ケルベルス

《――転送を開封》

 これまで何度も耳にしてきた言葉/もう二度と聞くことはないと思っていた言葉。

 漆黒の四肢がエメラルドの輝きによって蘇る――あるはずのない特甲を再び身に纏う。

 なんだ!? どうなってんだ!?=開いた口が塞がらない程の驚愕/自分の身に何が起きたのか全く理解できず。

 あまりの出来事に呆然とする一方で、蜘蛛戦車が副砲のバルカンだけでなく主砲までも涼月に差し向ける=もはや欠片も残さないという意志の表明。

 危険を察知した涼月=囁きかける本能に従って素早く行動を起こした。

 仰向けになった状態から強引に姿勢を戻す――機械仕掛けの脚力で飛び上がる/戦車から距離を取る。

 巻き起こる爆発=工場を粉微塵にした衝撃が再び目の前の地面を襲う/弾き飛ばされた瓦礫の破片がショットガンの様に襲いかかる。

 だが肝心の涼月には一発も当たらず――特甲の瞬発力と頭部に装着された〈飾りオーア〉の抗磁圧が破片を防ぐ/両手のガードが重要な部分への着弾と負傷を防ぐ。

 蜘蛛戦車と涼月――その距離は最初に出会った時とほぼ同じに。

 ようやく何が起きたのか考える――手放した筈の特甲をなぜ自分が身に着けているのかを必死に理解しようとする。

 吹雪だ――脳裏に閃いた直感/だが間違いないという確信。

 先ほど聞こえてきた声は間違いなく彼のものだった。だが何故?

『我々は彼の脳を借りたかっただけだ』研究所に居た男の言葉が脳裏に蘇る――それが答えになる。

 仮説――今の吹雪は寝かされていた機械でマスターサーバーと繋がっている/そこから何らかの方法で自分の危険を察知して特甲を転送したみせた?/かつて彼が接続官コーラスとしてそうしていたように。

 馬鹿馬鹿しい程に都合のいい考え/だが他に筋が通らない――それこそじっくり考えている暇はない。

 蜘蛛戦車が再び狙いを定める=今度こそ自分を消し去ろうと奮起する/躍起になる。

 ザリっという音と共に特甲の両足が大地を咬む――昔懐かしい感触/いつでも踏み出せる前傾体勢を取る――さあ、来い。

 轟音――巨大な徹鋼弾が音亜音速を越えた速度で弾き出される/涼月の命を奪うべく空気を切り裂きながら殺到する。

 跳躍――特甲の力をフルパワーに駆使しての大ジャンプ/背後からの爆風を加速として受けながら蜘蛛戦車の上へと真っ直ぐに迫る。

 着地――弾丸の様な速度で装甲の上にたどり着いた涼月/自分を見つめる複眼レンズに向けて強烈な右ストレートをお見舞いする。

 衝撃――腕部に取り付けられた雷撃機が装甲の一部ごと戦車の複眼を叩き潰す/文字通りに戦車の目を叩き潰す。

 強烈なパンチに狂ったように暴れ回る戦車=まるで本物の目を抉られたかのように激しく身体を振る/のたくる/悶える/身体に取り付いた涼月を必死に振り落とそうとする。

 構わぬ涼月――暴れ牛を乗り回すロデオの様に器用にバランスを取りながら戦車のあちこちを自慢の拳で殴る/砕く/叩く/徹底的なまでに破壊を繰り返す。

 苦しみ続ける蜘蛛戦車――敵が密着しているせいで自慢の主砲も副砲も使えず/嵐のような暴力を前にただ晒され続ける。

 幾重に砕ける装甲/破壊される複眼レンズ/ついに蜘蛛戦車の膝が折れる/足の何本かが根本から砕ける/轟音を立てながら大地へと沈む。

 衝撃で投げ飛ばされる涼月――特甲の衝撃吸収能力を駆使しながら近くに着地=戦車の目の前に三度対峙する。

 既に大破状態の蜘蛛戦車――ただ一つ残ったセンサー/ちぐはぐになった三本足/辛うじて動けるだけの状態。

 しかしそんな状態でも闘志は衰えておらず――目の前に佇む涼月に向かって最後のあがきの様に主砲の狙いを定める。

 鳴り響く銃声――一矢報いようと懸命にあがく蜘蛛戦車の最後の意志を、遠方から飛来した特大のケースレス弾が完全に破壊してみせた。


 ◇


 風穴を開けられた戦車が地響きを立ててくず折れる/力無く大地に倒れ込む。

 完全な沈黙――脳味噌に当たる部分を木っ端微塵に破壊された/もう二度と立ち上がることはない。

 その様子を静かに見つめていると、どこかから声が聞こえてきた。

「相変わらず危険極まりない戦い方をする奴だな。お前は」敷地の端から聞き覚えのある声がする/同時に右手に巨大なライフルを生やした紅い特甲児童が現れる。

「陽炎」

 思わず名前を呼んだ――かつての戦友であり相棒でもあった少女との二度目の再会。

「ガブリエル隊員から話を聞いた時は少々驚いたが……いや待て。なぜお前が特甲を身に着けている」

 特甲姿の彼女を見た陽炎が驚きの声を上げる――動揺の態度を示す。

 涼月=先ほどから胸の中で温めていた答えを短く告げた。「吹雪だ」

「……なに?」眉を顰める陽炎/ますます分からないと言う風に。「吹雪くんだと? もう見つけたのか? だが彼はまだ意識がないはずだ。一体どう言うことか説明しろ」

「後で説明してやる」さらりと流す――本当かどうかも分からない仮説でダラダラと問答している暇はない。「いいか。あの工場ン中に吹雪と犯人がいる。建物が崩れちまう前にさっさと外に出すぞ」

「あ、ああ……」やや気圧されるていた陽炎がやおら後ろを振り返る/その先に居る誰かへと声をかける。「夕雲ユーグモ。おいで」

 姿を現した少女――腰まである三つ編みの金髪/吸い込まれる様な碧眼/華奢な身体に纏った白金色の特甲。

 新しく入った特甲児童=話だけは聞いていたが、こんな所で出会う事になるとは夢にも思わず。

「あ、あの……」おどおどした口調=まさにおっかなびっくりの声音/見知らぬ人物である涼月に少し脅え気味になっている。「ゆ、夕雲・アイナ・フローレンス……です。あの……あなたは……?」

「あたしは涼月・ディートリッヒ・シュルツ。〈ケルベルス〉の元隊長だ」名乗りながらおもむろに少女の右手を掴む/強引に握手を求める。「お前が新しく入った特甲児童だろ? 話は聞いてる。よろしくな」

「あ、えっとあの……」ますます戸惑う少女こと夕雲/助けを求めるかのように陽炎に視線を送る=『どうか助けてください』

「こら。彼女をあまり困らせるな」気弱な妹を守るようにさっと夕雲を抱きしめる陽炎/まるで本当の姉のような仕草。「この子はお前と違って繊細な性格なんだ。無神経かつ無鉄砲なお前がこれ以上接したらうっかり気絶してしまうかもしれん」

「ふざけんなタコ。一体あたしのどこが……」

 抗議の声を上げかけたところで、にわかに工場が不気味な音を立てる――砲撃を受けた部分の周辺が音を立てて崩れ始める。

「おっと。ふざけるのはとりあえず後回しだ。今は急いで中の連中を外に出すぞ。いいな?」言いながら既に走り始める涼月。

「そうするとしよう。夕雲、行けるかい?」右手のライフルを通常の手に転送する陽炎/部下の少女を気遣いながらも遅れまいと走り始める。

「は、はい……! がんばります!」戸惑いながらも追従する夕雲/走り始めた二人に追いつくべく自身も走り始める。

 機械仕掛けの脚力で敷地を走る三人――そのまま猛スピードで走り抜けると、中の人間を助け出すべく崩れかけの工場を目指していった。


 ◇


 崩れゆく廃工場へと入っていく三人――元来た道を逆に辿って行く。

「おい涼月。本当にこの先に吹雪くんが居るんだろうな?」陽炎=崩壊しつつある工場を不安げな目で見つめる。「どう見ても私には死の淵に向かって全力で進んでいるようにしか見えんぞ」

「つべこべ言わずに付いて来いって」涼月=後ろから文句を言い続ける陽炎にうんざり顔。「モタモタしてるとホントに崩れちまうぞ」

「うう……夕雲はこんな所で死にたくないのです……許して欲しいのです……」夕雲=危険極まりない突入にすっかり怯えた調子で廊下を走り抜ける。既に涙目の状態。

 そうこうしている間に吹雪と犯人が待つ研究室まで辿り着く/来た時に比べて倍の速度での到着=まさに特甲が持つ機動力の賜物。

 一呼吸置いてからそっと扉を開いた――もしかしたら彼が目覚めているのかもしれない/戻って来た自分に挨拶の言葉を交わしてくれるかもしれない/そんな期待を胸に抱いて。

 飛び込んでくる部屋の景色――機械に繋がれた吹雪/近くの機材に手錠で繋がれた男たち/砲撃の衝撃で何人かぐったりしているが、全員まだ生きている。

 しかし残念ながら吹雪が目覚めた様子はなし=未だに昏々と眠り続けたままベッドに横たわっている。

 ああやっぱりか――若干の落胆/ひょっとしたらと考えていただけに残念な気持ちが湧き上がる。

 隣の陽炎も似たような表情を浮かべる――〝まあ、仕方ないさ〟と言わんばかりに涼月の肩を叩く。

 二人の反応に困惑する夕雲――〝私はどんな反応したらいいんですか?〟と言いたげな顔でその場に佇む。

 入ってきた途端、三者三葉の反応を見せる少女たちに少々呆気にとられながら最初の男が尋ねてきた。「……本当にあれを倒したのか」

「そう言ったろ」当然だと言わんばかりに涼月が答える/沈みそうになる気持ちを一旦脇に置いて作業に移る。「生憎のんびり喋ってる時間はねえ。死にたくなけりゃ大人しくしてな」

 言いながら機材と男たちを繋いでいた手錠を外す――それを別の男の腕に互い違いになるように取り付ける=逃亡防止の策。

 慣れた手つきで手錠を弄る涼月――横目でそれを眺めていた陽炎が不意に声を上げた。「涼月、こいつらは私たちに任せろ。お前にはもっとお似合いの役がある」

「あ? ああ」涼月=その一言で全てを察する/相手の意志を汲み取る。「悪いな。頼む」

 手錠の束を二人の少女へと引き渡す――その足先を寝たきりの少年へと向ける。

「随分待たせちまったな。吹雪」眠り続ける少年へと囁くように語りかける/目一杯の優しさを込めて。「みんな心配してる。こんな辛気臭い場所からはさっさとおさらばしようぜ」

 身体に付けられた電子機器を丁寧に外していく/眠り続ける彼の身体を優しく抱き起こす――文字通りのお姫様抱っこ。

「まるで眠り続ける白雪姫と王子様だな」二人のやりとりを見守る陽炎=揶揄するように。「もっとも、片方は王子と言うにはいささか品に欠けているような気がするが」

 涼月=どこかで聞いたようなフレーズに思わず肩を竦める。「うっせー。てか、お前もそんな風に言うのかよ」

「〝私も〟とはどういう意味だ?」言葉の意味が分からず首をかしげる陽炎――そう尋ねた所で再び建物が激しく揺れ出す。「おっと……流石にまずいな。夕雲。そっちは大丈夫かい?」

「は、はい!」男たちを引率するのに手間取っていた夕雲=悪戦苦闘しながらもなんとか纏め終える。「何とか大丈夫です!」

「では脱出だ。死にたくなければ遅れるなよ」陽炎=慣れた手つきでひとつながりの男たちを引っ張っていく/迅速かつ正確な足取り/まるでツアー旅行のガイドの如き歩みで部屋を出ていく。

「ま、待ってくださいです! 陽炎お姉さま!」夕雲=さっさと進む陽炎の後ろを遅れながら必死に付いて行く/モタモタした歩みに不安顔の男たち/犯人の連行というよりもカルガモの行進ような足取り。

「お前が仕切るなっつーの。まったく……」隊長っぷりがすっかり板についた仲間の後ろ姿を呆れながら見つめる涼月=少年に負荷がかからないように気を付けながら後について行く。「んじゃ。帰ろうぜ。吹雪」

 相変わらず物言わぬ少年――穏やかな顔で涼月の胸に抱かれたまま眠り続ける。

 変わらぬその表情を見つめながら涼月は先行する仲間たちに追いつくべく、崩れゆく工場の中を再び走り出した。


 ◇


 外にたどり着いたすぐ後に工場が崩れ去る/数秒前まで建物だったものがあっという間に瓦礫と鉄クズの山に変わる――まるで映画のような脱出劇。

 敷地にはMPBの装甲車やら覆面パトカーやらがずらり――まるで自分たちが犯人になった気分。

 車から隊員たちが降りてくる/しかしやって来たのは見慣れぬ顔ぶればかりで副長や中隊長の姿はなし=おそらくはガブリエルが気をきかせてくれたおかげ。

 陽炎たちが男連中を隊員へと引き渡す――手錠をじゃらつかせながら車の中へと押し込まれていく。

 涼月=姿を見られると面倒なので崩れた瓦礫の陰に避難する――手近な瓦礫の上に腰を下ろし、上着を敷いた地面に吹雪を寝かせる。

 あいも変わらずな寝顔――自分が原因で様々な事が起こっていることなど知りもしないで眠り続けている。

 柔らかく結ばれたその唇に自分のそれを重ねた――ついばむような再会のキス。

 今度こそ目覚めるかと思って寝顔を眺める=しかし十秒待ってみても目覚めず/相変わらずの眠れる王子さま。

 そうこうしている内に作業を終えた陽炎と夕雲が姿を現した。

「さあ、そろそろ訳を聞かせてもらおうか。なぜお前が今も特甲を身に着けている。お前が自力でマスターサーバーと繋がっているのか?」

 単刀直入な陽炎の質問――どんな事であれ知りたくてたまらない情報通のさが

「いや」かぶりを振る涼月=質問を否定する。「たぶんそうじゃないと思うぜ」

「ではなぜだ? それ以外に特甲を身にまとえる方法があるというのか?」

「だから吹雪だよ。あいつが特甲を転送したんだ。多分な」

「そこが分からん。意識のない吹雪くんがなぜ転送を?」

「あいつらの目的は吹雪の頭ん中にある脳内チップだったんだ。あいつらは吹雪の脳に残ってる〈レイ〉の接続権が欲しくて施設に居たこいつを攫ったのさ」

「それは吹雪君がさらわれた理由だろう。お前が特甲を転送できた理由にはならない」

「奴らはその後、この工場で吹雪の脳を機械で繋いだ。〈刕〉に繋ぐためにな。だけどその途中であたしがやって来てやつらを止めた。吹雪の接続は中途半端なままになった」

「それで?」

「そっから先は単なる想像だ。あたしがあのガラクタ戦車とやりあってる間にこいつの中で何かが起きた。そしてあたしにこの特甲を寄越した。それだけだ」

「なんだそれは。まるで説明になってないぞ」怒り口調の陽炎=〝ぜんぜん納得がいかない〟という意志を全力で表明。「そんな都合のいい奇跡のような話があってたまるか」

「んなことあたしに言うなっつーの」肩を竦める涼月=他に言いようがないと言わんばかり。「だが事実としてこいつ《特甲》は転送された。それだけは確かだ」

「ふむん……」

 考え込む陽炎――ことの真相を必死に考察する。

「そういえばガブリエルはどうなったんだ?」別れてそのままになったもう一人の相棒たる男の事をふと思い出す。「あのガラクタ戦車と戦う前に通信切っちまった。無事なのか?」

「ん? ああ。今は他の隊員と合流して地下で捕らえた犯人たちを……なに?」

「あん? どうかしたのか?」

「いま地下から通信が……くそっ。今のお前は無線通信いぬぶえが使えないのか」陽炎が若干いらいらしながら言う。「無線機のチャンネルを今すぐMPBの回線に合わせろ。聞けるはずだ」

 涼月――言われるままに通信機を弄くる/チャンネルを指定された番号に合わせる。

 スピーカーから飛び出してくる音声=切迫した声。《こちら下水道制圧班! ポイントBにて犯行グループのものと思われる巨大兵器が出現! 至急応援を頼む!》その声に突然ノイズが混じる/途切れ途切れになる。《い―――なん――れは!?》

 ぷつんという音と共に通信が途絶える/完全に聞こえなくなる。

「えっと……」不穏な空気に夕雲が不安そうな顔を浮かべる。「ど、どうしましょう?」

 その質問に有無もいわさぬ口調で陽炎が告げた。 

「急いで地下に向かうぞ。涼月、こうなったらお前にも手伝ってもらうからな」

 

 ◇


 手近なマンホールから下水道へと突入する三人――再び真っ暗闇の中を走り抜ける。

「通信が送られてきた場所はここから数百メートルほど前方だ」先頭を走り抜ける陽炎/小隊長らしくきびきびと説明しながら目的地を目指していく。「だが他にも何かあるかもしれん。二人とも気を抜くなよ」

「わーってるよ」すぐ後ろを追従する涼月/すっかり手慣れた様子で暗闇の中を疾走する。「てか、あたしよりも後ろの新人を心配した方がいいぜ? 今にも死にそうってツラしてやがる」

 二人から少し離れた距離を進む夕雲――不安に凝り固まった表情/戦闘開始の前に緊張で死んでしまいそうな顔色。

「夕雲」陽炎=走るペースを落として後輩に歩調を合わせる/隣から心配の声をかける。「大丈夫かい?」

「は、はいぃ……」夕雲=言葉とは正反対の声音/〝ぜんぜん大丈夫じゃありません〟と言わんばかり。「な、なんとか……」

「おいおい。こんなに怯えてて大丈夫なのかよ」涼月=陽炎と同じく速度を落として夕雲と並ぶ/何とも言えない調子の新人に呆れ声を上げる。「もしかしてお前、戦いに出るのはこれが初めてか?」

「ああ」苦い顔の陽炎が代わりに言う。「ここ最近は特甲を使うような大規模な事件は無かったからな。本格的な戦闘に出るのは今回が初めてだ」

「平和になるってのも考えモンだな。仕方ねえ。二人ともちょっと止まれ」

 言葉に従って二人が歩みを止める。立ち止まった夕雲に涼月が近づいていく。

「夕雲って言ったな。今からあたしの言うことをよく聞け」

 その一言で少女が神妙な表情を浮かべて耳を傾ける――その顔に向かって涼月は、自分の胸の中でお守り代わりなっている言葉を引っ張り出した。

「戦闘に入ったらあたしたちは三人で一頭の獣だ。互いが頭となり目となり手足となって仲間の身を守り、攻撃をサポートする。優先すべき行動のためには互いの盾となることも避けてはならない。お前にとっては初めての経験かもしれねえが、ここにはお前が信頼する小隊長と、その相棒だったあたしがいる。あたしとこいつがお前を守ってやる。お前を助けてやる。だからお前もあたしたちに全力で付いてこい。できるな?」

 かつて何度も仲間内で繰り返してきた言葉フレーズ/決して揺るがない/無くならない絆の言葉。

 それを新たな仲間へと捧げる――お前も立派な〈ケルベルス〉の一員なのだと認めてやる。

 その言葉を噛みしめるように聞いていた夕雲――顔から不安が取れる/代わりに活力がみなぎっていく/知らず知らずの内に拳を握りしめている。

「……はい!」

 力強い返答――先ほどまでここに居た軟弱な少女はもういない。目の前に立っているのは勇猛果敢な特甲児童だ。

「よし。じゃあ行くぞ。今度は遅れるなよ」

 そういって再び走り出す涼月――その直ぐ後ろを力強い足取りで夕雲が付いてくる。

「……何だかとてつもなく悔しい気分だ」すぐ隣を走っていた陽炎がぽつりとつぶやく。「お前のそういう所を見せられる度に私はまだまだ小隊長として未熟なのだと思い知らされる」

 珍しい気弱な発言――こんな風に彼女がはっきりと愚痴をこぼすとは思わず。

 どう答えるべきか悩む涼月――そもそも慰めてやるとか、気の利いた言葉をかけてやるとか、そんなのは全くもって自分の柄じゃないと思い直す。

「ばーか。なにいってんだよ」故にいつも通りの言葉を放つ――この上ない揶揄の言葉。「今はお前が頭なんだ。新入りにいい所見せてやらなくてどーすんだよ。しっかり頼むぜ〝小隊長〟?」

「うるさい」ぷくっとむくれる陽炎=言われなくても分かっているとばかりに。「こんなことになるならお前に携帯なんて渡さなければよかった。あれほどやめろと言ったのに勝手に突っ走るしな。これが終わったら副長に何を言われるか分かったものじゃない」

 その言葉に肩を竦めながら涼月が走るペースを早めて言った。

「それじゃ、陽炎小隊長がせいぜい怒られねぇように手早く片づけちまうとするか」


 ◇


 迷路のように狭苦しい下水道を通り抜けてだだっ広い場所に出る――水害防止用に作られた地下放水路。

 家どころかビルが建てられそうなほど高い天井/何本も突き出たコンクリートの柱/そばにいくつも作られた貯水池/街の地下にあるとは思えない広大な空間。

 しかしその全てがボロボロ――柱や壁にはいくつもの弾痕/そして巨大な何かで叩き折られたような跡/まるで先ほどまで戦場にでもなったかのよう。

「通信の履歴によればこの辺りの筈だ」後方から敵襲を警戒しながら進んでいく陽炎。「戦闘の形跡はあるが、肝心の隊員や敵の兵器が見当たらないのは何故だ?」

「やられちまった……ってのはあまり考えたくねえよな」突撃手スターマンらしく最前を歩く涼月。「どっかに逃げてりゃいいんだけどよ」

「そうですね……」二人の中間に陣取って周囲を見張る夕雲。「みなさんどこに行っちゃったんでしょうか……?」

《こちら遊撃小隊〈猋〉 陽炎・サビーネ・クルツリンガーだ。誰か応答してくれ》陽炎=無線通信での呼びかけを試みる/生き残りが居る可能性に賭ける。《誰でもいい。この声が聞こえているなら返事をくれ》

 無線から雑音が流れる――辛抱強く返答を待つ三人。

 すると無線から男の声が流れ出した。《――その声は陽炎隊員か。こちらはペーア・ガブリエルだ》

「ガブリエル! 無事だったか!」思わず安堵の声を上げる涼月。

《涼月隊員、そちらも無事のようだな》同じく声音を和らげるガブリエル。

「ああ。こっちは陽炎たちと合流して地下のでかい場所までやって来たところだ。そっちは今どこにいる?」

《その先にある水位制御室だ。だが生憎と今は出ることが出来ない》

「? そりゃどういうことだよ?」

《その広場にはまだ大型兵器が潜んでいる。何とか抵抗したが、犯人を連行している以上、この部屋に逃げ込むのが精一杯だった。奴を倒さない限り、俺たちはここから出られない。何とかそいつを倒してくれ》

「そいつって言っても……」周囲を見渡す涼月=相変わらず大型兵器の姿どころか動く物すらなし。「どこにも大型兵器なんて見当たらねえぜ?」

「夕雲、少し周りを調べてみてくれるかい?」

「わかりました」

 陽炎の指示に従って夕雲が前に出る――放水路の中央までぱたぱた走っていく。

「どうするつもりだ?」

 どんどん小さくなっていく夕雲の姿を見つめながら涼月が尋ねる。

「あの子の特甲は夕霧が以前使っていた装備に改良を加えたものだ。張り巡らせたワイヤーに音を共鳴させることでより精密な探査を行えるらしい。それこそ見えない敵にも対抗出来るくらいにな」陽炎の丁寧な説明――情報通ゆえの解説癖。

「へー。いろいろ便利になったもんだな」涼月=ちょっぴり関心/さっそく腰につけた通信機で夕雲に結果を尋ねる。「で? 何か分かったか?」

《えっと……》遠くできょろきょろ辺りを見つめる夕雲。《柱の陰とか天井には隠れてないみたいです。もしかしたらどこか別の場所に移ったのかも……》

「どう思う?」涼月=いぶかしげな顔を浮かべながら。「あたしたちが来た通路からこの場所まではほとんど一本道だった。そんなでかい奴が音も立てずに場所に移れると思うか?」

「ここは下水道だ。一端水の中に隠れてしまえば、余程近づかない限りはまず分からない。どこから出て来てもおかしくないぞ」

「……虱潰しに探すしかねえのか」いい加減うんざりという声音の涼月。「突撃すんのは得意分野だが、こういうのはなるべくは勘弁だぜ」

「仕方あるまい」肩を竦める陽炎。「私たちも今からそっちに向かう。夕雲は引き続き周囲の警戒を頼むよ」

《分かりました》頼もしい返答の夕雲。《じゃあ念のためもう一回探査を……あッ! あぶない!》

 数秒前までの明るい声から一転、切迫した声音を上げたかと思うと、同時に彼女の立っていた場所に巨大な爆発が巻き起こった。


 ◇


 放水路を襲う爆風=凄まじい勢いでコンクリートの破片が周囲に巻き上がる。

「夕雲!」血相を変えて走って行く陽炎=大事な妹を助けに行く姉の仕草。「夕雲!夕雲! 夕雲ぉ!」

「落ち着け陽炎!」その腕を掴む涼月=飛び出そうとする彼女を止める。「今のは敵の攻撃だ! 次はあたしたちが狙われる番だぞ!」

 その言葉を証明するように貯水池の一角がぬっと盛り上がる――水の中から巨大な何かが出てくる。

 出てきたもの――扁平な形の胴体/背中に取り付けられた大型の主砲/前方には二対の巨大な鉄の爪/まるで戦車と合体したヤドカリの風情。

 かつて戦った〈ヘーラーの大蟹〉=そのアレンジバージョン/おそらくかつての事件で破壊した残骸を密かに手に入れて直したもの。

 背中の主砲が今度は涼月たちを狙う――蜘蛛戦車の敵をまとめて取ろうと画策している/規格外兵器との戦い第二弾。

 どうする!?=自分と陽炎を逃がす方法を必死に考える/自身の勘に任せる。

 投擲――掴んでいた陽炎の腕を思いっきり振り回す/それを出来るだけ遠くへとぶん投げる/安全圏へと一気に退避させる。

 跳躍――機械仕掛けの脚力で手近な柱に身を顰める涼月/衝撃と爆風に備える。

 発射――ヤドカリが背中の大砲をぶっ放す/二発目をこちらにお見舞いする。

 着弾――さっきまで立っていた場所に砲弾が飛んでくる/内部の火薬が弾けて爆発を巻き起こす。

 襲いかかる衝撃=今日一日で何度も襲われる感覚/爆音で鼓膜が破れそうになる。

 涼月=舞い上がる土煙を煙幕代わりに移動/夕雲が立っていた場所まで柱の陰を縫うように走っていく。

 すでに土煙が収まりつつある中央部――まるで隕石が降ってきたようにぽっかりとえぐれた円形の場所の近くにきらきら光る白銀色の卵が落ちている。

 次の瞬間、それが溶けるように割れる――中から無傷の夕雲が姿を現す。

「こ、怖かったですぅ……」涙声の夕雲=咄嗟の判断でワイヤー用の液体金属を皮膜状に変化/衝撃と爆風から自身を守り抜く。

「全く大した奴だよ。お前は」にやりと笑う涼月=紛れもない賞賛。「立てるか? ぼさっとしてる暇はねえぞ。今すぐあの×××野郎に××をぶち込んで××××してやるんだからよ」

「……ふぇ?」

 耳に飛び込んできたとんでもないスラングに一瞬我を忘れる夕雲――自分がいま何を言われたのか分からず硬直する。

 その間にヤドカリが砲身の狙いを涼月たちへと向ける/狙いを定めようとする。

 そこにダン! という音――直後にヤドカリが足を挫く/何かに躓いたようにバランスを崩す=反対側に逃がした陽炎の援護。

《おい! そんな汚い言葉をその子に教えるな!》通信機から聞こえてくる彼女の声=悪罵と批判のダブルミックス。《おまけにいきなり人を投げるとはどういうつもりだ! お前は私を野球ボールか何かと勘違いしているのか!》

「あれしか思いつかなかったんだ。しょうがねえだろ」言い訳がましく答える涼月/気を取り直して戦いに集中する。「それよりお前はあたしのフォローに回れ。いつも通りのやり方で行くぞ」

《だからお前が仕切るな! 今の隊長は私だぞ!》抗議の声を上げる陽炎/しかしそれしかないと瞬時に理解する。《……だが今はそれが一番のようだな。いいだろう。久しぶりにお前に合わせてやる。存分に暴れろ》

「よし。夕雲、お前はあたしと陽炎の両方をサポートだ。お前の特甲を使ってあのクソ戦車の注意を出来るだけ逸らせ。やれるな?」

「はい!」果敢な笑みを浮かべる夕雲/まさに〈猋〉に相応しい勇猛さ。「やれます!」

 威勢のいい返事に満足したように涼月も笑みを浮かべると、高らかに告げた。

「ならあの戦車に思い知らせてやろうぜ。本当の狩りの時間ヤクトツァイトってやつをよ!」


 ◇

 

 再び特甲の脚部が地面を噛みしめる/力を蓄える――真っ直ぐ前へと進むために。

 凄まじい早さで飛び出していく涼月――〝対甲鉄拳〟の名に相応しい無鉄砲さで前方の敵へ突撃していく。

 それを見たヤドカリが挫いていた足を元に戻す/接近してくる涼月を迎撃しようと狙いを定める。

 涼月=銃器相手のステップワークを発揮――ジグザグに動いて敵を少しでも攪乱する/撃つタイミングを遅らせるZ字疾走。

 近づきながら高速でぶれる涼月に苛立ったヤドカリが行動を変える=砲身を涼月がいる遥か手前の地面へと向ける――爆風で前進を防止する。

 しかしその行動を先読みしていた陽炎が再びヤドカリの足を狙撃で撃ち抜く=完璧なタイミングでのフォロー。

 再びバランスを崩したヤドカリの砲身が地面ではなく自身の足下へと向かう/止めようのない自爆。

 響く轟音=自身が放った砲弾の衝撃をもろに食らうヤドカリ――片方の爪と正面装甲のいくらかを破損/主砲は熱と衝撃でひしゃげて大破/もはや砲撃は不可能に。

 その間にもどんどんと距離を詰めていく涼月=握りしめた雷撃機付きの拳が狙いべき相手を求めて唸りを上げる。

 差し迫ったヤドカリの必死の抵抗――かろうじて無事だった片方の爪を振り上げる/襲いかかる涼月を撃退しようと懸命に振りかぶる。

 そこへ今度はきらきらした輝きが到来――夕雲が張り巡らせた強靱なワイヤーが巻き付く/間接部に絡まる/爪の軌道と動きを封じる。

 最後の抵抗すら封じられたヤドカリ=ワイヤーを断ち切ろうと懸命にもがくが、動いた分だけさらにワイヤーが食い込む/絡みつく。

 既に目の前まで接近した涼月=ほんもののヤドカリの様に目の前に突き出た頭部に向けて渾身の右ストレートを放った。

 速度+回転力+雷撃機のトリプルミックス――凄まじい衝撃へと達した渾身のパンチが装甲を突き破る/センサーを破壊する。

 痙攣したかの様に身体をデタラメに動かすヤドカリ――しかしまだ絶命には至らず/最後のあがきを続ける。

「涼月さん!」横合いから夕雲がやってくる――その両手から放たれるきらきらした輝き=極太のワイヤー。「これを!」

 瞬時に理解した涼月――ワイヤーをヤドカリの首に巻き付ける/しっかりと絡めてから思い切り引っ張る。

 特甲による力任せの牽引――ヤドカリの首がぶちぶちとちぎれる/切断力を持ったワイヤーが部品を切り刻んでいく。

 ぶちん!という音と共にヤドカリの頭部がすっぽ抜ける――鮮血の代わりのオイルが切断面から勢いよく噴き出る。

《二人ともそこから離れろ》陽炎からの通信=退避命令。《これで終わりにしてやる》

 彼女の意図を察した二人がそこから飛び退く/最初と同じように柱の陰に退避する。

 ばん!という発射音=直後に爆発――空気を切り裂くライフル弾がヤドカリの首から漏れるオイルに火を付けた。

 繰り返される爆発――まるで火にかけたポップコーンが鍋の中で爆ぜるようにヤドカリの身体が焼けていく/バラバラに吹き飛んでいく。

 最後に一際大きな爆発――砲撃にも劣らぬ凄まじい衝撃が放水路を全体を揺れ動かす。

 収まったのを見計らって柱の陰から涼月と夕雲が顔を覗かせる。

 するとそこには真っ黒に焼け焦げたヤドカリの亡骸が無残に横たわっていた。


 ◇


 放水路の中央でぶすぶすと黒煙を立てるヤドカリの残骸――見るも無惨な最期。

「へ! ざまぁ見ろってんだ」涼月=巨大兵器討伐の結果にすっかり満足げ/してやったりと言わんばかり。「これで全部片づいたな」

「そうだな」陽炎=同じく感慨深げに。「ではガブリエル隊員たちを迎えに行くとしよう。確か奥の部屋にいるという話だったな」

「あの……必要ないみたいですよ?」夕雲=放水路の先にある通路を指し示す。「ほら。あれ見てください」

「涼月隊員!」暗がりの中から出てくる何人かの男たち――MPBの隊員を引き連れたガブリエルの姿。「流石だな。爆発音が聞こえたので何か援護をと思って来てみたが、その必要はなかったようだな」

「そっちも無事でよかったよ」相棒の無事を確かめてほっとなで下ろす涼月。「他の奴らは?」

「奥の部屋で待機させている。連行していた犯人も一緒だ」

「そっか。んじゃ、さっさと連れて行っちまおうぜ」

 鷹揚にうなずくガブリエルと隊員たち。

 そんな中、ふと思い出したように陽炎が言った。

「ところで涼月。お前はこれからどうするつもりだ?」

「ん? なにがだよ」

「馬鹿かお前は。特甲児童じゃないお前が特甲を身につけて本隊と合流したら面倒な事になるのは目に見えているだろう」

「そうは言うけどよ、今のあたしは転送できねえんだから戻しようがねえんだよ」困ったように頭をかく涼月=当の本人もどうしたらいいのかまるで分からず。

「……そういえばそうだったな」陽炎=今更思い出したように。「仕方ない。後でマリア医師に何とかしてもらうよう頼んでおく。だからお前はさっさと自分の家に戻れ」

「悪い。頼んだ」申し訳なさそうに言う/続いて共に戦った新たな仲間の名前を呼ぶ。「それと夕雲」

「は、はい!」急に名前を呼ばれた夕雲=驚きのあまりに動揺する/何事かと構える。「な、なんでしょうか?」

「さっきのサポート、初めてにしちゃ上出来だったぜ」少女の頭をくしゃりと撫でる/まるで妹の成功を喜ぶ快活な姉の仕草。「これからもあの調子で上手くやりな。そうすりゃいずれは立派な遊撃手ショートになれるぜ」

 あまりの出来事に目を見開く夕雲――まさかそんな風に誉めてもらえるとは思いもよらず/ぱっと顔をほころばせる。「あ、ありがとうございます!」

「こら。部下を誉めるのは私の役目だぞ」横合いから割り込む陽炎――負けじと少女の頭をよしよし撫でる。「よくがんばったね夕雲。とっても偉かったよ」

「陽炎お姉さま……」あまりの嬉しさに今度は泣き出す/両目いっぱいに溜まった涙があふれ出す。「あ、ありがとう……ぐすっ……ございます……」

 おいおい泣き出す少女に思わず肩を竦める――自分も仕事を始めたばかりの頃はこんな風だったのだろうか失われた記憶を思わず辿る。

「涼月隊員」ガブリエル――どことなく嬉しそうな声。「不意の出来事だったが、また一緒に組むことが出来て俺は嬉しかった」

「あたしもだよ」同じ調子で答える=紛れもない本心。「本当はこんな事はない方がいいんだけどな」

「違いない」全くだという風に。「もう行くといい。また何か困ったことがあったら連絡してくれ。いつでも力になろう」

「ありがとよ」自然と口から出る言葉/未だにじゃれ合ってる少女たちに向けていった。「それじゃあな陽炎。今度また一緒にメシでも食べに行こうぜ。そん時はあたしの友達を紹介してやるからよ」

「ああ」頷く陽炎=この上なく嬉しそうな声で。「その時が来るのを楽しみにしている」

 そんな親友の言葉を背中に受けながら、涼月は自分の家へと帰るべく再び地下の暗がりへと歩き出していった。

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