【アルディスの日記】 珊瑚の月 1日目(3)

 気づいたら自分の部屋に戻っていました。


 玉座の間から部屋までどうやって戻って来たか全然覚えていません。ただ、先ほどクラウディア様からの御命令に「はい」と、答えたのだけ憶えています。私の地位で断れるはずが無いので、これは間違いなく事実です。


 戻ってからの私は椅子に座ってぼうっと虚空を見つめていました。窓から見える外の穏やかな景色も、静かな部屋の風景も視界に映っているのに見えない。否、見ていない。私の心は許容量を超えた事態に、周りに気を配る余裕が無くなっていました。


 だから、給仕が昼食を運びに来た姿を見た時は、もう昼食の時間なのか!?と、私は大変驚きました。それほど部屋でぼうっとしていたのかと。

 その時、私は目に映るものだけではなく、時間にすら気を配れ無くなっていたのだと、ようやく気づけたのです。


 給仕が運んだ昼食は美味しそうでしたが、喉を通りそうになかったので食事は丁寧にお断りしてお茶だけいただきました。

 口に含んだお茶は温かく、両手で包み込むように持ったカップはじんわりと私の手を温めてくれました。一口飲みこんで息をつくと、暗くなった心が少し和んだ気がします。

 琥珀色のお茶に口をつけながら、私は今日あったことを思い出していました。


 王の頼み事は私の予想を上回る重大な任務でした。考えると胃のあたりがキリキリと締まって、息苦しい心地になります。

 私の了承を得た女王様達は、次は肝心の勇者をどうするか、何をして勇者と他国に納得させるかについて話し合い始めました。玉座の間は現在会議の真っ最中です。

 私はというと、次の支持が来るまで待機と言われました。そうそう、だから部屋に戻って来ているのでしょう。



 『三国友好会』――年に一度、私達が住む炎の国の三勢力で行われる会議の名前です。


 我が国魔法が最も発達した魔法国家『ダータリア国』。

 天使を崇める宗教を中心に成り立つ、宗教国家『オータリア教国』。

 リゾート地として観光が売りの独立自治区『スータリア国』。


 この三勢力でそれぞれの代表を選び、代表者は開催地に集まると数日間情報交換や、国同士の条約を決めるために議論したりします。そして最終日には三国の友好を深めるという名目で大きな宴会があり、来年私が大勢の前で歌うのはこの最終日の宴会になります。


 今回の会議は、ダータリア国最高権力者であるクラウディア女王陛下の次に地位のある、夫ヘルムフリート殿下が行かれました。そして、その結果が国を挙げて勇者の英雄譚作りです。

 ちなみに、ヘルムフリート様が飲み比べして言い合いになった相手とは、オータリア教国から来たエリオット司祭だそうです。司祭は教国で最も尊ばれる神子ルチアを政治面で支える、地位としては神子の次に敬われる方です。

 元々同い年、国の2番手と要所が似ているのに相性が悪い(同族嫌悪なのではという噂も)という前から微妙な関係ではありました。しかし、いくら仲が悪かろうとこんな事態になるなんて誰も予想だにしなかったでしょう。



 午後になると、侍女が一人本を携えて私の部屋を訪れました。

 私の部屋を訪れたのはクラウディア様付の侍女で、「クラウディア様から会議の進行具合と指示を伝えに来ました」という話なので、まず会議がどうなっているか聞いてみました。

 なんとなくそうじゃないかと思っていましたが、会議は夜になっても終わりそうに無いそうです。今日は城に泊るしかないなと、私は覚悟しました。

 会議の状況を大体話し終えると、彼女は手に持っていた本を私に差し出しました。

 受け取った本を見ると、表紙は薄い緑色で縁が銀色に彩られています。作りはしっかりとしていて、装丁だけでもかなり高級なものだなと思わせる品でした。表紙には題名が無く、不思議な本だなと思いながら表紙をめくると中は一文字も無い真っ白な紙でした。

 どうやら、これは本ではなく日記ようです。

 そして、今私が書いている日記こそ、この時いただいた日記帳なのです。


 ――何故日記を?

 疑問に思う私にすぐクラウディア様の侍女は答えてくれました。

 まず、歌を作る際に記録があった方が便利だろうということ。

 次に、どうせやるからには徹底的にやろう。英雄譚を歌にするだけでなく、本にすれば国中で読まれて勇者の認知度が上がる。国民の認知度が上がり好意的に受け取ってもらえれば、他国が納得する状況に多少は役に立つかもしれない。後、いつの時代も英雄譚は売れるし上手くいけば観光客が増えるかもしれない!

 「……ということで、会議で本を作ることが決定しました。そのためにもアルディス様には勇者の行動を日記に記録せよと御命令です」


 私の仕事に国の威信だけでなく、打算まで追加されました。

 プレッシャーも一緒に追加されました。

 ……勇者に会う前に胃薬を薬師に調合してもらった方がいい気がしてきました。


 貴族の末子として生まれた私は、吟遊詩人として気ままな放浪生活をしていました。偶然私の歌を聞いたクラウディア様にその才を認められ、宮廷詩人として安定した地位をいただいたことには本当に感謝しています。

 しかし、こんな展開になるなら吟遊詩人のままでいれば良かった!


 侍女の方が帰ってから、私はまた暗雲たる気持ちに囚われてしまいました。この重い気持ちは会議後にどれだけ積み上がっているのでしょう?

 日が落ちた暗い部屋で、私は一人不安と戦っていました。いつもなら、どんな気持ちでも歌に出来ないかと考えるのに、何も手に付きません。ただ漠然としたプレッシャーや後ろ向きな気持ちが複雑に混じり合い、行き所を失っています。

 私はふと机の上に置いた日記に目がいきました。表紙を開くと染みひとつない純白の紙が、暗がりの中で鮮やかに私の瞳に映ります。

 私はまずランプを付けて部屋を明るくしました。インクとペンを日記の横に置くと、胸の内に溜まったものを吐き出すように、今日の日記を書き始めました。

 一度書き出すと、流れる水の様にすらすらと文字が紙の上を流れていき、すぐに一ページが黒いインクで埋め尽くされました。2ページ、3ページと言葉は留まることを知らず、私は休むことなく書き続けました。



 ――ここまでが、この日記を書くことになった経緯です。


 あ、そういえば日記の説明を受けた時、この日記は他人に見せるべからず。という御命令も一緒に受けていました。ネタバレ厳禁とかなんとか。

 なので、絶対私が他人に見せない覚悟を持つようここに呪文を記そうと思います。







(大きく段を空け、大きな字で何か書いた跡がある。ただし、記入した部分はインクで丁寧に塗りつぶされている。記入した紙の裏側も念入りに塗りつぶしているため、何が書いてあったかは分からない)








 よし、これで絶対誰にも見せることはないでしょう。

 私だって首はまだ繋がっていたいですからね、ははは!

 では、明日にそなえて今日はここでペンを置こうと思います。



 明日よ来るな!昇るな太陽!


 ――嘘です、ちょっと言ってみただけです。

 どうせ明日は来るし、太陽は昇ります。

 私が王命で勇者(現時点で不明)に同行して、なにか勇者っぽいことをしてもらって(現時点で不明)それを来年大人数の前で歌わなければならない(辞退不可)のと同じくらい、私が願ったところで変わらない事実であり現実です。


 ならば、私は変わることだけでも願いたい。


 どうかこの大役を無事に成し遂げれますように!

 我が国を守る世界に最も近き乙女エリーナ様の加護がありますように!



 それでは、おやすみなさい。

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