「人は対極の同立、二律背反に美を感じる」

 【外道】の魔術師曰く、人は対極の同立。二律背反に美を感じると言う。

 晴天に輝ける真白の陽光の後、下ろされる夜の帳に光る白銀の月光。

 灼熱に焼ける溶岩帯。蒼白広がる海原。

 天使と悪魔――もしくは堕天使。

 もっと単純なもので言えば、白と黒。

 本来交わるはずのない二つの果てが重なり合う光景にこそ美を感じ、あり得ざる光景を絵画として残す芸術家も少なくはない。

 故に昔、まだ魔法という概念が色濃く残っていた時代、魔術師の家系に生まれた双子は対極を成す存在として人格から作り上げられていった。

 片方が強気なら片方が弱気。片方が炎を操れば、片方が氷を操る。片方が目を失明すれば、片方は目の代わりに鼓膜を破られ、聴覚を失うことで対極とされてきた。

 そうした風習は今や廃れた過去の遺物であり、異物でありながら、その考え方を未だに重んじて、対極を成し遂げようとした憐れな家を一つ、魔術師は知っていた。

 憐れにも対極を成し遂げようとして失敗し、外道に泣きついて来た、固定観念に縛られたみすぼらしい家だ。

 仕事も終えて以降、一切の連絡もなかった今まで興味など生じなかったが、今年度に第五国立魔導学校に入学させたと言うので驚いた。

 よくもまぁ、あのような出来損ないを世間に出す気になったものだと、憐れを通り越して呆れてしまい、何も言えなかった。

 認めたくないが、は魔術師の作り上げたホムンクルスの中でも、数少ない失敗作だったからである。


  *  *  *  *  *


「勝負よ! 橙の魔女サンセット・プリンセス!」

 指先から放たれた雷電が一直線に廊下を突き抜けたかのように、一言の衝撃は届いた廊下にいた全員の目を丸くし、耳を疑わせた。

 転校してきた生徒が自分の力を誇示するために同学年の相手を見つけて喧嘩を売る事は、権謀術数蔓延る魔術の世界では珍しくない。

 だが、入学したての新入生が上級生のいる階層まで上がって来て宣戦布告など、滅多にない出来事である。

 第五国立魔導学校では、それこそ一八年ぶりの事だとか。

 そんな珍事に巻き込まれた当の本人はキョトン、とした様子で首を傾げ、あろう事か自分が指名されているとさえ思っておらず、自分以外に指名されている誰かを探して後ろを振り返る始末である。

 後ろにいた三人に、いやあなたでしょと振り返されて、ようやく気付いた程だった。

「さ……橙の魔女サンセット・プリンセス!」

「わた、し……?」

「あなたよ、あなた。いい加減覚えなさい」

 異名を与えられる事は、魔術師にとって魔術を魔法へと昇華する事の次に誇りとする事だ。

 例え学内だけの小さな名前だとしても、今後成長し、異名が世間に知れ渡る可能性だってあり得るのだから、学内だけの異名と侮る事は出来ない。

 故に橙の魔女サンセット・プリンセスという異名で呼ばれる今のオレンジは、学内全体で認められた実力者という事であり、当人の自覚が大きく欠落しているのは異例中の異例。オレンジが持つ特有の異質と言えた。

「……勝負とは、何を競うのですか」

 冷淡。そう取られても仕方ないくらいに、淡泊な返事を返す。

 勇気を振り絞り、名指しで勝負を挑んできた挑戦者に対してはかなりの無礼。権力が物を言う世界だったなら、恥を掻いたと告げ口をされて斬首刑にさえなりかねない失態だが、誰よりもオレンジ本人が怖がっていなかった。

 というより、その場で唯一、双子の事をちゃんと知らなかった。

 確かに魔術学園に来てしまえば、如何なる名家の子供であろうと同じスタートラインに立たされ、一般の子供達とさえ比べられ、優劣を付けられる。そして必ずしも、名家の子供が勝つなんて道理はない。

 だが最低限の知識として、名家に生まれた名前と顔は把握しているものだ。

 もはや敬意の欠片もない。

 周囲は啞然とし、呆然とする事しか出来ない。

 力強く出され、真っ直ぐにオレンジを指していたコナンの指が、今にも折れそうである。

「とりあえず、勝負を受けるところから始めたら? ね? オレンジ」

 見かねた隣の天使が耳打ちすると、オレンジは二人の後輩を真っ直ぐに見つめて。

「……わかりました。挑戦をお受けします」

 と、また淡泊に吐いた。

「い、今全然わかってなかったじゃない!?」

「とにかく、挑戦をお受けします。勝負方法はご自由に」

 実際、オレンジは入学してから今日までの約八ヶ月の間に、幾度も勝負を挑まれた。

 勝負の形は色々あったし、すべての勝負に勝ったわけでもないのだが、勝っても負けても彼女は淡泊で、屈辱も侮辱も受けないし、勝ったとしても浸る余韻がない。

 故に勝負を挑んだ方は挑む前から打てど響かぬ違和感に蝕まれ、勝負の最中から終わりまで、絶えずその違和感と戦い、終わった時には自分がどれだけ無駄な時間を過ごしていたのかを知る。

 さながら、今日は何もしなかったなと夕闇の陽光に染まる空を見ながら黄昏るかのように。

 それがオレンジの異名、橙の魔女サンセット・プリンセスの由来である。

「では、私は授業がありますから。放課後に改めて」

「え、え、ちょ……」

 勝負を挑まれれば授業など捨て、その場で決着を付けるのが普通だ。

 だが良くも悪くも、オレンジは気真面目に授業を受ける。例え勝負を挑まれた直後でも、授業中に挑まれたとしても、授業が終わる放課後までお預けを受ける。

 故に挑戦者は皆、考えてしまう。勝利の算段とか勝負の方法よりも、彼女の正体について。他の魔術師とは明らかに異質な彼女の正体について、あれこれと無駄な思考を働かせてしまう。

 本来必要のない思考が、挑戦者を悉く黄昏の夕闇へといざなっていく。

「ごめんね! あの子、単位がちょっと危ういからさ! 放課後、女子寮の前で待たせるから、悪いけど迎えに来て!」

「ま、勝負は受けるから安心しな! 頑張れ! 新入生!」

「……あなたの気持ち、お察しするわ」

 友達の三人がフォローするが、とても響かない。

 経歴も身分も自分達の方が上だと分かった上で、敢えて挑発的な態度を取られるならわからないでもないが、オレンジからは敵意の類が一切ない。

 だからわからなくなって、混乱させられる。

 結局、その時になっても混乱は解けぬまま、フワフワとした浮遊感に体が支配されたままで、魅了の魔術でも掛けられているのではないかとさえ疑って姉に解術までして貰ったが、それでも治らなかった。

 オレンジの側には立会人という事で、昼間と同じ三人が集まっていたが、挑戦者が同じ状態で何度も来ているのだろう。

 もう慣れた様子で、特別不思議にさえ思っていないようだった。オレンジ当人は言わずもがな。昼間と同じ、淡泊かつ冷淡に思える涼し気な目で双子を見つめている。

 他の生徒からは突き刺さるくらいに感じられる魔術への熱意が感じられず、瞳を見つめていると底なし沼のように引きずり込まれそうになる。

「ホラ、オレンジ」

「……お待ちしていました。昼間は申し訳ありませんでした。かのジュエリア姉妹とは見知らぬ我が不知をお許しください」

「え、あ……はい」

「オレンジ、それじゃあ腰低すぎだって……先輩なんだし、挑戦を受ける側なんだから、もっとこぉ……」

 フォローする三人も大変そうだ。

 思えば勝負だと指を突き付けたとき、三人が疲れたような顔をしていたのに、この時になってようやく気が付いた。

「それで、勝負の種目は」

「何でもいい、と」

「はい。何でも」

「では、先輩の実力を拝見したく思います」

 実戦試験も行われる地下広間が起動。電源がつき、転移の魔術陣が光る。

 許可はコナンの方から取っていたらしいが、本来なら一年生には許されていないはずだ。

 ジュエリア家の権限を使えば、こんな事も出来るのだと牽制するつもりだったのだろうが、生憎とオレンジにはまったく効いていなかった。

 広間は観客席が設けられている上階と、実戦試験が行われる下階とに分かれており、オレンジとコナンの二人は下、他の四人は上へと転移する。

「私達について、調べて下さったようですね。では私達双子が、魔眼の持ち主である事もご存じかと思います。勝負は単純。私の魔眼を先輩が看破出来れば先輩の勝ち。出来なければ、私の勝ちです」

「わかりました」

 即答。

 確かに疑問の余地も挟みようのないほど単純化されたルールではあるが、一つくらい質問があると思っていたのに、何も無いとは拍子抜けさせられる。

 看破すれば良いとは言ったが、看破の方法くらいは聞いて来ると思っていた。

 目を魔眼に変えている魔術そのものを破壊すればいいのか。それとも目を潰してしまえばいいのか。或いは、殺してしまえと言う事なのか。

 単純な回答でも三つは出て来るのに、他の方法もとなると、数は限られるものの、方法はいくつもある。その中のどれをすればいいのか、オレンジは問わなかった。

 相応の自信か。それとも単なる非情か。最悪殺してしまえばいいと考えているのなら、悪寒さえ感じるものだが。

「では、始めましょう。カウントスリーで魔眼を発動します。そこからが勝負です」

「わかりました」

 本当に、わかっているのか。

 オレンジは双子の事を調べたような事を言っていたが、魔眼について調べなかったのか疑問符が浮かぶ。

 ジュエリア家は魔術の名家だが、主に魔眼に関する専門家スペシャリストだ。

 初代から現在まで、ジュエリアに生まれた子供達は自らの魔眼を開眼、開発してきた。カナン、コナン姉妹も同様に自らの目を魔眼に変える魔術を開発。その魔眼で以て、成績優秀者として当学校に入学した。

 だから、噂程度にも聞いたことがあるはず。聞いたならわかっているはず。コナン・アーティ・ジュエリアの魔眼は、神話の時代に多くの英雄を殺した怪物の目の再現であると。

「では……スリーツーワン――!!!」

 神話において、怪物の目は魔眼を超えた邪眼と呼ばれていた。

 コナンの目はそれに近付けただけの魔眼であり、邪眼そのものではない。が、邪眼までは至れずとも、魔眼にまで昇華出来たことこそ奇跡であり、ジュエリア家始まって以来有数の鬼才と呼ばれる所以となった。

 青い前髪の下で輝く紺碧の双眸が淡く輝き、仕込まれた魔術を発現。魔眼となってオレンジを睨む。

 視線は生物の動きを停止させ、筋肉から骨へと侵蝕し、硬直させる。

 魔眼に対抗できるだけの魔力を持たない相手ならば、血流や脳の電気信号まで停止させ、生命としての活動そのものをも停止させ、石へと変える。

 石化の邪眼。

 邪悪なる怪物が宿していたとされる、神話の生命を停止させていた悪魔の眼。

 神話に語り継がれていた怪物の目には届かずとも、コナンの目は限りなくそれに近い代物だ。オレンジには看破は疎か、動く事さえ出来ないはずだった。

 だがそれは、ではあるが。

「――?」

 探した。

 今の今まで目の前にいたはずの人を、見失った。

 移動は一切許していなかったし、見逃すような距離でもなかったはずなのに、見失って探す。

 右、左、後ろ、上――どこにもいない。いや、そもそも誰もいない。視界が暗い。真っ暗だ。コナン自身、今までに体験したことがないくらいの暗黒。

 暗すぎて、前どころか手元も見えない。自分の掌さえ見えない暗闇の中に、いつの間にか放り込まれていた。放られた感覚なんてなかったのに――

「“序曲イントロダクション孤立無音パレード・オブ・ソロ”」

 コナンの視界に、光が戻って来た。

 だが体が凄く重くて、しんどくて、自分の手を見るために下げていた顔を上げられない。下を向き続ける目が、やがて床に突いている両膝に気付いて立ち上がろうと思うものの、体に力が入らず、硬直したまま動けなかった。

 いや、動けるはずがなかったのだ。

 何せ今、自分を見ているのは、石化の邪眼に近付いた生物の動きを停止させるコナン自身の魔眼なのだから。

「あの……魔眼。解除しないと、死んじゃいますよ」

 後ろから、声が聞こえて来た。

 暗転する直前まで、文字通り目の前にいたはずの彼女の淡泊な声が、淡々と事実を告げる。

 するとコナンの目からボロボロと涙が零れて、自らの魔眼で硬直していた体を解除。前のめりに倒れそうになったのを辛うじて両手を突いて留まったが、もはや倒れていようがいまいが、状況は同じ事。

 文句の付けようもない、コナンの敗北であった。

「あぅ、ぅぅ、ぅぅっ……」

 何も出来なかった。看破されたのならまだしも、看破させられた。

 自分はオレンジの魔術がまるで理解出来ず、一端に触れる事さえ出来なかった。

 それでも敗者として、最低限の礼儀は尽くさなければならない。嫉妬を振り撒いて駆け出してもいいし、皮肉を籠めて湛えてもいいし、純粋に惚れてもいい。自由だ。

 だけどどれも出来なかった。何も出来なかった。ただ悔しくて、惨めったらしく泣いた。子供の頃に戻ったように泣きじゃくった。

 そしてそんなコナンを、オレンジはずっと、何も言わずに見下ろしていた。

 オレンジもまた、夕暮れの黄昏に沈む。

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