「一度に見られぬはずの雪月花」

 同じ顔、同じ容姿で生まれ、同じ環境で育ちながら、姉と大きな差があることが信じられず、認められず、受け入れられなかった。

 同じ両親から同じだけの愛情の下に生まれ、同じだけの愛情を注がれたはずなのに、姉だけが神に愛されていた。

 理不尽だ。不条理だ。何故姉ばかりが皆に褒められ、認められ、ついにはこの国の外へ行くことが出来てしまったのだろう。そのせいで、氷の王女などという異名までついてしまった。

 冗談じゃない。氷の王女は一人だけじゃない。私だっているのに、みんな、みんな私がまるでいないみたいに――だから、私が成り代わる。

 肌は焼け落ち、赤い肉と皮膚がむき出しになった醜い半面の姉に代わって、自分が氷の王女となるのだ。今日から、私が氷の王女だ。

 私が、氷の王女となるのだ。

「ほ、ホワイト王女!」

 情けない。だが愉快。

 ドレス一着替えただけで、周囲の人間は姉か妹かも判別できないというのだから、これ以上なく滑稽で愉快なことはない。

「頭を上げてください。ビルカルト王国のご兄妹が到着されたと聞きましたが」

「は、はい。今は双方の王が会談をされていますので、雪の間にいるかと思います」

「ありがとう。仕事に戻ってください」

「は、はぁ……」

 滅多に部屋から出てこない王女に驚いたのだろうが、疑問を挟む余地も与えなければこの通り。そもそも疑問に思うこともあるまい。

 姉と同じ顔、同じ声。それに姉と同じ立ち居振る舞いまでされたなら、疑いようもあるまい。

 今まで双子であることを恨んできたし、呪ってきた。

 だが今ほど、双子であることを感謝したことはない。今まで憎かった顔が、これほど愛おしく感じたのは初めてである。

「――! ホワイト!」

 親友でさえ見抜けないとは。まぁ五年以上離れていたのだから無理もないだろうが、違和感も何も感じないとは空しいものだ。

 姉が彼女と交わした時間は、こうも簡単に他人に代われてしまうのだから。

「ホワイト! 大丈夫?! ずっと部屋に籠りきりと聞いて、心配していましたのよ!?」

「落ち着いてください、フィロ――フィロニ。私は大丈夫ですから」

「フィロで構いませんわ。一番の親友ではありませんか」

「ありがとう、フィロ」

 手紙の内容は盗み見ている。呼び方を含め、ある程度の会話は成り立たせることができる。

 顔も声も仕草も同じ。これで見抜けるものがあろうか。ちょっとドジを踏んだとしても、少し戸惑ってしまったと誤魔化しが利く。

「ホワイト」

「久し振りですね、フィヨルド」

 彼の写真も見て、顔を知っている。姉が恋するのもわかる美男子だ。

 もうすぐ三十路とは思えないくらいに若々しく、凛々しく整った顔立ち。姉は今の彼を知らぬだろうが、学生時代にはより一層若々しく、姉も惹かれたことだろう。

 まさに美男美女の恋仲。誰もが羨む理想の恋人像。

 だが此度ばかりは、自分でも成り立つ関係だ。何せ、その美女と自分は同じ顔なのだから。

「「少し、話そうか」」

 同時刻、本物の王女――ホワイトのいる部屋までの階段を上る影がいた。部屋までの案内を務めている橙色の髪の少女に、彼は静かな声で語り始める。

「とある本があった。雪月花、この世の自然の中にある美しさと、その尊さを説いた本だった。この世には、こんなにも美しいものが見れる場所があるのかと、僕は旅に出た。音を吸い込む白銀の月。深淵と化した夜空の中で輝く、唯一無二の金色の月。緑を彩る無数の花々にも、多くの名があることを知ったんだ」

「だけど旅を辞めず、学校に?」

「まだ、見たことがなかったからね。あの本に書かれていたような、美しい光景を。雪、月、花、自然が作り上げる美の象徴。これらが三つも合わさった光景を」

「でも――」

「そう。君にもわかることが、僕にはわからなかった。月の出る夜に雪は降らず、雪の積もる地に花は咲かず、花の咲き誇るときに月はいない。美しいものすべてが一堂に会するときはないということを、僕は知らぬままに探し続け、やがて諦めようとしていたんだ。でも、そんなときに彼女と出会ったんだ」

 彼は扉の前に辿り着く。

 目の前のそれが結界だとわかっているのか、触れようとしない。だが博士のようにすり抜けようとも、ましてや破壊しようともしなかった。

 彼はそのまま、話を続ける。

「氷の王女、だなんて呼ばれているものだから身構えてしまった。どれだけ恐ろしい人なんだろうって、年下相手に怖がってた。けれど会ってみれば、妹と仲良く話す普通の女の子じゃないか。噂なんてものは、信じるべきじゃないね。気付けば僕の胸の中には、ずっとその子がいた」


 *  *  *  *  *


 おかしい。何故だ。何故こんなにも、不安に駆られる。

 氷の王女――を真似る妹は、どうしようもない不安に襲われていた。何が原因で、何がそこまで自身を不安にさせるのかわからない。

 

 一度、いや二度や三度、会話の中で怪しい部分があった。そのとき自分はしまった、と思ったのに、彼らは何もおかしいと思っていないかのように、ただ平然と続けるだけだった。

 幾つかの事態を想定して、脳内で何度もシミュレーションしたのが無駄だったくらいに何も起きない。逆に、何も起きなさ過ぎて不安になる。

 何故。何が、こんなに自分を不安にしているのだろう。

「お兄様、あの話をして差し上げたら?」

「あの話……すまない、どれだったかな」

「同窓の方が、わたくしたちの友人とご結婚なさったじゃないですか」

「あぁ、その話か。そうなんだ、ホワイト。僕の同窓と――の友人が結婚してね。先を越されてしまったよ」

「ま、まぁ。それはとても素晴らしいことです。それで、どなたが?」


 *  *  *  *  *


「静かながらに、尽きぬ好奇心と探求心。それが僕にとっての月。怒りや悲しみを積もらせながらも、自らそれを溶かし前に進もうとする意志が、僕にとっての雪。そして、自分の才能を己のためではなく人のために使い、彩ろうとする心こそ僕にとっての花。君は、僕にとっての雪月花。一度に見られぬはずの美しき在り方が、君に詰まっているんだ――

 フィロニと手紙のやり取りをしていく中で、妹が盗み見ていることに気付くのにそこまで時間はかからなかったし、最初から盗み見るだろうなと思っていた。

 だから特別な意味合いはなかったのだけれど、フィロニにだけわかるようにこっそりと、手紙の中に暗号を忍ばせて頼みごとをしていた。

 彼が自分のことを密かになんと呼んでいるのか。それだけは隠しておいて欲しいと。

 本当に特別な意味合いはなかった。ただ恥ずかしかっただけだった。

 何せ彼女たちの国には自分の名前と同じスペルで書いて白の妖精ウィトーと呼ばれる想像上の妖精がいて、以来彼からそう呼ばれる時があるなどと、恥ずかしくて妹には知られたくなかったのだ。

 それが、当人らにしか知りえぬ秘密の暗号になるのだとは、思ってもみなかった。

「いや、ダメ……!」

 顔を覆い隠そうとした腕が彼に掴まれ、火傷を負った半面を晒される。黒い外套を羽織ったフードの下で、微笑む彼の顔にもまた、大きな火傷があった。

「ごめんよ、遅れてしまって。苦しい思いを、長いことさせてしまったね」

「いや、いや……見ないでください。私のせいで、私のせいであなたにも、フィロにもとても苦しい思いをさせてしまって――!」

「一番苦しんだのは君じゃないか。妹から聞いたよ。君がずっと苦しんでるって。君一人を国に呼び出そうとも思ったけれど、それじゃあ君が救われない。だから、今日まで時間がかかってしまった。今から、この国を――君を救う」

 彼は――フィヨルドはフードを脱いで振り返る。オレンジは背中の儀礼剣を抜くと、何重にも施錠された窓を大振りで叩き割り、腰の発煙筒を空に向けて放った。

「あれか! 大師匠! 合図です!」

「おぉ! やっとか! まったく出番が来る前に雪像になるところだった!!! よぉし、おまえら準備はいいなぁ!!!」

 筋骨隆々の牛と見紛う太い馬に乗った【覇道】の魔術師が剣を掲げる。その背後に控えるは、四七人の弟子と彼らに習う孫弟子が数百人。

 それら大勢の若き魔術師らの先頭に立ち、【覇道】の魔術師は剣を掲げて前を差す。

「さぁ進め! この国を静寂の牢とする真白の雪を、我らが命たる声にて溶かせぇっ!!!」

 まるで、この国を侵略しにでも来たかのようだった。

 実際、彼らにとってこれは侵略なのかもしれない。それこそ彼らは【覇道】の魔術師の下、長年国を苦しめた雪という敵を相手に、声を張り上げ戦っていた。

 それこそ、雪を降らせる雲の上から下を覗く博士が顔をしかめるくらいに、彼らの命を主張する声は響き渡る。ただ繰り返しになるが、博士からしてみれば騒々しい以外にないのだが。

「まったく、上空何メートルだと思ってるのかネ。ここまで来ると、いつか奴の弟子達がこの世界を支配するのもそう遠くない未来かもしれないネェ」

「ね、ねぇ博士? ホントにやんなきゃ、ダメ?」

 隣にいる青髪は特殊なスーツに身を包み、下を覗きこんでいた。顔面蒼白で、何度も何度も博士に涙目で訴えるが、博士からの返答は一貫している。

「ほ、ホントに僕がやらなきゃダメ? 博士ならこんなの一発じゃんかさぁ」

「いいから行き給えヨ。おまえの駄々で私の評判を落とす気かネ」

「で、でもさ――」

「そら、行ってきナ」

 いつの間にか背後に回っていた博士が、青髪の尻を蹴飛ばす。抵抗の術なくよろけた青髪は体が一瞬浮かんだような感覚を感じたのち、物理法則に従って落下した。

「あぁぁぁぁ!!! 博士のげぇどぉおぉぉぉぉぉ――!!!」

 あっという間に鉛色の雲に姿が隠れ、博士など見えなくなる。

 雪を生み出す雲の中とあって非常に寒く、体中が凍てつく冷気に襲われて、青髪は落下しながら「寒い」を連呼する。

「もうぅっ! こうなったらやってやらぁっ!」


 *  *  *  *  *


「な、何が起こっているの?」

 事態の把握が追い付かない。

 突如進軍してきた【覇道】の魔術師率いる魔術団体が、ひたすらに雪を溶かしている。そんなことをしようとも、すぐさま雪が降り積もってしまうだけだというのに。

「兄様、どうやら――」

「ようやくお役御免か。まったく、女を口説くのにこれだけ時間を掛けるとはな。だがまぁ、それだけいい女ってことか」

「これはどういう――なんの話をしているのです? 答えてください、フィロ!」

「落ち着いてくださいまし。ホワイトはこのくらいでは声を上げませんわよ? 妹様」

 言葉どころか声をも失い、息の仕方すら忘れる。

 今の今まで感じていた不安の正体を知り、自身が想像していた以上の最悪の状況にあったことに気付いて、妹は胸を押さえながら後退りした。

「双子の妹がいるとは聞き及んでいましたが、性格までは似つかなかったご様子。ですが確かに、性格まで同じなんてことはありませんわよね。わたくしよぉく知っていますのよ? 何せ物心ついたときより、

 妹はさらに一歩退いた。知らない。そんなこと聞いていない。だって、だって姉だって言っていなかった。フィヨルドに双子の兄弟がいることなんて。

「ま、そういうわけで改めて自己紹介を。ビルカルト皇国第一皇子、ビルカルト・フェリルガンドだ。本当はお姉さんに会って、弟をよろしくって言うだけのつもりだったんだが。とんだご挨拶になっちまったなぁ」

「なんで。一体、いつから――」

「なんでって、二人は恋仲なんだ。当人だけの秘密ってのがあっても、おかしくはねぇだろ。だから弟からそれを聞いて、カマをかけたが反応ねぇし、何よりずっとソワソワしてるもんだから、疑う余地もなかった」

「そんな……」

「可哀想だなぁ。綺麗な顔してんのに、劣等感で台無しだぜ」

 息を吸い込むより先に、事態は動いた。

 部屋の至るところに隠れていた暗殺兵が、妹の指示を受けるより前に全員氷漬けにされて、その場に倒れ伏してしまったのである。目を見開いて凍る暗殺兵を見て、妹は尻餅をつく。

 そして見上げると、自分と――姉と同じ顔が五つもあることに驚きを隠せなかった。

「【外道】の魔術師殿及び、【覇道】の魔術師殿より、ホワイトがホムンクルスを作っていることは聞き及んでいましたので、念のために潜んでもらっていました。兄様曰く、常に視線を感じておられたそうなので」

「悪いが俺も、あんたの姉さんほどじゃねぇが天才でね。まぁそのせいで遊んでばっかだったから、先に婚約者を見つけた弟に皇位継承権を譲ることになっちまった大馬鹿者だけどな」

「そ、そんなのあなた納得できるの?! 才能がありながら、自分より劣る弟が幸せになるだなんて、そんな不条理――」

 不条理、と聞いて鼻で笑われる。目の前のテーブルを叩き割って歩み寄られ、短い悲鳴を上げて後ろに下がるが、すぐさま壁際に追い詰められた。

「その不条理をぶっ壊すために、俺の弟も妹も国を出て学び、多くの人間と関わって強くなった。おまえはその努力を怠った大馬鹿者さ。不条理を壊すために人を蹴落とすことしか考えなかった大馬鹿者だ。だからおまえは可哀想なんだ。これ以上ない劣等感の塊だな」

 こんなはずじゃなかった。こんなつもりじゃなかった。ただ私は、幸せになりたかっただけだったのに――

「六年前の殺人未遂事件の主犯たる、俺の妹になるはずだった女よ。俺の妹に弟。そして弟が愛した俺のもう一人の妹を殺そうとした罪、償ってもらおうか」

 空が爆ぜる。国の真ん中に位置する空、鉛色の雲の中で青白く輝く光源が一つ光り輝いて、次の瞬間、一瞬にして建国以来絶えず空を覆っていた雲が散った。

 国の雪を溶かしつくした魔術師の軍勢が勝利の雄叫びを上げ、【覇道】の魔術師もまた空を泳ぐ施設を見つけて満面の笑顔で剣を掲げる。

 突然の騒動で堪らず飛び出してきた国民が雪のない光景と地面の感触に驚いていると、【覇道】は剣を収めて声高らかに叫んだ。

「国民よ、生きろ! 己の声にて高らかに意思を叫べ! 己の意思を声にて発しろ! お前たちの声、心、意思を吸い込む雪はない!!!」

 名のある魔術師の宣言に感極まり、彼の弟子らと共に国民も歓喜に叫ぶ。その瞬間、国全体が初めて命の限り、声の限り叫び、失われ続けていた心を発していた。

 オレンジが破った窓から、フィヨルドに抱き寄せられながらその光景を見ていたホワイトは驚きで言葉が出ない。

「父上と共に【外道】並びに【覇道】の魔術師殿に頼んだんだ。双方なかなか話が進まず、六年も掛かってしまって本当に申し訳ない。だが、これでなんとか君を救えただろうか」

「……何故。私のせいで、私があの場にいたせいで、あなたも妹も、酷い怪我を負ってしまったのに」

「僕もフィーも、そんな風に一度も考えたことなんてない。君だって犠牲者だ。むしろ僕らを守ろうとしてくれていたんだろう? 君がそのせいでどれだけ辛い思いをしたか、想像するに余りある。だから、本当にありがとう。そして約束する。これからは僕が君を守る番だ」

「こんな、こんな醜い姿になってしまったのに?」

「関係なんてない。君の中には、ずっと美しいものがある。僕にとっての雪月花。君しか持っていない、君という人間の魅力だ。むしろ申し訳ない。僕なんて君に比べれば、ずっと頼りない存在だろう。君がここまで身を挺して守る価値もなかったかもしれないけれど――」

「……そんなこと、ありません。そんなことはないのです。貴方が、貴方とフィロが、初めて私とお話ししてくれた。氷の王女ではなく、ホワイト・コールブラッドとお話しして、貴方は愛してくださった。私なんかには、とても、とてももったいない、素敵な方です」

 ふわり、

 とフィヨルドに抱き上げられる。額に口づけを受け、優しい眼差しに見つめられる。

「僕と、結婚してくれますか。ホワイト・コールブラッド」

「はい……はい。私を、貴方の家族に加えてください」

 口づけを交わし、王女は皇子に抱き抱えられ城を出る。

 万年雪国であった王国の王女と、その国を救った皇国の皇子の婚姻の儀は、その後歴史に刻まれた。が、ホワイト・コールブラッドには不満な点が一つ。

 それは自分と彼との間だけの呼び名が、うっかり彼が口を滑らせたことで、世間に知れ渡ってしまったことだった。

「これからは僕が君を守るよ、僕の愛しの雪月花ウィトー

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る