「謝れることは偉い」

 無限の霧幻。

 光どころか音さえも屈折し、進むべき方向どころか現在地点さえ把握が難しい。

 迷宮内では、絶えず空の研究所を差す特殊な磁石でさえ、見当違いの方向を向いている。

 元々方向音痴の青髪は、一緒に行動していた黒髪と白髪の袖を、それぞれ掴んで離そうとしなかった。

「黒ぉ、白ちゃぁん……いるぅ?」

「いるも何も、青髪殿が離さないのではござらんか」

「だってぇ……」

「ですがこの霧……本当に不思議な霧ですね。私の魔術でもうまく探知が出来なくて――」

「え?! じゃあ迷子?! 僕ら今、迷子?!」

「ご心配なく。難しい、というだけでゆっくり進んでいけば問題ありませんよ」

「し、白ちゃぁぁぁん……」

 いつだったか、逃げ出したホムンクルスを追いかけていた間に皆とはぐれてしまって、一人で彷徨っていたのが苦い思い出らしい。

 さらにここは、迷えば一生抜け出せないと曰く付きのダンジョン。

 ただでさえ方向音痴の青髪が怖がるのは当然。しかし、いつも通りの溌溂はつらつとした元気もなく、完全に弱腰で泣き言ばかり言って袖を離さない彼女に、黒、白は困らされていた。

 普段の調子で跳び込んで、迷子になられるのも非常に困るのでずっとマシなのだが――今のこの状況も、充分困る。

「他の皆様は大丈夫でしょうか」

「まぁ、こちらよりはマシと思うでござる」

「ふぇぇ……」


  *  *  *  *  *


 一方、赤髪、緑髪、銀髪の三人組方面。

 赤髪の繰り出す煌炎が、霧の中で煌々と爆ぜる。

 緑、銀髪の二人は、赤髪から若干距離を離したところで静観していた。

「あぁぁもう! キリがないわね! 燃やしても燃やしても湧いて出てきて――っ、きゃぁぁぁぁ!!!」

 天を衝かんとする火柱が高々と燃え上がる。

 が、そこには特別何もなく、赤髪が炭化させることさえなく分子レベルで燃やし尽くしてしまったわけでもない。

 赤髪は、何も燃やしていなかった。ただひたすら、周囲に炎を放っているだけだ。

 強いて言うならば、彼女が燃やしているのは霧の魔力が見せている幻影に現れている何かだ。

 二人は彼女の反応から、赤髪に何が見えているのか、大方の見当が付いており、迂闊に近付けば巻き込まれることを見越して近付かず、静観することを選んでいた。

「あの悲鳴、赤髪中佐が見ているのは」

「あぁ。黒光りして、カサカサと動くあの虫だろうな。あれは私も生理的に受け付けられん。気持ちはわかるが――」

「きゃぁぁぁぁ!!! 来んなってんでしょうがぁぁぁぁっっ!!!」

 どんなモンスターにも臆することなく、どんな相手にも果敢に挑む赤髪が、女らしい寄生を上げて、一生懸命にただの虫を追い払おうとしている姿がなんだか面白くて、緑髪は意図せず笑ってしまう。

 自分も苦手だから気持ちは重々理解できるのだが、どうしても、普段の赤髪を知っているだけに笑いを堪え切れない。

 何より、赤髪から女らしい悲鳴が聞こえること自体が面白くて、笑わずにはいられなかった。

 銀髪も無表情ながら、面白いものを見るかのようにジッと見つめていた。

「……軍曹を、手助けしませんと」

「ついに軍曹にまで降格か。まぁ待て。奴ならすぐに幻覚を破る。それまで、少し話さないか? おまえとは、何かと話せる機会も少なかったしな」

「近況報告は、すでに済ませてあるかと思いますが」

「まぁ、姉妹の我儘に付き合わされるつもりで付き合ってくれればいい」

「……承知しました」

 と、銀髪は緑髪の隣に座る。

 しばらく黙ったかと思えば、緑髪の方をほんの少し申し訳なさげに見つめて、

「すみません。何を話せばいいのか、わかりません」

 と見つめたばかりの目を逸らすので、緑髪はまた笑ってしまった。

「そうだな。では……以前軍学校で出会ったという青年の話を、聞かせてはくれまいか」


  *  *  *  *  *


 赤髪の煌炎の爆発は、金髪と紫髪とオレンジという無口トリオにまで聞こえていた。

 が、全員無口なので誰も反応せず、ただ目的に向けて歩き続ける。

 そもそもの目的が、今度のホムンクルス作成のために必要な素材を収集することで、三組それぞれ御遣いで頼まれているものが違っており、三人はアリ型モンスターが運ぶ水晶の木の実を頼まれていた。

 現在、木の実を取りに行くと思われるアリの群れを発見したので、追跡している最中である。

「……」

「――」

「……」

 本当に、誰も喋らない。

 特別会話に詰まっているわけでもなく、険悪な仲というわけでもない。

 ただ本当に、三人が三人共必要最低限の会話しかしない。紫髪に関してはまったく喋らないのだが、今回は三人の無口が功を奏した。

 誰も喋らないので、モンスターを刺激することなく追跡できる。

 そうして追跡を続けていくと、お目当ての木の実をたくさん実らせる木に辿り着いたのだが――隣に、ポツンと立つ小さな家があった。

「……幻、覚? 幻影の、何か?」

「多分、違う……と、思う」

 紫髪も頷く。

 三人の中で一番、紫髪が幻影を暴く能力に長けていたから、彼女が幻影でないと頷けば、二人は信じるしかないのだが、紫髪ではなく、ダンジョンの中に家があることが信じられなかった。

 しかも、つい最近まで――それどころか、今も尚住んでいる痕跡さえ感じられる。

 と、モンスターが木の実をいくつか取って運び出した。博士からはモンスターから奪えと言われたが、実際に木があるのなら奪う必要はあるまい。

「とりあえず……私達も、採ろっか……」

「そう、ですね」

 紫髪も頷く。

 アリ型モンスター――正式名称、スワンプ・アントらが木の実を背負って運ぶ隣で、三人で木の実を採取する。

 実の部分が水晶と同じ材質だと聞いていたが、水晶というより輝く宝石のようで、思っていたより重量感がある上、片手では持てないほど大きい。

 博士が指定した量を、オレンジと同じ歳の少女三人が運ぶのはとても難しいだろうが、金髪と紫髪はホムンクルス。膂力に関しては人間のそれを超えているため、問題はない。

 故に金髪と紫髪が持って帰る予定の袋に、オレンジはせっせと木の実を詰めていく。

 スワンプ・アントらは一列に並び、採った実を順に後方へ流していくリレーで、沼にあるのだろう住処に運んでいくため、欲しいだけ集めると木に群がっていた個体から順に離れて、列を崩してそそくさと行ってしまった。

 その直後だった。

「うん? こんなところでどうしたんだい? お嬢さん」

 開くはずもないと思っていた扉が開く。

 出てきた男がオレンジを見つけ、優し気な口調で話しかけてきた。

 霧が濃くてよく見えなかったが、オレンジが答えに戸惑っていると歩み寄ってきて、正体を現す。

 赤い肌。額に生えた一本の角。目は四つあり、それらに掛かるよう特殊な形のした眼鏡を掛けている。

「迷える子羊さん、かな?」

 そして、とても大きい。

 細身だが、膝を曲げてしゃがんでようやくオレンジと同じ目線になるほどだ。

 資料で読んだことはあるが、実際に相対するのは初めてになる種族――鬼族オーガだ。

 近年は多種族との交流もあり、人間のそれと同じ肌色の鬼族オーガが多いと言うが、彼は言うなれば純種。もはや数少ない鬼族オーガ本来の姿を持つ存在である。

「君、一人なのかい? 迷子なら僕が――」

 と、青年はオレンジが持っていた袋の中身に気付く。

 四つの目が霧の奥の金髪と紫髪の方に向いたとき、オレンジはすぐさま頭を下げた。

「ごめん、なさい……! ここに、人が住んでるって、知らなくて……! 勝手に採って、しまって、ごめん、な、さい……!」

 オレンジが頭を下げると、青年は少し黙ってから立ち上がり、オレンジの側にあった袋を持ち上げた。

 何も言わないで袋だけ持ち上げられたことに、オレンジの胸の中がざわつく。

 怒鳴られることも殴られることも考えていたのに、何も言われず何もされない。自分ではどうしようもなく、どうすればいいのかもわからない居心地の悪さを、表現する語彙を持ってなくて、とにかく胸がざわついた。

 すると青年は袋の中身を見て、そっとオレンジの頭に手を置いた。

 ピクリと震えるオレンジの頭を、そっと撫でる。

「偉いね。ちゃんと謝れて」

「え……」

「別に持って行っても構わないけれど、もう勝手に人の物を持って行っちゃダメだよ? 僕みたいに、許してくれるばかりじゃないからね。悪いことをしてしまったら、今みたいに謝ること。謝れることは偉いことだ。そのことを忘れないように、ね?」

「は、は、い……」

 怒られるどころか、むしろ褒められてしまった。

 呆気にとられたと言うべきなのか。どこか安堵したような、でもまだ胸の隅がザワザワして、チクチクして、居心地が悪い。

 苦しいわけではないのに、何故かスッキリとしない。今現在の感情の在り処が、定まらない。

 胸の中で渦巻く感情は混沌と複雑化していて、ようやく覚えた感情とそれに当てはまる語彙のどれにも当てはまらず、オレンジは困惑した。

「オレンジ、ちゃん……?」

 大盾に隠れながら、金髪が様子を見に来た。

 袋を担ぐ紫髪も隣にいて、オレンジと鬼族オーガを首傾げに見並べる。

 三人が仲間だとわかると、鬼族オーガの青年は袋を抱えあげ、

「まぁとりあえず、みんな中にどうぞ。お茶でも飲みながら、お話を聞かせてくれるかな?」

「は、はい……えっと……私、オレンジ、です」

「僕はソウメイ。よろしくね」

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