エンジェルシンドローム

ごんべい

エンジェルシンドローム 前編


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 快晴。外に出るだけでじわりと汗ばんでしまうような日のこと。私は彼女に出会った。


 雑踏の中で、彼女だけが世界から切り取られたかのように浮いていた。真っ白で、まっさらで、綺麗だった。彼女は薄く私に微笑むと、私を誘うように歩きだした。

 

 暑さで頭がおかしくなってしまったおかげかもしれない。私はその透明な少女を追いかけた。もう二度と、見失わないように。


1/


 御崎 天子は不思議な娘だった。無口で、付き合いが悪くて、クラスの中でも浮いた存在。誰も彼女に触れようとしなかった

 そして彼女の方も、積極的に世界と関わろうとはしてないように見えた。


 だけど、視界の端にときどき御崎さんが映ると、気になった。彼女は昼ごはんはどうしてるのだろうとか、放課後何をしているのだろうとか、夏なのに冬服で暑くないのだろうかとか、そういうことが。


「仁美、お昼ご飯食べに行こうよ」


「ごめん、私今日ちょっと昼休みに用事あるんだ。ごめんね」

「え? 用事って、ちょっとまってよ仁美」


 私は、御崎さんを見失わないように足早に追いかけた。廊下には、昼休憩で学食に向かったり、思い思いの場所で昼食をとろうとする生徒で溢れている。

 その中で、冬服の御崎さんは目立つせいか見つけやすかった。ちょうど階段を登るところが見えて、良かったと、思いつつ彼女の背中をおいかける。

 追いかけて、何をするのかなんてあまり考えてなかったけど、手には昼ごはんを入れたコンビニの袋を持っていたので、昼ごはんでも一緒に食べることにしようか。


 彼女はほとんど迷いなく階段を登っていったけど、時折何かを気にすように振り返っていた。見つかったほうが良かったんだけど、私はなぜか御崎さんが振り返ろうとするたびに、人混みとか、物陰に隠れてしまった。別に、後ろめたいことはないんだけど。

 やがて屋上を目指しているのがわかった。彼女が扉を開けるのを下の方で確認して、数分経ってから私も屋上に入る。 


 そこには当然のように御崎 天子がいた。

 

 屋上の真ん中で、何かに祈るようにひざまずいている。想像した光景とは違ったけど、その姿はどこか神秘的で儚い。現実的なものとは思えなくて、美術館に飾られている絵画のように静かで、幻想的だ。

 とにかく私は声をかけることもできないまま、屋上に上がって、彼女の姿を眺めていた。


 うなじから、じっとりと汗が背中に流れて、体の水分が蒸発するんじゃないかと錯覚するほど暑いのに、御崎さんは涼しい顔で手を組んで、祈りを捧げている――ように見える。

 私は彼女が何をしているのかはわからない。瞑想か、あるいは精神統一か、はたまた別次元の生命体と交信でもしているのか。ただ、その姿が美しいということは確かだ。

 とにかく、彼女がその姿勢を崩すまで、私は黙っているしかない。声をかけて御崎さんの邪魔をするというもの気が引ける。



 30分ぐらいして、ようやく御崎さんは立ち上がった。正直に言ってしまえば待ちくたびれた。コンビニの袋にいれてきた昼ごはんのパンと一緒に飲むはずだったカフェオレは、とっくに飲み尽くしてしまった。

 少し、頭がぼーっとする。

「御崎さん、こんにちは」

「……こんにちは」

 か細い声。だけど、敵意とさえ感じられる刺々しい声には弱さは感じられない。私より少し身長が低いせいか、人間のことを警戒している小動物みたいだった。

「よかったら一緒に昼ごはん、食べない?」

「結構です。それでは」

 いや、一瞬なにを言われたのか理解できなかった。一緒にご飯を食べようって言ったけど、断られた。のかな。初対面の人間とご飯を食べようなんて、慣れなれしいかもしれないけど、同じクラスだし、そこまで変なことではないと思うけど。

「ちょ、ちょっと待って。今日だけ! 今日だけ! ね。御崎さん。お願い!」

 ここまで待ったのに、これだけで会話が終わってしまうなんて残念すぎる。いや、勝手に追いかけて、勝手に待ったのは私なのだから、この感情は御崎さんにとって理不尽なものだけど。

「しつこい人……。では勝手にしてください」

 そういうと、御崎さんは屋上からさっさと出ていった。

「あ、ちょ、待って、待ってよ!」

 私の方を振り向ことすらせず、御崎さんはどんどん歩を進めていく。屋上から階段を降り続けて、そのま玄関へ、そして靴を履いて正門から外へ出てしまった。昼休憩はあと30分ほどだから、近くのコンビニでなにか買うのかと思ったら、そういうわけでもなく、ただただ、道を歩いている。


「あの、御崎さん。お昼休み終わっちゃうよ」

「ええ。そうですね、5限はサボります」

「サボるって、簡単に言うね……」

「早く帰ってはどうですか。あなたまで付き合う必要はありません」

「いいや、ここまで来たら絶対御崎さんとご飯食べるよ。どこまででも着いていくから」

「はぁ、そうですか。ではご勝手に」

 そういうと、御崎さんは、大通りの外れにある小さな喫茶店に入っていった。昼間だというのに、客の入りは疎らで、あんまり繁盛していなさそう。だけど、ドアを開けた瞬間のクーラーの風が心地良よかった。

 学校から歩いて10分ぐらい。そこまで遠くはないけど、かといって昼休憩にわざわざ行くほどの距離でもない。そんな曖昧な場所にある店だ。


「あの、本当にいいんですか」

 奥まった場所にある2人がけの席の向かい側に腰を下ろすと、御崎さんが念を押すように聞いてきた。

「いいよ、もう。1回ぐらいサボったって変わらないよ」

「そうですか。では、同じものを注文しましょうか。初めてだと分からないでしょうし」

 御崎さんは常連なのか、すぐにウェイターさんを呼びつける。意外と親切だな……。

「では、ファンタジーランチで」

「セットはいかがなさいますか?」

 ファンタジーランチ……!?

「Aセットで」

「ファンタジーランチAセット、お一つでよろしいですか?」

 Aセット……!? Aセットってなんだ? じゃあBセットとかある? ファンタジーランチのAセット? なんだ、それは。

「いえ、2つ」

「ファンタジーランチAセット、2つですね。ご注文は以上でよろしいですか?」

「大丈夫です」

 御崎さんの澄ました顔から放たれるファンタジーランチという言葉は、私の脳内で今もぐるぐる回っている。なんだ、その名前……。店の外観は普通な感じだったのに。このお店の名前も、「ファンタジー」ではなかった気がする。

「御崎さんってメルヘンな趣味あるの……?」

「なぜですか」

「いや、ファンタジーランチって、そんな名前のセットメニュー、初めて聞いたから。普通はもっと料理を想像しやすい名前じゃない?」

「はぁ……。そうですか。ファンタジーランチは、ファンタジーランチですが」

「だからファンタジーランチってなに。どんな料理がくるの……」

「それはもちろん、ファンタジーですよ」

「いや、それじゃ分からないよ……」

 だめだ。会話になってない。根底から価値観の違いを感じる。っていうか、それはもちろんファンタジーって……。私これから「ファンタジー」を食べるの? お腹膨れるのかな。ゲテモノとかでてこなきゃいいけど。ランチセットなんて、サンドイッチに、適当なサラダとか、そういうものだと思う。間違ってもファンタジーではない……。


 注文してから数分、ウェイトレスがお盆を持ってきた。

「それではファンタジーランチAセット2つになります」

 目の前におかれたのはごく普通のランチセットに見えた。サンドイッチにサラダ、スープとお水。これのどこがファンタジーなんだろうな。分からない。

「へー、案外普通だね。じゃ、いただきます」

「いただきます」

 サンドイッチを一口。味は普通だ。ハムとタマゴとレタスに、マヨネーズとマスタードかな。うん、まぁおいしい。

「ふーん、おいしいね」

「ええ。ここのシェフは料理が上手なんです。薬っぽさがなくて食べやすいでしょう」

「薬っぽさ……?」

「ええ、薬っぽさです」

「薬っぽさって……?」

「ですからクスリですよ。Aセットはエンジェルです。キマると幻覚が見れます」


「え、なにそれ。つまりこの料理、麻薬が使われてるってこと……?」

「ええ。そうですよ。だから、本当にいいんですかと聞いたんじゃないですか」

 いや、理解が追いつかない。すでにサンドイッチ一切れは食べきってるし、吐こうと思っても吐けない。メニューを見れば、わかったかもしれない。軽率に同じものを頼めばいいやと思ったことを後悔する。

「麻薬って、犯罪じゃ……」

「そうかもしれないですね。まぁ、ここのは一応合法らしいです」

 そういう間にも御崎さんはサンドイッチをペロリと平らげて、サラダを食べている。あれも、麻薬……?

「うん、やはりクスリの味が全くしなくておいしいです。食べれないなら、あなたのぶんもいただきますね」

「勝手に、して……」

 頭がぼーっとする。体の芯がぐらぐらして、ふわふわする。なにもかんがえられない。なにも、なにも……。

 わたしは、だれで、なにをしていたんだっけ。わたしは、なにを……。

 

2/


「大丈夫ですか?」

 はっ、と気がつくと、目の前に天使がいた。私と同じ学校の制服を着た、天使。頭には金色の輪っか、背中から綺麗な白い羽が生えている。

「天使さん……?」

「ふふっ、あなたには、私のことが天使に見えているんですか。面白いですね」

「天使さん、どうして私のところに……?」

 頭に霞がかかったみたいに、まともな思考ができなかった。ただ、ひどく気分がよくて落ち着く。さっきまであった現実がすべて無くなったみたいに、幻想的な光景が目の前に広がっている。

 さっきまで私はどこにでもあるような喫茶店にいたはずなのに、ここはまるで天国みたいだ。きらびやかな装飾に、いちいち後光がさしていて、少し眩しい。

「さぁ……。ただ天使というのは、神の御使い。あなたにお告げでもしにきたのではないでしょうか」

 どこか他人事みたいに、目の前の天使さんが私に語りかけてくる。どこかで見たような顔。だけど、私に天使さんの知り合いなんているはずもない。

「お告げって、何を……? 私なにか悪いことしたかな?」

「いえ、何も。ただこれからのあなたの人生に幸福があるように、と」

 幸福……。私の人生に幸福。そんなものが、存在するのだろうか。幸福などという言葉は、ひどく薄っぺらく感じた。幸福とはなんだろう。このまま無難な人生を歩むことが幸福……?

 目立たず。世界に埋もれて生きていくことが、私にとっての幸福なのだろうか。

 分からない。考えることが怠い。何かを考えようとすると、頭の芯が溶けていくように気持ちよくなって、気持ちよくなること以外はどうでもいいような気がしてくる。


 きっとこれが、この気持ちいい感覚が幸福なんだ。


「ふふ、だらしない顔。きっと私も同じような顔をしているんでしょうね」

「そんなこと……。天使さんはとても、綺麗で、美しいもの……」

「そんなふうに言われると、悪い気はしませんね」


 幸せ、幸せ、幸せ、幸せ。だって、天使さんと会話できてるんだよ? こんなこと人生でそんなにない貴重な体験。特別なこと。普通に生きていては絶対に得られない、幸福。

 他の誰もきっと、こんな経験できない。私だけの特別な、特別で、特別。特別だ。幸せ。特別なことは幸せ。


 天使、幸せ、天使、天使、天使さん。もっと声をきかせて、私にお話して。もっと、聞かせて、私の幸せを。ああ、ほしい。


 もっと、あなたが欲しい。欲しい。だって、幸せで、特別で、欲しいもの……。

 ただ、ずっと溺れていたい。この幸福、快感に。このまま、私を天国に連れて行って欲しい。このまま、このくだらない世界から私を切り取って、幸せ、幸せ、しあわせを……。





 夢、を見ていた。


 


目を開けるとそこは、さっきまでいた喫茶店で、目の前には無愛想な少女が澄ました顔で水を飲んでいる。

「……? そうか、私……」

 少しずつ現実に浮上していく感覚。軽かった身体に重りがついて、思考が地に足ついていくような気がする。

 これが、ドラッグか。キマっていた時のことはあまりに現実感がなくて、あまり思い出せない。ただ、天使のようなものがそこにいたことだけが、記憶の隅に引っかかっていた。

「そろそろ行きましょうか。このままだと午後の授業全部サボることになってしまいますよ」

「えっ……、うん……」

 お会計は1人1500円。クスリ入りと考えたら安い方なのかな。店内に人は疎ら。ただ、そのどれもクスリを目当てにしてきているのかと思うと、ゾッとしない。

 よく見れば、店内で食事をしている人の顔はどれも虚ろで、現実のことは目に入っていないようだ。彼らは、彼らの幻想の世界に耽っているのだろう。


 喫茶店から外に出ると、日常の世界に戻ってきたような気がした。日の光がやけに眩しくい。このお店、別に路地裏とかにあるわけじゃないんだ、と思うと、警察とかに取り締まられたりしないのか不安になる。

 私はもう犯罪者だ。いや、麻薬と知らずに食べたなら犯罪者じゃないのかな。わからない。家に帰ったらネットで調べてみるか。


「御崎さんは、どうして私をここに?」

「どうしてって、あなたが勝手に着いてきたんですよ。案内したつもりはないです」

「いや、でも初対面の人間をこんなアングラな場所に連れてくるかな……。通報とかされたら終わりだと思うんだけど」

「通報、ですか。そんなことにはなりませんよ」

「どうして……? 私たち、初対面でしょう?」

「そう思っているのは、あなただけですよ」

 

 何を言っているのかよく分からない。

 太陽に照らされた世界で、彼女だけがその影のように嗤っている。それは、何かを楽しんでいるようで、何かにとり憑かれたような、不気味な三日月型の笑みだ。彼女の笑っている姿はきっと初めてみたけれど、それはとても、邪悪なものに見えた。

「何を……?」

 人々の喧騒がひどく遠い。

 世界から、ここだけが切り取られてしまったかのように。

 頭ははっきりとしている。もうクスリは抜けているはずだ。なのに、ひどく現実感がなくて、目眩がするほど不安定だ。

「高橋さん、もう行きましょう」

「う、うん……」 

 

 結局、彼女にそれ以上何かを聞くことはできなかった。ただ、得体の知れないシコリだけが、胸の中でずっと引っかかていた。


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