「古い考え方だが、不随だろうと、異形だろうと、最も慈愛出来るのは自分自身」

 彼の依頼は、自分の弟の結婚相手を作って欲しいとの事だった。

 元々彼は貴族の家の生まれで、長男の自分が形で生まれてしまったために、弟が後継者の第一候補となったのだが、弟が恋した令嬢は隣国の皇子が妃として迎え入れてしまい、しかもそれで終わりだったら良かったのだが、思い込みの激しい弟は彼らの結婚式に殴り込みしてしまい、彼女を奪い取ろうとしたから一大事。

 自分を好きだと思い込んでいた弟は呆気なくフラれた挙句、結婚式を邪魔した罪で多額の賠償金を払わされたものだから、後継ぎを作ってさっさと隠居しろと近親者に責められる始末。

 なので、弟がゾッコンだった令嬢のホムンクルスを作って欲しい、との事だった。

 本来ならば女を奪われた挙句、自分勝手な思い込みで人様の挙式を滅茶苦茶にして更にフラれたという弟の話に呵々大笑するなり、憐れんで溜息を漏らすなり、何かしらの反応を見せても良い物だが、博士は依頼をただ受けただけで、一切の感動を見せなかった。

 人の好き嫌いに干渉していたらキリがないとは言うけれど、何も思わない、感じないと言うのもどうなのだろうかと、災禍の分身ながら思った。

 だが何より不思議なのは、災禍の分身たる自分が、そのどうしようもない弟を抱えている貴族に対して憤っている事であった。

「何を怒る事があるのかネ」

 博士に言われて、初めて気付く。

 注文にあった女の写真を見ながら何かしら考えているようだったが、大方、このまま作っても面白くないな、くらいの事だろう。

 でなければ、試作品すら作っていない段階とはいえ、話し掛けてはこない。

 そういう人間なのだと、最近になってわかって来た。

「貴族は品格を重視する種族だからネ。あんな異形が生まれれば、捨てるのは当然の事ダ。寧ろ貴族の家に残っていればこそ、見世物にされていただろう。今の方が、余程幸せだろうサ」

「冗談で言っているのなら笑えないぞ。あれが幸せなものか。あれが仕事と宣う奴も気に喰わないし、あれを良しとしている者達も気に喰わん。我もまた、災禍として忌み嫌われた存在であったが、恐怖こそあれ、嘲笑は無かった。しかもあれは、我のように作られた存在ではない。遺伝子情報の欠落ないし突然変異にて生まれ落ちた産物だ。それを保護するでもなく庇護するでもなく、見世物にして金を落とすなど人ならざる所業。許されてなるものか」

「何だネ、随分と干渉するじゃあないカ。だが仮に、貴族の家であれが寵愛を受けていたとしたら、あれは弟と比較され、弟を含めた他の貴族をただよく見せるだけの存在と化していただろうサ。それこそ、ネェ」

「貴い犠牲……と来たか」

「そうならなかっただけ、奴にとっては幸運だったダろうサ。今の生活だって、ピエロやクラウンのようなものさネ。サーカスで芸を仕込まれた動物を見たいがために、金を払うのと同じ事。相手が人間だからといちいち同情していては、埒が明かないのだヨ」

 博士の言う事は、一理ある。

 理解出来ない訳ではないし、彼の言う未来も十中八九起こり得た可能性だっただろう。

 しかしだからと言って、彼を追い出した家の人達を許す事など出来ないし、家の人達にそんな深い考えがあったとは思えない。

 仮にも自分の息子を、国内でも無法のスラムじみた土地に置いておくなど、一体どういう神経をしているのか疑いたくもなる。

 弟がそれだけの失態を冒しても、常識ある兄を戻そうとしないのは、外見の恥の方が中身よりも許し難いからか――だとすると、胃の腑の奥から込み上げて来る憤怒にも頷けた。

 魔導、魔力が齎すのは繫栄か破滅か。それを証明するため作り出された災禍エンシェティア。

 他人ひとによって異形に変えられた挙句、手に負えないからと封印された自分の事も充分腹が立つが、遺伝子情報の変質と欠損によって求めてもない姿に生まれてしまった挙句、勝手に見捨てられ、見限られ、見放されたなんて憤怒以外に湧き上がる感情が無くて、伝播した本体が、今にも自身を封印している山を背負って這い出来てそうだった。

 まぁ、今のは物の例えなのだが、とにかく怒っているのだけは事実だ。

「第一に、あの兄も兄だ。弟の失態を、何故奴が拭わねばならない。依頼主は実質、あの兄の家の者達だろう」

「マァ、面目という奴サ。家に私を招いたところを見られてはマズいと、考えた者がいたのだろう。だからあの兄に依頼金を渡して彼からの依頼と言う事にすれば、私との接触を避けられるという打算だろうサネ」

「あぁ、だ……だらけきった計算だ。自ら見捨てておきながら、都合の良い時に利用する。この時代の貴族とは、こんな連中ばかりなのか」

「それこそ、ピンからキリまでだネ。これ以上なく愚かな奴らもいるし、馬鹿と呼ばれてもおかしくないくらいに善良な奴らもいる。まぁ後者に至っては、それこそ絶滅危惧種だがネ。愚か者ほど悪知恵が働くものダ。そういう連中の餌にされるケースが、後を絶たナイ」

「あの兄のように、か……」

「そういう奴からなっていくのだヨ。それこそ、貴い犠牲って奴にネェ」


  *  *  *  *  *


 気持ち悪い。気味が悪い。

 生まれてこの方、そう言った言葉しか言われた事がない。

 ただの人間ながら、四つもの脚を持って生まれた自分には、初めから人権と呼べるものがなく、与えられる事もなかった。

 子供を捨てたと露見すれば世間体が悪いからと、家の中に軟禁される形で人々が青春と呼ぶ十数年間を過ごし、人としての道徳と一般教育。最低限の知識だけ与えられ、同じ境遇で苦しむ人間達が集う集団に売り飛ばされた。

 奇しくもそこだけが、今まで言われ続けた罵声のない場所だった。

 無論、その体を見せている観衆には言われるし、笑われるし、投げつけられる硬化は痛いけれど、それが仕事なのだから仕方ない。

 お陰で住む場所もあるし、ギリギリながら、次の収益のある日まで食い繋いでいけるだけの金銭も貰えている。

 周囲から見れば、嗜好品どころか家具の一つもない寂しい家だけれど、人の悪意ばかりが毎日通う家の隅の暗い部屋に閉じ込められるよりはずっとマシで、車椅子も手足同然に動かせてしまう今、不自由に感じる事は何も無い。

 何もないけれど、羨ましく思わないと言えば嘘になる。

 自分達を嘲笑って、硬化を投げて来る人々の、万全な体を見て思うのだ。もしも自分が、彼らと同じ体に生まれたら、自分はどんな人生を送っていたのだろうと。それこそ、彼らの言う普通の人生とやらは、一体どんな人生なのだろうと。

 まぁ、そもそも自分は貴族の生まれだったのだから、世間で言うところの普通や平凡とは違う人生を送ったのだろうが、それでも弟と同じ人生を送ってみたかったと思わなくもない。

 誰かを本気で好きになって、奪いに行く程愛して、フラれるのは堪えるだろうけれど、それでも、誰かを真面目に好きになって、愛してみたいと思うのだ。

 だから恋人を取られてしまった弟には、せめて自分の分まで幸せになって欲しかった。弟は何も思っていないかもしれないけれど、家から初めて必要とされ、初めて力になれる機会を与えられた自分には、拒むなんて選択肢はなかったのだ。


  *  *  *  *  *


 青年は、突如として部屋に入って来た彼女を見上げていた。

 見覚えはある。最近、一番近くで自分の足を一番長く見ていた人だったから憶えていた。

 自分達を嘲笑い、硬化を投げる人達は自分達の醜悪な姿を見て嗤ったり、気持ち悪がったりするけれど、ずっと見ているわけではない。

 何度も視線を向けたり、逸らしたりを繰り返して、彼らにとって此の世ならざる非現実を徐々に受け入れながら、耐え切れなくなって硬化を投げる。

 怖いもの見たさで半分だけ受け入れた非現実を、一瞬にして拒絶して去って行く彼らと違って、彼女はずっと自分の足を見ていたから、つい、見返してしまったのを憶えていた。

「……今日は、あなただけですか? どうしたんですか? 此の脚が、そんなに物珍しかったですか? あなたのように、何度も来る人は――」

「何故だ」

 不意の質問が生じさせた、数拍の静寂。

 問い質せば生まれるのは必然なタイミングだったし、理解も把握もしているつもりだ。が、それでも気まずかった。

 しかし問い質さずにはいられず、胸の内の鬱憤を晴らさずにはいられなかったのも、また事実だ。

「……えっと、何が、ですか」

 青年の苦笑が、また災禍の機嫌を逆撫でる。

 晴らそうと思っていた鬱憤は積もるばかりで、胸の内に燃える魔力が災禍の体を小刻みに震わせていた。

「何故、考えなかった。かの魔術師ならば、自分の足をどうにか出来る可能性があると。無様かつ滑稽な弟の事など捨て、自分が助かろうと何故考えなかった! 何故自分が助かろうとしない! 何故、最初から諦めた顔で笑うのだ!」

「何故って、そんな……私はただ――」

「気に喰わん! 貴様を捨てた家など捨ててしまえ! おまえは利用されているだけだ! 家の面目を保つため捨てられ、面目を保つため裏ルートの経由役にされ、面目を保つため、花嫁を用意させられ、結局おまえに何が残る?! それではおまえは一切報われないではないか! おまえが報われずして、どうしてその役目を全うしようと思える!? 何故自分を第一に考え、自分が助かろうとしない! 千載一遇の機会ではなかったのか?!」

 何と返せばいいのか、わからないのだろう。

 吠えた災禍とて、同じ立場ならば返す言葉を持たないし、知らない。

 だが、吠えずにはいられなかった。叫ばずにはいられなかった。訴えられずにはいられなかった。憤らずには、いられなかった。

 だって、青年が吠えないし、訴えないし、怒らないから。

 泣かないから。

「おまえの境遇は勝手ながら聞いた! そして勝手だが言わせて貰う! おまえは馬鹿だ! 今の時代を知らない我から見ても大馬鹿だ! 何故己が欲望を唱えない! 何故、目の前にある機会を蔑ろにする! 何故だ! 我にはまったくわからない! 本当にわからない! これほどの激情に駆られたのは、三〇〇年ぶりだぞ!?」

 息が乱れて、肩で呼吸する。

 勢いでまくし立てたせいで、感情があやふやで、グチャグチャで、今にも崩壊してしまいそうだった。

 泣き出してしまいそうだった。けれど、泣くわけにはいかない。

 泣きたいのは自分の方ではないと、災禍には自覚があった。

 そうして我慢した甲斐あって、ようやく青年の涙を誘う事が出来た。ほんの一滴。ほんのわずかながら漏れ出した彼の心の内。逃すつもりはない。

「それこそ、今となっては古い考え方やもしれぬが……例え不随であろうと異形だろうと、己が身を最も慈愛出来るのは自分自身だ。家の人間に必要とされて舞い上がったやもしれぬが、少し頭を冷やせ。そして、もう一度決断せよ。おまえは、本当はどうしたいのだ」

 青年は涙を拭い、災禍を仰ぐ。

 自分のために怒鳴り、喚き、肩で息する彼女の存在が、青年には最初よりも遠くに感じられた。

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