「気の合わない奴と対峙すればそれは誰であれ厄災」
ホムンクルスとて、体のつくりは人間と同じ。
というより、人によって人間と同じ作りで作られた存在をホムンクルスというのだから、当たり前の話であるが、ともかくホムンクルスとて風邪を引く。
「ごめんねぇ、オレンジ」
「いえ」
青髪が高熱を出して倒れてから五日。
突然のことでホムンクルス達皆動揺したものだが、なんとか山場は超えたらしい。
魔導図書館での調べ物以来二つの仕事をこなしたのだが、そのうち一件の依頼主の家がとてつもない汚くて、そこで細菌を貰ったんだろうと博士も愚痴を言っていた。
ホムンクルスからしてみれば、依頼人と博士を中継する役目をしていた青髪の負担はいつも大きく、疲れが出たのだろうと思えた。
普段は元気を溢れさせている彼女から元気がなくなると、そこには静寂があった。
それこそ人口密度の少ない施設を一貫して通る冷風の鳴く声が、はっきりと聞こえるくらいの静寂が施設を牛耳っている。
赤髪や緑髪もこの頃はダンジョンへの遠征が多く、銀髪と黒髪も出かけることが多くて、金髪と紫髪はそもそも静寂を体現したような存在であるから、このときの施設は静寂をより色濃くした環境だったことは間違いない。
オレンジの役目はそんな施設に元気を取り戻させること、すなわち青髪の看病だった。
オレンジの家事能力はこのときすでに他のホムンクルスを超えていて、料理も彼女が一番できたために
博士はいつも以上に実験室に籠り、ホムンクルスを作っている。
依頼も受けず、今まで貯蓄していた素材と施設のリソースをフルに使って、いつも以上に能力値の高いホムンクルスを作ろうとしているのは、オレンジの素人目でも理解できた。
いつも以上に気合が入っているようで、博士のコーヒー摂取量は、もはやコーヒーをカフェインという成分としてしか認識していないくらいに多くなっていた。
故に博士は目の下に濃いクマを作り、青髪以上にフラフラでいつ倒れてもおかしくないのだが、根性があるというのかまったく倒れず、ホムンクルスの作成を続ける。
倒れるのは、おそらくこのホムンクルスが出来上がってからのことなのだろうなと思っていたオレンジの予想を裏切ることはなく、博士はホムンクルスができると倒れ、現在眠り続けていた。
「博士、とても長い時間をかけてホムンクルスを作っておりましたが、今回のお仕事はそれだけ重要ということなのですか?」
青髪は未だ高熱が続き、意識ははっきりしていて口調にも元気を取り戻してきたのだが、入浴ができないためにオレンジが汗を拭いている。
このときの青髪は若干髪が伸びて、世界の縮図と呼べるほど美しい青い髪は肩甲骨辺りにまで届いていて、汗ばむ彼女の背中にピタリと張り付いていた。
ホムンクルスは人間に比べて傷付きやすくて劣化が早いと博士は言っていたが、青髪の体には傷どころかシミの一つすらない。
わずかばかりの朱色を含んだ肌は、同性をも魅了するフェロモンでも発しているのか、オレンジは彼女の体を拭くたびにほんの少し、緊張してしまっていた。
青髪はそんな緊張など知らず、普段通り――を務めて答える。元気そうには聞こえるが、元気ではないことがわかる程度には、回復していた。
「そだね。多分博士、あの人に送るホムンクルスを作ろうとしているんだと思う」
「あの人……?」
「人、って呼んでいいのか、人外、って呼ぶべきなのか。とりあえず、博士がこの仕事を始めるきっかけを作った人だよ」
「それって、博士に最初に依頼されたという?」
「あぁ……まぁ、そだね。依頼した人はもう死んじゃったんだけど、受取人って感じかな。ただねぇ。その人すごいこだわりがあって、なかなかオーケーしてくれないから、未だに仕事が完了しないんだよね」
「そう、なんですか……」
博士は確か、友人に頼まれてホムンクルスの花嫁を作り始めたと言っていた。
おそらく今の話に出て来た今は亡き依頼人というのが、その友人なのだろう。
そして花嫁を貰い受ける人は、未だ博士の作る花嫁に文句を言っているという。オレンジの知る限り、そんな人は今までにいなかった。
「どんな方なのですか? その、受取人の方は」
「どんな……どんな?」
青髪は少し困った様子で首を傾げる。
なんて言ったらいいんだろう、とそういう表情だ。
「そうだなぁ……その人について話すにはまず、長い説明しなきゃなんないんだよなぁ……」
興味津々。
オレンジのほぼ変わらない表情筋が、語って欲しいと訴える。
その、無垢と純情を掛け合わせたような表情に、青髪は元気を奮い起こす。
さながら、子供の前では強がって元気に振る舞って見せる、母親の如き心情で。
「まず、この世界には博士を含めた五人のすごい魔術師がいるのは話したよね。五人は特別に同じ仕事があるってわけじゃないんだけど、条件が三つ揃うと全員集結してこれに当たれって命令されてるの」
「三つの条件?」
「一つ、三か国以上の存亡の危機に係わること。二つ、世界人口の五パーセント以上の生命に係わること。三つ、災禍と指定されている災害の危機に瀕していること」
「災禍?」
「地震とか雷とか火事とか、そういう自然災害があるでしょ? それと同等規模の事件事故を、偶発的を除いて起こせる存在のことを、災禍って言うんだ。簡単に言っちゃうと、とんでもなくヤバい悪人、かな」
「もしや、その受取人というのは――」
「そう、その災禍の一人。レキエムって呼ばれてるけど、誰がそう呼び始めたのかはわからない。ただその人が出てくると、国は忽ち死に絶えるって言われてる」
「では今はどこに?」
「レキエムの住む場所は有名だよ。虫一匹棲みつかない死に果てた霊峰、ラストオーダー。その最奥に、あの人はいる」
「ラストオーダー……」
以前の図書館での資料探しの際、その場所に関しての本を読んでいたので覚えがあった。
別名、神々の最終目的地。
すべての魂は肉体という器を離れて世界と融合し、永遠にあり続けるという終焉の神話を体現している地として、そう呼ばれている。
故に虫の一匹すら棲みつかない土地で、草木は自生し実をつける。
そこが緑豊かな自然を維持できている理由を、解明できた者は一人としていない。
故にそこにいるというレキエムは、唯一の生命体と呼べるだろう。
まるで自ら滅ぼした土地に居座る、
そして青髪が言うには、彼の声は人々に死を予感させると言われ、それ故に
青髪も何度か対面したことはあるのだが、説明が難しい外見のようだ。
現に彼を表す文句としては、混沌を着た悪魔。終局を司る魔神。死神の作法で振る舞う歌、などと抽象的で詩的な表現ばかりが目立つ。
何せ彼の声を聞いた者は魂を刈り取られ、その姿を映すことすら許されないというのだから、写真どころか絵すら存在しないわけで、彼を見た者は存在しない。
見た者は全員、死に絶えているからだ。
と、そこでオレンジは気付いた。
「博士や青髪さんは、どうして平気なのですか?」
そう、対面した者全員が死んでいるというのなら、何故博士や青髪は生きているのか。疑問はそこである。
すると青髪はケロッとして、
「そりゃそうだよ。博士にあの人の魔術なんて効かないさ。むしろ効かないから、博士はあの人達災禍と、対峙してくれって言われてるんだよ?」
なるほどそういえばそうだ。
要請されて来てみても、まずは退治するまえに対峙できなければ意味がない。
博士を含める五人は、レキエムを含めた災禍と対等可能な数少ない魔術師というわけだ。
世界でたった五人と言われると、博士の凄さが改めて理解できる。
ただ博士がこれまで戦っているところを見たことがないので、きっと博士自身が手を下すというよりは、博士の作るホムンクルス――それこそ、赤髪のような戦闘特化型が、代わりに戦うのかもしれない。
博士は凄いが、際立って強くはないというのが、オレンジの中での印象だった。
故に少し、心配になる。
「博士は、そんな方に会って大丈夫なのですか……?」
「あ、博士のこと心配になった?」
見透かされたようだ。
しかしオレンジは恥じることなく、しかし的を得られたことにわずかな驚きを湛えながら、おもむろに頷く。
すると青髪はオレンジの小さな頭に、初めて手を置いて撫でた。
「大丈夫、博士は強いから」
「そう、なのですか?」
「戦ってるとこなんて見たことないからでしょ? 大丈夫、戦ったら僕らの百倍強いからね」
ふと垣間見えた、青髪のお姉さん気質。
いや、母性に近いのかもしれない。
普段は元気溌溂と力の限り明るい彼女だが、大人しくなると子供のような無邪気さが一変、大人の落ち着いた雰囲気に様変わりして、彼女の別の魅力に変わる。
赤髪や緑髪が今の彼女を見たら、驚くかもしれない。
そしてオレンジはそんな青髪に、ほんの少し体を預ける。
もう少し撫でてと強請るかのように俯いて、青髪の手の温もりと感触を確かめながら、少しの間だけ黙って撫でられた。
オレンジとてまだ小さい子供。
年上の人に甘えたいこともあるのかもしれない。
ホムンクルスは人間として最低限の能力が付与された状態で生まれてくるので、何も持っていない赤子から生まれてくる人間に存在する成長がない。
一流ならば思春期も反抗期もなく、思いのままの性格に作り上げることができるホムンクルスからしてみれば、子供が大人に甘えたがる理由はうまく理解できないのだが、青髪はそこに羨ましさを感じる。
最初から大人な人間などいない。
子供の頃に様々な体験をして、経験を重ねて、それでいろんな形の大人になっていく。博士だってそうだったに違いない。
なのにホムンクルスは、その成長過程を全部飛ばしてしまえるから、なんだか寂しさを感じてしまうのだ。
青髪は七体の中では一番最初に作られたもののそれだけで、元々の知識量と膂力がほぼ同じ子達にお姉さんと名乗れるだけの経験や体験を重ねているわけではない。
オレンジの実際の年齢はわからないが、外見だけで言えば十二か十三くらい。
肉体的年齢は作られた彼女達の方が上だが、しかし実際に生きた年数で言えば、十年も生きていない自分達は彼女よりもずっと年下なわけで、そう思うとオレンジの方がずっとお姉さんなはずなのだ。
だからこそ、今オレンジを一番末の妹のように扱っていることに、わずかばかりの違和感を覚えてしまうこともやむを得ない。
だからこそ、そんな彼女でも甘えて来てくれたことが、青髪としては若干嬉しくもあった。
施設に来て半年はまだ経ってないが、それでもオレンジが自分達に甘えてきたことは記憶の中でも数少ない。
故に今この瞬間、彼女を撫でられていることに、青髪は幸福を感じていた。
同時、彼女を通じて見てみたいという欲が湧く。
人間の成長というものを。
「へくちっ!」
「……ごめんなさい。汗を拭いてたのに、このままじゃ、体に障りますね」
「ごめんねぇ。でもそっか、博士また作ってるんだ……じゃあ僕が治ったら、行く感じかな」
「レキエムさん、のところにですか?」
「心配? 大丈夫、博士は強いから。僕のことを身を挺して守ってくれるさ」
「ですが、相手は災禍と呼ばれる存在なのでしょう。世界にとってそう呼ばれている存在にわざわざ会いに行くなんて聞いてしまうと、やはり心配です」
「うぅ……オレンジの感覚が多分正常なんだろうなぁ。博士が聞いたら多分――『フン、気の合わない奴と対面すればそれは対峙だし、それは誰であれ厄災になるだろうサ』とかなんとか言いそうだからなぁ……」
(確かに言いそう……)
付き合いがやはり長いからか、本当に博士ならそう言いそうだ。すごい想像がしやすい。
「とりあえず了解。博士には、あと三日で治すって伝えておいて」
「わかりました。ですが無理はしないよう」
「なんだか今日のオレンジは妹妹してるなぁ……ね、もっかい撫でていい?」
「構いません」
オレンジに自覚はあるのかないのか。
しかしどんな薬よりも、今は彼女の存在自体が薬に変わる気がして、青髪はオレンジを愛でる。
その甲斐あってか、三日と言わず二日で風邪を完治させた青髪は、オレンジらに見送られ、博士とホムンクルスと共にラストオーダーへと向かったのであった。
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