戊章 ヒガとヒガと ――Personality and Privacy
32. きりきりぜみの森へ
はだかの者たちの山を前にしてぼくのしたことは、ただ茫然とそれを眺めることだった。ぼくはぼくのアイデンティティをどこかに求めなくてはならないわけだが、そのためにはぼくはどういうものなのか観察しなくてはならない。この人たちは何も使わずに自分で自分の顔を眺めようとこうしてきりっ、きりっ、と首を動かしているが、ぼくにはそれで自分の顔が見えるとはとうてい思えない。
さりとてこれといって妙案があるわけでもないから、ぼくはただ不毛な試みを繰り返すばかりのかれらを眺めるだけ。それしかできなかった。
「鏡もないというのに、どうやって自分の姿なんか」
案もないのに、かれらの行いは滑稽にみえて、ついそんな呟きが口に出てしまう。
その呟きを、咎められた。
「説得したって無駄だ。キミの言葉はヤツらには届かない」
咎めたのは、はだかの人々のひとりだった。それも山の人々と同じくはだかだったが、それだけは山を為さず折り重なる人々を背にちょこんと坐っていた。
「わけは二つ。一つは、ヤツらの見たいのはヤツら自身だ。キミは他人だからね、ヤツらはキミには興味がない。もう一つは、ヤツらは顔を見るのに夢中で、周りの変化なんかにゃ気づいちゃいない」
「いや説得したわけじゃないんだ。ひとりごとさ。ぼくは自分を見る方法が知りたい」
「ひとの声に注意が向くのは、自他の区別のあるやつだけだ。自分がだれかも分からないのに、ひとがだれかなんて気にもなりはしないだろう」
そいつは話しながらも、ぼくを見ていない。ただぼんやりと遠くを見上げていた。
かれは山の人々とは違うように思ったが、案外そうでもないのかもしれない。ぼくの声に興味を示したのは、じつは大した興味じゃなくてほかのものごとへの興味が摩耗した結果なのかもしれない。その証拠に、かれはもう山の人々のようなきりきりぜみじゃない。自分の顔を見ようともせず、ただぼんやりと坐っているだけだった。
とはいえ、かれがまた、あんなきりきりぜみでは自分の顔なんて見られないことを悟っているだろうこともまた真実には違いない。ほかに方法があるのか、だめもとで訊いてみたっていいだろう。
「ぼくは自分を見る方法が知りたい」
「ボクはここに坐っている。明日まで――」
いきなり、背後の人山が揺れた。四つん這いになってきりきり運動を続けていたひとりが、力尽きたようだった。その上に載っていた人たちはかれが突っ伏すと同時にバランスを崩し、山が潰れかけた。だがどうにか持ちこたえると、また何事もなかったかのようにきりきり運動に戻った。
「あるいはその翌日まで」
後ろに山が崩れかかってきてあやうく潰されかけたこいつも、何事もなかったかのように同じ調子で続けた。
「ぼくは自分を見る方法が知りたい」
ぼくが今一度尋ねると、かれはしばらく無言で空を見ていた。やがて、
「そもそもキミ、自分って何のことだか知っているのか? それがまず問題だろう」
確かにそのとおりだ。そういえば自分とは何だろう。外界ではないものか。では、外界とは何だろう。自分ではないすべてか。これじゃ何の説明にもならない。
そいつは、発言をちょっとだけ訂正する好機だと思ったのか、
「ボクはここに坐っている。いや、いるかもしれないし、いないかもしれない」
「そんなことより自分って何なんだい?」
「自分で考えるがいい」
「らちが明かない」
その自分とは何なのか知りたくて、聞いたのじゃないか。
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