改良される事もなく、改竄される事もない。だから代わりとして受け入れられる

 憧れていた理想は遠かった。

 触れる事は出来ず、近付く事も許されない。

 動物に触れれば息絶えて、植物に触れれば枯れ果てる。

 海に沈めば、沈んだ海から世界そのものを殺しかねない猛毒の体。

 それが、かつての彼女――黒髪のクオン・クロフォードと言う存在だった。

 が、それも過去の話。

 自分を猛毒の体にした張本人によって解毒され、愛する男の伴侶にして貰ってから数か月。誰も触れられず、触れる事を許されなかった体には、奇跡が宿っていた。

「大丈夫? クオン」

「うん……今日はまだ、気分が良い……」

 旦那の名はシャルル。

 ドレスを作ったり直したりする裁縫屋の跡継ぎ。

 店主の息子ながら、元々は候補の一人に過ぎなかったが、他の候補よりも先に嫁を取った事で正式に跡継ぎとして認められた。

 そしてクオンは姑に豪く気に入られて、周囲でも評判の看板娘になっていた。

 ただ、めでたい事に二人の間に子供が出来たのだが、クオンは悪阻つわりが酷くて、外出はほとんど出来ていなかった。

 普段からも顔色が青白く、あまり良いとは言えない。

 悪阻のせいであまり食事も出来ないため、度々入院しては、点滴を打ったり栄養剤を飲んだりしていたが、お腹に子供もいる状態で妊娠前とほとんど変わらぬ体重なので、旦那を始めとした家族みんなが心配していた。

 だから彼女の口から強がりじゃない微笑がこぼれた今、旦那は本当に久しぶりに安堵の息を漏らす。

 血なんて繋がっていない。ましてや姉妹なんて関係性はあり得ないホムンクルス同士ながら、やっぱり長年一緒に育ってきた関係は、本物の姉妹と大差ない事を、実感させられる。

 だから彼女達が来る今日、無理やりにでも元気な姿を見せている妻の姿を見て、旦那は心の中で謝意を示す。

「やっほぉ! 黒髪ぃ! じゃなくて、クオンー! お久ぁ!」

「軍務お疲れ様です、お姉さま!」

「おねぇさみゃ!」

「銀、茶髪が真似するから敬礼はやめろ。妊娠から出産は大変だが、軍務ではない。そして金、仮にも家族のいる家なのだから、鎧は脱げ」

「緑髪様、手土産をご用意致しました」

「白! そんな単価価値数億の宝石のついたアクセサリを、世間一般には手土産と言わない!」

「だ、大丈夫ですよ義姉おねえさん……お構いなく」

「常識の逸脱した姉妹ばかりですまないな……黒髪のご主人」

 あの外道が、一般常識も仕込んでおくはずもないしなと、緑髪は頭を抱える。心無しか、旦那には彼女の耳が少し落ち込んで垂れているように見えた。

 この少しの時間だけでも、彼女達が普段どんな時間を過ごしているのかがわかる。

 そんな彼女達を見て嬉しそうに微笑む妻の顔色を見て、ずっと緊張しっぱなしだった心がほんの少しだけ柔いだ。

「久し振りだな。顔を見られて、拙は嬉しいぞ」

「おぉ、凄い……本当にお腹膨らんでる……」

「ふくらんでるぅ!」

「茶髪ちゃん、お腹を叩いてはいけませんよ?」

「……あの人は来ないのだな。てっきり、ホムンクルスの妊娠について、何かしらの興味を示すかもと思っていたのだが」

 そう語る黒髪は、安堵した様子でありながら少し残念に感じているようだった。

 今まで彼女があの人に対して、怒りや鬱憤を溜めている様子は感じられなかったし、陰口を叩いている場に同席した事も無い。

 不満の類はすべて毒と共に無くなったようで、彼女はずっと感謝こそすれ、あの人を恨んでなどいなかったのだけれど、それでも不思議に感じてしまう。

 【外道】の称号と彼が持つ裏の顔を知っているからの弊害か。

 特別来て欲しい訳でもないが、来ないなら来ないで少し寂しいという気持ちは、理解するのは不可能ではないが、難しかった。

「ねぇねぇ! もう性別はわかってるの?!」

「うん。男の子だそうだ」

「まぁ。では、未来の跡継ぎ候補ですね。他の候補に後れを取らないよう、しっかりと教育を施しませんと」

「白……さすが元は王女なだけあるな。真っ先に思い付くのが後継者問題か……」

 一般常識は欠落させておいて、ベースとなった原型の本質は留めているのだから悪質だ。

 仮に一般常識の欠落した原型を基本として制作したのなら、彼は一切改良する事なく、改竄する事なく、そのままの形で作り上げるだろう。

 だからこそはその者の代わりとして成立し、人々は受け入れる。

 だからかの魔術師は、彼をこのように変えて欲しいだとか、彼女をこのような性格にしてほしい、なんて都合は聞き入れない。

 外道の魔術師曰く、生物とは生まれた段階で構築が完了されたものであり、不完全であろうと歪であろうと、生まれた瞬間からすでに原型の設計は完了してあるから、そこに触れようものなら、生物は忽ち崩壊してしまうとの事だ。

 だから、人格破綻者を己が手で殺めた後、崩壊した人格を戻した状態で作って欲しいと願って来た貴族は、後日、送られたホムンクルスによって殺された。

 人の道から外れた外道と呼ばれる男であるが、実際、彼よりも輪郭を以て人の道とは何たるかを捉えている人物はそうはいないと思う。人の道という定義を明確に理解しているからこそ、彼は人の道を自ら踏み外す事が出来たのでは、と思わない事もなかった。

 まぁ、そんな彼にも理解出来ない問題があったりするのだけれど――と、緑髪は茶髪に一瞥を落とす。

「で、実際継がせるつもりなのか?」

「いや。それはこの子が決める事だ。それに……」

 そう。それに、基本的問題がまだ残っている。

 ホムンクルスが――しかも元々体に猛毒を持っていたホムンクルスが、果たして子供を産めるのかどうか。そんな、根本的で目を逸らす訳にはいかない問題が。


  *  *  *  *  *


「まったく……まるで面白くないネェ。そうは思わないかネ? おまえ達」

 背後の二人に問いかけるが、返答はない。

 暫く経っても本当に返答が無く、魔術師は片方の頭に拳骨を落とした。鉛と鉛がぶつかったような、痛々しく低い音が鈍く沈む。

「いったぁい! 何で私だけ?! 藍だって黙ってたのに!」

「藍色は元々無口だが、おまえは元々騒々しいだろう。あからさまに無視してるのが見え見えなんだヨ。しかし、おまえもだよ、藍。返答を求められてるんだ、言葉こそ用意出来ずとも、簡単な返事なり相槌なりは返し給えヨ」

「……申し訳、ございません」

「まぁいい、行くヨ」

 若干赤みを帯びた桃色の頭髪を側頭部の両端で結んで、溌剌とした印象の強い少女と、藍色のセミショートを揺らす静謐なイメージの強い女性が続く。

 新たに制作した二体のホムンクルスを引き連れ、外道魔術師は事件現場である魔術学園生徒寮の施錠された扉を蹴飛ばした。

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