「諦めない者は諦めた者にとっての奇跡を握る」

 五日後。

 災禍の今までの性質上、再浮上再出現は五日後と計算された。

 博士と騎士の間で改めて契約が成立。王国側も正式に外道魔術師に依頼し、莫大な報奨金が約束されたらしいが、博士が金銭だけで動くとは思えない。

 旧知の仲である騎士の頼みだからなのか、問うたところで博士は答えてなどくれないだろう。

 ただ王国に滞在している期間中、実質稼ぎはまったくない状態なので、本当に金銭だけが目的なのかもしれないが。

 ただ博士を困らせたのは五日後、という期間だった。

 戦いで傷付いたホムンクルスらの怪我の具合から、戦線復帰を見込めるのは赤髪と金髪のみ。緑髪、黒髪、紫髪は戦線離脱。無傷の銀髪、白髪、青髪を含めても、戦力低下は否めない。

 何より、赤髪と金髪は戦線復帰と見ているもののあくまで見込みであって、実際に五日間の間に回復するかどうかはわからない。

 ホムンクルスの回復能力は作った本人がよく知っている。が、細胞の劣化や突然変異など、予期せぬ事態で回復が遅れることも視野に入れると、この二人の戦線復帰も怪しいものだった。

 まぁ極端な話、死んでしまうよりは全然マシだし、時間を掛ければ戦線復帰はできる。

 王国が誇る騎士の一人が騎士としての人生を絶たれたが、それに比べれば断然、軽微な被害と言えなくもない。

 ただしこのまま次の襲撃を受ければ、軽微だなんて表現できないほどの甚大な被害を受けることだろう。そうしないためにも、できる限り最善を尽くした状態で臨みたいものだが。

「はっきり言って、望みはこれ以上なく薄イ。追加できる戦力は無く、先の戦闘で失ったこちらの損失はとてつもなく大きい、と言わざるを得ない状況ダ」

 忌憚なき意見が容赦なく、湯水の如く出てくる。

 遠回しの言い方をしたところで、五日というタイムリミットが遠回しになることはなく、現実と事実は容赦なく畳みかけて来る。

 ある意味、現実を直視させる博士なりの気遣いとも言えたが、誰一人喜ぶことはない。ただここで楽観視したとしても、あとで後悔し嘆くだけだ。

 先に状況を見て億劫になるか、後で状況を再確認して後悔するかの二択で、博士は前者を選んだというだけの話である。

 相手が旧知であるが故、余計な配慮をする必要がないというのもあるかもしれないが、博士が相手で対応を変えるような八方美人でないことは、オレンジも知っていた。

 災禍対策会議と称された会合にて、博士が淡々と事実を告げていくのを後ろで見ていたオレンジは、皆が渋い表情で聞いている姿を見て、自分が一線置かれている戦線の厳しさを知った。

「外道魔術師殿、救援は本当に望めないのかね」

「難しいだろうネェ……五日以内にかき集められる戦力など、たかが知れてル。何よりあの災禍の基本的性質は、。不意に現れる地震や台風といった災害と同じく、前触れもなく訪れる破壊。それがあの魔女の厄介な点であり、こうして対策会議なんてものを呑気に立てられていることこそ、奇跡的なのだヨ」

 総会に集った誰もが、母国を護らんとする想いの元集った精鋭であり、幾度かの戦争にて功績を残した勇士であるものの、絶望的状況に眉根を潜め、鈍重な溜息を漏らすばかり。

 敵が来るとわかっているのなら、相応の対策を取ればいいというのは、誰もが帰結する結論だ。言うだけならばタダである。

 問題は限られた時間でどれだけの対策ができるかであり、皆が話し合い、決めなければいけない争点はそこだ。

 皆、そこに頭を悩ませている。

 しかし誰も良案も妙案も、良策も奇策も思い浮かばない。今まで対峙したことのない敵にどう戦えばいいのか、今までの経験則が返って、思考回路を妨げる。

 次第に沈黙は重く圧し掛かるプレッシャーとなって、比較的若い者から潰されていく。どうやって戦うかではなく、どうやってこの災難を逃れるか、どうやったら助かるかという方向に、思考回路は働き始める。

「情けないネェ、これが最強の騎士王国の現状かネ」

 と、博士が静寂を破った。

 ずっと黙っていたので策を考えていたのかと思えば、そうではなくオレンジと同じで周囲の考える顔を観察していたようだ。背後から、落胆し切っている背中がよく見える。

「英雄が動けない、動かないとなれば自分達も手詰まりとは。こんな情けない部分を見せられては、私も力を貸す気が失せてしまうヨ」

「何を今更! 他人事だと思って軽口を叩くな!」

 今の今までプレッシャーに負けていた騎士が吠える。絶好の八つ当たり相手を見つけて、策以上に言葉が浮かぶらしい。

 腕っぷしでなければ偉大なる魔術師とて怖くないと思えてしまうのは、この場の勢いだけだということに気付かぬままに責める男の姿がオレンジには怖く見えてしまって、男の怒号が鼓膜に響く度、肩をブルリと震わせた。

「おまえは手を引くだけで済むだろうが、我々には国民の命が掛かっているのだぞ! 我らが王と正式な契約も交わした今、貴殿にもこの国を護るため戦う意義がある! 投げ出すような発言は控えて貰おうか!」

「はて、では聞くが。おまえはそこの騎士様をずっと見つめていたネ。あいつに任せて、自分は高みの見物を決め込もうなどと、思っていたのではないのかネ?」

「な――」

「王国の英雄だ、期待するのもわかる。が、病人に、それももう余命わずかの女に縋るのは、投げ出していることと何が違うというのかネェ。まぁ、それに関しては、おまえに限った話じゃあないようだガ」

 その場の全員が目を背け、下を向く。

 物申した騎士も何も言えなくなり、唇を噛み締めたまま黙ってしまった。

 博士はますます大きなため息をついて、頬杖をつく。

「まったく……防衛軍の軍隊長に防衛大臣。他にも色々と、随分立派な肩書の男がこれだけ揃っていて、一人の病人に、女に縋って、恥ずかしくないのかネ。国民の命? その命の中に、そこの女は含まれていないのかイ。英雄は死にたがりじゃあないんだヨ。命を護る仕事に就いたなら、まず隣の奴を護る方法を考えナ、小僧」

「アヴァロン」

 制したのはヴェルディだった。

 博士は大きなため息をついて、机を指先で小突く。

「そうやって甘やかした結果がこの光景だと、わかっているのかネ。騎士の中の騎士ナイト・オブ・ナイト

「あぁ。だが、今は災禍からどうやって国を護るかの会議だ。説教は、あとでいくらでもできる。そうだろう、アヴァロン」

「フン、わかっていればいい。で、そう言うからには何か策があるのだろうネ」

「あぁ、一つ頼まれて欲しい」


  *  *  *  *  *


 会議終了後、博士は機嫌が悪かった。

 不機嫌というのも少し違ったが、だからと言って機嫌がいいという訳でもなく、とにかく居心地が悪そうだった。

 そう見えたのは、果たしてオレンジだけなのか、それとも周囲にもそう見えていたのか。

 とにかく会議が終わってから、ヴェルディ含めた誰も、博士に声を掛けるようなことはなく、博士を責めた騎士は恥をかかされたとばかりに、一番に退出していった。

 だがそんなことは博士にとっては些事で、災禍が暴れて消え去った山を窓越しに見つめて黄昏るばかり。

 滅多にないことで、オレンジも気持ちのやり場に困る。要は、居心地が悪かった。

「博士……?」

 オレンジの頭に手が置かれる。が、博士の視線は窓の外へと向けられたまま。

 しばらくその体勢での静寂が続き、オレンジも言葉に苦しんだとき、博士は肩を大きく落として吐息した。「疲れた」と漏れた吐息が言っている気さえするくらいに、大きなため息だった。

「天才と変態は紙一重など、誰が言ったのだろうネ。一度天才だ英雄だなどと言われると、これだけの差が生まれル。病人だろうと英雄は英雄のままダ、まったく……」

「大丈夫、ですか?」

「……ハ。おまえに心配されるようなら、私はまだ安泰かもしれないネェ。心配ないヨ、私はネ」

「騎士さんの容態は、そこまで悪いの、ですか?」

 問うたものの、会議に出ていた彼女の顔色を見ればわかる。

 すでに彼女は限界だ。どうにかして意識を保っているものの、医学などまったくの無知であるオレンジにだって、寝込んでいるのが普通なくらいに厳しいのが見えた。

 彼女はもう限界だ。もう国を護るため、戦う力など残っているはずもないのに。

 それを、皆もわかっているはずなのに。

「英雄の存在は、確かに奇跡的ではある。常人では到達できない領域に手が届く者、達した者、届きうる才能を見せた者。常人が奇跡と呼ぶものを偶発的にではなく、自発的に起こせる者を差す言葉ダ。魅力的に見えるのも無理はない。が、故に忘れてしまう。彼らは奇跡という現象そのものではなく、奇跡を起こせるというだけの人であることヲ。そこが自分達と英雄の差だと、理解することもできずに」

「難しい、です……」

 博士はまた、吐息を漏らす。頭に置いていた手で再度、軽くオレンジの頭をはたいた。

「随分賢くなったかとも思ったが……まだまだだったかネ」

「でも、騎士さんも、博士も、皆さんと同じで、頑張ってて……頑張り続けたから、今、凄い人たちなんだっていうのは、わかり、わかる気が、します」

「そうかイ――よくわかってるじゃあないカ。それだけわかっていれば、今はいい」

 さて、と博士は黄昏るのをやめた。

 吹っ切れた様子はない。迷っているわけでもないのだろうが、やるしかないとは思いつつも、どこか割り切れない部分があるように見られる。

 だがそんな自分を納得させようと頑張って、あれこれと理由や意味を付けようとしているように、オレンジには見えた。

 騎士の中の騎士と呼ばれた人と同じなら、博士とて同じのはずだ。

 人より才能があっただけで、抜きんでた実績を残しただけで、博士とて一人の人間に変わりないはずだ。

 なのに何故、皆、博士のことを外道と呼んで、遠ざけて、恐れて、一線を引いているのだろう。何故、博士の優しさに触れていても気付けないのだろう。

 オレンジにとっては、それが不思議で仕方ない。

 もちろん、オレンジには博士しか拠り所がなくて、博士の近くにしか居場所が無くて、だから博士の側にいるしかなかったのだけれど、ならば他の人には選んで、博士に触れられる機会があったわけで――

 皆には選択肢があって、自分にはない。そう思っているだけで、自分にも選ぶ道はあるのだろうか。

 そう思うとなんだか少し切なくなって、オレンジはほんの少しだけ、博士の真似をして黄昏てみたけれど、実際、ただ雲が行き交うだけだった。


  *  *  *  *  *


 金髪は思い悩む。

 鎧兜に身を包んで膝を抱えて座り込むホムンクルスは、もう何時間とその姿勢のまま俯き、顔を伏せ、ずっと押し黙ったままだ。

 もちろん、周囲には誰もいないのでリアクションすることはできず、自分からアクションを起こす以外にない。

 だが自発的に行動する気力はずっと湧かぬまま、すでに何時間と同じ体勢が続いている。

 そんなホムンクルスを横から蹴飛ばした博士は、青空を見上げた兜の下の目を見降ろして、唾を吐くように言った。

「何を勝手に絶望しているんだ、おまえハ」

「はか、せ……」

「あの災禍を倒す策がある。おまえに、その要を任せるヨ」

「……何故、私なので、しょうか。わた、しは、今、使い、物に、なりま、せん……心、も、体、も、傷付いて、います」

「だから、諦めると?」

 金髪は答えない。

 と、博士は唐突に兜を奪い取り、金髪の顔を青空の下に晒す。

 唐突のことで驚いた金髪が兜を取り返そうとしたとき、その手を掴んで、博士は高々と突き上げる形に引っ張った。

「おまえが目指した騎士というのは、ずっと膝を抱えてうじうじと悩んでいる奴の事を言うのかネ。騎士の中の騎士などと呼ばれた女を目の前にして、何も感じなかったのかネ。ふざけるんじゃあないヨ。なんのためにその目を与えたと思ってル。なんのためにその頭を与えたと思ってル。なんのために、その鎧兜を与えたと思ってル。はき違えるな、私はおまえをそんな引き籠りにするために労力を賭して作ったわけじゃあないんだヨ」

「でも、私、期待に応えられて、ない、です……それに、今の心の、状態、じゃ、何もできない、です」

「あの男か」

 金髪はこの場で初めて、博士と視線を交わした。

 博士は舌打ちし、鼻を鳴らす。

「おまえがどこのどいつに好意を寄せようと興味はないが、おまえの目指す騎士ってのは恋路に悩むと剣も握れなくなる臆病者かネ。敵に立ち向かうこともできず、惚れた相手も守れなくなる腰抜けを言うのか? 違うだろ」

「……私、怖く、なって、しまったん、です」

 初めて、金髪は気持ちを明かす。

 ボロボロと、涙が溢れて止まらない。気持ちが高ぶって、普段震えない声帯までもが震えて、心の奥底に沈殿していた感情を、蒸発させるかのように吐き出し始める。

 一度吐き出せばもう、止める術を知らない。

「あの人のことを想うと、胸が苦しくて、これが、赤髪ちゃんの言ってた、恋、だったら嬉しいなって。でも、そうだったら、あの人を護れるかなって、あの人が私を護るために、死んだら嫌だって、あの人が、私の知らないところで死んだらどうしようって、怖くって、怖くって……でも、私にあの人を護れる力なんて、ないから、どうしようって……博士が、戦力不足を見込んで銀髪ちゃんを、鍛えて、白髪ちゃん、を迎えた、のは災禍、との戦いでわかってたから……! 私、自分が弱いことが、こんなに怖くなったこと、なんて、なかった、から……!!!」

「なら、おまえはどうする。どうしたい」

「強く、なりたい。あの人を、護り、たい。あの人の隣にいて、もっと、もっと、お喋り、する時間を、作りたい……博士。私、どうすれば、いい、ですか?」

「まったく、馬鹿だね。わからないときはそうやって訊くんだヨ。思い悩んだ末、どうしても困ったら答えを求めて誰かに問いかける。一度やって駄目なら、違う疑問が浮かんでまた悩むのなら、何度でも、人を変えてすればいいだけの話なのだヨ」

 腕を離された金髪は、その場にヘタリと座り込む。

 しかし今まで俯いていた視線は袖で涙を拭うと、博士の見下ろす目線を見上げ返した。

「私、どうすればいいですか……?」

「さっき、あの騎士から提案を受けた。が、正直私は気乗りしない。が、確かにあの災禍を倒せるとしたらこれ以外にないだろう。ならばあとは、その役を担う当人の気持ち次第ダ。おまえに、その役を務める気はあるかネ。果たすだけの覚悟は、持っているかネ」

「はい!」

 臆病で、ずっとしどろもどろな会話ばかりだった金髪が即答。

 博士は笑った。まったくもって、恋した女というのは種族を問わず、異常に強くなるから恐ろしい。

「いいだろう。ただし、やると言ったからには条件を付ける。この戦いの間、絶対に諦めるんじゃあナイ。諦めた瞬間、おまえは、おまえの護りたい何もかもが終わる。諦めない者は、諦めた者にとっての奇跡を握る。そいつが諦めた瞬間、奇跡は誰の手にも残らない」

「きせ、き……?」

「そうダ。おまえはこの戦いで奇跡を起こす。それが、おまえの役目ダ」

 台風一過。

 凪に近かった風が一瞬だけ、凄い力で雲の群れを引っ張る。その瞬間に生まれた轟音が、二人だけの世界を作り上げて、作戦の詳細を語り合う二人の声は、他の誰の耳にも届かなかった。

 が、終わった後、金髪は兜を被らなかった。

 その目は強い光を宿して、金色の虹彩を輝かせる。

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