帝王はブラック引きこもり社員
田子猫
第1話
序
優一は洗面所に突っ立っていた
職場の便所に付属する洗面所
とりあえず冷静に考えることができる場所はここしか思い浮かばない
「お前、もういらない。この100万をやるから出ていけ」
確かに社長はそう言って封筒を顔に叩きつけてきた。
隣にいた部長はニヤニヤしながら
「3時間以内にロッカーを空にして出ていけ、PCにもデスクにも触るな」
と言っていたが、社長室に呼ばれた時にはもう親族の息子らしい奴が座っていたのを知っている。もとから社員の入れ替わりの激しい会社だから誰も気にしてはいないだろう。
福利厚生などと言った概念なんかないこの同族企業によく二十年近くいたものだ。
解雇の理由は言われなかったが、恐らくは昨日税務調査を受ける準備のために帳簿を確認していたのを部長が見たからだろうな・・・
「ま、いいか」
部長がいくら横領していようがもう関係のないことだ
これからは有り金を食いつぶしながらの仕事探しだ
「どうせなら次は好きなように金を使えるところがいいなぁ」
そう呟いた瞬間
『その願い叶えよう』
洗面所内に声が響いた
まずい、隠しマイクでもあったか
「い、いや、ただの独り言・・・」
『愚か者、鏡を見るが良い』
顔を上げて鏡を見ると、中年になろうとする自分ではなく
顎を上げて見下したような態度をとる少年がいた
上半身しか見えないが裸のようだ
いけない・・・幻覚だ・・・病院へいかなくては・・・
『今ならいくらでも女を抱き放題だぞ』
女!!
たとえそれが幻聴だとしても
聞き逃すわけにはいかないワードだった
何せ年齢=彼女いない歴だからだ
『余は市井の暮らしがしたい、その方はやりたい放題やりたいのであろう』
うまい話には裏がある、だてにブラック企業にいたわけではない
「何が見返り?」
『その方の人生だ』
「人生?」
『この会社を出れば自由なのであろう』
「それはもちろん」
『こちらは退屈だが何でも思い通りにできる』
「なんでも!?」
『時間がない、こちらに手を差し出すが良い』
まあ、これ以上騙されようがないし
封筒に入った100万など生活しているうちにすぐに溶けて無くなってしまうだろう
優一は右手に持っていた封筒を左手に持ちかえ
右手を鏡に向けて差し出した
1
寝落ち、という感覚が一番近いような気がする・・・
深夜やっつけの仕事をしている時にテンキー入力などをしている最中に突然訪れるあれだ。
ただ違うのは、ふかふかのベッドの中で横たわっているということと
目の前にベッドの天蓋が見えるという事だ
「陛下?」
いきなり聞こえた女性の声に慌てて飛び起きた、はずだった。
多分ふかふかのベッドで起きようとした事と、シーツが思いの外にしっかりかかっていたのと、声の方に振り向こうとした動作が合わさって・・・
「あ・・・」
少女の上に身体を重ねる形になってしまっている。
(これがフラグというやつか!)
優一の趣味はアニメとネトゲという、いわゆるオタクである。
引きこもり期を経て入社したのがブラック企業だったのだが、単純作業のレベル上げが好きだった優一には仕事がゲームのようなものであり、今度は会社に仕事人間として引きこもっていたところ、会社からBANされてしまったというわけだ。
(今度はBANされないよう慎重に様子を見よう)
少女は見た感じ10代前半で、前髪が目の上で切りそろえられたパッツンロング
踏んだりしないようにしているのか後ろ髪は頭の上に流れ、ベッドの下に垂れている
顔の造作は誰がこの子を操作するにしてもキャラメイクし直さないだろうなと思えるほど可愛い系に整っている。
身体を手で探ると、シーツで見えはしないが双方全裸だということは間違いなかった。
(やっぱりキャラメイク場面か)
まあ、おっさんには見えないだろうが、男が乗っかった状態で身じろぎもしない少女というのは変だ。
とりあえず何か数値を変えるコマンドでも出るのかとあちらこちらを探ってみた。
少女からはその都度短い吐息が聞こえたが、どこにもコマンドらしきものは浮かんでこない。
「両陛下、朝にございます」
突然室内に女性の凜とした声が響いた。
両陛下、ということはこの少女は后、ということになる。
これは世界観の設定に関わることだな、と優一は踏んだ
どかどかどかとメイド服を着た女官らしきものたちが現れ、まるで自動人形のように無言でテキパキと少女と自分をベッドの前に並び立たせ、冷たい水で絞った布で身体を拭き、サイズが2つくらい大きいのでないかと思えるような紫色の服を着させられた。
(な、なんだなんだ?)
「あの」
慌ただしい者たちが退室すると、少女が向き直り、のぞき込むように
「あなたは本当に帝王陛下ですか?」
(か、可愛い)
と見とれている場合ではない
「な、何か不審な点でも?」
少女はしばらく首を傾げて考えていたが
「はい、先程私の体に触れてくださいました」
見る見る少女の顔が上気する
(あ、もしかしてまずかったのか?こちらでも青少年保護育成条例があったりするのか(汗))
「とっても嬉しゅうございました」
(嬉しいのかい!)
「今まで近付くだけで反発する陛下の気が、今日は体の中に流れ込んでまいります」
流石に聞いていてムズムズする
「なあ」
「はい」
「お前、俺の后なんだよな」
「はい」
「だったらお前も陛下じゃねえか」
どうも畏まった言い方は苦手で引きこもり時代の地が出てしまう。
「はい」
「どうだ、お互い名前で呼び合わないか?」
「名前、でございますか」
「そうだ、俺は優一、お前は?」
「私は生まれた時から陛下のものですが、名前を与えられてはおりません」
「じゃあ、ミケ」
そう、少女を見ていてとっさに浮かんだイメージが三毛猫なのである。
ふわっとして、猫耳をつけたらとても似合いそうな少女
嫌がられたら別の名前にすりゃいいやといった程度のノリである。
「ミケ!!」
少女の顔がパッと輝いた
「今日初めて陛下に触れられ、初めていただいたものがミケという名前!」
皮肉ではなく、本心で喜んでいるのだと見ていてわかる
「優一と呼べ」
「ユーイチ!」
今度は遠慮なく飛びついてきたので受け止めたら、駅前などでよく見かけた恋人同士のハグのような形になった。
夢にまで見たリア充だ! ぐふふ・・・
2
優一と入れ替わった帝王は絶対にアキバで遊んだ経験があるはずだ。
なぜなら、テーブルを整えている女官たちのメイド服が機能的すぎるからである。
優一は長椅子、要はソファーに深く座り、ミケの肩を抱くというリア充ライフを絶賛満喫中である。
「ミケ」
「はい」
「ああいう、膝が出るようなスカート丈をどう思う?」
「平民の着る服に興味はございません」
まあ、生まれながらの王族らしいしね、君は
「もし俺が着てほしいなーって言ったら着るかい?」
「はい、いかなる服であっても」
10代前半に見える美少女である。
メイド服はもとよりセーラ服やブレザー姿、水着姿なども見てみたいと思うのは男として異常なことではないはずだ、多分。
「まだ時間がかかりそうだから、聞いてもいいか」
「はい、何なりと」
「ミケは生まれた時から俺のものと言ったが、あれはどういう意味だ?」
「はい、先程足の付け根の聖痕をじっくり触っていらっしゃったのでお気付きだとは思いますが、私は全ての魔力を操ることができます」
(いやいや、全く気が付きませんでした(汗))
「世界の地殻から湧き出る魔力を淀みなく帝国全土に配分し、余った魔力で様々な魔法を編み出し、魔法使いギルドを通して配分しています。それらの力は全てユーイチのもの。ユーイチの思う通りにそれを使う、そう言う意味です」
「ほう」
(やっとチュートリアルっぽくなってきたな)
「つまりミケはこの世界の女神様なのだな」
「女神様だななんて、そんな・・・」
この程度のおべんちゃらで頬を染めるのはなんとちょろい、ではなく純粋なのだと思ったところでふと、ミケの話には帝王である自分とこの世界全般のことしかないことに気がついた。
「ミケの友達はどれくらいいるんだい?」
「友達、とはなんでしょうか」
ここはRPG的な概念は共通していても日常的な用語は定義がないのかもしれない。
「こうやって対等に話のできる他人かな」
「私たちと対等に話せる他人、というのが思いつきません」
(確かに)
愚問だったなとふと部屋の入り口に目を移すと、異様な存在がそこにあることに気がついた。
「あれはなんだ?」
「毒味役です」
「毒味役?」
「はい」
ミケよりも少し若く見える少女が縄で縛られた状態で入り口に転がされている。
口には何か器具が入れられて無理やり開かされている感じである。
「ミケ」
「はい」
「毒味役というのは必要なのか?」
「私と一緒にいる限りはどのような毒物も近づくとわかるので必要ありません」
「では、あれはなんだ」
「なんだと仰いましても、食事をこうやって共にするのは初めてでございますので」
(なんだって?)
ミケは意味がわからないという表情を読み取ったのか補足を始めた
「後宮でユーイチは常に妾と一緒で、こちらにお渡りになったのは昨日が初めてなのでございます。それもお酒を大量に召されて倒れ込まれるようにして・・・」
「あ、まさかと思うけど」
「はい?」
「酔った勢いでミケに乱暴とかしてないよね」
全裸でいたということはもしや、と思いついたのである。
「ミケはユーイチのものです。乱暴されてもよろしかったのですよ」
よろしかったということはしていないということだ。
「いや、今の言葉は取り消す。忘れてくれ」
「はい」
つまりはこの可愛い后が何も言わないことをいいことに遠ざけて妾のところで後宮ライフを堪能していたということか。我ながら最低な奴だな・・・
「その者をここへ」
縛られて転がされた者を指差すと、周囲の女官は怪訝な顔をしたものの絶対君主の言葉に異を唱えられるはずもなく、両脇を女官に抱えられた状態でズルズルと目の前まで召し出された。
「全ての戒めを解け」
SMの性壁を持ち合わせてはいなかったため、身体の自由を阻害している縄や器具を取り外すよう命じた。
「武器や毒は隠し持っていません」
ミケが耳打ちをしてきた。きっと魔力を使ってそういう事もわかるのであろう。
「その者をどうするのです?」
「毒味をさせる」
「はい、それはわかりますが、戒めを解いてどうやって毒味をさせるのでしょうか」
優一的には運び込む過程で口に無理やり流し込むやり方は気に入らない。
「まずはだな、ミケと俺はテーブルで離れずに隣り合って座る」
「はい」
「真ん中にこ奴を座らせて、俺たちで食べさせるのだ」
「まあ」
「どうだ」
「面白そう!」
ミケは退屈な食事時間での遊びと捉えたようだ
毒味役に目を向けると、表情からは恐れや不安が消えていた。十分である。
2
食事が終わると執務のために玉座へ向かうことになった。
ミケから聞いた話では後宮から出るのは一月ぶりのことらしい。
大丈夫か帝王・・・
回廊を行き来する者は優一の姿を見ると驚いたように飛び退いて跪いた。
見た目はただの少年であるが、衣服と宝飾が威光を放っているのであろう。
「陛下」
背後から声をかけられた。
語尾に「はぁと」と付きそうな甘ったるい声である。
「なんだあれは?」
振り返りもせず、隣にいるミケに尋ねた
「ユーイチのお気に入りの妾です」
「何か能力を持っているのか?」
ミケのような突き抜けた能力者なら相手をせねばならないだろう。
「乳がでかいだけのバカ女です」
ケッと吐き出すかのごとくミケは言い捨てた
「陛下! 陛下!」
背後から連呼されるのは不快である
「ミケ、どうにかできないか」
「御意」
刹那、背後から短い悲鳴が聞こえた。
「何をしたのだ?」
「ふさわしい場所に送りました。今頃は辺境の売春宿の前です」
「その技は、ミケの負担になるか?」
「いえ、全く」
転移といえばネトゲではかなり高度な能力だったはず。
こんな便利な后を遠ざけていたなんて、前の帝王はアホだったのか。
「ちなみに、売春というのは合法なのか?」
「はい、ユーイチが違法だと言わなければ合法です」
「ならば問題ないな」
「はい」
玉座といってもゴージャスな椅子がおかれているのがゲームの世界では普通だった、はずなのだがミケに案内された玉座は文字通り宝玉で形作られていた。
早い話がものすごく座り心地が悪い。
ムッとした表情になるのは許容してもらいたい。
広間にいる者たちは驚きと恐れを混ぜたような表情でこちらを注目している。
まあ、一月ぶりに帝王が現れ、初めて后を伴っているのだから当然のことかもしれない。
ただ、段の高い場所にいる者達、おそらくは高位の貴族の中には侮蔑の表情を浮かべている者がいることにも気がついていた。
「ミケ、こちらに蔑視や敵意の視線を向けている者は誰かわかるか?」
「はい、気の流れが宰相に繋がっています」
「宰相がいるのか」
「はい、ユーイチが面倒なことはいつも一任していました」
「すまん」
「は?」
「やきもきさせたね」
「い、いえ」
顔を近付けるほどに親しく会話をする帝王と后の姿に会場はざわめいた。
ドン、ドン
指揮杖を床に打ち付ける音がした
「あれが宰相か?」
「はい」
良く言えば恰幅のいい上級貴族、言葉を飾らずに言えば太った中年が玉座に振り返り
「始めてもよろしゅうございますか」
と穏やかな口調で言った。
おそらく前帝王はここで同意して、あとは終わるのを待って後宮に引きこもっていたのだろう。
自分で何ができるのかはわからない。
だが分からないままで流されるのはもうこりごりだ。
「汝に問う」
ブラック会社で培ったハッタリとカマかけの技術を使ってみようではないか
「帝国の現状を述べよ」
「は、特に問題はございません、すべて順調です」
「であるか、ならば臣民の数は?」
「は?」
「帝国の国土の面積は?」
「・・・」
「昨年の国庫への収入と歳出金額を述べよ」
宰相は沈黙した。
本当はそこからさらに踏み込んだ質問を浴びせるはずだったが、まあいい。
「余は失望した、汝に連なる者すべての地位を剥奪する」
「な、何を血迷われたか」
「誰が発言を許したか、不敬である!」
瞬間、宰相と今まで不快な視線を送っていた者すべての気配が消えた
「陛下、宰相及びそれに連なる者すべて、牢獄に送りました」
ミケが陛下と呼びかけているのは、広間の全員に聞かせるためである
「最低限、食べるものには困らないでしょう」
「后よ、良くやった」
頭を撫でるとミケは嬉しそうに微笑んだ。
玉座の微笑ましい雰囲気とは対照的に広間では恐怖が支配する気配がうかがえる。これで良い。
「各々の職務内容については明日までに書をもって報告せよ。嘆願事項のあるものは残れ、解散!」
蜘蛛の子を散らすように人のいなくなった広間の末席に、1人だけ残っているのを広間の気を探査したミケが発見した。
「そこに残っている者、近くに寄れ」
「あ、あの、よろしいのでしょうか」
「余にそこまで行けと?」
「あ、は、はい、ただいま」
慌てて走って近づく少年に武器と悪意は感じられないとミケが耳打ちをした。
粗末な貫頭衣を着た少年は玉座の手前で跪いた。
「発言を許す。嘆願があるなら言うが良い」
少年は恐る恐る頭を上げた。
優一もミケも少年が言葉を発する前に、瞳に浮かんでいる絶望に気が付いていた。
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