【アルディスの日記】 珊瑚の月 1日目(2)

 今朝、私は王宮からあてがわれた自分の部屋で、新しい歌を作ろうと椅子に腰掛け一人思案中でした。

 開け放った窓からそよそよと涼やかな風が室内に入り、机の上に積まれた紙の束がさらさらと揺れる音が耳に心地良い。そんな、穏やかな朝でした。


 この穏やかな日を歌にするならどんな音色がいいだろう?

 まずは、窓から見える雲の流れの様に緩やかに優しく弾いてみよう。と、愛用の竪琴に手をかけた、ちょうどその時。唐突に叩かれたドアの音に私の思案は中断されました。


 ドアを開けると、若い一般兵がびしっと直立不動のまま、はきはき(まだ慣れないのか緊張で声が上ずっておりましたが)口上を述べられました。

「アルディス様、クラウディア女王とヘルムフリート殿下がお呼びです。至急お連れしろとの御命令を受けて参りました!」

 私は、今月は特に行事が無いので何か歌を聞きたいから呼んだのだろうと、大変気楽に玉座の間に向かいました。


 ……そこで、体調が悪いとでも言って逃げてればよかったものを……。


 というのは置いておきまして、玉座の間に入って私は異様な空気に何かが違うと体を強張らせました。

 まず、部屋の中に警護の一般兵がいません。先ほど呼びに来た方は扉の前で止まり、私だけを中に入るよう促しました。中にいる人は国を動かす主要の方々ばかり。表情を見るに難しい顔をしたり、あまり良い雰囲気ではありません。

 ――何か公的な事なのだろうか?


 先ほどまでの気楽さを消し、私は玉座の間の床に膝をつくと、深く頭を垂れながら女王クラウディア様とその夫である王配殿下ヘルムフリート様の登場を待ちます。彼の方たちは、さほど待たずに玉座の間に現れました。

 お二人が各々の玉座に座ると、形式通りクラウディア様から私の名前と共に頭を上げる許可が降りました。私も形式通り一通り口上を述べ、ここでやっと顔を上げ今日初めてお二方を拝顔することができました。


 ――顔を上げた私はぎょっとしました。

 何故ならヘルムフリート様の左頬が大きく腫れていたからです。布で応急処置はしていますが、隙間から見える肌は真っ赤に染まっています。

 瞬時に何故顔が腫れているのか色々な憶測が私の頭の中で駆け巡りました。けれど、玉座の前で詮索などできる立場ではありません。私は驚くことなど何も無かったかのように、微笑みを湛えたまま、宮廷詩人としていつも通り振る舞いました。

「クラウディア女王、ヘルムフリート殿下。御呼びの件は何でしょうか?」

「うむ。呼んだのは他でもない。アルディスよ、お前がこの城において一番詩人の才があると見込んで頼みたい事がある」

「そのようなお言葉もったいない。不肖このアルディス。どのようなご命令でもやり遂げてみましょう」


 ヘルムフリート様のお言葉に恭しく微笑みを返す自分を今の私は笑ってる場合じゃないでしょう!いいから、そこから逃げなさいすぐに逃げなさい。じゃなかったら、自分で自分を殴ってでもこの場で意識を保つのを止めなさいと、頼むからそれ以上話を聞かないでください!と言いたくて言いたくて……っ!


 …………はあ、取り乱してしまいました。でも、いいですよね。日記でくらい本音を書きましても。

 そう思いますと日記というのも案外いいものにみえてきました。

 誰にも言えない愚痴を延々書き込むには最適です。どうせ愚痴なんて、歌にはできませんし。何より書くと、こうすっきりしますね。気持ちも大分落ち着いてまいりました。


 ……と、またまた話がずれてしまいました。いけないいけない。

 ここから、また今朝の話に戻しましょう。 


 私の言葉に、ヘルムリート様は嬉しそうに何度もうなずいておりました。ご自慢の鬚をゆっくり撫でながら、にこにこと話の続きをなされます。

「うむ。そう言われるとこちらも言い出しやすい。実はな、我が国で至急勇者が必要になってな。お前にはその勇者に同行してほしいのだ」

「……ええと、勇者?申し訳ありません。同行というのは一体……?」

 予想外の頼み事に、思わず素で聞き返してしまいました。


 現在、私達が住む炎の国(正式名称はもっと長いですが日記なので割愛)は概ね平和です。

 昔は仲の悪かったオータリア教国とも今は友好関係にあります。凶悪な魔物が国民の命を脅かしているという話も聞きません。

 勇者とは人々がどうしようもない困難に陥った時に颯爽と現れ救ってしまう。勇気と正義の味方の象徴みたいな存在です。

 もし、本当にこの国に必要なのであれば何か逼迫した事件が起きた、もしくは起きつつあるということでしょうか?ならば、今この場にいるのが王に近い者達であったり、皆浮かない顔をしているのも納得だ。と、その時の私は推測しました。

 同時に不思議におもいました。そんな国の大事にいくら宮廷で務めているからといって、ただの詩人が勇者について行って何ができるのかと。


 不安そうに見つめる私に対してヘルムフリート様は非常に言い辛そうに、無言で髭を撫で続けます。

「ヘルムフリート様」

 隣にお座りになっていた、クラウディア様が名前を呼ぶとヘルムフリート様はようやう髭から手を放し非常に重い溜息をついてから、お話を始めました。


「実はな……先日あった三国友好会にてあったことなのだが……」

 そこで、一旦ヘルムフリート様が言葉を切りました。最後の一押しが足りないという感じで言いよどむと、目を泳がせます。

 が、泳がせた先にはクラウディア様の氷のような瞳が先を促すようにヘルムフリート様を睨んでいます。

「ヘルムフリート様。いい加減にしませんと、私が事細かに話しますわよ」

「わ、分かっています。クラウディア!ちゃんと私の口で言うから!」

 クラウディア様はにこりともせず淡々とヘルムフリート様に釘を指しました。元々あまり表情が変わりにくい方ではありますが、今日のクラウディア様はいつもの数倍表情が硬い気がします。これには、ヘルムフリート様も腫れた左頬を押さえながら、怯え気味です。さすがに女王と入婿のヘルムフリート様なら立場が上のクラウディア様の方が優勢のようでした。

 ヘルムフリート様はうおっほん!と、仕切り直す様に咳を一つ、深呼吸をしてそれから意を決したように一気にお話になりました。


「会談後の宴会の席でオータリアの司祭と飲み比べをして、おおいに酔った。そして、言い合いになった。売り言葉に買い言葉で、我が国で勇者がばーん!と登場して、どーん!とすごい事するから来年の友好会楽しみしておれ!と捨て台詞吐いてきたから、国の面子としてどうしても必要となった」


 しん……。と、玉座の間は静まり返っています。一息で言い切ったヘルムフリート様は居心地が悪そうに俯き「以上だ」、簡潔に締めると、それっきり黙ってしまいました。


 この時の私は多分ぽかんと口を開けて大変情けない顔をしていたと思います。しかし、誰も私の反応を咎める方がいなかったことから、大体ヘルムフリート様から話を聞けばどうなるか予想がついていたものと思います。


 ――冗談ですよね?


 この時の私の率直な気持ちはこの一言です。

 正直信じるにはあんまりすぎる理由でした。そりゃあ、ヘルムフリート様が話すのを躊躇うのも分かります。自分の失態をありのまま言うのは勇気がいるものです。それが、国に関わることなら尚更。

 そして、左頬が腫れてる理由も大体分かりました。察するに、あまりの話に女王様の怒髪天を衝いたのでしょう。さすがに理由が理由なので同情する気になれませんが。

 しかし、この時点では私にはあまり関係の無い話に聞こえました。今の話を聞いても私が勇者と同行する理由がさっぱり分かりません。


「勇者が必要な理由は分かりました。しかし、何故私は勇者に同行しなければならないのでしょうか?」

 私の問いに、今度はヘルムフリート様ではなくクラウディア様が答えます。

「この度、三国友好会という場での発言により勇者を我が国で生み出すことになりました。そして、来年同じ三国友好会にて勇者がどのような凄い事をしたか、他国に発表しなければいけません。今回ヘルムフリート様は他国の要人がいる所で失態を演じました。故に挽回するためには、勇者の存在と実際に何をしたか語り部が必要なのです」

 クラウディア様の瞳が私を見据えます。炎の国の女王という名に相応しい、静かに燃えるような紅の瞳。対して声は凛と冷えた清水のごとく私の耳に流れるように響き渡りました。

 それは私に拒否を許さぬと暗に告げる、女王の威厳に満ちていました。



「アルディス=ラ=メリスルーン、貴方に王命を下します。勇者と行動を共にすること。そして、来年の三国友好会で勇者が何を成したのか宴の席で歌いなさい」

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