第四章

第四章

「あーあ、良い場所が見つからんなあ。やっぱり、商売をするために場所を借りるとなると、難しいのかなあ。」

道路を歩きながら、須藤聰がそうつぶやいた。

「まあ、難しいよね。富士だもん、そう簡単にレンタルスペースは見つからないよ。沼津とか、静岡ならあるかもしれないけどさあ、、、。」

杉三がそういうほど、富士市では、部屋を貸すという商売は普及していないらしい。

「あーこれじゃあ、いつまでも会場が決まらないよ。頑張ってイベントやりたいんだけど、場所がなければなあ。」

「しかし、着物のイベントがそんなにおかしいかね。哲学サークルと、福祉サークルしか、受け入れてくれなくなっちゃうのかねえ。」

と、杉三がいうほど、公共の貸会議室は、サークルばかりに部屋を貸しているのだった。商売をするために部屋を貸すという公共施設はなかなかない。

「こうなったら、公共施設はあきらめたほうがいいな。ちょっとばかり会場費がかかるが、民間の喫茶店とかそういうところをあたろう。」

聰が頭をかじると、ふいに杉三が彼の着物の袖を引っ張った。

「杉ちゃん、どうしたの?」

「ねえブッチャーさ、あのビル、取り壊すんだな。」

杉三が前方を指さした。そこには解体屋が何人か集まっていた。彼らは、ちょうど今から解体作業を始めるところのようで、上司と思われる男性が何か指示を出すと、はいとでかい声を出して、パワーシャベルに乗ったり、つるはしを持ったりして、解体作業を開始した。

「あーあ、ああしてつるはしもって、建物壊すのってさ、結構いいストレス解消になりそうだな。こうしてぼやぼやした不満を抱えている身としては。」

「よせよブッチャー。壊すのに生きがいを持つなんて、人間らしくなくなるよ。」

聰が思わず声を上げると、杉三がそう静止した。でも、多かれ少なかれ人間は不満がたまると、壊したいという気持ちになってしまうようである。

「このビル、何が入っていたんかな。なんか、その中でやっていた人たちってさ、みんな立ち退きに賛成してくれたんだろうか?中にはさ、出ろって言われてさ、いやだなっていう人も、少なからずいたんじゃないかな。」

杉三がそういうが、それはあるかもしれないなと聰も思った。確かに雑居ビルというのは、いろんな種類のテナントが入っていることが多いが、中には出るのを拒むテナントもあったかもしれない。

「あれ?今思い出したんだけど。」

聰がふいに思い出したように言った。

「へ、どうしたの?」

「このビルってさあ、確か松田高校が入っていたような気がするんだけどなあ。」

「何!それは本当か!」

杉三が、驚いてそういうが、確かにその建物は、杉三にも見覚えがあったような気がする。

「そうか。かわいそうだな。あの建物、松田高校だったのか。つまり、学校が廃校になっただけではなく、校舎まで取り壊しか。卒業生たち、たまんないだろうな。」

まあ確かに、伝統校は、廃校になって校舎が残っていたり、記念碑が立てられたりして、何等かの形で残ることが可能だが、こういう学校は無理なんだなと考えざるを得ない聰だった。

「俺も学校は嫌いだったが、でも、学校が取り壊しになると聞いたら、なんか寂しい気もするよ。学校っている間は嫌だいやだと言って聞かないのに、卒業して何年もたつと懐かしい気持ちになってさ、それが解体されるとなると、なんでか悲しくなるよ。不思議な場所だよな。二度と訪れたくないなんて気持ちにはなりたくなくなるよ。変な場所だね。」

「へえ、ブッチャーもそう思うのか。それじゃあ、ブッチャーもまだ幸せなほうだよ。僕なんて、学校は百害あって一利なしだから、二度と行きたくないなんて思っちゃう。」

「まあ、杉ちゃんは、ちょっと特殊だからそう思うんだよ。健康さえあれば、誰でもさ、学校は懐かしいと一度や二度は思うと思うけどね。」

「へええ。そうですか。まあ僕は馬鹿だからそうは思わないわ。でも確かに、みんな学校へ行って、何かしら得るだろうなということは認める。あの水穂さんだって、音楽学校に行って、ゴドフスキーを弾けるようにしてもらったんだし。それに、学校で何も得られなかったら、大事なものも落とす。」

杉三がでかい声で選挙演説する人みたいにそういった。確かにその演説はある意味的をついていた。

「うん、確かにそうだ。学校というものはそれだけ人生の中で比重は大きい。だから、取り壊しになると、寂しくなる。」

「ある意味さあ、学校まで簡単につぶすようになって、それが頭に残らない環境になったら、日本はおしまいだぜ。」

学校を散々嫌っている杉ちゃんが、そんなこと言うのはちょっと変なのではと聰は突っ込みを入れたくなったが、でも、そういうことかもしれないと妙に納得してしまうのであった。

「腹減った。何か食べに行くか。」

次のセリフはこれであった。いきなり世俗的なことを語りだす杉三に、聰は驚いてしまう。杉ちゃん、なんでそんなに頭の切り替えが速いんだよ。

「よし、食べに行こう。お天道さまが正面に来るから昼飯の時間だ。このあたりに、レストランってあったっけ?」

まあ確かに、スマートフォンの時計を見れば、もうすぐお昼の12時になろうとしているので、時間の判断は間違いではない。しかし、切り替えが速い。

「ちょっと待ってな。えーと、確か、ここから少し歩いて、右に曲がって少しいくと、ウナギ屋があったような気がするんだが。学校つぶれて、客が減っただろうし、つぶれたかな?」

「そうかもね。じゃあ、とりあえず探してみるか。」

杉三はそういうことには単純な答えを出す。蘭であればそういうことについて気分が悪くなることが多いのだが、聰は気にしなかった。というよりしないようにしている。気にしたって、どうにもならないからである。

「よし、行ってみよう。」

二人はとりあえず道路を移動し始めた。聰は記憶を頼りに横断歩道をわたって、右折した。正直なところ、あるんだかどうだか不詳であって、なかったらどうしようかと心配していたが、ある小さな建物の前を通りかかると、ウナギ汁のにおいがした。

「ここか?」

と、杉三が聞く。看板には、確かに「ウナギの持田」と書いてあった。よかった、つぶれてなかったのか。と聰は一安心した。

「入ろう。」

杉三は何の迷いもなく店に入っていった。店の中はウナギのたれのにおいで充満していて、数人の中年サラリーマンが、ウナギを食べていた。

「はい、いらっしゃいませ。」

中年のおばさんとおじさんが二人を出迎えてくれた。杉三たちはレジの近くにあるテーブル席に座った。

「何にいたしましょう。」

おばさんに聞かれたが、ウナギ屋さんでは、別にメニューを読んでもらう必要はなかった。寿司屋なんかと違って、たくさんメニューがあるわけではないからである。

「あ、うな重を特上で頼む。」

杉三は即答した。杉三も杉三で、世の中を渡り歩くための作戦というものはあるのだろう。確かにうな重の特上といえば、どこのウナギ屋さんでもあるものであるから。

おばさんが聰にも目くばせしたので、

「あ、俺もうな重の特上をください。」

と、聰は返答した。

「はい、うな重の特上がお二つですね。しばらくお待ち下さい。」

おばさんは厨房に戻っていった。店は、中年サラリーマンがウナギを食べる音でシーンとしている。まだ昼飯時なので、酒を飲む人はいない。食べ終われば、すぐに帰ってしまい、数分後には、残っている客は杉三と聰だけになってしまった。

「はいどうぞ、特上です。」

おばさんが、二人の前にウナギの乗った重箱を置いた。ついでにお茶も入れてくれた。

「いただきまあす!」

高らかに挨拶して杉三はウナギにかぶりついた。

「うまい、うまい、うまいなあ!」

「杉ちゃんは、何を食べてもそういうんだな。」

二人がそういうことを話していると、懐かしそうにおばさんが、

「元気ねえ。学校がやってた頃は、うるさいくらいだったけど、もうなくなっちゃったから、また、寂しいうなぎ屋に戻っちゃったわ。」

と、つぶやいた。

「なるほど、そういうことか。確かに、松田高校から近かったわけですから、よく生徒さんが来たんだろうな。」

「ええ。生徒さんといっても、会社員さんと変わらないくらいの年齢の人もいたし、中には親子と間違えるほどの、年齢差のあるカップルが来店したりとか。」

「あ、なるほどね。確かにそういうこともあるかもね。ああいう高校では、年齢もバラバラだろうし。その中で親子くらいのカップルができることもあるだろ。」

と、ご飯粒を顔にくっつけて杉三が言った。

「そうなのよ。ほかにも若い人もたくさん来てくれて、すごいにぎやかになったんだけどね。もう、つぶれちゃったから、そういうこともなくなっちゃったわ。」

「その時は、うるさいなと思っていたが、パタッと消えたら、まるでがらんどうになってしまったようだ。」

おじさんが厨房の中でそうつぶやいた。

「そうですね。確かに一個の企業がつぶれると、必ずほかのなにかも一つか二つは影響が出ますよね。俺としては、松田高校につぶれてほしくなかったな、、、。」

聰が、残念そうに言った。

「あたしもそう思ってた。うつ病になって学校へ行けなくなっちゃった子が、松田高校だったら通えますって、嬉しそうに言ってたから。」

おばさんも残念そうにそういった。確かにこれは、とても重要なことであった。このような形で若い人が立ち直るケースは非常に多いのである。

「それとかやっと居場所が見つかったとか、引きこもりだった子が、やっと外に出るようになったとか、あの高校はいいことたくさんしていたのにねえ。まったくなんでつぶれてしまったんだろう。せめてつぶれないで、生徒さんは残ってくれればいいのに。」

なるほど、おじさんもそう思ってくれていたのか。それだけ、役割は大きかったということである。

「まあ確かに、進路が決まらないとかで、いつまでも進学も就職もできないで終わっちゃう子もいたようだけど、そういう子も、少しは得たものがあったと言っていたわよ。あそこへ行って。」

おばさんもそれに同調した。

「そうですよねえ。俺のころはまだそういう学校は、存在すら知らなかったですから、そういうのが早く出てくれたら、また人生変わっていたかもしれないなあ、、、。」

「あら、お客さんも通信制にいっていたんですか?」

聰がそういうと、おばさんがそう聞いてきた。

「いや、俺自身は、違うんですが俺の姉ちゃんはそっちへ行ってくれたらよかったと思います。そうすれば大好きだった生け花にもう少し打ち込めたのではないかと思うし、精神病院に入院することもなかったと思います。」

「なんだブッチャーの姉ちゃん、まだ帰ってこないのか?」

聰の回答に杉三が口をはさんだ。

「そうなんだよ。ちいっと良くなったと思ったら、また大暴れして入院したんだって。俺からしてみれば、病院に頼りすぎだよ。だからもう、病院に頼らないで、何とかしようと思わないから。余計に姉ちゃんも自分が邪魔だと思っちゃうんだろ。その繰り返しだよ。まあ、俺は手紙をもらうだけで、現場を見てはいないけどさあ。想像はできるなあ。」

「まあ、聞いただけでも大体わかるわ。もうこの際だからさ、ブッチャーがガツンと言ってやれば?」

「いやあ、俺はまだ無理だあ。若造だから。」

聰は頭を掻いた。

「そんなこと言わないで。お姉さんにとって、唯一の頼りになる人かもよ。実際、松田高校に通っていた生徒さんも、そういう存在がほしかったってさんざん言っていて、学校の先生が、代わりにそういうことを言わなきゃいけないって苦労していたわよ。」

おばさんが、優しくそういうが、聰は小さくなってしまった。

「そうなんだよね。どっかでカツを入れてくれる存在がほしいよね。昔は年寄がそれをやってくれたんだけどさ、今の年寄りは若い人の尻に敷かれるだけだし、かといって若い人が頼りになるのかというとそういうことでもない。つまり誰もいない。」

杉三がまた選挙演説をするように言った。みんな、本当にそうだなと一度ため息をつく。

「ブッチャーも臆病な親にカツを入れられるように頑張りな。」

「そうだなあ。杉ちゃん。俺からしてみれば、杉ちゃんにカツを入れてもらいたいよ。なんかそういう特別な事情がある人じゃないと、カツを入れることはできない時代になってしまうかもよ。」

「バーカ。こんな馬鹿にそんなことできるかい!そういう人は臆病なくせにプライドだけは高いし、僕はどう見たって体の能力は劣るんだから、カツを入れる前に追い出されるのは目に見えてらあ。」

「そうかあ。じゃあ、誰だったらカツを入れられるかなあ。」

「うーん、青柳教授みたいな偉い人か、水穂さんみたいな歴史的な事情を抱えている人、あるいは、貧困に悩む国家の人、鉄文化のない原住民とかそういう人じゃないとできないと思うよ。」

杉三は即答したが、どの人たちもカツを入れることなんてできないのではないかと聰は思った。結局、誰もできないのかという結論に至ってしまう。

「いやいや、必ず誰かがどこかで何とかしなければいけないさ。頃を見計らって、君が説得することができるといいね。」

おじさんがそういってくれたので、聰はがっかりとため息をついた。

「わかりました。俺も、何とか文句が言えるようにします。ただ、いまの貧乏呉服屋のままでは、説得なんてできないので、もうちょっと地盤を固めてからにします。」

「今の言葉、忘れるなよ。」

杉三がバシンと聰の肩をたたいた。

と、店の中に設置されている鳩時計が、一回なる。

「あ、もう一時ですか!長居をしすぎてしまってすみませんでした。おい、杉ちゃん、出ようぜ。」

「そうか、急いで勘定を払おう。」

聰は急いで席を立ち、うな重二つの料金を支払った。

「はい、ありがとうございます。お客さんたちはここに観光に来たの?着物でお出かけなんて、珍しいわね。」

おばさんがそう聞いた。い、いやあ、、、と聰は回答に困ってしまう。

「いや、違うだよ。ブッチャー、あ、この人がね、着物の展示即売会をやりたいっていうんだわ。その会場を探しに来たんだけどさあ。まったく見つからなくて困っているのよ。公共の建物なんて、偏見が強すぎちゃって、部屋貸してくれないしさあ。まったくケチだねえ。ためになる団体じゃないと、貸してくれないのよねえ。商売って、そんなに悪いことかなあ。」

杉三が笑いながらそういうと、

「あら、それならいいところがあるよ。教えてやったらどうだ?」

ふいに、厨房の中からおじさんがそういった。

「どこにあるって?」

「あ、ここなのよ。ちょっと田舎かもしれないけど、音楽イベントもやっているそうだから、ここだったら貸してくれるんじゃないかしらね。」

おばさんは、レジの引き出しから、一枚のパンフレットを取り出した。

「へえ、これ、何屋なんですか?」

「あ、ああ。読んで字のごとくレンタルスペースなんだけどね。いろんな用途で使ってるのよ。もちろん音楽イベントもできるし、絵の展示会をしたこともあるし、お酒の試飲会をしたこともあったようよ。だから、着物の展示会だってできるんじゃないかしら。」

パンフレットには、レンタルスペースくるりと書かれていた。レンタルスペースというのだから、部屋を貸すことによって、部屋代を得て商売としているのだろう。

「なんでも使っていいのですか?」

「うん、法律違反になるようなことじゃなければ何をしてもいいんだよ。最近では、障害のある人たちが、講座を行ったりとか、手作りの商品を販売したりすることもしていたらしい。」

「ありがとね、おじさん。そういうところなら理解してくれそうだね。じゃあ、僕たち今からそこへ行ってみるわ。悪いけどさ、僕、文字の読み書きできないからさ、簡単でいいから行き方を説明してくれないだろうか?」

杉三が、そう聞くと、

「あ、行き方はね、まず、ここから近くのバス停から、茶ノ木平までバスで乗せていってもらって、茶ノ木平で降りて。そこのバス停から、しずてつストアのほうへ向かって、すぐのところだから。いけばすぐにわかるわよ。」

と、おばさんは説明してくれた。

「じゃあ、行ってみようか。杉ちゃん、バスに乗るとちょっと大変だと思いますから、俺たち、タクシーで行くようにしています。」

聰が、スマートフォンを出して、タクシーを呼び出す電話を始めた。

「悪いねえ。親切に教えてもらっちゃって。なんか不思議な場所だね。何をやっても受け入れてくれるなんてさ。あ、もちろん、法律違反はしないけどさ。」

杉三がそういうと、おじさんが少し悲しそうな顔をして、

「まあちょっとかわいそうな人でもあるけどね。もともと東京からこっちへきた人のようで、長年村八分というかそういう感じだったらしいんだけどね。その対策として、スペースを始めたらしいよ。」

といった。

「あ、なるほどね。そういうことね。まあ、事情があるんだろうが、日本では移民という習慣はないからね。そこがアメリカとは違うのよね。慣れてないってことだろう。それでもさ、いやだいやだと主張するだけではなく、ちゃんと対策とれることが偉いと思うよ。じゃあブッチャーにお願いして、行ってみるよ。ウナギ、おいしかった。また来させてもらうわ。」

「はいはい、また来て頂戴ね。いつでも待っているよ。」

必ず、店主さんにお礼を欠かさないのも杉三ならではだ。単に金を払うだけでは終わらせないところが、特徴的である。

「杉ちゃん、すぐ来てくれるって。店の外で待っていようか。本当に今日はありがとうございました。」

聰も、おじさんに挨拶し、二人は静かに入り口から店を出て行った。

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