〖オープニング・ストーリー〗

 異文化交流会、当日。

 学園でも恐ろしき魔女と謳われる“橙の魔女サンセット・プリンセス”が歌う。

 催眠系統の魔術かそれとも呪詛か。いずれにせよ、これは面白いと興味を引かれた学生らが、公開演奏ライブの行われる魔術演習場へと集まった。

 控える双子は揃って陰から集まっている人の数を見て、緊張の面持ちで下がる。

 集まる皆の注目は中央で歌うオレンジだと言うのに、六人の中で一番当人が落ち着いているのが、不思議でならなかった。

 そもそも湖で災禍と出会った夜から、オレンジはずっと不思議だった。

 五人との交流をしばらく絶っていた事は当然として、ある日突然練習場所にやって来たと思ったら、素人ながらに何度も書き直しながら書いたのだろう楽譜を持って、これを歌いたいと言い出したかと思えば、今までのフワフワとした雰囲気が一転、これまでにないくらいに真剣で必死な姿を晒し、今日まで練習に励んでいたのだから。

 一体、何が彼女をそこまで奮い立たせたのか。訊く事は出来ないけれど、彼女に何かしらの変化を与える出来事があった事だけはわかる。

 だが、自分達の相手をしてくれている時でさえどこか間の抜けたような、フワフワとした不思議な雰囲気を醸し出しているような人だったのに、まるで人が変わってしまったかのようで、そこまでの変化を齎すものが例の災禍以外に考えられなくて、双子は興味を抱かされた。

 彼女を変える災禍とは、一体どんな存在なのだろうかと。

「……オレンジ。今更になるけれど、あれはあの災禍を想って書いた曲かしら」

 アザミの問いに、オレンジはゆっくりと項垂れるような形で頷く。

 ワルツェとディマーナは隣で聞いていて、鳴らす緊張と闘いながら複雑な心境を顔に出す。

 そう、と漏らすアザミもまた、複雑な面持ちで吐息した。

「私達は、少なからず理解しようと思えば出来ると思う。あなたの友達だから。だけど、他の人達からしてみれば、あれは災禍以外の何者でもないわ。生物ですらなく、災害ですらなく、破壊という事象。殺戮という暴力としか、受け入れられない。それは、わかっているのよね」

「……うん。でも、私がそう理解していると、歌う事は出来る、から」

「……そう。じゃあ、私はもう文句なんてないわ。存分に、歌いなさい。私達が演奏サポートしてあげる」

「ありがとう、アザミ」

 その言葉に、ワルツェとディマーナも吹っ切れた様子で、揃ってオレンジの肩を叩く。

 ワルツェは満面の笑みを浮かべてウインクし、ディマーナも力強く親指を立てて見せた。

「ワルツェ、ディマーナ……ありがとう」

 時間が迫って来た。

 全員、ゆっくりと会場に上がる。

 幕が開いた瞬間、文字通りの開幕だ。

 オレンジはかつて、災禍と共に見た音楽団オーケストラのコンサートを思い出していた。

 ドレスコードに身を包んだ人々の前で、隊列を組むが如く並び立つ高価な楽器達。一時期は高貴な一族の間でのみ許される趣味だったらしい歴史を思わせる、庶民とは遠い重厚感に包まれた場所だった。

 が、今、オレンジが友達といる場所はそれとは似ても似つかぬ場所だ。

 高貴な血統も平凡な血筋も入り混じって、整えられた身嗜みも何も無く、軽々と奏でられる演奏と歌とを純粋に楽しむだけ。

 嗜むも楽しむも、突き詰めれば同じ意味合いに感じられるのに、どこか違うと感じる違和感が、自分がかつていた観客席と、今立つ舞台との違いを感じさせる。

 奏者と客と言う立場的違い以前に、そもそも分野が違うぞと指摘されている様で、彼の好きな音楽ではないのではないか、彼は寧ろ嫌うのではないかと不安にもなったけれど、幕が開くほんの一分前、開かれる幕の奥の奥。誰も気付かぬだろう空の上の魔力を感じた時、ずっと強張っていたオレンジの顔に、周囲の誰もが気付けない程の文字通りの微笑が湛えられた。

「みんな、私の我儘に付き合ってくれて……ありがとう」

 幕が開く直前、オレンジの言葉が皆に笑顔を浮かばせる。

 観客は皆、この演奏に向けた彼女達の気合と捉えたろうが、初めて友達として自分の我儘を押し付けられ、付き合わされ、感謝を述べられた事に対するむず痒いような気恥ずかしさくる笑顔以外になく、オレンジに第一声を許したのは、ちょっとした失敗だった。

『皆様、大変長らくお待たせ致しました。これより、私達の……』

「いや堅苦しいわ!」

「もうちょっと崩しても大丈夫よ」

「って訳で、二人共よろしく!」

『『はい!! みんなぁ!! 今日は来てくれて、ありがとう!!』』

 観客席から声援が送られる。

 自分の知っている客席とはやはり違って、オレンジは少し驚いた様子だったけれど、皆が嬉しそうに笑っていて、猟奇的狂気が感じられないと、嬉しそうにはにかんだ。

 その時の笑顔が今までの彼女から繰り出された事でギャップとなり、エスタティード・オレンジに対して好意を抱く男子が、後にファンクラブを陰で気付いたとかいないとか。

 兎に角、オレンジはその日初めて心からの笑みを向け、手を振った。

 彼女に好意を持った異性には酷な話になるが、彼女が手を振ったのは客席ではなく、愛しき歌う災害と、それぞれが飼う獣の背に乗って見に来た義姉あね達を、落ち行く橙色の帳の中に見出したからであった。

『文化祭ももうすぐ終わり! 最後は私達の歌で昇天なさい!』

『ど、どうか心行くまで楽しんで下さいね! よろしく、お願いします!!!』

 観客席は熱気に包まれる。

 最早、上手だろうと下手だろうと関係ない。

 今日という一日が作り上げた雰囲気が、皆の興奮と幸福を生んで、この場に皆で集まった時点で、連鎖するように拡散、伝播していった興奮がより大きく強い興奮を生み出し、盛り上がり続ける会場と言うこれ以上ない環境を整えていた。

――集団心理と言うのハ良くも悪くも利用しやすいものだネェ。個人の想いは小さくとも、同じ方向を向く思いが集えバ、過剰なまでの反応を見せル。だから結局は――

 そこまで上手くやる必要はない、とでも、あの人ならば言うだろう。

 けれど、出来る事なら上手く歌いたい。かの歌の如く、神様まで届かなくとも良いから、せめて、空で見守る義姉あねら。そして、災禍かれに届きますように。

『では、序曲――』

『じゃなくて、ファーストナンバー!』

『……第一演奏ファースト・ナンバー、〖始まりし感情の名は恋オープニング・ストーリー〗』

 学生らにとって、夢のような時間の終わりが始まる。

 しかし少女オレンジは新たな始まりを確信し、玲瓏な声音を震わせ歌う。他でもない、エスタティード・オレンジが抱いた心の始まりを讃えて。

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