外道魔術師の花嫁創造計画

七四六明

花嫁創造計画

外道魔術師と橙髪の少女

「生きたのなら死に給え」

 痛い。

 痛い。

 体が、全身が痛い。

 どうして自分がそんな状態で、森の中に倒れているのか、少女には理解ができなかった。

 とにかく、体が動かせないほどに、全身を激痛が走っていた。思えば今の今まで、その痛みで気絶していたのではないかと思われる。

 人の気配も、獣の気配もない森の中。

 木漏れ日が眩しく、目を細める少女の頭を撫でる。冷たい風が体を薙ぐ。

 自身が作り上げる血だまりが、徐々に鉄の臭いを発して鼻を突いてきた。

 あぁ、このまま死んじゃうんだ。

 少女は自分の人生を振り返ろうと思って、できなかった。

 何も思い出せなかった。何も出て来なかった。

 少女には、今目を覚ましたときよりもまえの記憶がなかった。

 自分が何者かもわからず、何者とも知れずに、何故こんな目に遭っているのかもわからずに死んでいく。

 怖い。恐い。こわい。

 孤独が、孤独が今、自分を喰らおうとしている。

 木漏れ日の下で、風が自分を撫で回すその中で、一人、孤独に死のうとしている。

 そう思うと涙が零れて来て、どうしようもなく泣きたくなった。

 だけど泣くとどこからか獣が出て来そうで、それに食い殺されるよりはこのまま、静かに死んでいく方がまだ、マシな気がして仕方なかった。

 だから怖いけれど、怖いけれど、少女はここで一人死ぬ。

 まだ若干の生温かさを持った血に濡れて、少女は自身の息が段々と細く、弱まっていくのを感じていた。

 私はこのまま死んでいくんだと、自身に命令を課して、ゆっくりと息を引き取ろうとして――

「博士! 博士! こんなところに女の子が倒れてる! 血塗れだよ、助けないと!」

 この場の静寂には酷く似つかわしくない、言ってしまえば喧騒が、少女の鼓膜を揺らした。

 ふと、少女はその喧騒の正体を、もう開けるのもしんどいくらいに重くなった目蓋を開けて確認する。重たかったのは最初だけで、その正体を見たときには、その色を吸いこむかのように見つめていた。

 まるでこの世の空と海をすべて混ぜ込んで圧縮したかのような、それはとてもとても青い髪をした、自身よりも一つか二つばかり年上に見える少女だった。

 まだ十五年も生きていない少女の人生上でも、それ以上の青を見たことがなかった――とはいっても、そもそもこの森にいるよりまえの記憶がないのだが。

 ともかくその青さは新鮮で、この世界の縮図と言えるくらいに澄んだ青色をしていた。

 その青色の彼女が、少女をごろんと転がして、博士と呼ぶその人に背中を見せる。傷だらけで、血が滲み出続けていた、その痛々しい背中を。

「きっとモンスターにやられたんだよ! 早く手当してあげて、博士!」

 大騒ぎする少女。しかしそれに対して、博士と呼ばれたその人は静かに少女の背中を見つめて一言。

「ダメだネ。その傷は死ぬヨ」

 と、冷たく、酷薄なくらいに言い放った。

 一切少女を気にかける様子はなく、少女が目にした博士の瞳は、まるで死体を見るかのように冷ややかで、すでに少女の辿る末路を、先んじて知っているかのようだった。

 口元がマスクで覆われているために顔全体を見ることは適わないが、しかしそれにしたって年齢不詳な男だった。

 一見まだ二十代の後半のようにも見えるが、しかしそのまとう雰囲気はすでに老人のようで、世界の善悪のすべてを見聞きして、世界のすべてを知った果てのような表情を浮かべていた。

 具体的に言うと、光のない目の下にあるクマが、そう思わせる一番の要因であった。

 だが実際、その光のない目の方かもしれない。その目にはもう、この世の悦という悦を漁り過ぎて、逆に飽きてしまったかのような、世界に興味を持たない目をしていた。

 きっとマスクの下の口もへの字に曲がっているか、真一文字に結ばれているに違いないと、少女は死の境を彷徨う中でも冷静に、彼を観察していた。

「ワイルドベアにでもやられたんだろうネ。見な、爪痕が背中から肺に達してる。肺に血が入って、そのうち死ぬサ。放っておきナ。そのまま死なせてやるのが、せめてもの慈悲という奴なのだろうからネ」

「でも、でも可哀想だよ……こんなとこで、一人で死ぬなんて! 僕は、見殺しになんてしたくない!」

 そういう性分なのだろう。

 それが彼女の美学なのだろうが、博士の言う通り、少女は自分が助かるなどとは思っていない。

 いっそのこと見殺しにしてくれた方が、何も思い出せていない今のうちに死ねれば、それが一番楽なのだ。後悔することすら、何もないのだから。

「駄々を捏ねてないで、さっさと行くヨ。私は待たされるのが大嫌いなんだ」

 と、博士が行こうとすると青髪の少女は。

「じゃあ研究所に運んでく! それでいいでしょ?! 僕は助けたいんだ! こんな人のいない森で偶然見つけるなんて、こんなの運命以外にないよ! きっとそうだよ! 誰かが僕に、この子を助けろって言ってるんだよ!」

「馬鹿なことを言ってないで、さっさと行くヨ。いつから神なんて信じるようになったんだい、まったく」

 と、博士はもうイライラしている様子で彼女を急かす。

 そのまま博士がせっせとその場から消えようとしたそのとき、彼女は最後の抵抗で、少女をおぶって歩き始めた。

 枝を踏んだ時の音にやけに重量を感じて振り返った博士は、もう呆れ返った様子で戻って来て、いいから行くよと彼女の腕を強引に引く――と思いきや、彼女の頭を思い切りグーで殴ったのである。いわゆる拳骨――鉄拳制裁である。

「馬鹿なことをするんじゃない。助けたいと言いながら殺す気かネ? 応急処置もなしに運ぼうものなら死ぬに決まってるじゃないか。本当に馬鹿だネェ」

 というと、彼女にうつ伏せに寝かせるよう指示して、博士は少女に問いかける。

「聞こえているかネ? 君は光栄なことに、我が実験の被験体に選ばれたのだヨ。これから私が行うオペによって、君が生き残る確率は五パーセント上がる。たったのと思うんじゃあないヨ。確率ゼロを五にまで引き上げるのが、どれだけの奇跡かというのを考えてから思い給え」

 博士はメスを取り出した。

 メスにしては刃が大きく、ナイフと言った方が近い。

 それをまさか体に入れるのかと思ったとき、少女はわずかに身震いした。

「いいかネ。生憎とこのような状況だ、故に麻酔はない。これから君の神経が、体が、君を作り上げるすべてが悲鳴を上げるだろうが、それらすべてを無視し給え。暴れるんじゃあないヨ。暴れれば奇跡も起こせないからネェ」

 と、少女の意識はそこで刈り取られた。

 だが最後の最後、博士が言った言葉はハッキリと、その耳が聞き取っていた。

「――では死ぬか生きるか、君の運命とやらを探ろうじゃないカ」



   ▼  ▼  ▼  ▼  ▼


 少女が目を覚まして初めに視界に入れたのは、仄暗い天上だった。

 部屋を照らす明かりは天井から下がっているオイルランプ一つで、全体的に薄暗い。

 窓もなく、換気扇があったが少し息苦しくて、少女はおもむろに自らの喉を押さえた。

 するとその喉が酷く乾いたことに気付いて、少女は水を求めて部屋を出た。

 長い長い廊下が、左右に広がっている。人の気配はなく、どこか殺風景だ。窓もなく、やはり息苦しさは否めない。

 それでも誰かいないかと、水を求めて歩き始めた。

 少女は酷く、それは酷く疲れた様子で、歩くにも壁を支えにして歩かなければ先に進めなかった。正直彼女自身、松葉杖のようなものが欲しかったが、このときばかりは水を優先した。

 途中、何度か部屋を見つけたものの、すべてに鍵がかかっていて入ることはできなかった。

 だが少女が思ったのは、それらの部屋を護る扉を飾る装飾の、趣味の悪いくらいの豪奢さに対しての驚きだった。

 もしかしたら、素手で触ってはいけなかったのではないかと思うくらいに金ぴかで、ドアノブには指紋の類の汚れすらついてなどいなかった。

 廊下は、少女が最初に眠っていた部屋と同じくらい仄暗く、足元をちゃんと見て歩かないと、度々段差に蹴躓くほど足場も悪い。

 まるで洞窟のような、ひんやりとした冷たい足場には、度々石が転がっていて、裸足だった少女はその石を度々踏んで痛がった。

 そうして歩いていくと、昇り階段を見つけた。少女は水を求めて、その階段も荒い呼吸を繰り返しながら上っていく。

 そして上ると、その景色は一変した。

 強い風が吹きつけてきた。下の階とは一変して、壁は片側にしかなく、もう片方は吹き抜けになっていて青空が見えた。というか、空しか見えなかった。

 風に吹かれながらその吹き抜けから顔を出してみると、下には雲海が広がっていた。白い海を、少女が乗るそれは悠々と、誰にも邪魔されることなく泳いでいた。

 最初の部屋と廊下から、少女は洞穴のような場所を想定していたのだが、その真逆。少女がいるそこは、空を飛んでいた。

「あ! よかったぁ、目を覚ましたんだ!」

 声を掛けて来たのは、見覚えのある顔――いや、髪だった。

 少女が見上げていた空よりもずっと青い髪の少女。

 立ってみれば、青髪の子は少女よりも二回りほど背が高かったのだが、それは青髪の背が高いのではなく、少女の身長が平均よりずっと小さいからだった。

 無論それは、人間という種族の尺度で測れば、の話にはなってくるのだが。

「歩けるようにはなったんだね、よかったぁ! でも安静にしてなきゃダメだよ? 博士に怒られちゃうからね」

「あぅ……あ、の……博士、って?」

「憶えてない? 君をオペして助けてくれた博士だよ! そうだ、今から博士に会いに行こう! よし行こう行こう!」

 と、青髪は少女を引いて部屋を間違えることも迷うこともなく、そこに辿り着いた。

 その部屋についてまず少女の視界に入ったのが、その博士なのだろう、長身の白衣の背中だった。何やら試験管の中身を照らし、その色を見ている様子だった。

「博士! 博士! 森で助けたあの子、起きたよ! 生きてたよ! オペは成功だったんだね! さすが博士!」

「五月蠅いネェ、静かにおし。五秒でいいから黙るんだヨ」

「はぁい」

 そう言われて、青髪は口を結んだ。少女もまた、博士の放つ圧がすごくて思わず押し黙る。

 そうして博士の言った通り五秒経つと、その試験管の中身がうっすらと変色し、赤――本当に薄い、桜色にも見える赤色に変色した。

 それを見て博士はちっ、と舌を打つ。

「ダメだネ、失敗だヨ。キングエスカルゴの体液に炎属性の魔力を帯びさせることは不可能と判明した。まぁそれがわかっただけでもよしとして、自分を納得させるしかないネェ」

「は、博士……大丈夫だよ、次は成功するよ! 僕達の偉大な博士は、失敗を成功に変える男だからね!」

「嬉しいことを言ってくれるじゃないカ。何か隠したいことでもあるのかネ? それとも謝りたいことでもあるのかネ? 例えば、その被験体を連れ回していることに関して、とかネ」

「ち、違うよ! そこまで歩いて来てたから、博士に容態を見てもらおうと――っ?!」

「言い訳するもんじゃあないヨ。出て来てしまったのなら収容し給えと、いつも言っているだろう。生かしたいのか殺したいのか、ハッキリさせ給えヨ」

 博士の拳骨が、青髪に叩き込まれた。

 そのゴツン、という音は鈍くて重そうで、少女も隣で見ていて痛みを感じそうになった。

 現に相当に痛いようで、青髪の彼女は目に涙を浮かべていた。

 青髪の彼女に制裁を加えた博士は、少女に対して一切の愛想を見せることなく、森でのときと同じく死体を見るような虚ろな目で見降ろしてくる。

 よくよく見上げてみれば博士は化粧をしていて、表情を読み取るのが難しい。年齢不詳もそうだが、何より正体不明という言葉が、彼には合っている気が少女にはした。

「君、自分の名前は覚えているのかネ?」

「……わかり、ません」

「では何故森にいたのかも、何故あんな深手を負っていたのかも、何もかもわからないというのだネ?」

「はい……」

「話にならないネェ。私にどうしろと言うのだネ。いいかい、私は忙しい身なのだヨ。記憶喪失の子供一人に構っているほど、暇じゃあないのだヨ。近くの街に降ろしてやるから、その後はなんとかし給え。王国の警備兵にでも話掛ければ、おまえくらいの子供、善人ぶって助けてくれるサ」

 と、冷たく言い放つ。

 少女は少女なりに、博士が自分に対して一切の興味もなく、また早々に捨て去ってしまいたいのだと言うことを感じ取った。

 ではならば、何故自分を助けたのか。

 思い出してみれば、博士が被験体という言葉を使っていた。そこから急に、少女を悪寒が襲った。

 オペと言っていたが、体を治すだけでなく変にいじくりまわされているのではないか。体のどこかが実験に使用されたのではないか。そう思うと激しく胃酸が湧いて来て、思わず何もない腹の中身を吐き出しそうだった。

「えぇ! そんなぁ!」

 と、反論したのは青髪だった。

「博士、助けてくれるって言ったじゃん! 嘘つき、外道!」

「五月蠅いネェ。自分で助けられない癖に人に頼ろうとするんじゃないヨ。なんで私がおまえの我儘に、付き合わなければならないんだい」

 すでに博士の視線は、先ほどまで観察していた試験管に移っていた。少女のことなど、本当に興味の欠片もないらしい。

 というか、すでに視界に捉えてすらいない様子だった。

 さらにその冷酷さは、口を開けば湯水のように溢れ出てくる。

「大体、そのの記録ならすでに取れてるヨ。そうして動き回れているのなら、成功さ。龍族の血は人間の血の代わりになることが判明した。龍人族の輸血は例があれど、完全な龍種の輸血記録などなかったからネ。大発見だヨ、素晴らしい」

 だが――と続ける。

「それが見れた今、もうそれに用はない。見るからに――いや見るまでもなく弱い個体なんぞに、私は用はないんだヨ」

「で、でもでも博士!」

 と、青髪は食い下がった。

「龍族の血を輸血したって言っても、想定の十分の一くらいでしょ? げんかいきょようりょう……とかって調べた方がいいんじゃない? それにホラ、この子が後々おかしくなったりしたら、貴重な記録が取れないんじゃないかなぁって」

「あ?」

 青髪は目を瞑り、歯を食いしばって頭を護ろうとした。

 再び博士の拳骨が降って来るのを恐れたからだが、しかしその拳骨はいつまで経っても襲ってこない。それどころか博士の意識は初めて、少女の瞳の奥を覗き込んでいた。

「あ、あの……」

「黙っていろ。触診という奴だよ、大人しくし給え」

 そう言って博士は片膝をつき、少女の目の中をジッと見て、頬をつねり、舌を触る。

 そして腕を取って脈を計ると、フム、とだけ呟いて。

「君、喉が渇いていないかね?」

「は、はい……渇いてます……す、すごく……だから、起きて来ました……」

「なるほど。一応の拒絶反応は起きているようだネェ。このまま経過を見て、平気そうならばさらに龍族の血を入れてみるのも、確かにそれなりの記録が得られるか……」

 ちっ、と博士はまた舌打ちをした。

 そしてビーカーの中に大量の水を入れ、少女に「飲め」と差し出した。

「いいかね? 君は今から私の所有物であり、私の実験の大事な被験体だ。故に一つ、私の出す規則を護ってもらう」

「きそ、く……?」

 博士はとても面倒そうだった。面倒なことになったと、目が言っているように思えた。

 しかしその目は初めて、少女を一つの生命体として見ていることに、少女自身気付いていた。

 被験体としてだったとしても、その変化は少しだけ嬉しかった。物としてでも、死体として見られるよりは、すでにないものとして扱われるよりはずっとマシに感じてしまったのだった。

「いいかね、君は運よく……いや、運悪く生き残ってしまった。だが生きたのなら死に給え。君にはその義務がある。命を浪費するのではなく、消費し給え。君のその生を、私が有意義に使う。その代わり、君は私の実験を有意義にし給え。君の死を有終の美としてやる代わりに、君はここでの生活を謳歌し給え。それが私がお前に課す規則だヨ」

 少女は一拍遅れて、「はい」と頷いた。

 何者とも知らない自分を、何者かと問い詰めることも探すこともしない博士は、とても道徳的とは呼べなかったが、しかしその道徳の欠けた行いが、このときの少女にとっては救いだった。

 故に文句などなく、むしろ彼の世話になることがこの先生きていける術だと思った。

「あの、博士さんのお名前は……?」

「博士でいいヨ、気持ち悪い。ここでは大して覚える名前もない。おまえは……オレンジだね」

 と、博士はあからさまに髪の色だけを見てその名前を決めた様子だった。

 名前を考えるのも面倒だし、そこまでの愛着を持つつもりもない、と言われているようだった。

 しかしそれが、ここでは当然なのだろう。隣の青髪の彼女も、何も言わなかった。

「いいかい、今日からおまえの名前はオレンジだヨ。わかったら返事をするんだ、オレンジ」

「あ……は、はい!」

「では青髪、おまえにこいつの世話係を命じる。おまえの部屋にベッドが二つあっただろう。片方を使わせナ。とりあえず三日、様子を見るから休ませるんだヨ。不用意に動かすな、わかったんだろうネ」

「はぁい! じゃあ行こ行こ、オレンジ! 落ち着いたらこの研究所案内してあげるよー!」

 以上の経緯を以って、少女オレンジの空中研究所での生活が始まった。

 少女オレンジは部屋を出ていく際に会釈したときに見た、博士の疲れ切った横顔がなんとなく印象に残った。

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