第10話

 重厚な密林に囲まれていたのは2階建ての建物と清浄な水を湛える小さな湖。

水はどこまでも透き通り、射し込む日の加減によって微妙に色合いを変える。

湖の周りにだけ植えられている果樹は高さも幅も好き勝手に伸びて小粒の身を多く宿している。

 朝の風景につきものの鳥の鳴き声などは聞こえず、静寂が周囲を支配している。

などとテラスからぼーっと観察していたのは、奥の部屋で延々とエルフ王への報告が行われているからで、客を優先しろなどという人間の常識を押し付ける気はないし同族同士再会の喜びに浸っているところを邪魔するほど野暮ではない。

「こんにちは」

不意に左側から声がした。

近づく気配も足音もなかったが、声の位置には確かに小柄な女性がこちらに正対して立っている。

手すりに置いた手をスライドさせれば頭を撫でられるほどの背丈だ。

ミケのように瞬間移動が出来る奴もいるので不審に思うことはないが少し驚いた。

まあ、いきなり声をかけられたら誰でも驚くとは思うが・・・

 ざっと眺めるとミケの可愛い系とは違う鼻が高く整った顔立ち、栗色でウエーブのかかったロングヘア、大きな胸を強調するかのような胸元が開いた薄い生地のドレス

「こんにちは」

こちらも相手に正対してから挨拶した。

華美な装飾品こそ身につけていないが、王族でなければ誰が気安く帝王に声をかけるというのだ。

「庭を見ていた。綺麗な庭だ」

「ありがとうございます。ここから見たら一番美しく見えるようにしています。

普段は私しかいないので」

「ということはあなたがエルフ王か」

「はい」

なるほどエルフ王というのは職名であって性別を表していないのか。

魔王と同じ概念だ。

「見下されるのは気分良いものじゃないだろう、座って話さないか」

テラス中央に真っ白な丸テーブルと椅子が置かれている。

 この場には2人しかいないという状況を利用して、彼女ができたら一度はやってみたいと思っていた女性のために椅子を引くという動作を実践してみた。

「ここで椅子を勧めていただいたのは初めてです」

実は一番恐れていた、意味が通じずにポカンとした表情をされるようなことはなく、嬉々として座ってくれたのは幸いだった。

王がやるような事ではないのだろうが、好意として受け取ってくれたようなので気にせず対面に回って座る。

「早速だが、お互い王とか陛下とか言いあうのは好きじゃないので、名前で呼び合いたい。俺の名は優一という」

王という同格の相手に繕っても仕方ないので地で行くことにした。

「私のことはエルベレスとお呼びください」

「わかったエルベレス、お互い対等の立場で行こう」

「良いのですか?」

「ん?」

「この絶対的な魔力量の差からして、私は何を言われても反抗すらできないのですけれど」

(外にいるミケの魔力が被って見えるのか・・・王女もそうだったな)

「俺といるときには魔力を気にするな。俺もお前たちの年齢は気にしない。

まあ、見た目通りに扱われて不愉快だったらそのときは言ってくれ」

例え目の前の美女が数百歳だと明かされたとしても今更驚くまい。

そう言うとエルベレスは目を見開いて

「なんか色々されている噂とは全く違いますね」

「噂なんてそんなものだろう」

鬼畜とか悪逆とかいう類の噂は少し前まで本当のことだったのだが・・・

「そうね、そんなものだわ」

目の前にいる本人を噂で判じるなどと言う愚行を王たる者がするわけがない。

王の目に映るものこそが世界であるからだ。

「まずは礼を言わせて、あの母娘を奴隷から解き放って下さったそうですね」

「ああ、まあ、それについてはエルベレスに謝罪が必要かもな」

「謝罪、とおっしゃいますと?」

「実を言うと、母娘がエルフ王の臣下だったということに思い至らなくてな・・・

奴隷から解放するときにメルミアには伯爵夫人、エリカには伯爵令嬢と妾の地位を付与してしまっているのだ」

「それは読み取れましたが、エルフの力を抑えるものではありませんので謝罪の必要はありません」

「エルフの力を抑える?」

「エルフについてはどこまでご存知ですか」

「弓が得意で耳が長い金髪の美少女というくらいかな」

あくまでも今までやってきたゲームの世界での知識であるが・・・

「優一の国ではそういう噂が流れているのですね」

エルベレスはエルフに関する一般的な噂だと解釈したらしい。

「エルフの特徴は外見的には身長が低く成長が緩やかというだけなのですが、能力的には魔力を使って自然から様々なものを引き出したり人間の夢に干渉できます」

「夢に?」

「はい、夢を通じてエルフの知識を与えたり悪夢を消したり、逆に見せることもできます。エリカをベッドに伴っていただければ魔法使いに仕掛けられた悪夢でさえも遠ざけられますわ」

「それについてだが」

「はい」

「あの母娘はここに帰した方が良いのだろうか? 帝国にいても幸せになることは可能なのか?」

「優一はまるでエルフ王のようにエルフを考えてくれるのですね」

これは皮肉でも社交辞令でもない、本心からそう言っているのだということが表情からわかる。

「俺にとってはもう身内だからな」

「それで私と対等にと?」

「いや、エルベレスとはいい友人関係でいたい。友人として話ができるのは后の他には魔王しかいない」

「魔王? 魔王と人間は対立関係のはずでは?」

「エルベレスに隠し事はなしにするよ。帝国に産業を興すため魔王と手を組んだ」

「産業を、ですか」

「魔物に金を仕込んで誰でも冒険者として生活が成り立つようにした。また、魔王を討伐した英雄には王女を与えるという布告もした。あとは勝手にギルドや様々な職業が活性化されるだろう」

「そういうことですのね」

「本当は奴隷だの何だのという身分がない方がいいのだが、あるものは仕方ないので、どんな階層でも冒険者として名を上げれば王女の降嫁によって貴族になれる一発逆転劇を仕組んだというわけだ」

立場的にはゲームマスターのようなものだ。

「その、奴隷ですけど」

「ん?」

「もともとは奴隷という身分は存在していなくて、辺境伯オーウェンがエルフを奴隷にしたのが始まりなんです」

「辺境伯が?」

「はい、もともとオーウェンは旅の商人だったのです。今の辺境伯領一帯は当時エルフの国で、行き倒れになったオーウェンを民は手厚く看護しました」

「そうなんだ」

「はい、それで元気になったオーウェンは初潮が来たばかりのメルミアを強姦してエリカを産ませました」

「へ?」

「今では考えられないことですが、当時近親婚で奇形が増えたり個体数が減ったエルフには朗報だったためオーウェンは歓迎され、エルフのあらゆる知識や植物や鉱物などが無償で与えられました。すぐに大富豪となったオーウェンは帝国の国政に食い込んで行ったのです」

「ちょっと待て、初潮が来たばかりって、見た目は幼女だろ」

「はい、見た目はそうですが生むことはできます。人間と違って種族が違っても性行為さえすれば着床するので本来はとても増えやすい種族なんです」

「そうなんだ」

「で、話を戻しますけど、私たちエルフは鉄が苦手です」

「うん?」

「奴隷用の焼きごてには家畜と同等の地位の付与と主人に逆らえなくする魔法効果のほかにエルフ限定の体の中に鉄を埋め込む効果が備わっていて、それを錬金術師に大量に作らせたのがオーウェンなのです」

「エルフは鉱物も扱うのに鉄は苦手なのか?」

「はい、鏃や剣なども銅のものは扱えますが、鉄は身につけることさえできません」

「しかし、『この世界』は剣と魔法の中世設定だよな。芋さえも普及していない時代に鉄が流通しているとは思えないのだが」

「もしかして優一は違う世界から?」

「うん、前の帝王と入れ替わりでね」

「そうでしたか」

「だから知らないことばかりなのだ。エルベレスにはこの世界のことを教えてもらいたい」

「はい、では、この世界には設定などというものはありません」

「設定がない?」

「はい、帝国であればすべて優一の思うがままにできます。例えば鉄の文明でも青銅の文明でも繁栄も衰亡も思うがままです」

「それはすごい、というより物がなければ無理だよな」

「物ならば、年に何度か、魔力が異世界とつながる日に取りに行くことはできます」

「え、できるの」

「向こうではお盆とかハロウィンと呼ばれているようですが、魔力がつながっている間だけは向こうに渡ることは可能です」

「じゃあ、向こうが気に入って行ったきりという人も?」

「向こうではこちらの倍以上の魔力が生きる上で必要です。少しの補充もできないまま魔力を使い切ってしまうとそのまま消滅してしまいますので、向こうで生きていくためには誰かと入れ替わって寿命を入れ替える必要があります」

「寿命も入れ替わるのか」

「はい、向こうとこちらでは生命の在り方から違いますので」

「それでこの世界に飽きた前帝王は寿命が短くなっても物が豊富な世界の俺と入れ替わったのか」

なんとなく王宮の中がアキバ化していた理由が理解できた。

「もしかして、鉄の兵器を持ち込まれて先の戦争はエルフが負けたのか?」

「先の戦争、とおっしゃいますと?」

「エルフと人間が戦ったと歴史で教えている戦争」

「エルフと人間・・・」

エルベレスは少し考えを巡らせていたが、ふと納得したという表情になって

「おそらくエルフを奴隷として使役するための正当化でしょうね。エルフは一度も人間と争ったことはないのですよ」

「争ったことがない?」

「はい。オーウェンは生殖のためという口実でエルフの国に人間を移住させ、私たちはそれを歓迎して各家に人間を招き入れました。当初数年は良い関係を保っているように見えたのですが、11月12日の夜、村ごとに配置されたオーウェンの私兵が焼きごてをもってそれぞれの家を制圧して回り、それ以来エルフは人間の奴隷となったというのが真相です」

「つまりだまし討ちにあったと」

「はい」

「もしかして、市で売られている奴隷というのは全てエルフなのか」

「エルフそのもののこともありますし、エルフに産ませた子供が男の場合は無条件で、女の場合は自分の好みの器量でなければ売り払われています。人間の犯罪者なども混じっていますが、それは容易に区別がつきます」

「エルフと人間の区別が?」

「はい、優一は奴隷市を見たのですよね」

「見た」

「奴隷の尻に突き刺す棒はどこかに必ず鉄が使われています。あれもオーウェンがエルフの拷問用に作り出したものですが、体の中に入れられると内臓を焼き尽くされるような痛みと苦しみが襲ってきますので、たいていは悲鳴で区別がつきます」

「その、経験があるのか」

「はい、私もあの夜、今はオーウェンの居城になっている王城にいたのですが、踏み込んできた私兵らに四つん這いにされて棒を突き入れられて、ぐったりしたところを朝まで輪姦されました。幸い全員が無防備な箇所を膣に入れてきたので夢操作がうまくいって、深く寝込んだところを逃げ出せたので焼き印は押されずに済みました」

「それはひどい目にあったな」

「はい、ただ、棒を膣に入れられたせいか妊娠はしませんでした。もしかしたら壊されたのかもしれません。良かったらあとで診ていただけますか?」

「それはいいけど、エルベレスは友達だからなぁ」

「はい?」

「おいミケ、見えてるんだろ、出て来いよ」

「はい」

感情の乗らない返事とともにいきなり斜向かいに現れたミケにエルベレスがぎょっとしているのがわかる。

「ちょっと女同士で診てやってくれ。さすがに異性の友達の膣を見るとかないわ」

「わかりました」

ミケはエルベレスをちらりと見ると

「大丈夫です。ついでに悪いところは治しておきましたので、この人との子供が欲しかったら今夜頑張ってください」

「おい」

まあ、これは笑うところなのであろう。

「ところで母娘は今何してるのかな」

「食事の準備をしてくれています。果物と野菜ばかりなので口に合うかどうか」

「ヘルシーだな、楽しみだ。そうだ、皆がそろったら食事をしながら今後の世界について話し合いたいと思う。ミケ、タマ呼んで準備手伝ってやってくれ」

「はい」

ミケは返事を残して消えた。きっと母娘のところに移動したのであろう。

「タマ?」

「ああ、魔王のことね。せっかくだから首脳会議をしようってこと」







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