第二章

第二章

数日後。

「困りますね。華岡さん。」

懍は、隣を歩いている華岡に言った。接見室を出て、刑事課へ移動するために廊下を歩いていたところだった。

「まあねえ、ああいう高校だから事件も頻繁にあるのかもしれないですけどね、、、。」

頭をかじりながら華岡がそういうと、

「華岡さん、そういう偏見を持ってはなりません。ああいう高校といういい方は絶対にいけませんよ。それでは伝統的な進学校だけが安全という、誤った神話が余計に助長されてしまいます。」

と、厳しく叱責された。

「でも教授、教授だって困りますねって言ったじゃありませんか。」

「いいえ、僕のいう困りますねは、高校に向けていったのではありません。そこは、はっきりさせておかなければなりませんね。いいですか、いくら底辺の学校と言われているような高校であっても、捜査の手を抜くようなことはしてはいけませんよ。たとえ、教育委員会からそうしろとお咎めがあったとしても、それに従うようでは日本の警察は何だと言って、馬鹿にされるだけですからね。」

「じゃあ、誰に向けて困りますねといったんですか。」

「犯人の女性についてです。彼女が、進学校に通っていようが通信制の高校に通っていようが、事件を起こすときは起こすと思いますから、通っている高校に困りましたと言ってはなりません。」

「あ、はい、そうですか、、、。」

やっぱり、懍には頭の上がらない華岡だった。

二人は、接見した結果を報告するため刑事課に入った。やる気のなさそうに、若い刑事たちは、食事をしたり煙草を吸ったりしている。

「おーい、捜査会議、始めるぞ!」

華岡が指示を出すと、ふてぶてしく指定位置に座る刑事たち。

「いいですか、皆さん!」

懍は若い刑事たちに一喝した。

「いくら、底辺の高校と言われるような評判の悪い学校で起きた事件であったとしても、捜査を怠けるようなことはしてはなりません!すでに被害者も加害者も出ているのですから、真実を追求する姿勢を崩してはなりませんよ!」

若い刑事たちは、懍に諭されて、渋々ペンを握る。

「えーと、それではですね。もう一度整理をしましょう。被害者は、松田高校に通っている男子生徒で、自宅内で睡眠剤中毒によりなくなっております。加害者は複数いるというのですが、、、。」

とりあえず、華岡が演説を始めるが、もうそんな余分なことはいいから、とにかく本題に入ってほしいものだ。まあそれでも、日本の警察はそうしなければならないので、直接手を出すことはできないのである。

松田高校ね。確かに、製鉄所から少し離れたところにある通信制の高校だった。刑事たちの話を聞くと、まだまだ認識はされていないらしい。どうしても、頭の悪い人たち、勉強ができない人たちの行くところという偏見が本当に強い。そして、何よりも刑事たちは、そのような高校に通っている生徒が起こした事件には、なるべくならかかわりたくないという気持ちを持っているようなのだ。まあ確かに、全日型に比べると、家庭環境が複雑であるとか、そういう生徒が多いのもまた事実なので、事件の解明はより難しくなることは言える。でも、それを面倒だとか、いやだとかそういう考えにもっていってほしくない。

そういえば、製鉄所からも松田高校に送り出した利用者がいた。名前を松本麗子といった。たぶん、通信制というと、全日型より長く在籍することになるから、まだ彼女は卒業していないはずだ。せっかく新しい高校を見つけられたのに、こんな事件が起きてしまって、また居場所をなくしてしまうかもしれない。もちろん事件の被害者が哀れなのは言うまでもないが、直接的な被害者だけが、被害を受けるというわけでもないのだった。

とにかく、またマスコミが大量に押し寄せてくるだろうな。そして、このような高校の抱える問題点が浮き彫りになり、さらに偏見を助長してしまうことだろう。そうすれば、また進学校が安全なんて親や教師が騒ぎ出す。そうなったら余計に、問題のある高校生は、行き場をなくす。やれやれ、日本は悪いところばっかりほじりだすのが好きで、良いことを少しも報道しないから、そういうことになるのだ、と懍はため息をついた。

「青柳先生、逮捕した加害女子生徒は、どうなると思われますか?」

華岡にそう聞かれたので、

「とりあえず、加害女子生徒に対しては、弁護士がついて、まだ未成年者ですから保護観察処分程度で終わると思います。おそらく実名報道もされないでしょう。仮に、刑務所へ行くことになったとしても、執行猶予というのはつく可能性はありますね。日本ではどうしても少年法というものもありますし、加害者が女性であるということで同情票がつく可能性もあります。」

と、答えを出した。

「そうですか。それじゃあ、結局ダメですな。僕たちが一生懸命捜査をしても、何もありませんね。」

若い刑事は、面倒くさそうに言う。

「しかし、遺族が被害届を出している以上、捜査をしなければならないのが警察です。」

「先生、加害女子と接見していかがでしたでしょうか?」

別の刑事がそう聞いてきた。

「ええ、おそらくですけれども、発達障害のようなものは見当たらないと思いますね。責任能力の欠如ということはあまりないのではないかなとは思いました。まあ、僕は精神科医ではありませんので、はっきりと断定することはできませんが。でもですね、相当なコンプレックスというか、経済的な落差を感じていたことは間違いありません。裕福だった被害者の男子生徒を、自殺まで追い詰めたのはそういうことからだと思われます。」

「そうですか。それがやっぱりありましたか。だからダメなんですよね。ああいう高校は。多様化というけれど、それをかなり過敏に感じ取ってしまいますからね。もう、習熟度別にクラスを分けるのではなく、経済別にクラスを分けたほうがいいんじゃありませんか。」

一人のノンキャリア老刑事がそう発言した。これに対しては、アパルトヘイトではないんだからとか、いろいろ賛否両論発言が飛び出したが、ある意味ではこれは正しいのではないかと懍も思わざるを得なかった。それくらい、経済格差というものは大きいし、通信制の高校に通っている生徒は、いろんな面で過敏なことが多いので、たいしたことのないことであっても、事件に至ることはよくある。校長先生、これでは生徒をまとめるのに一苦労するだろうな。

そのまま、平行線のまま捜査会議は続いた。懍はとりあえず、接見した加害女子生徒の第一印象などを話した。そして引続き、松田高校と、被害者である男子生徒の家への聞き込みをすると結論付けて、会議は終わった。

会議終了後、華岡の運転する覆面パトカーに乗せられて、製鉄所に送ってもらったが、もしかしたら松田高校はつぶれてしまうのではないかという不安が頭をよぎった。これまでの利用者が居場所として使っていたことも多い高校であったので、つぶれてほしくなかった。

「おかえりなさい、先生。どうでしたか?松田高校で事件があったんですよね?」

噂話大好きな中年おばさんである、恵子さんがそういうところを見ると、すでに事件は知れ渡っているらしい。

「もう知っているのですか?」

ちょっとため息をつく。

「知っているって、さっきタブレットを見ただけなんですけどね。もう、ニュースアプリにも載ってますよ。」

なるほど、テレビなんて要らなくても、そういうものがあれば、すぐにわかってしまうのか。もう、テレビも新聞もなくてもいいんじゃないかと思ってしまう懍だった。

「まったく、情報の伝わるのが早すぎて困りますね。ある程度結果が出てから報道すればいいのに。言論の自由が保障されているとは言え、もうちょっと、騒ぎ立てるのを自粛してもらいたい。」

思わずため息をついた。

「そうですね。まあ、マスコミは止められませんね。先生、お茶飲みますか。」

恵子さんが、そういったので、お言葉に甘えてと言って、懍は食堂に行った。到着すると、ちょうど水穂が、湯呑をもってやってきた。

「あ、ごめんね。取りに行くの忘れちゃった。」

恵子さんが、急いでそういったが、

「いえ、かまいません。このくらいできますので。もう寝てばっかりも退屈なだけですから、たまには歩かないと。」

と、水穂は恵子さんにそう返して、湯呑を渡した。

「あ、すみません。あたしが単に忘れていただけです。」

申し訳なさそうに恵子さんは言うが、

「いいんじゃないですか。彼もそういう気持ちがわいてきたということは、それだけ容体がいいということになりますから。」

懍は、わらって許してやった。

「じゃあ、ちょうどいいわ。先生、三人でお茶でも飲みましょうか。」

と、恵子さんがそういったため、三人とも椅子に座った。恵子さんが、自分の名誉挽回のため、そういうことを言ったのだろう。

「それにしても大変ですね。資料の執筆も大変なのに、こうして警察の捜査まで手伝わされるとは。」

水穂が言う通り、一日中資料の執筆作業に缶詰状態であることもよく見られるが、懍は仕方ないと苦笑いした。

「まあ、最近の学校はいじめの調査に対して、非常に詳細にやらないといけないと思いますよ。そうしないと、世論が許さないでしょうから。それについて、協力を求められることもあるでしょうからね。仕方ありません。それに、意外にこういうことが、論文でも書くきっかけになりますから、さほど悪いことでもありませんよ。」

「へええ、先生は強いですねえ。なんでもそうやってプラスにしちゃうんですから。あたしも、見習わなきゃなあ。」

懍がそういうと、恵子さんも感心してそう発言する。

「強いというか、そういう風に考えないと、人間は生きていかれませんよ。誰でもそうですけど、あることに対して、どう思うかは人間が勝手にすることであって、それ自体はただあるだけで何も言いません。それに善悪つけるから、ややこしいことになるのです。そんなことは一切やめて、どうしたら解決するのかに重点を置いていけばいいだけです。しかし、誰もそれを教えないから、問題がややこしくなる。国家紛争だって、これを忘れていなければ、起こらなかったものも数多いと思いますよ。」

「教授、僕みたいな人間もそうすれば解決するのでしょうか、、、。」

水穂がぽつんとつぶやくと、

「それこそ、典型例ではないでしょうか。おそらく彼の先祖だって、客観的にみると悪人ではなかったはずです。それを穢いとかくさいと決めつけたのは、本人ではありません。同和問題だけではありませんよ。野田事件でもそうですし、最近では赤堀政夫さんなどの例もあります。どちらも、個人の感情から生じた冤罪であり、もう少しきちんと捜査などをしていれば、より早く解決できたのではないですか。」

懍ははきはきと答えた。でも、そういうことを言ってくれるのは、理解してくれる人に限られるだろうなということもはっきりしていた。

「しかし、今回の事件は、どういう概要なのか、アプリだけではしっかりつかめないわ。」

恵子さんはお茶を飲んでそう聞いた。だからこそ、しっかり調査をしてから報道してもらいたいのに。マスコミは、ちょっとしたことを大げさに書いて報道するから困る。

「かいつまんでいうとこういうことです。松田高校に通っている男子生徒が、自宅内で自殺しました。警察の話によりますと、遺書はなかったそうですが、状況から自殺と断定されています。警察が調査したところ、彼は松田高校でかなりつらいいじめを受けていたようですね。まあ確かに、裕福な家庭で育ったようですので、ちょっと抜けたところがあったのかもしれませんね。そこがいじめの発端になったのでしょうね。なんでもいじめたのは、同級生の女子だったそうですから。その子へ接見するために今回僕が、華岡さんに呼び出されていったわけですけれども。」

「まあ、かわいそうねえ。しかも、女の子がそうやって、そんな風に追い詰めちゃう時代になるとは、、、。」

懍が説明すると、恵子さんが一般的な意見としてそういった。

「そうなんですけどね。彼女にしてみたら、いじめずにはいられないという感じでしたよ。僕が接見した時も、彼女は反省というものはまるでしておらず、むしろ害虫退治を果たした英雄とするようにと言って聞きませんでした。これはいくら反省しろと言っても、伝わることはないと思いましたよ。華岡さんは、何とかしてもらいたいようでしたけど。」

「そうですね。僕もそう思います。学校ってある意味監獄というか、収容所に近いシステムがあって、一度与えた印象を変えるというのは、相当難しいのではないでしょうか。変えるとしたら、学校を解体するしかないでしょう。」

懍と水穂がそう発言する。それに対して、恵子さんはちょっと不服そうだった。

「だけど、人が一人なくなっているんだから、しっかり反省させて更生させるべきでは?」

「更生なんて、どうなんでしょうかね。無理なんじゃないですか。きっと彼女は、自殺した生徒を害虫として本気で思っていたんでしょうし。それを一人の人間として認めろというのは、本当に難しいと思いますね。」

「あら、水穂ちゃんまでそんなこと言わないでよ。だって、まだ若い女の子でしょ。まあ確かに、やったことはひどいかもしれないけど、まだまだ若いんだから、反省してどっかで立ち直ってほしいなあ。」

「いえ、恵子さん。これは僕も無理だと思います。もし、恵子さんが言ったことが実現するのであれば、同和問題も解決できたでしょう。と、言いますのは、彼女の動機を知れば明らかですよ。なぜなら、彼女がいじめを始めたきっかけは、彼女よりも成績の悪いことで知られていた被害者が、彼女が手に入れられない教材を持っていたからだそうです。」

これを聞いて、恵子さんも水穂も黙ってしまった。確かに、そういう嫉妬というのはなかなか解決させるのは難しい。

「接見の後で行われた捜査会議で、ある刑事さんが、習熟度ではなく、経済別にクラス分けをしたらどうかと冗談と言っていましたが、ある意味必要なのかもしれませんね。特に、この社会ではそういう隔離政策も必要なのかなと思ってしまいました。彼女と接見すると。」

懍は苦笑いを浮かべたが、水穂も恵子さんも笑えなかった。基本的に懍であれば言えるセリフなのであるが、あとの二人はとてもそんなことは言えない。

「まあ確かにそうですけど、誰でもいて社会というのではないですか?それよりも隔離しろというのですか、先生は。」

「いえ、そうしたほうが幸せに暮らせるのではないかと思われる民族も、少なからずいます。」

そうかもしれない。水穂もそう思ったことがあるし、そういうことを述べている作家も少なくない。

恵子さんはまだ憤慨しているようだったが、市民の安全というか、平穏な生活を守るためには、こういうことも必要なんじゃないかなと水穂も思ってしまうのだった。

その数日後のことである。

いつも楽しみにしている岳南朝日新聞を今日もあわてんぼうの配達員から受け取って、さ読むぞと広げた蘭は、そのトップ記事を見て、目玉が飛び出すほど驚いた。そこには、

「通信制高校、廃校へ」と書かれていたからである。

しかもその記事には、松田高校という学校名もしっかり載せられているし、松田高校で陰湿ないじめがあったことや、学校長が事件が発覚することを恐れて、被害者の生徒個票を焼却処分したということも書かれていた。もちろん、このようなことはやってはならないことであることは蘭も知っていた。それに、学校で躓いた生徒であれば、貴重な居場所になるはずの通信制高校で、こういう事件があったのも悲しいことだし、さらに学校側がこのようなことをして、事件を隠してしまおうとするのも悲しいことであった。なんだか裏切られたような気分になってしまった。それは、もしかしたら、ベートーベンが、ナポレオン一世に対して、「彼もまた凡人に過ぎなかったか!」と叫んだことにも似ているかもしれない。蘭も、この高校には期待している箇所があり、これからもうちょっと活躍してほしいと願っていたからである。本当にがっかりだ。まさしく、この学校も、ただの高校だったんじゃないか!

まあ、それを思ったとしても、自分の力ではどうにもならないというものだ。こうして報道によって、真実を知ることはできても、それに対してどう動くかは、一般的な人には決められないのであるから。だから、知ることはできてもどうにもならないなら、初めから報道なんかするな!と杉三がテレビに向かって激怒したこともよくわかる。

その直後、インターフォンが五回なって、いつも通りに杉三が買い物に行こうとやってきたが、いつも相手にしている杉三の話にもうわの空で、蘭は生返事しかできなかった。杉ちゃんは、この事実を知っているのかな。いや、知らないな。てか、杉ちゃんには、知らせないほうがいいのかな。なんて考えながら、いつも通り杉三の支払いを手伝う。幸いその日は杉三にばれてしまうことはなかったらしい。杉ちゃんがそういうことを知ったら、必ず行動を起こして、何か迷惑をかける。それは、ぜったい偉い人に届くわけがない。逆に、捜査妨害とかそういうことになってしまう。だから、報道を見せられない。あーあ、報道なんてしなくていいじゃないか。どうせ、知らされたって何もならないだろ。例えば、災害があってそれを知らせるのなら、まだいいけどさ。こういうことはやたら、、、。

そんなことを考えながら、蘭の一日は終わった。

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