「英雄の肩書ほど酷なものはない」

「シュタイン! シュタイン! おい、シュタイン! 無視してくれるな、我が親友! アヴァロン・シュタイン!」

 数十年前――世界有数の名門魔導学校・■■■■■■■。

 世界有数にして名門の魔術学校とは知られつつも、その名を知るのは魔術学校の門を潜った数少ない生徒だけ。

 外界にて名を口にすれば、その者の寿命を縮め、聞いたものの聴力を奪う呪詛が掛けられているという噂があるが、実際のところは定かではない。

 そんな、いわくつきの学校には不相応ですらある軽快な呼び声が、当時の学校に響いていた。

 それは一人の生徒が、第六校舎の魔導実験室に籠っておらず、卒業するために必要な単位取得のためにいやいや授業に出てくるときにのみ、発せられる。

 こうして条件を記述してみれば、特定条件下にのみ発生する稀な事案だと思われるかもしれないが、実際にはそこまで希少なものではなく、頻度としては二日に一回。多い時には、一日に三回と、極端な偏りはありつつも、そこまで珍しいと言える事案ではなかった。

 その頻度の多さ故、呼ばれる本人は大層苛ついていたほどである。

「軽々しく呼んでくれるんじゃあないヨ。大体いつ、私とおまえが親友になったんだネ」

「辛辣だな、シュタイン。そんなことでは、ウォーカーも愛想をつかしてしまうぞ?」

「……ほぉ。最近妙な噂が立っていると思えば、この口が原因か。エ?」

 仮にも親友と呼んでくれる同級生の頬を思い切りつねる。

 謝罪か弁明か、何かを訴えようとする口は両頬を抓られているせいでうまく機能せず、文面にするとは行を中心とした台詞となって、なんと言いたいのかわからない。

 そもそも根本的に、後に外道魔術師と呼ばれる男には、弁明も謝罪も釈明も、聞く気など毛頭なかったわけだが。

「それで? 日々私を不快にしてくれる親友よ。一体この私になんの御用かネ」

「ほ、ほはえぬぉふぃあんふぇは、およひは――ぅいぃぃぃ!」

「反省の色なしかネ。その頬の内側を綿棒で取って、DNA採取しようか? ん?」

「やめへやめへやめへふへ! ほはへにひぃへふへぇなんへわらひはら、はにひふははれるは、わはっはもんははい!」

「なんだネ。よくわかってるじゃあないか。で、誰が私を呼んでるっテ?」

 ようやく解放され、ずっと抓られ続けていた頬を押さえながら「ウォーカーだよ」と彼は涙目で答えた。

 人間でいえばもう成人に近しい年齢だというのに、中世的な顔立ちは一見、性別を計りかねるほどに美しく、男でありながら、同性相手でも欲情を誘発させかねない美貌の持ち主であったことは否定しない。

 故に彼の細胞を採取、研究し、遺伝子情報のどの部分がそこまでの美貌を作り上げているのか知りたかったのだが、当然ながら、彼は親友と呼びながらも何に利用されるかわからない恐怖から、決してDNAを取らせてくれることはなかった。

 まぁこのときの学生シュタインには、別の実験があったので後回しにしていたのだが。

「ウォーカー? あいつが私を探す理由が検討つかないネェ。何か聞いているかネ?」

「さぁ、僕も何も……ただおまえを見つけたら声を掛けておいてくれとしか」

 極秘の案件か。

 慈悲深い聖母じみたパルテナ・ウォーカーという女が伏せるなど、余程の事態と見ていいだろう。少なくとも、彼女が好む案件でないことだけはわかる。

 この頃によく来ていたのは国の暗殺組織からの毒薬の製造と提供だったが、さて――

「シュタイン……あまり、怖いものばかりに手を出すなよ。ウォーカーだけじゃない。僕だってアルカディオだって心配してるんだ」

「……あぁ、善処するヨ」


 *  *  *  *  *


「博士?」

 いつの間にか眠っていたらしい。

 考え事をしていた最中に眠りに落ちるなど、余程疲れていたようだが――


・赤髪……右腕損傷。裂傷と火傷にて壊死した細胞を復元。予想完治期間、三日。

・黒髪……頭部、右目損傷。視力に問題なし。ただし頭部損傷のため、テスト期間を要する。予想外傷完治期間、二日。テスト期間、一ヶ月。

・緑髪……両腕損傷。日常生活に支障なし。戦闘実行可能までリハビリを要する。予想外傷完治期間、一週間。

・紫髪……全身に裂傷。失血過多。輸血により回復傾向にあれど、意識混濁状態。予想完治期間、二ヶ月。

・金髪……全身に裂傷。大量の魔力枯渇。戦闘続行、可能。予想完治期間、五日。

・銀髪、白髪、青髪……以上三個体、無傷。


 これらカルテをまとめ終えたところで、力尽きたか。

 治療に検査にと確かに多忙ではあったが、寝落ちるほどだとは博士自身思っていなかった。

 目頭の奥、前頭葉がわずかに痛む気がして押さえる。それほどまでに疲労が溜まっていたか。

「どれだけ眠っていたか」

「一時間、くらい……かと」

「そうか」

 根を詰めていたつもりはなく、今まで通り動いていたつもりだったのだが。

 歳か。

 などとらしくもないことを考えて、博士は静かに吐息を漏らす。オレンジが持ってきてくれた舌が火傷しそうなくらい熱いブラックコーヒーを、何も言わずに半分ほど、一気に飲んだ。

「オレンジ、おまえから見てあの災禍はどう見えたかネ」

「……凄く、怖かった、です。ずっと、ずっと怒ってるみたいで、でも赤髪さんみたいな、優しい怒り方じゃなくて、その、うまく、言えないのです、けれど」

(さすがにすべての災禍を手懐けるほどではない、か……)

 しかしそれでも、意思も言葉もない災禍の感情が感覚的にでもわかるだけ、オレンジの感受性は凡人のそれを凌駕しているとさえ言えるが。

「まぁ、イイ。先も言ったが、今回おまえに出ろとは言わなイ。安心し給えヨ」

「で、でも青髪さん達が……」

「余計な心配をするんじゃあないヨ。あいつらへの過度の心配は、作り上げた私への侮辱ダ。忘れるんじゃあないヨ」

「ご、ごめんなさい。博士……」

「……そんな顔も覚えたのか、ヤレヤレ」

 落ち込み、下を向いていた橙色の頭に手を置いた博士の目は、真っ直ぐにオレンジの目を覗き込んでいた。

 オレンジももまた、博士の光の灯らない生気を失った目の中に、くすんで歪んだ己の像を見つけて見つめ返す。

「心配はいらない。だが、今の気持ちを忘れるんじゃあないヨ。その気持ちはもっと、大事な奴のために、私でも治せない奴のためにとっておきナ」

「それは、どなたのことですか?」

「さぁネ。私はおまえじゃあないんだ。そこまでは面倒見てられんヨ。ただ、時間をどれだけ掛けてもいいし、元々それだけの時間を掛けて気付くもの、だろう。だから、自分で考えてみるんダ。おまえの心の在り処、おまえのという心が、向けている視線の先に何を置いているかヲ」


  *  *  *  *  *


 台風一過。

 嵐の前の静けさとはまた違った静寂。

 嵐の過ぎ去った後に残る雨と風に似た臭いめいたものが、王国に沁みついている。

 金髪の護った王城のテラスにて、銀髪は金髪と共に静寂の冷気に吹かれながら、昨晩の戦いにて変わってしまった大地を見下ろしていた。

 山一つが消し飛び、その奥にあった湖――金髪と彼が出会った湖も、蒸発してしまっている。

 なのに喉をも焼きそうな焦土の臭いは一切せず、雨風で濡れて湿ったような臭いがしているのは、湖が蒸発したことで発生した水蒸気のせいなのか、定かではない。

 銀髪は、自身が金髪に呼び出された理由がわからないまま、湿り気を含んだ風に吹かれていた。

 恥ずかしがり屋で奥手、人と話すのがとても苦手な金髪が、わざわざ呼び出して話したいことがあるなど珍事だ。

 故に相当の出来事なのだと心配していたが、銀髪は急かすことなく待ち続けている。

 他のホムンクルスならば急かしただろうが、銀髪のそう言った機械的な部分が、この時の金髪にとっては救いだった。

「ぎ、銀髪、ちゃん……」

「はい」

 同じ博士の手で作られたホムンクルスでありながら、銀髪は金髪の素顔をほとんど見たことがなかった。興味がなかったというと淡泊、冷淡だと言われるだろうが、実際、銀髪に金髪の素顔に対する興味関心の値は低い。

 素顔を晒そうが隠そうが金髪の実力に変化はなく、彼女の中で算出される任務遂行率に変動を及ぼす要素はほとんどなかったからだ。

 しかしそれでも、金髪が兜も被らぬままに話したいと言い、今対面していることに意味を感じてはいた。

 素顔への興味関心はさておき、他のホムンクルスと同じ程度に、金髪が素顔を晒しながらでも話したいという姿勢に本気を感じていたのだった。

「ぎ、銀髪、ちゃん……」

「はい」

 何度どもっても、何度躓いてもあきらめずに話そうとする金髪に、銀髪は何度も応える。

 本人はもう緊張で自ら急かしているのだ。これ以上急かしては、より話が進まない。それでは非効率的、と、銀髪の思考回路は計算して返事だけを返す。

 そうしたやり取りを幾度か繰り返して、ようやく、金髪は本題へと踏み出すことができた。

「私、この気持ちがわからない……の。湖の騎士様は、私に失礼なこと、した。あの人を見てると怖くて、緊張して、心臓が、止まっちゃいそう……なの、に! 素顔を、見られても、恥ずかしいって、他の人、より、思わ、ないの……もう、裸、見られた、ことも、怒れない、の……」

「彼を、許したという話ですか」

「わから、ない……もやもや、してるの。ずっと、胸の中も、頭の中も、ずっと、もやもやしてる、の……ねぇ、銀髪、ちゃん。これって、私の、今の顔って、どんな、顔? 銀髪ちゃんが、戦った軍人さん、みたいな……、なの、かな……?!」

 ふむ、と銀髪は考え込む。

 沈黙は金髪よりもずっと短かったが、金髪自身は待っている間も顔から火が出そうなほど恥ずかしく、今すぐにでも兜を被りたいと何度も思った。

 が、自分のことはよくわかっている。そう思うと考えて、兜は今、この場にはない。

 この質問には、この疑問には何もまとっていない自分自身で答えを貰いたかったし、話したかった。だから銀髪の出した結論にも、真正面から受けたいと構える。

「……その質問に答えるには、私に与えられている情報だけでは過不足です。なので、いくつか質問をしたいと思います。時間を掛けても構いません。正確に、お答えください」

「う、うん」

 やり取りは実に淡泊で、銀髪に感情などないように見えるし聞こえるかもしれないが、彼女は超がつくほど真面目に答えようとしていた。

 しかし銀髪を知っている人からすれば、当然の反応だと返すだろう。彼女は超、もしくは馬鹿がついてもおかしくないほどの大真面目だ。

「質問を要約しますと、金髪大佐は自身が湖の騎士様に思いを馳せているのか否か、という質問でよろしいのですね」

「う、うん……」

「ではあのお方のことを考えている間と見ている間に、心拍数や呼吸の乱れ、知恵熱などを体感されたことはありますか」

「か、兜、を、外してる間は、ずっと、恥ずかしい、から……わ、わから、ない……」

「なるほど。ではあのお方と手を繋ぎたい、もっとお話しをしたいなどの衝動にも似た欲求に駆られる瞬間はございますか」

「か、兜を外してる間は、恥ずかし、くて……しゃ、喋る、だけで、精一杯、で……」

「なるほど――金髪大佐。私に問うまでもなく、あなたはかの騎士に好意を抱いていると見受けられます」

 情報が過不足と言っておきながら、結論に至るのが速過ぎる。

 唐突過ぎる不意打ちに、金髪は小さく短い悲鳴を上げながら赤く染まった顔を押さえて、うずくまってしまった。

 それでも軍帽の下の銀髪の目は、過ぎるくらいに淡泊な眼差しで金髪を見下ろし、淡々と自身の回答を報告のように続ける。

「大佐は自覚していないご様子ですが、今の今まで私達相手ですらなかなか兜を脱げなかったあなたが、自ら兜を脱ぎ、彼と接しようとしている。心の変化、努力が見られます。あのとき私に戦いを挑んだ殿方も、愛する方のために自分を変えようと、状況を変えようとしていました。それととても、酷似していると思います」

「これ、が、恋ごこ、ろ……なの、かな」

「私は該当する心境変化になったことがないため、断言することは適いません。が、少なくとも今こうして赤面し、自身がその状況にあるかもしれないと気付いた今も尚、素顔をこちらに向けられるだけ、大佐の努力は如実に現れている。その想いの強さがもしかしたら、他種族の言う恋愛感情に該当する、のかもしれません」

 銀髪は月夜の決闘を思い出して答える。

 圧倒的実力差の相手に果敢に挑み、決闘には敗北しながらも願いを叶えた青年。この冷淡なホムンクルスの心を動かした青年との戦いは、彼女の中でも強く印象に残っていた。

 だからこそ、人の心なんて断言できないものに仮説を立てられるようになったのだと、銀髪は考えていた。

 それでも、自分の考え方が人間のそれに少し近付いていることには、気付いていなかったが。

「金髪大佐。私だけの意見では、大佐の求める答えに到達できるとは思えません。他のホムンクルスらからも助言、助力を求めた方がよろしいかと思われます」

「で、でも……こんな、こと、相談して迷惑じゃ……」

「私達に血の繋がりはなく、姉妹という概念は当てはまらないかもしれません。しかし、少なくともそれに近いものだと青髪大将はよく言っておいでです。それに、大佐には同じ悩みを共有できる友人がいらっしゃるのではないでしょうか」


  *  *  *  *  *


 騎士の中の騎士は一人、自室のベッドで吐息を漏らす。

 災禍討伐の失敗。それによる団員の士気低下。何より育てていた騎士の事実上の引退。

 心労を重ねた結果、医師曰く病状が悪化しているようで、たった今少し強めの薬を飲まされたせいで酷く眠い。

 思考能力も徐々に奪われて、このまま眠りにつくことは必至。果たして再び目覚める時はあるのか、自分にはまだそれだけの命があるのか、甚だ疑問だ。

 あの男は――世間から外道などと呼ばれている我が盟友は、今何をしているのだろう。工房に戻ったかと思えばホムンクルスの大半をこちらに残留させて、一体何を考えているのだろう。

 災禍への対策でも計算しているのか。勝つための算段をつけているのか。

「アヴァロン……英雄の肩書ほど、酷なものは、ないなぁ。私は、それ以上に酷なものを、知らないよ……どれだけ怖くとも、どれだけ逃げたくとも、逃げられない。逃がして、貰えない。なぁ、アヴァロン。君は……逃げようと、逃げ出したいと思った日は、ないのかい?」

(私は今でも後悔してる。あのとき、私は彼の手を取ることができれば、どれだけ楽だったのだろうね――)

 脳裏の奥に刻まれた光景を最後に、騎士の意識は眠りへと誘われて途切れる。

 自分が彼の手を取らぬままに背を向けた瞬間。人生で唯一後悔した瞬間であり、ヴェルディ・ヴィディエールという女が、英雄になることが決定した瞬間であった。

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