外道魔術師と魔導図書館

「知識とは武器だ。しかし何の役にも立たない無駄だ」

『知性ある生き物が生息する以上、当然ながらその世界には建造物が存在する。

 都が建てれば都立と名乗り、王国が建てれば王立と名乗り、それ以外の国が建てれば国立と名乗る。

 すべて人の手で建てられたものだということを忘れて、その方が名が通るからと、より大層な名を名乗ろうとする滑稽さは、建てた者達の懐の浅さを体現しているかのようで――』


 なんとも不思議な書き出しで始まった本だった。

 オレンジも博士の下へ来て、緑髪に字を教えてもらう過程でたくさんの本を読んできたが、世間に喧嘩を売るような書き出しで始まる本を読んだのは、初めての経験である。

 さらにいえば、その本を見つけたのが博士の施設ではなく、世界中の国々が共同で初めて建てた図書館と言われる世立せりつ魔導図書館であることは、なんという皮肉を込めているのだろうとすら思う。

 他にも、焚書となった当時の俗世を批判した内容の新聞や、禁書となった魔導書のコピー。『楽しいゴーレムの作り方』なる、国によっては門外不出の知識を内包している本まで存在し、来る者誰もを退屈させなかった。

 と、オレンジは本来の目的を思い起こされる。

 目の前に座る紫髪が、無言の圧力で睨みつけていた。

 彼女の両脇には、二百ページは優に超える数の本がいくつも重なっている。

「ご、ごめんなさい、紫髪さん」

 紫髪は本へと視線を落とす。

 オレンジもまた紛れ込んでしまった本を横に片付け、本来の目的のために分厚い本を開けた。

 世立魔導図書館。リブリール。

 所蔵されている本の数は、嘘か真か十兆冊を超える。

 この世の始まりを綴った古文書から現代のライトノベルまで、活字が入っていればなんでも所蔵している世界最古にして最高の図書館。

 今や俗世から切り離された、迷い家的存在。

 利用する者はほとんど存在せず、利用したくとも辿りつける者すら数少ない。

 何せ図書館が存在する場所は、常人が辿り着ける場所にはなかったからだ。

 西から向かおうと思えば巨大ワニ型ドラゴンが住む湖畔を渡らなければならず、北から向かおうと思えば絶えず霧に包まれた方位磁石の利かない樹海を抜けなければならず、東から向かおうと思えば世界で最も凶暴とされる龍人族の住処を抜けなければならない。

 唯一、最も難易度の低いものとすれば、南側からの攻略であるが、他と比べてという話で抜けるのは簡単な話ではない。

 明らかに人の手が込んでいることが見受けられる、平坦な一本道であるが、魔術結界が施されており、結界を解除するコードを知らなければ、来る者すべてを惑わす幻影の道と化す。

 距離にしてみればたったの数十キロの道のりであるが、結界を解除しないまま進めば方向感覚と距離感覚を失われ、数十キロの道のりが何万光年と化して、人々を一生迷わせ、抜け出せなくする死地と化す。

 そして解除コードを知っている者はごくわずかで、今となっては図書館の司書くらいしか、確実に知っていると言える人はいない。

 故に外道魔術師のホムンクルス達が、司書からしてみて久方振りに過ぎるお客様であったことは間違いなかった。

 ちなみに空中からダイブするという手を考える者もいるだろうが、やめておいた方がいい。

 東西南北。世界中の気流が集中する図書館上空は、いついつも厚い雲が覆っており、強い風が吹き荒んで一種の嵐となっている。

 しかし図書館自体はその影響をほとんど受けておらず、強い雨風に晒されることはほとんどないのだが、その代わりに年中問わず静寂を司る白雪が降り続く。

 静寂を守らんとする図書館には、音を吸いこむ白雪は必要不可欠かもしれないが、年中雪が降るほど寒いので、図書館の真ん中には巨大な暖炉があり、焚火が燃えている。

 焚火を含めて雪かきなど、図書館の仕事をすべて務めるのが、たった一人の司書である。

「緑髪ぃ、これ何語?」

「西洋の妖精語圏の言葉だろう……赤髪、読めないか」

「精霊語ならある程度いけるけど、妖精なんて古語しか使わないでしょ? 無理よ、無理」

 青、赤、緑であれこれと本の解読に挑んでいると、上からぬぅっ、と手が伸びて来て、本を攫って行く。

 振り返ると、三人の背後で物凄く細身で長身の女性が、取り上げた本に目を通していた。

 比喩表現ではなく、高下駄や厚底の靴を履いているわけでもなく、本当に背が高い女性で、突進されれば折れてしまいそうなほどくびれた腰はコルセットも締まり切っていない。

 かといって細いばかりではなく、女性として付く場所には付いており、高身長に過ぎる部分を除けば、彼女は女性として魅力的に思われるだろう。

 ましてや言い寄る男など、星の数ほどいるはずだ。

「これは、妖精語ではありません。とある大戦時に使用した、暗号化文ですね。ベー・タン・スィと申しまして、暗号の中では難解な部分。しかし、解読するには難しくありません。こちらをお使いくださいませ。かの国の暗号化に関する資料です。解読に役立つかと」

「すまない、司書殿。恩に着る」

「いえ、お力になれてよかった。また何かあれば、ご所望くださいませ」

 とはいっても、彼女は半ば強引に自分の役目を探し出して、自分から首を突っ込んでくる。

 久し振りの客が来て、張り切っている様子なのだが、空回りしていない部分はさすがというべきか。

 彼女は魔導図書館唯一の司書にしておくには、あまりにも惜しいくらいの天才であった。


 *  *  *  *  *


「メルクリウス・ティティシュ、様?」

「そう。とっても凄い人なんだよ」

 図書館に来るより前の話。

 七人のホムンクルスとオレンジは、博士より魔導図書館にて、これから言う資料を探して調べて来いと命令を受けた。

 同時、図書館の司書を敵に回すようなことだけはするなとも言われた。

 ホムンクルスは当然とばかりに理解していたが、オレンジは司書のことを知らなかったので、青髪にどんな人物かと訊いたのだった。

「まだすっごい若い人なんだけれど、博士たち五人の次に凄い魔術師で、世界でいっちばんすごい魔導大学を首席で、しかも飛び級で卒業したんだって! 稀代の天才、とか、コントローラー、とか呼ばれてるらしいけど……なんでかあの図書館の司書になったんだよねぇ。不思議だよねぇ」

「何を無駄話をしているのだネ」

「あいたっ!」

 思い切りケツを蹴り飛ばされる。

 青髪がヘッドスライディングを決めたのを見て、オレンジはまさか自分もと振り返ったが、代わりに拳骨が降りかかって来た。

「ぼさっとするんじゃないヨ。さっさと行きナ!」

「はぁい」

「ご、ごめんなさい……」

 獣人の皇国から戻ってから、博士はずっと機嫌が悪い。

 皇女から依頼されたホムンクルスが、花婿に突き返されて来たことに立腹なのだろう。

 最速かつ最高に近い状態で検品できたと言っていたため、ショックだったのかもしれない。

 オレンジが知る限り、博士の作る花嫁が花婿と結ばれなかった初めての事案であるが、博士でも荒れることがあるのだと、驚いているところである。

 それでも酒に逃げたりせず、研究に没頭するのは変わらないなと思ったが、しかし逆に根を詰めて、疲弊しているように見えなくもなかった。

 故に博士を施設に一人残して行くのは少し心配な気もしたが、しかしそんなものは杞憂に過ぎないし、博士に言えばおこがましいとさえ言われて捨てるだろう。

 さらに言えばオレンジだけ、調べ物の他に言われていた。

「いいかネ、オレンジ。おまえはこの機会に多くの知識を吸収してきナ。おまえの記憶のヒントなどとジャンルを縛るなヨ。なんでも、すべてと言っていい。とにかく読んだすべてを吸収して来るんだヨ」

 オレンジの頭を鷲掴み、視線を合わせて近付ける。

 白い指先が、強く言い聞かせようとピンと伸びて、オレンジの瞳を指す。

「いいネ、知識とは武器だ。しかし何の役にも立たない無駄だ。だが無駄とはそもそも、これまで生きてきた中で吸収して来たすべての大半を示す言葉であり、必要とされる知識経験など、生きれば生きるほど限られていく」


「だからといって! 無駄を吸収しようともしない奴は結局、無能で無知に終わる! 誰がいつ、どの瞬間にどんな知識を必要とされるかなんてわかるほど、生涯というものは計算されてできているものじゃあないのだヨ! ましてや何も持っていないおまえなんぞ、赤子と同じさネ」


「いいかい。だからおまえの頭は今、スポンジと同等なのだヨ。その空白の頭にたくさん叩き込み、憶えてきナ。無能と無知は男の性欲をそそるだけで、それ以上の需要なんてないんだからネェ。私からしてみても、いい加減迷惑ダ! だからたくさん読んでくるんだヨ! いいね、たくさんだヨ!?」

「は、はい。博士」


 *  *  *  *  *


 ということがあり、オレンジは博士に指定された調べ物以外にも、たくさんの本を読まなければならなかった。

 博士によって解除された結界の一本道を通って来てから、二日目。

 十兆冊もある本のまだ一部とも言えない数しか、読めていない。

 それに調べ物も見つかっておらず、文字の勉強もしなければならないオレンジは悪戦苦闘を強いられていた。

 そんなオレンジに手を貸してくれるのが、司書のメルクリウスである。

「オレンジ様、そろそろご休憩なさった方がよろしいかと。読み物もし過ぎれば毒です。適度な休憩をせねばなりません。知識とは、一朝一夕では芯まで染み込みません。まとうだけでは、いずれ崩れ落ちてしまいます」

「……ありがとうございます、メルクリウス様」

 そういうメルクリウスが、実は八人よりもずっと本を読んでいた。

 十兆冊にも及ぶ本を自ら引き出し、読み耽っている。

 だが一切の疲労感はなく、むしろ八人よりもずっと元気だ。

 彼女は純粋な人間らしいが、ホムンクルスが専売特許としている体力面を遥かに凌駕さえしているように思える。

 彼女がそこまで何を熱心に読んでいるのか、未だ言葉を知らないオレンジには、題名すらもわからなかった。

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