第2話
1
「姉を・・・返して欲しいんです」
少年は思いつめた表情でそう言った。
「ミケ」
「はい」
「返すと言うのは返却するという概念で合っているか?」
「はい、その通りです」
「ならば問う。余は汝の姉を借用しておるのか?」
「へっ?」
少年は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして
「い、いえ、ただ、後宮にいるという話を聞いて・・・」
「誰から聞いたのだ」
まるで圧迫面接だが、後宮内の人事配置が伝わるということは、後宮内で口にした秘密も漏洩すると考えなければならない。
「う、噂です」
答えになっていない。
「ユーイチ」
「ん?」
「微弱ですが、確かに後宮につながる気があります」
「微弱?」
「はい、おそらく実の姉弟ではないのではないかと」
なるほど、血の繋がりのない姉に対する恋慕か。
それであれば帝王の気分ひとつで人間が消え去るような、タネを知らない者にとっては恐ろしい場所に平民の身分で入り込む勇気も理解できる。
「ミケ、ここに呼べ」
「御意」
刹那目の前に人が現れた。
転移魔法である。
詠唱も予告もないので、突如そこに人が現れたことに驚いた少年は腰を抜かしてしまった。
「ね、姉さん?」
呼ばれたその姉は事態が飲み込めず、ぽかんとした顔をしていたが、やがて目の前に弟がいることに気が付いた。
だが、目の前で姉弟が抱き合う感動の再会シーンは発生しなかった。
「なんであなたがここにいるのよ」
「姉さんを連れ戻しに来たんだ!」
「はぁ?」
(なんだこの違和感は・・・)
「おい」
姉はビクッとして振り向いた
「出て行きたいのなら自由にしてやろうか」
「いいえ、いいえ・・・」
姉は跪き
「どうかこのまま、奴隷のままここに置いてください」
なぜ奴隷のままでここにいることを哀願するのか
「理由を聞こうか」
「はい、私のいた村では男は酒を飲み祀りを行い、女が生活費などを稼ぐのが役割でした」
「ミケ、それは一般的なことなのか?」
「まあ、山間部にある村でしたら」
表向きは、とつながるような少々引っかかる答え方ではあるが、話を進めさせることにした。
「わかった、話を続けよ」
「はい、女たちが稼げる場は娼館か浴場、つまり身体を売るしかなく、見ず知らずの男たちに抱かれる生活が嫌なのでございます」
つまり娼婦は嫌だということか。
「ミケ、娼館と浴場で働く娼婦の違いは?」
「はい、娼館は売春に特化した施設で税も収めており、そこで働く女性は子供ができても自分の子として育てるので平民の中でも地位的には高い方の扱いです。浴場はそこに住み着いた女性、まあ村から追い出されたような女性ですが、子供ができると殺して捨ててしまうため忌み嫌われ、地位的には奴隷以下の扱いです」
「なるほど、感じとしては娼館は出稼ぎか」
「はい」
「稼ぎを女だけに頼っているというのもなぁ・・・」
標高が高くなるほど換金作物が育たないというのはわかる。
しかし木材を加工したり鉱脈を探したりはしないのだろうか。
弟が自分のヒモになるためにやって来たというのなら、拒絶するのも理解はできる。
「そもそも、汝はどうやってここまで来たのだ」
「はい、女が身体を売るには、代官の許可が必要で」
「代官?」
いきなり出た時代劇用語に首をひねると
「地方の税を取り立てる責任者です」
ミケが素早く耳打ちをする
「代官にそんな権限があるのか?」
「明文化したものはございません」
「わかった、話を続けよ」
「はい、私も許可のために代官に抱かれたのですが、あまりの痛さに突き飛ばしてしまい、その場で奴隷の焼印を押されて売り飛ばされ、奴隷商人によってここに納品されたのでございます」
そう言うと服の胸の部分を広げ、乳房の上に入れられた焼印を見せた。
つまりその代官は処女を喰いまくっているということか。
そして意に沿わなければ奴隷・・・
(け、けしからん)
まあ自分も今朝けしからんこと未遂をしてしまってはいるが、結婚している相手であるし何より本人が喜んでくれている。
「ここでは掃除など雑役をしていれば食べさせてもらえますし、両親のように私を蹴り飛ばす人もなく、嫌な男に抱かれる心配もありません」
「よくわかった。汝の名は?」
「ゾフィーと申します」
「ならばゾフィー、汝は好きなだけここで雑役をするがよい」
「ありがとう存じます」
「ただ2つ気になる点がある、ミケ」
「はい」
「その村へ直ちに移動することはできるか?」
「はい、すでに場所は特定しています」
「ならばゾフィー、案内せよ。弟やらは待っておるがよい」
一瞬にして広間が草原に変わり、天井が大空に変わった。
転移の違和感は全くなかったが、椅子を失って行き場をなくした優一の尻が草の上に着地した。
流石にこれは無様なので素早く立ち上がるとミケが駆け寄り
「転ばせてしまったのはミケの未熟、罰をお与えください」
「じゃあ、ほっぺにチューしろ」
「はい」
ミケは躊躇いなく背伸びをして優一の頬にキスをした。
「でもこれ、ミケにはご褒美・・・」
「いいんだよ」
右手をミケの頭に乗せて撫でると、本当に嬉しそうな顔をする。
「素晴らしい能力だ。ところでここは?」
「あ、失礼しました。欲情している場合ではありませんでした」
(欲情していたのかい!)
上目遣いに可愛い顔で言われるとすごく違和感のある台詞である。
「この方向にまっすぐ行くとゾフィーがいた村、この方向にまっすぐ行くと代官の館、この方向にまっすぐ行くと娼館です」
テキパキと説明するミケに、ゾフィーを連れてくる意味はなかったかなと思い始め、ゾフィーを見るとガタガタと震えている。
(まあ、いい思い出のなかったところだろうしな)
「ミケ、いきなり俺たちが現れたらどう見られると思う?」
「ユーイチの絵姿は結構出回っているから貴族なら帝王陛下だというのはわかるかも知れない。ミケは見た目こうだからお付きの女官かな。ゾフィーは奴隷印を消せば愛妾といったところ。ユーイチが乳女が好きだというのは結構知られているから」
何かグサリと刺されたような気がする・・・
「奴隷印は消せるのか」
胸の上に入れられた焼印は胸元をアピールする傾向のある女性用の服を着ると否応無く目立つ。まあ、奴隷印があると人間扱いされないので男に言い寄られる心配はないのだろうが。
「容易いことです。ついでに飾ってみましょう」
ミケが気負いもなくそう言った瞬間、ゾフィーの胸に押されていた奴隷の印は消滅し、薄汚い服が薄紅色のドレスに変わった。
「この色なら商売女らしくないですし」
「こうして見るとなかなかの金髪美人だな」
「はい、何ならバカ女の後釜に据えてもよろしいですわよ」
ミケにとって扱いやすそう、ということだ。
「えっ? えっ?」
ゾフィは状況が全く呑み込めていないようである。
2
ミケにとって一人の女を丸洗いしてドレスを着せ、化粧を施すのを魔力を使って行うことは人を消滅させたり飛ばしたりすることよりはるかに容易いことである。
しかし、それをされる方はまさに「奇跡」が身の上に起きたという衝撃に包まれる。
入れられた焼印が消えるなど奇跡以外の何物でもない。
だからであろう、奴隷として働き続けたいと言っていたゾフィーに寵姫のふりをしろ、うまくやったら妾に取り立てることも考えようと言ったら即座に同意した。
「おかしい、靴は歩きやすいはず、なぜそんなによろける?」
ミケが不審がってゾフィーの足元を凝視している。
それは単に腕を組んで歩くという行為に慣れていないだけだろう、と思う。
ミケとは違いゾフィーは優一より背が高い。
優一に合わせようと意識しているのか、それともコルセットが苦しいのか姿勢が明らかに前のめりである。
「胸を張れ、今のお前は貴族と変わらん。たかだか地方官ごときの館に出向いてやったのだぞ」
「は、はい」
想像と違い代官の屋敷は開け放たれた門から玄関まで人の姿はなく閑散としていた。
「もっとこう、陳情者が並んでいるのとかを想像していたんだけどなぁ」
「陳情が命取りになるような場所なら陳情者はいないでしょうね」
「そんな悪い気を感じるか? ミケ」
「ここで清浄な気を放っているのはゾフィーだけですわ」
優一の気も清浄ではないと言う意味だ。だがツンとした表情も可愛らしい。
「悪かったな、俗物で」
「ふふ」
さっきからゾフィーの胸元を幾度となくチラ見しているのをミケは当然気づいている。しかし嫉妬から出る嫌味も可愛いのである。
「あ、うるさそうなのが近づいてきます」
「あれか?」
「はい」
玄関でたむろしている騎士の一人がこちらへやってくる。
なぜ騎士とわかるかというと高そうな金属製の鎧と長剣を身につけているからである。
「止まれ!」
10歩ほどの距離で騎士は両手を開くジェスチャーをしながら叫んだ。
大仰なやつだと思いながらも歩みを止める筋合いはないので無視をした。
「止まれというのが聞こえないのか平民!」
と凄んで叫んだ途端、騎士は右横に吹き飛んで壁に激突し、崩れ落ちた。
誰の仕業かは言うまでもない。
なんだなんだと立ち上がった残り5名の騎士達は、同僚がいきなり消え、見知らぬ3人が素知らぬ顔で近付いてくると言う状況に戸惑いを隠せずにいるようだった。
「一度だけ警告しよう。余は帝王である。ひれ伏すが良い」
慈悲の心を持って(わざと反発心を引き起こすように)穏やかに警告をすると案の定本気にする様子はなく
「なんだぁ、帝王様ごっこだったら他でやれやゴルァ」
「女をおいて立ち去れ、今なら見逃してやってもいいんだぜ」
と言う不良なお子様ワードを撒き散らしながら凄んだので
「ミケ、こいつらサメの餌にでもしてしまえ」
と言った瞬間、5名の騎士は目の前から消えた
「とりあえず海に叩き込んでおきました」
ミケはしれっとした表情で言った。
この世界にも海やサメは存在しているようだ。
「陛下はすごいです」
ゾフィーが心から感動した!と言う口調で
「私だったら凄まれたら何もできなくなってしまうのに」
と言うので、すごいのはミケの力なんだがなと思いながら
「いくら言葉で凄もうが力なき者のたわごとは飛び回る虫の羽音にも劣ると言うことを弁えるがよい」
とそれらしきことを言ってみる。
「心からの忠誠を、陛下」
ここに至ってやっと心服しました、と言う意味だ。
まあ、ミケの魔力に裏付けられた帝王という地位にはいるが、その地位を失ってしまったらブラック企業に使い捨てにされた間抜けな男にすぎない。
ここは信用できる人間が増えたと喜ぶ場面なのであろう。
玄関から代官の部屋までは誰も遮るために出てはこなかった。
まあ、ゴロツキが玄関にたむろしている場所に好き好んで来る者もいないだろうが
「何か嫌な感じだな、負の魔力でも覆っているのか?」
「いいえ、これは死臭というものです」
振り返るとミケはハッとした表情で
「直ちに取り除きます」
と周囲に風を走らせた。臭いを飛ばして正常な空気で包んでくれたらしい。
つまりミケは今まで死臭など気にならないような環境にいたということだろう。
王宮内、おそるべし・・・
代官の部屋の扉には鍵がかかっていたが、そんなものでミケの侵入を阻むことはできない。普通に解錠もできるそうだが、帝王殿下のお出ましという演出効果を高めると言って扉を粉々にして吹き飛ばしてしまった。
もちろん中の人間に破片が当たらないように突き刺さる場所を指定してである。
その運動エネルギーは当然当たれば人間を貫通するほどのものなので、落雷のような大きな音が発生した。
代官はすぐに分かった。
ベッドに少女を縛り付けて行為の真っ最中であったからである。
執務室にベッドを持ち込んでいる時点でおかしいのであるが、そこで行なっている行為はケシカランを通り越して吐き気を催すものであった。
相手に血を噴き出させてまですることではないだろう・・・
ミケは優一の気持ちがわかったのであろう、ぎょっとして凍りついている代官を少女から引き剥がして壁に張り付けた。
少女を縛り付けていたように壁に大の字で貼り付けられた超肥満の中年男は醜く、下半身には少女の血がべったりとついていた。
風圧で縛り付けられているために声を出すこともできないでいるのが幸いだった。
おぞましい声など聞く趣味はない。
ゾフィーはベッドに駆け寄って少女の戒めを解いたが
「なんてこと・・・」
少女の意識はなく、出血が止まらない
「ミケ」
「ダメです」
「ダメとは?」
「魂が残っていれば例え下半身を失っていても再生はできます。でもこれは生をあきらめて魂が出て行ってしまった肉の塊にすぎません、この部屋に転がっている他のものも同じです」
「そうか・・・」
「それよりこれ、どうしましょうか」
これとは代官のことだ
「地位を剥奪してこ奴を恨む者たちの前に放り出してやれ」
「わかりました、代官の官職と爵位を剥奪、手足の自由を奪った状態で娼館の前に放置します」
「それで良い」
代官だった男は壁から忽然と消えた。
こちらの言葉が代官に聞こえていたかどうかは、どうでも良いことだ。
「あの」
ゾフィーが骸になった少女を抱え上げて
「埋葬をしてあげられないでしょうか」
魂のないものの埋葬に意味があるかどうかはわからないが、埋葬してあげたいと言う心情は理解できる。
「なあミケ」
「はい」
「その、ここにある肉塊の人数分、穴を掘ることはできるか?」
「大きさはいかがいたしましょう」
「仰向けに寝かせられる大きさで、深さは我々の身長ほど」
「掘りました」
「肉塊をそこに横たえよ」
ゾフィーの手から少女の骸が消えた。
「土を被せ、地表の頭の上になる部分に石を置き、生前の名前がわかればそれに刻め」
「出来ました」
「ではそこに案内せよ」
転移した場所は館から出ですぐの道路脇である。
道路に沿って整然と並んだ墓石はここを訪れるものに墓の存在を確かに示すであろう。
「あれだけの指示でよくわかったな」
「貴族の埋葬は何度か見ました。平民は埋葬しないで谷などに放置するのが普通ですので」
「ゾフィーのおねだりだから貴族として扱ったということだな」
「はい」
「申し訳ありません」
いきなりゾフィーがミケに向いて跪いた。
「お手を煩わすことに思いが至りませんでした」
ミケはどうしよう、という表情で優一を見た。
「ゾフィー、立つが良い。ミケの手を煩わせたのは余であって汝ではない」
今度はゾフィーが驚きの表情をこちらに向けた。
「そもそも手を煩わすというのはこういうことを言うのだぞ、ミケ、館を解体してしまえ」
「はい」
また雷のような音を発して館も塀も崩れ去った。
「さて、呆けてないで娼館に行くぞ」
「は、はい」
ゾフィーに手を差し伸べると素直に手を出したので立ち上がらせた。
「娼館の近くでは何か食えるか?」
「はい、市の中にありますので」
「では腹を空かせるためにも歩いて行こうではないか、ミケ、いいよな」
「仰せのままに」
ミケはにっこりと微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます