エンジェルシンドローム 後編


3/


 世界は醜く、汚れている。退屈で、欺瞞に満ちている、くだらない世界。あまりのおぞましさに、吐き気がするぐらい。この世界で行きていくには、私はあまりに弱い。

 群れることが苦手な私は、いつも1人。彼らが羨ましかった。私には他人と共通できる趣味などなかったからだ。


 音楽、映画、ドラマ、テレビ、読書、旅行、それらになんの興味もない。私は生まれる世界を間違ったのだと思った。

 だって、何も面白くない。だけど、私は自殺することはなかった。いつか、私を楽しませてくれる何かに出会うのではないかと、どこかで期待していたからだ。

 

 結果的にそれは、お酒であり、タバコであり、ドラッグだった。


 とにかくそれらを摂取すると頭がハイになって、人間らしい感覚というものを取り戻せた気がするのだ。

 家が裕福でよかった。親は放任主義で、私が何をしているかなんて興味がない。私より優秀で、快活な姉にご執心のようで、私のことなんてほったらかしだ。

 だけど、そのおかげで私は好き放題できた。警察に逮捕されるのではないかと怯えたときもあったけど、今はもうそんなこと

どうでも良かった。

 

 危機感というものはとっくに麻痺して、とにかく私はこの世界にある数少ない楽しめるものを探して、毎日生きている。それでよかった。

 そんなふうに自堕落に、自暴自棄に生きているなかで、今日のお昼、面白いことが起こった。そう、私は幻覚を見たのだ。とてもリアルな幻覚を。


『仁美、お昼ご飯食べに行こうよ』


『ごめん、私今日ちょっと昼休みに用事あるんだ。ごめんね』

『え? 用事って、ちょっとまってよ仁美』


 私の横を誰かが通り過ぎていくのと同時に、私も席を立った。そうすると、幽霊みたいに透明な少女が私の後を追いかけてくるのが見えた。  

 時折後ろを振り返ると、なぜか私に見つからないように隠れようとするから、確かに私を追いかけてくるのがわかった。


 ちょっと可愛い。


 私が誰もこない炎天下の屋上で、ドラッグを堪能している姿を彼女はちらちらと覗きながら、カフェオレを飲んでいるようだ。当然、扉を開ける音なんて聞こえなかったのに、少し私が後ろを振り返ると、確かに彼女はそこにいた。


 彼女には私が瞑想でもしているように見えたのかもしれない。

 しばらくして、私が行きつけのドラッグ料理を食べにいこうとその場を立つと、彼女は私に話しかけてきた。一緒にご飯を食べないか、などと、その透けた身体に気づいていないように、まるで自分が人間であるかのように振る舞っていた。

 

 煩わしい幻覚だと思って最初は突っぱねたけど、幻覚と一緒に、ドラッグ入りご飯を食べるのも面白いと思って付き合うことにした。

 私はとっくにおかしくなってしまっているんだろうな。屋上に行くまではドラッグなんて抜けていたのに、幻覚を見るなんて。


 ドラッグカフェでは店員におかしな顔をされた。それもそうだ。私には2人いるように見えるかもしれないけど、ウェイトレスには1人しか見えないだから。まぁ、2つ注文できてよかった。ここで、彼女に違和感を覚えてもらっては、せっかく自分の幻覚と一緒にドラッグをキメるという貴重な体験ができなくなってしまう。


 麻薬入りのサンドイッチを食べると、数分で高揚感と幸福感に包まれる。屋上で摂取したドラッグは「きつけ」みたいなものだ。

 まるで天にも昇るような気分になれる。鈍重だった頭がすっきりとして、鉛のように重たい身体が軽くなって、翼が生えたみたい。そう思っていると、目の前の幻覚も、まるで私のことが天使みたいだと言い出した。悪い気はしないけど、結局私が思っていることを喋っているだけかと思うと、少しだけがっかりだ。


 まぁ、そんなことはどうでもいい。どうでもよくなるくらい気持ちが良かった。


 しばらく幸福感に酔いしれて、店を出る。一応2人ぶんのサンドイッチは食べたが、幻覚が頼んだ方のランチはだいぶ残してしまった。

 店を出ると、いっちょまえに彼女が警察だとかそういう心配を始めるのでおかしくなってしまった。

 もうそいう感情は無くなってしまったかと思っていたけど、まだ頭の片隅そういうった心配事が残っていたのかもしれない。


 もしかすると、彼女は私の心に残った最後の良心で、本当の天使というのは、ドラッグ漬けになっった私のような人間じゃなくて、彼女の方なのかもしれないと、そう思った――。




4/

 

 それから幻覚少女とはたまに屋上で出会った。白昼夢みたいなもので、家の中にまで現れることはなかった。

 彼女とは他愛のないことで盛り上がった。ただ、ドラッグ料理を食べることは無くなったし、彼女と話すうちに。ドラッグの使用量も減っていった。おかしな話だが、彼女にそういう不健康なことはするように止められたからだ。

 彼女が私に残った最後の良心だと言うなら、ドラッグ、タバコ、酒を嗜むことを止めるのは当然のことなのかもしれない。


 私は彼女が幻覚であることを忘れそうになっていた。それだけ彼女はリアリティのある人間みたいだったからだ。だけど、教室にもどると彼女が私の幻覚であることを思い出す。

 彼女が座ったあと、別の誰かがその席に座って、彼女は消える。半透明な彼女は、そうやって意識を落としているのか。それとも私が現実に引き戻されているだけなのか。


「天子さんは、将来はどうするの?」

 最近はこの手の話が多い。私にも将来を不安に思う心が芽生えてきたからだ。このままではいけないと、彼女のせいで思うようになってしまった。

 幻覚に対して引け目を感じたり、いいカッコをしようとするなんて、どこかズレているけど。それでも私は彼女に、いや自分自身を認めたかったんだろうな。

 つまり、私はこの世界に生きていいという自信が欲しかったのかもしれない。

「さぁ。でも大学を受験して、普通に就職するつもりではいます」

「へぇ。意外だな。そういうの、全然考えてないのかと思ったよ」

 自分の幻覚に将来の心配などされている時点で、全くもって大丈夫じゃないことは明白だ。

 ただ、ここ最近はドラッグも、タバコも、酒もやっていなかった。禁断症状に苦しんでいる時は、彼女の声が聞こえている気がして、なんとかもう一度手を出すまでには至らなかった。

 まぁ、もともとそこまで強いクスリでもなかったのかもしれない。一応は「合法」ということになっているし、日本では駄目だけど、海外では違法性はない薬物らしいから。


 とにかく少しずつ健康的になっていく中で、不意に彼女は現れなくなった。

 まぁ、それも当然だ。ドラッグが身体から抜けきれば「幻覚」など見なくなるに決まっているからだ。


 心にぽっかりと穴が空いたようだった。私にとってまともに会話ができる存在というのは、彼女だけだったし、私はあらゆる場所で、また孤独を感じるようになっていた。


 この世界は醜く、腐っていて退屈だったはずなのに。いつの間にか、私には彼女と過ごす時間が大切になっていたらしい。私にとって、本当に楽しいことは幻覚とおしゃべりすることだったなんて、本当に生まれる世界を間違ったみたいだ。


 私は彼女を探した。学校で、家で、街なかで。どこかにまた、あの透明な少女が私の目の前に現れてくれることを祈ったが、彼女は結局どこにもいない。

 もう一度ドラッグに頼ろうと思ったけど、そんなことをしても、彼女が私の目の前に現れてくれるだろうか。

 

 



 彼女のいない世界に意味なんてない。そう思いながら鬱々とした気持ちで街なかを歩いていると、私は彼女に出会った。


 快晴。外に出るだけでじわりと汗ばんでしまうような日のことだった。


 雑踏の中で、彼女だけが世界から切り取られたかのように浮いていた。真っ白で、まっさらで、綺麗だった。彼女は薄く私に微笑むと、私を誘うように歩きだした。


 暑さで頭がおかしくなってしまったおかげかもしれない。私はその透明な少女を追いかけた。もう二度と、見失わないように。


  

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エンジェルシンドローム ごんべい @gonnbei

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