【日記の外の話1】 王女フェナは王道を愛す
アルディスは猛然と日記にペンを走らせていた。
外は夜も更け、星々は空のいたる所で光を散らすようにその身を輝かせている。アルディスの部屋にも星の光は届いていたが、窓を通した光彩は微かで暗い室内を照らすにはいたらない。部屋の中で唯一机の上に置かれたランプだけが、彼と机の周りを明るく照らしていた。
一時の間、ペンの擦れる音とページをめくる音だけが静かな部屋を満たしていた。静寂の中ランプの炎はゆらゆらと、アルディスの長い金の髪や日記帳の真新しいページに揺れる陰影を作り出す。
その灯りを頼りに、彼は思うがままに文字を書き連ねていった。
「それでは、お休みなさい……っと」
最後の一行を書き終えると、アルディスはページを遡り自分の書いた内容を軽く確認した。最後の行まで読み切ると、静かにペンを置き日記帳の表紙を閉じる。どこまで書いていたか忘れない様に栞を挟むのも忘れない。
一気に書いたせいで腕が少し痛む。その代わりに書く前と比べ、アルディスの心は随分軽くなっていた。
腰かけていた椅子にもたれると、身体を休めるためにエメラルドグリーンの瞳を閉じる。軽く深呼吸をすると、体中に酸素が巡って疲れが和らぐ気がした。数回繰り返して、ぱっと目を開けた時には彼の表情に暗い気配は消えていた。
「まあ……悩んでも仕方無いですよね」
――不安も愚痴も全部日記に吐き出した。後は何かあってから悩めばいい。
ぽつりと呟いた声は諦めが混じってはいたが、同時に吹っ切れた様に明るい声音でもあった。
元気になった所で、アルディスはお昼から何も食べていない事を思い出した。
先ほどまで食事を取る気もおきなかったのに、気持ちが落ち着ついて急に食欲が戻って来たようだ。
夕食の残りでも無いかと料理場に行ってみると、薄くスライスして焼いた肉を挟んだサンドイッチと香草のスープを貰うことができた。
部屋に持ち帰ったアルディスは朝食以来のまともな食事を味わった。余り物のサンドイッチは時間がたって少し硬くなってはいたが、温め直したスープと一緒に食べれば硬さも和らいで十分美味しい。
全部食べ終えた頃にはアルディスの空腹は充分満たされていた。
そして空腹が満たされると、今度は激しい眠気がアルディスを襲う。
こんな夜中に知らせが来ることも無いだろうと、アルディスは重い瞼を擦りながら備え付けのベットへ向かった。今日は色々あり過ぎて疲れました……と、ランプを手に持ちながら欠伸をかみ殺す。
――トントン。
突然、部屋の扉を叩く音がしてアルディスはベットの脇で立ち止まった。間を置かず扉の向こう側から女性の声が聞こえてくる。
「アルディス様、夜分遅くに申し訳ございません。フェナ様の侍女をしてるカロラと申します」
「フェナ様のですか?」
フェナとはダータリア国第一王女の名前だ。
――王女付きの侍女が何故こんな時間に?
アルディスは首を傾げたが、もしかしてクラウディア様達からの知らせかもしれない。と、足早に部屋の扉へ近づきランプで手元を照らしながら鍵を開けた。
今日参上した玉座の間に、王女が居なかった事には気付かないまま……――。
扉を開くと、黒髪の少女が一人立っていた。
後ろに縛った三つ編みとどこか緩い雰囲気が印象的な16、7歳くらいの少女だった。
侍女は黒いスカートの裾を摘まみながらアルディスに深く頭を下げる。それから、無言で一歩大きく後ろに下がった。
カロラの動きにアルディスは一瞬戸惑う。その隙をついて、扉の死角から飛び出してくる人影があった。
人影は侍女が一歩分空けたスペースに入り込むと、驚くアルディスを目の前に見据え、不敵に微笑んだ。
「今晩は。アルディス=ラ=メリスルーン」
「フェ、フェナ様……!?」
部屋に入ってきたのは、フェナ王女その人だった。
燃える様に鮮やかな髪を高めの位置で一つに纏め、瞳は母であるクラウディアと同じ色をしている。ただし、母親が静かに燃える瞳と表すなら、彼女の瞳は燃え盛る炎の輝きに満ちていた。年は侍女とあまり変わらぬ様に見える。
「アルディス、今日は大変な一日だったようですわね」
「今晩はフェナ様。……あの、このような夜分に一体何の御用でしょうか?」
夜の挨拶をすませると、アルディスは不思議そうにフェナに尋ねた。
フェナは何故か爪先まで隠れる黒い夜間用のマントを羽織っており、中に来ているものが全く見えない状態だ。こんな恰好で何をしに来たのかアルディスにはさっぱり分からない。
「ほほほ、それはですわね……あら」
アルディスの質問に、フェナは持っていた扇で口元を隠すと目を細めて意味深な表情を作るが、アルディスの後ろ――正確には彼の部屋の奥にある机を視線にとらえると、説明そっちのけで部屋に入り込み机に向かって小走りで近づいて行く。
「あらあらあら!これですわね、母上から渡された日記帳というのは……」
「――フェナ様っ!!」
後少しでフェナの指先が日記帳に届くという所で、突然静止の声が室内に大きく響いた。その大声にフェナは伸ばした手を止め、声の主であるアルディスの方を振り向いた。
フェナ達が驚いてる内に、アルディスは机の上の日記帳を慌てて掴み取る。フェナの手から遠ざける様に机から大きく離れると、両手を後ろに回して本が背に隠れるように持った。
「す、すみませんが……。命令で他者に見せてはならぬ、と言われてるんです!」
「あら、そうでしたの。残念ですけど、命令でしたら無理強いできませんわね」
あっさり引き下がったフェナに、アルディスは強張らせた全身の力を抜いて、ほっと息を吐いた。
「(危うく首が飛ぶ所でした……)」
――フェナが日記に触れそうになった瞬間、全身から血の気が引く音が聞こえた気がした。
アルディスは背中に隠した日記を強く握りしめながら、日記帳の中身を見られずに済んだ事に心の底から安堵する。
フェナの方はというと、少し名残惜しそうにアルディスの背中へと視線を向けていた。
それから、見れないものはしょうがない。と、気持ちを切り替え部屋の前で話していた事に話題を戻す。
「まず……朗報ですわアルディス。先ほど勇者を誰にするか決定しましたの。まあ、選ばれた者に了解を得ていませんので、まだ候補扱いですが」
「決まりましたか!それは良かったです……」
勇者候補が決まったと聞いて、アルディスは素直に喜んだ。
今回の問題で勇者の存在はとても重要だ。了承を得ていないとはいえ、王命を断るなどよっぽどな理由がない限りあり得ない。ほぼ決まりといっていいだろう。
しかし――――。
「(何故、こんな夜中にフェナ様が直々にお話に来たんでしょうか?)」
会議はまだ続行中。勇者候補が決定したと言っても、まだ問題は沢山残っている。
わざわざ、王女が夜中に伝えにくる理由がアルディスには分からなかった。
「ということで……。さあ、アルディス=ラ=メリスルーン。さっそく勇者の所に行きますわよ!」
「えぇ!?こんな夜中にですか?」
突然の発言にアルディスは仰天した。しかし、フェナの方を見ると冗談を言っている様には見えない。
「ええ、夜中じゃなければ周りに気付かれかねませんもの!」
…………周りに気付かれかねない?
フェナの言葉を聞いて、アルディス嫌な予感に少しずつ体温が下がるのを感じた。
「……フェナ様?」
「何ですの?」
「失礼ですが、フェナ様はクラウディア様達の会議で私と一緒に行くことになったから、呼びに来たのですよね?」
恐る恐る尋ねるアルディスに対し、フェナはにっこりと笑顔で首を横に振る。
「いいえ。会議をしている今ならば、こっそり勇者に会いに行ってもばれないと思ったから来ましたわ!」
「独断ですかーっ!?」
堂々と独断宣言をするフェナに、アルディスは思わず大きな声で叫んでしまった。
「アルディス様、アルディス様。大きな声を出すと人が来ますって。もうちょっと小さな声で話した方がいいと思います」
しぃーっ。と、口元に指を当てて諭すカロラに、アルディスは慌てて扉の方へ目を向けた。特に外から人がいそうな気配は無い。とはいえ、一応外に聞こえないよう気を配りながらアルディスは話を続ける。
「いやいやいや!何考えているんですか!?勝手に勇者候補に会いに行ったら確実に怒られますよ!」
しかも、まだ決まっていない問題が沢山あるのだ。中には勇者と直接話し合わなければならない問題もあるだろう。勇者に会った後はまず城に来てもらう事になる。当然、城に連れて行けば会いに行ったのは誰かすぐばれるのは明白である。
「アルディス。貴方の言うことはもっともですわ。ですが、
「考え……ですか?」
フェナの何時にない真剣な眼差しに、どうやって引き留めるべきか頭を悩ませていたアルディスは少し話を聞いてみることにした。一旦説得の内容を考えるのを止め、フェナの話に耳を傾ける。
「ところでアルディス、歌の冒頭はもう決まってますの?」
「歌の冒頭ですか?色々決まってから考えようと思ってましたので、まだ何も決めていないです」
フェナの問いに、アルディスは首を小さく横に振った。
勇者候補が決まったとはいえ、アルディスは今日話を聞いたばかりなのだ。歌の冒頭を考える状況にまだ辿り着いていない。
「これは私見ですが……
「はあ」
「そもそも、今回の話はいかにオータリアやスータリア相手に本当にダータリアで勇者が生まれたか納得させるのが重要なのですから、気をてらわずよくある話にするべきですわ」
「まあ、確かに」
フェナの話にアルディスも同意する。英雄譚に癖のある難解なものは求められていない。必要なのは、聴き手に分かりやすく、間違いなく英雄だと認めてもらう訴求力だ。
「それで、歌の冒頭と勇者候補に会いに行く事は何か関係あるのですか?」
「大有りですわ!」
フェナはきっぱり言い切ると、大衆に訴え掛ける様に両手を大きく広げた。腕を広げるとマントの前合わせ部分も一緒に大きく開く。マントの中は王女がいつも着ているドレスでは無く、城下で見かけるような簡素な服だった。今から城下町に行く気満々の恰好だった。
「まだ見ぬ勇者に興味を持ち、王女は城を抜け出し会いに行く。城の者にはばれぬように変装をして……本で読む物語でよくある展開ですわ。よくある展開ならば相手に受け入れやすい。すなわち王道展開!
そう!王道展開の王道とは王の道と書いて王・道!つまり、
「そんな理由で会いに行くつもりなんですか!?」
「その通り!」
間髪入れず大きく頷くフェナにアルディスは頭を抱えた。
「(そうでした!フェナ様の王道コンプレックスがこんな話見逃すわけが無いじゃないですかっ……!)」
『王道コンプレックス』とは、フェナの身近にいる人なら誰でも知ってる彼女の性格の一つだ。
何故王女がそうなったのか、その理由は誰も知らない。
ある日突然、「王族が王道目指さなくてどうしますの!」と、王女は王道という言葉に固執するようになった。
王女が王道を目指す、それは良い。
問題なのは、フェナが考える王道という言葉には王道展開――物語でいうベタ展開という意味も多分に混ざっている事だ。
城下にお忍びで出かけたり、素性を隠して独断で事件を解決しようとしたり。物語であるような行動を現実に取られるとどうなるか。ここ数年で城内の者は嫌というほどに理解させられた。
以前、国内では使用禁止の魔法薬を違法オークションで売りさばく犯罪組織がいた。それを聞いたフェナが単身客の振りをして潜り込んだ事があった。その時の城内の混乱ぷりは悲壮を極めた。騎士団は誰が救出に行くかもめ、王女のお世話をする侍女はパニック状態。結果的には、フェナが潜入して調べた内容で、犯罪組織は全員捕まえる事が出来たのだが、後日クラウディア女王以下諸々にみっちり説教される事となった。
そんな事件等を経て、城に居る者はフェナの王道に固執する姿を『王道コンプレックス』と密やかに呼ぶようになったのだ。
そういえば、玉座の間にも会議にもフェナは不在だった。きっと、王女の性格を考慮して勝手に行動しかねないと今回の件に参加させなかったのだろう。
アルディスはこの時まで、王女の困った性格を全く思い出せずにいた事を激しく後悔した。
「フェナ様。いや……確かにお忍びで勇者に会いに行くとか私もよく本や歌で聞いた展開ですが、大半は本当にある話じゃないんですよ!フィクションの話にそって現実で行動するなんておかしいと思いませんか!?」
なんとか、説得しようとアルディスは必死だった。しかし、横から緩い声がかかり説得は中断されてしまう。
「はーい、アルディス様。ちょっといいですか?」
「……何ですか、カロラさん!?」
話を遮られたアルディスは少しイライラした調子でカルロ方を見る。
そんなアルディスの苛立たしそうな雰囲気をスルーしながら、カロラはにこにこ笑顔で彼の隣に立つ。
「フェナ様の話は確かに無茶苦茶です。けど、自分のやりたい事をやり遂げる手段も強引さも持っているんですよねー……」
ですから。と、続けながらアルディスの腕をがっちり掴んでカロラは頭を下げた。
「申し訳ありませんが、あきらめてください!」
「そんな……!貴方はそれでいいのですか、カロラさん?貴方だって一緒に…………あ、あれ?」
アルディスは掴まれた腕を振りほどこうと動かしたつもりだった。けれど、カロラに掴まれた腕はびくともしない。
困惑するアルディスにカロラは困ったように苦笑しながら、さらに身体を密着させて腕を振りほどけないようしっかり固定する。それから、アルディスに聞こえるくらいの小さな声で答えた。
「いやあ、私もどうかと思いますけどね。でも、主の命令ですので仕方ないんですよねー。あ!私が悪くないのだけは理解してくださいね。私命令に従っただけですので」
「それ、責任逃れって言いませんか!?」
「大丈夫ですって。二人で一緒に説明したら、きっと女王様達も納得してくれますよ」
なんとか離れようと反対の腕で押したり引いたりしてみたが、カロラの絡めた腕は全く外れない。年下の少女に力負けしている事実にアルディスの心は少し傷ついたがそんな場合ではない。このままでは、アルディスも勇者候補に会いに行くのに連れてかれてしまう。
それだけはなんとしても阻止しなければ――!
そんな二人の攻防には目を向けず、フェナは部屋の外に出て廊下に人がいないのを確認していた。長い廊下の曲がり角までしっかり確かめると、部屋の中に戻ってアルディス達の方を振り返る。
「さあ、近くに人が居ない今の内ですわ!早速勇者に会いに行きましょう!」
「はいはーい。アルディス様もどこまでもついて行きます!だそうです~」
「あら、良い心がけですわね!」
カロラの声に嬉しそうに答えながら、フェナは手に持つ扇を開いた。細かい意匠を凝らした扇は先端に金の紐が通してあり、反対側の先には小さい宝玉が垂れ下がっている。
フェナが小さく呪文を呟くと宝玉の中で赤い光が踊り始める。光は呪文を紡ぐ度どんどん強くなり、発光の規模は大きくなっていった。
「ちょ、ちょっと待ってください!私はどこまでもついて行くなんて、全然一言も絶対に言ってません!!大体、何で私も一緒に連れてくんですか?どうせ行くならフェナ様達だけで……――」
アルディスの抗議の声は、フェナが持つ扇の宝玉から発した光の塊に掻き消えた。
光の塊は室内に一気に膨張したと思った次の瞬間、アルディス達と一緒に塵も残さず消えてしまった。
残された部屋は先ほどの騒がしい声など無かったかのように静寂に包まれる。
ただ、ランプの灯りだけが先ほどまで部屋に人が居たことを示すように、無人の部屋を照らし続けた――――。
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