愛すべきあなたに祝福を
餡蜜
第1話
「また来たの?」
「また来たよ! 愛梨ちゃんが好きだからね!」
「あのさ、いい加減諦めたら?」
無理でーす、と海斗はヘラっと笑い、それを愛梨が迷惑そうに見る。さらにその様子を看護師や入院患者が笑いながら見ている。
この二人はずっとこんな調子だ。海斗が愛梨に会いに行き、つっけんどんな態度で返される。それを毎日やるものだから、もはやこの病棟の名物みたいになっている。
「毎日毎日よく飽きないわね」
「諦めなかったら振り向いてくれるかもしれないじゃん?」
「それはない」
愛梨はきっぱり断りながら海斗に背を向ける。
「私、もう病室に戻るから」
「そっかー、なら僕はもう帰るね。また明日」
海斗に返事をせず、病室に戻った。
病室のドアを開けると窓際に飾ったハーバリウムが目に入る。桃色のスターチスが浮かんだハーバリウムは、夕日の光を浴びてオレンジ色を纏いながら輝いている。桃色のスターチスの花言葉は永久不変だと、海斗が愛梨に贈るときに言っていた。
「永久不変とか言われても困るんだけど」
しかしハーバリウムに罪は無い。それに「このハーバリウムだけはどうしても飾って欲しい」と言った海斗の顔は信じられないほど強く愛梨を見ていて、断れなかった。
ベットに腰を下ろしてふとこの部屋の外を見つめた。どこまでも続く空は綺麗な茜色で、地上に光を振りまいている。光の帯は愛梨の個人病室にも降り注いで、部屋が薄く赤色に染まる。それをぼんやり見つめた。
「海斗君、ちょっと」
「はい、何でしょうか?」
医者が海斗を呼び止める。二人は病院の外の人通りのないところに移動した。
「あの事だけど薬があるから、必要だったら言って。もちろん選択権は君にある。……医者がこんなこと言うのはきっとだめなんだろうけど……」
医者は周りを気にしながら小声で言う。海斗は一瞬悲しい顔をしたがすぐにいつものへらへらした笑顔に戻った。
「いえ、お気遣いありがとうございます。もう少し考えますね」
「そうして欲しい。もし必要なら私に声をかけて」
医者は名刺を海斗に渡してその場を離れた。海斗は遠くを見る。その視線はちょうど、愛梨がいる病棟に向けられている。
今のままではずっと変わらず、きっと回復は望めない。もう海斗の中で決意は固まっている。
「でも、もうちょっとだけ……」
外は夕日が燃やし尽くしているような、真っ赤な風景が広がっていた。世界最後の日はこんな空なのかもしれないと海斗は思った。
「ハッピーバースデー愛梨ちゃーん!」
「えっ、何で私の誕生日知ってるの? 教えた覚えないんだけど」
「好きな子の誕生日ぐらい、知ってて当たり前でしょ。はい、誕生日プレゼント」
愛梨の病室に押しかけた海斗は、スクールバッグが入りそうなぐらいの大きさの、ラッピングされた袋を愛梨のベットに置いた。
「随分大きいわね」
「愛梨ちゃん好きそうだなって思って」
ふーんと気のなさそうな返事をしながらプレゼントを開けた。
袋から出てきたのは抱きかかえられるサイズのクマのぬいぐるみ。赤のチェックのリボンが付いていて、毛なみはもふもふで気持ちがいい。
「可愛いじゃない」
「気に入ってくれてよかった」
「随分高そうね」
「そんなことないよ」
海斗は窓側に歩く。
「飾ってくれてるんだ」
「なによ、あんたがいったんじゃない」
「うん、嬉しい。ありがとう」
微妙に話が噛み合ってなくて、愛梨は首をかしげる。海斗は愛おしそうにそのハーバリウムを見た。その横顔をきらきらと眩しい朝日が照らす。
「どこかに引っ越すの?」
「え?」
唐突に愛梨が聞いた。何の脈絡もない、急な質問に海斗は驚く。
「どうしたの、急にそんなこと聞いて」
「……あれ、なんでだろ? 私にもわからない」
言った本人である愛梨は不思議そうに首を捻った。
「それじゃあ渡したいものも渡したから、僕帰るね」
海斗も不思議そうに愛梨を見ていたが、特に気にしていないようだ。
「そう。……プレゼント、まあ、一応、ありがとう
にっこり笑いながら愛梨の顔を見た海斗はいつもの言葉を言った。
「愛梨ちゃんが大好きです。僕と付き合ってください」
またそれか、と愛梨は心の中でため息をつく。
「悪いけど、私はあんたのこと好きじゃないから」
「うん、知ってた。じゃあね」
海斗はいつものように病室を出て行った。
「なんだったのかな、あいつ」
少しの違和感を残して。
「今日はかなり大雨になると予想されます。夜に近づくにつれ激しくなるので、お出かけはなるべく控えるといいでしょう」
テレビの中のニュースキャスターが言った言葉を聞き流しながら愛梨は朝ご飯を食べる。
外は薄暗い雲が空を覆い、ポツポツと雨が窓を叩いている。
「ごちそうさま」
食べ終わって、ベットに寝転ぶ。
昨日ジェシカと名付けたぬいぐるみの手を取って、上下に動かしてみる。毎日代わり映えがなくて、退屈な日々。何か変わったことでも起こらないかなと思ったその瞬間。
突然来た。ドクンと大きく一回、愛梨の胸が叫び声をあげた。
続いて割れそうなほどの痛みが脳みそを叩いた。痛みから少しでも逃れようと愛梨はうずくまることしかできない。
「……ぐ……」
体内の熱が暴れ回る。汗が滲む。手を伸ばしてナースコールを押す。
枕に顔を埋めて、痛みを逃すように呼吸を繰り返し、目を瞑った。
自分の呼吸だけが響く。脳みそが熱く溶けそうだ。黒い世界の中、急に白い光が差した。
「え」
まばゆい光の中に、海斗が立っていた。海斗の口が動く。
愛梨はなぜそこにいるの、どうして、なんて言っているの、と尋ねようとした。が、急に意識は現実に引き戻される。
「天野さん、天野愛梨さん、大丈夫ですか」
愛梨がハッと気がつくと、担当医と看護師が愛梨を覗き込んでいる。不思議と先程の濁流のように押し寄せる熱も、響く頭痛も嘘のように無くなっている。ゆっくり体を起こす。
「……た」
ジェシカを引き寄せ、強く抱く。みるみる目に涙がたまっていく。
「天野さん?」
「……かいと、海斗は私の……なんで忘れて……なんで……」
少しでも堤防が決壊すると、もう止まらない。涙が静かに、大量に流れ落ちる。愛梨は放心したまま、遠いどこかを見つめている。
医者と看護師が互いの顔を見合わせた。そして医者が決意したように頷く。
「天野さん」
医者は優しく愛梨の肩を叩く。そこでやっと、愛梨の顔に表情が戻った。
「私は、なんで」
「天野さんは愛する人を忘れてしまうという所謂奇病の症状がみられました。二ヶ月ほど前、急に天野さんは葉山さん、海斗さんのことを忘れてしまいました。天野さんは繰り返し忘れることはありませんでしたし、嫌悪感もそこまで強くありませんでした。しかし軽くても自然にこの症状は治りません。治すには――」
医者は真っ直ぐ愛梨を見る。
「愛する人の死、しかありません」
「……えっ?」
頭がその言葉を理解することを拒む。
「いや、そんな、そんな、だって私、海斗のこと忘れてたのよ? そんな奴の為に死ぬなんて、そんな、そんなこと有りえるわけがない」
「天野さん。これ、葉山さんからです」
医者が不自然な膨らみがある水色の封筒を渡す。表には愛梨ちゃんへ、と海斗の文字で書かれている。
愛梨は無言でそれを受け取り、開ける。中には桜の意匠を凝らした指輪と一枚の便箋が入っている。
「――――」
あれは中学生の時。うららかな春の日、桜の木の下で海斗に告白した。その時の緊張と、汗ばむ手と、喜びは一生忘れないと思っていたのに、ついさっきまで忘れていた。
二つに折られた便箋を開く。桜の花びらのイラストが散らばった便箋。
『病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、死が二人を分かつとも、愛し、敬い、慈しむ事を誓います』
便箋の下の方に書かれた葉山海斗の署名はは震えていた。
理解しなければいけない、と思った。愛梨の脳に正しく葉山海斗は天野愛梨のために死んだと伝わる。
「あ、あ、うああ…………」
泣き叫ぶことはしなかった。涙がこぼれる。あふれる。伝う。落ちる。
――桜の木の下、花びらが舞う春風の中。海斗が愛梨にプロポーズする。愛梨は笑顔で、はいと答えた――
愛梨は今、ハーバリウムの中のスターチスの花言葉――変わらぬ心、途絶えぬ記憶、永久不変――の意味を知る。
「愛梨お姉ちゃーん! お待たせ!」
「大丈夫よ、笑ちゃん。そんなに待ってないから」
妹に仕事の用事があるから子供をご飯に連れてって! と頼まれ、愛梨はファミレスで妹の子供の笑を待っていた。笑は母親か愛梨のことをお姉ちゃんと呼んでいたこともあり、愛梨お姉ちゃんと呼んでいる。
「ごめんね、行ってくる!」
「はいはーい。終わったら連絡してね」
笑は席に着くやいなや、メニューを開き昼ご飯を選んでいる。動くたびに2つに結んだ髪がぴょこぴょこ動いていて、可愛い。
「なんでもいい?」
「いいよー。好きなの選んで」
やった! と言って笑はこれがいいとビーフシチューの中にハンバーグが入っている料理を選んだ。その様子は中学生になったとは思えないほど幼い。愛梨はサンドイッチを選び、注文する。
料理を待つ間、愛梨と笑は取り止めのない話をする。
「あれ、愛梨お姉ちゃん結婚してたの?」
「え?」
「だって、薬指に結婚指輪してるでしょ?」
ああこれ、と愛梨は指輪の桜の意匠を見つめた。二年前に贈られた指輪。
「ええ、そうよ。結婚してたの。知らなかった?」
愛梨は微笑んだ。
「知らなかった! え、え、どんな人? 会いたいなー!」
笑がテーブルから身を乗り出して聞いてくる。
「ごめんね。彼、遠い所にいるから今は会えないの」
「じゃあ遠恋なの? え、辛くない?」
笑が乗り出した身を引っ込めて尋ねた。子供は正直で痛いところを突いてくる。辛いわけがない。でも。
「ううん、大丈夫。辛くないから」
本当ー?と疑う笑にほんとほんと、と返す。
「それより笑ちゃんは好きな人いないの?」
途端に笑の顔が赤くなる。
「あー絶対いるね。誰だれどんな人?」
「うー……部活の先輩で、かっこいい人……」
恥ずかしかそうに言う笑は、中一の幼い子といえど立派な恋する女の子で。つい愛梨は自分と重ねてしまった。
――好きです先輩、付き合ってください――
窓から差し込む光を浴びて、指輪がキラリと光った。 もうすぐ、春がくる。
愛すべきあなたに祝福を 餡蜜 @tensimaguni
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