う」
書類を手に取ろうとした瞬間に横合いから伸びた手がそれを回収する。
「く、ちょ、う」
ぺらぺらと紙を遊ばせる小松は、不機嫌なままに頬杖をついてため息をつく。
「それとも~、
田辺は元クラスメートとしての私じゃなくて、一会社員としての私と話がしたいの?」
「――はぁ
わかった、気を付ける」
頭をかいて負けを認める。
こちらにとっての好意的な交渉相手を私の感情論で敵に回すような真似ができる筈もない。
「よろしい、じゃ、これね」
「頂戴いた――ごめん、もらう」
手渡された書類の内容はある程度妥当と思われる部分が多い。
今までの業務内容になかったサーバー室のクリンネス作業が追加されてはいるが、通常使用の揮発性清掃溶剤を使用せず、室内の保全を行うことが走り書きされている。記載事項の不徹底に対する賠償責任の記載もいるだろう。
「はぁ、にしてもなんで田辺がこんな事やってるわけ?」
「しょうがないだろう?
もともと親会社は清掃業者なんだから、機械音痴が多いんだよ」
「にしたって、普通業務委託してる親会社が話しに来るならわかるけど、子会社が話しに来るってあんまり聞かないんだけど」
まぁ、そのあたりは私自身が一番理不尽に感じている部分だったりするんだが。
「あぁ、そういえば
――ほら、これ好きじゃなかったっけ?」
先ほどの総務室で取り出して渡した手土産とは別に、もう一つ少しだけ簡素な包みの小箱を小松の前に取り出す。
「え?なになに?」
ぺりぺりとその場で剥がし始める小松は、机の上の書類をお構いなしにボンっと箱を乗せる。
「おいおい、書類書類」
ここの喫茶店の机はそんなに広いものではない。
ソーサーに乗せたコーヒーカップにシュガーポット、メニュー立てを乗せると僅かな空きスペースしかない。チェーン化されたカフェなどであれば色々な用途に使える大型の机を入れている場所もあるのだろうが、個人経営のこの店舗でそれを望むのは少し酷だろう。
「だいじょぶだって、どうせ新しく書き起こすんだし」
「まったく――」
下敷きになった書類は知らないとばかりに包みを開けると、箱をひっくり返したりで中身を確認している。
「おいおい、中身がぐしゃぐしゃになったらどうすんだ?」
「そんなもの謝罪の手土産に持ってこないでしょ?」
「――変なところで判断基準が社会人だな」
対応は
「あぁ!スフレ!
しかもこれ学校前の松庵堂」
「それ、好物だったろ」
おかげで朝から高校生に交じって通学路を歩く破目になった訳だが。
「――よく覚えてたね、これ」
箱を開けて、ラッピングされたスフレチーズケーキを懐かしそうに眺める小松。
松庵堂は戦後から続く老舗だ。京都から出て来たという初代店主は「まだ百年も経ってない新参者」なんて言っていたらしいが、現店主は三代目になり順調に世代交代を続けている姿は十分老舗だと思う。
「あそこ、相変わらず料金設定が良心的だよな」
「あ~、そうなんだ
もうちょっと値段付けても売れると思うんだけどねぇ」
少しだけ店から移動して市街地中心部に入れば同様の商品が軽く三倍の値付けで販売しているものもゴロゴロ。味も見た目も悪くないと思うのだが、「新参者」が出しゃばっちゃいけないという事らしい。
「おかげであんまり挨拶ギフトとしては使いにくいんだけどな」
こういったあいさつ回りにおいては、あまり低価格帯のものは持ち出さないようにしている。相手先が見るのは味だけではなく、ラベルだったりもするからだ。
「私は百貨店の奴もらうよりこっちもらった方がうれしいけどね」
「また、身も蓋もない」
「だって、一個六百円も七百円もするような上品なお菓子一つ貰うより
風情や商品のバックグラウンドを完全無視したその発言に頭が若干痛くなりながらも、その場で開封しようとする小松を止める。流石に見るだけならともかく、開封して食べ始めるのを黙視する程常識外れではない。
とりあえず、開けてしまった包装紙を折りたたんで回収すると意外と時間が経ってしまっていることに気が付く。
「あぁ、おい、流石に草案まとめとかないとお互い報告できないぞ?」
「え?あぁ、結構時間経ってるね」
しっかりと自分の隣席にスフレを確保しながら、小松も時計を見やって少し考え込む。
「じゃあ、ちゃちゃっとまとめちゃお
そっちはどこまで行けそう?」
「なんつーか、折衝って言葉が非常に軽く感じる質問だな」
「い~じゃん、時間の無駄だよ」
間違いではないが、世の営業マンがみんな揃って「いや、違うだろう?」
と首をかしげたくなるような折衝だ。
フルオープンでどこまで出来るかという事を投げつけあうこの話し合いを折衝と呼ぶならば、世に営業担当なんて人間は居なくなるだろう。
「じゃぁ、基本このラインで」
「なんか、本当に良いのか分からなくなる話し合いだったな」
内実を叩きつけあうこの折衝によって、わずか一時間弱で基本合意書の叩きが完成する。
「はぁ~、じゃあこれで完成だね」
「あぁ、とりあえずこれを持って帰って本社に流せば後は向こうで勝手にやるだろう」
「う~ん、お疲れ様~」
ぐっと伸びをする小松は、相変わらずマイペースだ。
会社においての小松はそれなりにできるOLを熟しているようだが、芯の方は高校時代からさして変わりがないようだ。
「――小松は変わらないなぁ」
「ん?そう?」
にやりと笑って見せる様は、高校時代に散々見てきたそれと同じだ。
彼女は割と「我が道を行く」を地で行く人間だった。
「田辺は――
ちょっと面白くなくなったかな?」
少し困ったような表情で俺に告げる小松は、流石に俺の心に刺さるものがあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます