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「だったら、〈シュヴァリエ〉はどうかねえ」

 店の女の子たちからママと呼び慕われる支配人は、リオン・ビューモントの容姿と特技とを吟味して言った。用心棒として食い扶持を求めるリオンへ向けた、新しい名前の提案だった。

 元高級娼婦だと噂されるママが取り仕切る、とある風俗店。その一番奥、関係者以外立ち入り禁止の広い控室。ママと向かい合ってパイプ椅子に腰かけるリオンは、聞き慣れない言葉に目を丸くした。

「〈シュヴァリエ〉――?」

「よその国で、騎士だの貴族だのって意味で使われる言葉だよ。どうだい、あんたの呼び名にぴったりじゃないか」

 リオンはママから、品定めするかのような視線を感じた。

 腰の高さまで伸びた長いブロンド。切れ長の瞳と、色素のうすい唇。女性と見間違われることも少なくない、優美な顔立ち。

 さらには、幼少からの鍛錬によって得た、筋肉質ながら細身の体躯。どこを取っても、洗練された美しさを纏っている。

 たしかに外見だけを鑑みれば、高貴な呼称が相応しいと言えなくもない。

 それでも本人は、ママの提案をあまり好ましくは捉えなかった。

「あなたは、従業員すべてに名前を与えているのか? 華やかなものとは無縁のボディガードにまで?」

 まさかとは思うが、男娼としと登用する気ではあるまいな。そう懐疑的な視線を送っても、ママが意に介した様子はなかった。

「だいたいはそうさね。例外は、よその店から移ってきた、もう呼び名が定着してるような子くらいだけど」

 リオンはそう吹き込まれ、渋々納得した。口を結び、いっとき思案する。

「……ずいぶん仰々しいな」

騎士シュヴァリエ〉。

 故郷も家族も捨てた流れ者には、あまり似つかわしくない称号だと感じた。

「こういうときに重視すべきは、本質よりもフィーリングなのさ。うちの一番の売れっ子だって、店じゃあ〈プリンセス〉なんて呼ばれちゃいるが、実際は横柄でわがままな、普通の面倒くさい娘だしね。……まったく、困ったもんだよ」

 うんざりした口調だが、実際は愛しい実の娘について話しているかのようだった。ほだされる――というほどではないが、その様子を見たリオンはを旨とする、この店の支配人に従うことを決めた。所詮は裏方仕事だ。表に出ることなど、そうはあるまい。

「わかった。呼びたいように呼べばいい」

 口車に乗せられたことにも気づかず、承諾する。それが生涯ついてまわる呼び名になるなどとは、知る由もなく。

 どうあれ、どこか不穏な空気を感じさせるこの都市で、リオンが初めて職を得た瞬間だった。

「お待ち。まだ条件が残ってるよ」

 話は済んだとばかりに控室を後にしようとしたリオンは、ママから呼び止められた。

 声に反応して振り返ると、座ったままでいる彼女の脚線美が目に入った。親子ほどにも年齢の離れた相手とは思えない色気。熟れた脚を組みかえる、魅せることに慣れた仕草。思わず見入ってしまう。

 ママのうっすら浮かべた笑みに気づき、あわてて視線を逸らした。頰がカッと熱くなる。高級娼婦の名残を見せる、いまだ美しい女主人。男を虜にする手管に長けた、夜の蝶。

 ママは青年の若さゆえの挙動に触れることなく、やさしげに告げた。

「うちにはすでに、ボディガードが何人もいるんだ。頼れる古株や、ちょっと前に入った筋肉のかたまりみたいな大男がそうさ。ただの護衛を新しく雇いやしないよ」

「……どういうことだ?」

 リオンの疑問を解消すべく、ママが答えた。

「さっき見せてもらった剣さばき……。あたしは武芸に関しちゃさっぱりだが、大したもんだってことだけはわかった」

 先刻、無人のステージで披露した剣技。素人の持つ銃器類などより、遥かに安全かつ確実に障害を取り除くことができるという証明。

「光栄だ。磨いた技をあのような場所で振るう機会など、滅多にないからな」

「そうかい、そいつは丁度よかった」

 怪しく笑いながら、ママが部屋の一角に目を移した。視線につられ、リオンも同じ方を見る。

 そこにあるのは大型の衣装棚だ。どんなニーズにも応えられるように用意された、色とりどりの衣類が立ち並ぶ。煌びやかなドレスや、多彩な職種のコスチューム。リオンの目には紐としか認識できないようなものまでハンガーにかかっている。

「あんた、店の子たちに負けないくらいの上玉だからね」

 すごく、とてもすごく嫌な予感がした。

「きっと、ちょっと着飾るだけで、ここの客も大喜びだろうさ」

 リオンは、あいた口が塞がらなかった。



 ステージは熱狂に包まれていた。

 金曜日恒例のSMショー。いつもなら、M役の女の子がムチで打たれて罵られる様に、大勢の男たちが喜悦の表情で喝采を上げる。

 しかし、この日は勝手がちがった。

 奇声を発しながらステージに上がり、ムチを持ったS役を蹴落とした危ない男。ぶらりと垂れ下がった、みっともないものを、女の子に咥えさせようと近づいていく。明らかな異常者。

 男が女の子に触れる前に、颯爽と現れる〈シュヴァリエ〉。

 薄化粧に覆われた細面のかんばせと、しなやかな肉体を包む真紅のドレス。照明の光を受けて輝く、長いブロンド。高いヒール。そして、鞘から抜き放ったレイピア

 の登場で、常連客が一気に色めき立つ。〈シュヴァリエ〉を知らない客も熱気にあてられ、期待に満ちた目でステージを見守った。

 細身の刀剣。刀身の付け根――刃区はまちには十字架のオブジェが嵌め込まれ、鍔そのものは鳥の両翼を模したデザインとなっている。華美な服装とは不釣り合いの凶器を構え、〈シュヴァリエ〉は無言で男を威圧した。

 相手は向けられた剣先に一瞬ひるんだ様子を見せたが、それでも〈シュヴァリエ〉の外見を侮り、そしてむしろ興奮したようだった。

 男のものが、むくむくと起こり立ち、はっきりと輪郭を帯びていく。〈シュヴァリエ〉は一瞬だけ眉をひそめ、しかし、すぐに感情を隠した。嫌がる顔を見せても、この手の輩は喜ぶだけだと、ここ数年の経験ですっかり学んでいた。

 なにかをわめきながら飛びかかろうとする男の鼻先に、剣を突きつける。相手が棒立ちになったと同時に、その肩口やももに刃を飛ばす。目論見通りに切り裂かれる衣服。男の悲鳴。それをかき消す、観客ギャラリーの喝采。一度は張り出した男のものが、みるみる萎びていく。

 一歩、二歩と後ずさる相手めがけてステップを踏み、〈シュヴァリエ〉は胸から腹の辺りまでを斬りつけた。失敗。ヒールのせいで間合いが測りきれず、二ミリ踏み込みが深かった。服だけでなく、かすかに薄皮にも触れた手応え。背筋が凍る。男のシャツが、うっすらと赤く滲んだ。軽傷。安堵。男がへなへなと崩折れ、観客は沸きに沸いた。

 終演。ほかのボディガードたちが壇に上がって男を引きずり下ろし、店の奥へと連れていった。

〈シュヴァリエ〉はホールに群がる男どもには目もくれず、声援にも応えない。ステージの隅で固まっていた女の子に歩み寄って手を取り、安心させてやる。女の子の、ぽうっとした視線には気づかない振りをしながら。



「お疲れっ、リオン。盛況だったみたいじゃん」

 この数年ですっかり板についたドレス姿のまま、控室で顔に手をあてて項垂うなだれていると、ママから〈プリンセス〉という源氏名を与えられた女性が声をかけてきた。

 彼女はリオンが店に入ったときから、ずっと一番の売れっ子だった。多くの同僚に慕われ、ママの信頼も厚い。だれより綺麗で、だれより幅広いプレイに対応し、だれより優れたテクニックを持っている。そして、もっとも長く、ママの下で女を売っている人でもあった。

 いまや〈シュヴァリエ〉の呼び名が完全に定着してしまったリオンは、彼女に本名で呼ばれるたび、心底ほっとしていた。客寄せの道具としてではなく、個人として扱われることに安らぎを得ていた。あるいは、彼女の存在そのものに。

 ほかに人がいないことを確認して、甘えるように、皮肉めいた愚痴をこぼす。

「ありがとう、アレックス。……私はボディガードになろうと、この店を訪れたはずだったんだけどね」

 ママの提示した雇用条件。ドレス着用及び、性別秘匿の義務。そして、店内で起きたアクシデントをパフォーマーとして収束させることへの強要。

「でも実際、大したもんだと思うよ。あんたの剣も、ママの判断も」

「今日は相手の皮膚を斬り裂いたんだぞ。このままつづけていたら、いつ手元が狂ってもおかしくない」

 店で数少ない、自分の性別と事情とを知る女性を、リオンはじろりと睨めつける。しかし動じた様子はなかった。

「リオンがそんな風に相手を気遣ってる限り、大事にはならないんじゃないかな。向こうも、その分のギャラはもらってるわけだし、納得はしてるよ」

「……せめて、あんな変態と向かい合うのは遠慮できないかな」

 さっきの狂人じみた男は今月三回目の、調。早い話が、サクラだった。

 稀有けうな用心棒〈シュヴァリエ〉の美貌と剣技を見せつけ、店を盛り上げるためのママの策略。うすうす勘づいている客もいるのだろうが、リオンの剣さばきには、作為的なものを寄せつけない強さと華があった。

 実際、芝居ではなく、ホールで問題を起こした本物の暴漢を制したことも一度や二度ではない。

「もともと、薙いだり裂いたりっていうのは得意ではないんだ」

 弱気な発言に、アレックスが「へえっ」と意外そうな声を上げる。パイプ椅子を引きずってきて、リオンのすぐ隣に腰かけた。甘い香りが鼻腔をくすぐる。

「って言うと?」

 うっかり彼女の見事なボディラインを注視しないよう、さりげなく視線を外して答える。

「私の使う剣術は本来、刺突と防御を中心に組み立てられたものなんだよ。刀身で攻撃を防ぎながら相手の急所を突き、穿つことを目的としているのさ」

 そのため、想定された実戦とは異なって派手な動きを要求されるショーパフォーマンスでは、先程のようなミスも起こりえた。

「ええと、つまりはフェンシングみたいなものかね?」

 かわいらしく小首を傾げてみせるアレックスに形容しがたい想いを抱きつつ、リオンは頷く。

「きわめて近いと思う。ただ、向こうはとうにスポーツ化しているけれど、私のそれは人を制するより、殺すことに長けたものだから……」

「ふうん……」

 競技と武術のちがいは大きい。心構えはもちろん、目的の差から生じる踏み込みと間合いの距離は、絶望的なほどだ。そのアドバンテージがあったからこそ、リオンはこのマルドゥックシティに流れ着くまで命を拾ってこれたのだとも言えた。

 だからやはり、本当はあのような場で披露していいものではないのだ。

 技を編み出した先達も、リオンを鍛えてくれた師も、意図せぬパフォーマンスの道具にされることなど望むまい。

 ただ、リオン個人としてはどうか。

 屈辱か? 初めはそう思った。思おうとした。しかし実際にステージへ上がって褒めそやされると、悪い気はしなかった。もっと言えば、芝居だと承知の上でも、女の子を守って騎士として振る舞うことに、かすかな快感を覚えてしまっていた。

 だからこそ、いまの苦悩があった。

 パフォーマーとしての自分に嫌気がさしたわけでも、ましてや雇われの変質者を傷つけてしまったことに落ち込んでいたわけでもない。このまま現状を受け入れてしまうことに、言いようのない不安を感じていたのだ。

 また、ママはいい人だが、どう説得しても人気の客寄せである〈シュヴァリエ〉を一介の用心棒にする気はないようだった。女の子たちを傷つけるリスクなしに利益を上げられるのだから当然だろう。この店にいる限り、〈シュヴァリエ〉で居続けるしかない。

 さらにリオンは、これまで店の女の子たちに何度も想いを寄せられてきた。ママの縛りによって健気に女装をつづけるリオンの性別に疑惑の目を向ける者からも、そうでない者からも。かよわく傷つきやすい女の子たちの心の支えになれるのなら嬉しいが、そのうちのだれかと寄り添う気はなかった。いつも一定の距離を保って、悲しませるばかりだ。

 いっそ店を離れるべきだ。これまで、何度もそう思った。

 それなのに、本気で立ち去ることはできずにいた。

 理由はわかっていた。〈プリンセス〉だ。目の前の彼女、アレックスがいたからこそ、結局リオンは店を辞められず、ほかの女の子にのめり込むようなこともなかった。

「ねえ。剣術って、やっぱり難しいのかな」

 ふと、そんなことを言うアレックスに目を向ける。あどけない表情。少なくとも、そう見える。

「興味があるのか?」

「うーん、どんなものなのかなと思って。リオン見てたらさ、銃より剣の方が強い気がしてきた」

 そんなことを、椅子の脚を浮かべてけ反りながら言う。お行儀の悪いお姫さま。白い喉が露わになり、リオンは唾を呑んだ。

「ど……どれだけ扱えるようになるかは、個人の資質と費やした時間によるさ。銃器に対して言えば、遮蔽物の多い場所でなら、対抗できないこともない」

 生真面目に答えるリオンの様子を見て、アレックスがうすく微笑んだ。眩しく、やさしい笑顔。

「私でよければ、護身用に教えてもいいが」

「本当?」

 椅子の脚をガタンと下ろして、喜びの声を上げる。しかし彼女は、すぐに眉を寄せて考え込む素振りを見せた。

「……ううん、やっぱりやめとく。……ここなら、頼もしい男どもがいっぱいいるしね」

「……そうだな。たしかに、この店の女性には必要ないかも知れない」

 そうだ、必要ない。彼女は自分が守る。すべてを投げ打ってでも。

 ふいに気持ちを抑えきれなくなり、リオンはそっぽを向きながら、なんでもないようにつぶやいた。

「君は絶対、私が守る」

 横でハッとなる相手の気配。

 リオンは身体をもそもそ動かして、照れくささを堪えた。そして、かっこいい言いまわしが思い浮かばなかったので、ストレートに告げることにした。

「アレックス。愛してる」

 さりげなさを装った、青年の青くさい告白。頰が熱を帯びているのがわかった。

 しかし、一瞬で受け流される。

「ありがとう。私もよ、リオン」

 軽い調子でそう言うと、まるで弟に対してそうするみたいに、彼女はリオンの頭をやさしく撫でた。

「ごめんね、甘えん坊さんSUGAR

 次いで、縋りつく顧客をやんわり躱すときと同様に告げる。〈プリンセス〉へと変貌した彼女は、リオンの反応を確かめもせずに、立ち上がって控室を後にした。

「ちぇ」

 残された青年は動悸を激しくさせたまま、子供扱いされたことに、それこそ子供のように拗ねて、ふてくされた。

 想いを伝えるだけで精一杯だったリオンには、このとき彼女がなにを考え、どんな気持ちで最後の言葉を投げたのかなど、知る由もなかった。


 アレックスが新規の客を殺害して警察に捕まったのは、翌週のことだった。計画的な犯行だった。



「一体なんのための護衛だ、なんのための用心棒だ! 言ってみろ!」

 従業員一同が集った、暗いホール。

 事件のあらましを聞いて激昂したリオンは、〈プリンセス〉の送迎を担当していたボディガードに喰ってかかった。

「ホテルに着くまで、ただぼんやりと運転していただけか! 彼女の異変に気づきもしなかったのか!」

 無茶を言っている自覚はあった。あの賢いアレックスが本意を隠したのなら、見抜けるはずがない。目の前の男にも。ママにも。もちろんリオンも。そもそも彼女の凶行を、だれも夢にも思わなかった。止めようなどなかったのだ。それでも、猛る想いをぶつけずにはいられない。

 ほかのボディガードたちが、悲痛な顔でリオンを押し留める。いまはパンツスーツ姿のリオンを女性だと思っている男たちは、デリケートな箇所には触れないよう律儀に気を遣っていた。

 女の子たちの大半もショックを受けていた。動揺の波紋は広がり、涙を流す者までいる。いまだに〈プリンセス〉の凶行を受け入れられずにあたふたする女の子が、隣の子に怒鳴られていた。

 ママと、リオンに胸倉を掴まれた長身の男。そして新入りの少女だけが無表情だった。

 少女は店に入って日が浅く、〈プリンセス〉への同情も、ほかの子たちへの共感もうすいのだろう。もしかすると心の中では、深く悲しんでいるのかも知れないが。もともと、感情の起伏がゾッとするほど希薄な子だった。

 一方、ママと男のそれは、やさしさから来るものだった。もっとも長く店を支えてきたふたりだ。後に加わったアレックスとの付き合いも、当然だれより長い。きっと彼らは、リオン以上の悲しみに耐えているにちがいない。その上でリオンの怒りを受け止め、八つ当たりを許してくれているのだ。あるいは、罰されることを望んでいるのか。

 そう、八つ当たりだ。わかっている。しかし、抑えられない。リオンはやりきれない感情を爆発させて、ただ当たり散らすことしかできなかった。

 ふいに、胸の奥を強く締めつけられるような感覚があった。そして押し留められた身体がびくりと震え、息ができなくなるほどの激しい痛みを全身に感じた。特に胸は、灼けるように熱い。

 唐突に動きを止めて痙攣し始めたリオンの様子に、男たちの手がゆるむ。流れるように床へ倒れ込んだ。

「リオン!?」

 異変に気づいたママが血相を変えて駆け寄る。そのときには胸の熱はすっかり消え果てて、代わりに、凍りつきそうなほどの悪寒が全身を襲っていた。



 先天的な疾患だと、医者は告げた。

 血液――それも赤血球と白血球両方の欠陥。体内の血液循環を阻む、顕著な障害。それにより生じる、複数の深刻な問題。治す手立てはなく、歩行運動さえ禁じられる。そもそも身体が言うことを聞かず、立ち上がることも難しい。リオンは幼少の折、それまで元気だった故郷の親戚が、突然倒れて帰らぬ人となったことを思い出した。

 店から〈プリンセス〉が失われた直後、まるで魔法が解けたように露わとなった病魔。

「笑える」

 自嘲じみた表情を浮かべて、ひとりつぶやいた。

 アレックスとの控室での会話を思い出す。あのとき彼女は、人を殺す手段を探していたのだ。

 剣の手ほどきを断った理由。修得に時間がかかるから? それとも、教わった技で人を殺せば、リオンが苦しむことになると思い直して? そんな、淡い期待を抱く。

 実際は、リオンのことなど思慮の外だったにちがいない。

 現場となったホテルの防音室で、彼女は縛りつけた男を銃で撃ち殺した。三十発以上の弾丸。相手が事切れた後も、ずっと撃ちつづけていたという。

 よほどの事情があったのだろう。そして自分は、そこに立ち入ることさえ許されなかった。相談を受けることも、力になることもないまま。


「ごめんね、甘えん坊さんSUGAR


 あれが、彼女から送られた最後の言葉だった。

 リオンは、騎士になどなれなかった。〈シュヴァリエ〉は〈プリンセス〉を守れなかった。

 それから何度か、店の人間が見舞いに訪れた。ママはもちろん、女の子たちや用心棒の仲間も。古株の男に、店で噛みついたことを謝罪すると、彼はしんみりとした様子で頷いた。

 雪崩が起きたように、悲劇は連鎖的につづく。アレックスの逮捕から二ヶ月が過ぎた頃、店の女の子が亡くなった。それが原因で店もなくなるだろうと、用心棒仲間のひとりが言う。

 なにがあったのかを静かに問うと、彼は吐き捨てるように答えた。

 クスリでハイになった、くだらない客とのプレイ中に絞め殺されたのだという。

 死んだのは、リオンが〈シュヴァリエ〉として最後にステージへ上がったときに守った、あのM役の子だった。

「糞くらえだ。なにもかも、くだらねえ」

 元同僚の言葉に共感して、リオンはそっと涙を流した。

 悔しくて仕方なかった。密かにパフォーマンスで悦に入っていた頃の己を殴りたい。なにが〈騎士シュヴァリエ〉か。自分はなにも守れない。



 店が摘発されたことで見舞い客が途絶え、高額の医療費によって貯金も尽き始めた頃、見知らぬ来訪者があった。

 四十歳近い技術者。一見、朗らかな表情を浮かべてはいるが、その実、リオンを実験動物か虫のようにしか捉えていないことが、目を見てわかった。

 男が、隠しきれない野心を持って告げる。

「君をスカウトしにきたんだ」



「要は、あなたをスカウトしたく思っていますっ」

 サウスサイドのビル街にぽつんとある、小さな喫茶店。一番奥のソファ席。

 マーシャル探偵事務所の所長から連絡を受けたリオンは、自分と交渉したがっているという人物と顔を合わせていた。

 アンナ・ファンシャー。

 赤みのさした黒髪をひっつめ、少しだぶついたスーツを着込んだ若い技術者。いまは屹然としているが、大きな黒ぶち眼鏡でも隠しきれないほど深く刻まれた目の下のクマは、彼女の悪しき生活サイクルが見て取れるようだった。

 しかし言い様はハキハキしているし、話自体も要点がまとめられていて、わかりやすい。さらにはマルドゥック市で出会ったどの科学者より悪意が感じられず、そして愛嬌があった。

「事件屋としての正式雇用か……」

 二年以上前、彼女と同じ目的でリオンに近づいた人物がいた。病室を訪れた、あの男だ。

 男は自らを、かつて大企業の力を背景に、禁じられた技術の行使を許されていた研究者のひとりだと告げた。

 しかしチームは企業から見切りをつけられ、さらには責任者を失ってしまう。男は半強制的に医療技術を提供させられることで、なんとか政府の拘束を免れた。だが、そんな生活に耐えきれなくなり、事件屋として有用性を証明することを目論んだのだという。そして、その相棒としてリオンを選んだ。健康な肉体を与えることと引き換えに、己の手足としようと。

 男の技術――正確には男が師事していた女性の遺した技術は、ゆるやかに終焉へと近づいていたリオンを救った。男はあくまでリオンを利用しようとしていただけで、それはリオンも重々承知していた。しかし動機はどうあれ、命の恩人だ。恩に報いる義務はあった。

 しかし、そうはならなかった。リオンが退院し、副次的に得た能力をコントロールできるようになる前に、男は亡くなってしまったのだ。

 自動車事故。本当に事故だったのか、何者かの意図が存在したのか。リオンに判断はつかなかった。後者であっても、なんら不思議はない人柄の人物だったことだけはたしかだ。

 ともかく男の手によって、リオンは再び己の足で地を踏むことができた。同時に、社会的に禁じられた技術で成り立つ、特殊な造血器を内蔵した肉体は、うかうかしていると政府の拘束対象となりかねなかった。

〈プリンセス〉や居場所を失ったことによる心の穴も埋まらぬままに、政府の目を躱すため、リオンはフリーの事件屋となった。実際はライセンスを取得するまでには至っていないので、用心棒として、正式な委任事件担当官に協力するかたちで誤魔化す日々だったが。

 しかしメンテナンスの問題を考えると、そんな生活も限界が近かった。

 目の前の女性からの新たなスカウトは、実情を考えれば渡りに船だ。本来、快復と同時に就くはずだったポジション。ここを逃す手はない。後は、彼女自身が信頼に足る人物であることを祈るばかりだ。

「ぜひ、〈シュヴァリエ〉のお力をお借りしたく……」

「リオンでいいよ。それは古いあだ名だから」

 店がなくなった後でも、その名で呼ばれることは何度もあった。その度に、胸の奥がちくりと痛む。

「そうですか? では、私はアニーとお呼びください。リオン……男性みたいな名前ですね。でも、かっこいいです」

「……ありがとう。この都市に来たばかりだと言っていたね」

 いまだ自身に付き纏う誤解をひとまずスルーし、リオンは本題に触れる。

「ええ。もといた施設から出る許可をようやくもらって、先月移ってきたばかりなんです。でも、もうオフィスの用意はできてますよ。少し手狭ですが」

「それはいいね。しかし、この街に事件屋は案外と多いんだ。新規の事務所が、果たして簡単に仕事にありつけるかな」

 事件屋の基本的な仕事ベーシック・ビジネスは、命の危機にある証人の保護だ。そして、その究極である緊急法令マルドゥック・スクランブル−09オー・ナインのもとならば、法的に禁じられた科学技術の使用が許可される。リオンはそういった事件解決のサポートにあたることで、かろうじて己の命と自由を守ってきた。逆に言えば、09に行き着くこともできない事件屋の価値は、リオンにとって無に等しい。

 心配をよそに、アニーがさらりと告げる。

「ああ、それなら大丈夫です。もう保護する対象は決まってますから」

 意外な返答。しかし感心するより、疑惑の方が大きい。

「保護を求めてきた人間がいるということかい? 君のもとに?」

 頭をよぎる言葉。泥縄カジュアル・カウンターメジャー

 駆け込んだ方はもちろん、アニーも愚かとしか思えない。用心棒ひとりいない状態で証人を受け入れたというのか。事件屋という職業のリスクを理解しているのか不安になった。

「んん。ちょっとちがいますね」

 リオンの懐疑的な視線に気づいた風でもない彼女は、どうしてだか、少し自慢げに胸を張った。

「保護対象は、私です」

「…………は?」

 直後、喫茶店のガラス窓が叩き割られ、機関銃を持った男たちが雪崩れ込んできた。

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シュヴァリエ―リオンの理由― 渡馬桜丸 @tovanaonobu

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