13. 船乗りに精漿
朝起きると、船乗りが四人立っていた。
二メートルにも届くかという背丈で、腕とか首とかはまるで丸太だ。胸板なんて中国の銅鑼くらいに広くて、そんなのが四つも並んでいるものだから、さながら壁に見えた。
ぼくがむくりと上体を起こすと、その銅鑼が大喝一声、鳴った。
「おはようございますっ、旦那様っ」
どさり。窓の外で屋根の雪が落ちたのは、やはり偶然じゃないと思う。
閑話休題、――
「あのさ、きみたち。昨日はお父さまと言っていなかったかい?」
「はいっ。それは旦那様が、お嬢様の御夫君になられたからですっ」
「いやご夫君って、別に結婚したわけじゃないんだけどなあ」
「お着替えをお持ちしますっ」
そんな呟きに構わず、男どもはよく調整された時計のように隙間なく、無駄なく動いてぼくの朝の支度にかかった。ひとりが室外に消え、ひとりが洗顔歯磨きなどの用意。ひとりがスリッパを差し出し、ひとりがぼくの服を脱がせるべく、――とそこまで観察していて、昨日のことが記憶に甦った。昨日は四人がかりでぼくを全裸に剥こうと、――
「わあ待った! それはいい! 全員そこに並べ!」
「アイアイサーッ」
とたん、四つの胸板がブロック塀のようになった。ぼくはほうと体の奥底から安堵のため息を吐き出して、胸を撫で下ろした。男たちは直立不動の姿勢だ。ぼくがいいと言うまで、動くつもりはないのだろう。
そう理解すると、ようやくぼくの頭にもほかのことを考える余裕が出てきた。
「きみたち、アリスの使用人なんだよね。たしかリッチ、マイク、ジョン、ビルだっけ」
「リチャード・ダグラス
「マイケル・マッグルー
「ジョナサン・ヘイスティングス
「ウィリアム・ヘス
ぜんぶ私的がつくのは、何かの洒落なのだろうか。これがあれか、軍隊の乗りってやつか? ぼくの被造物であるはずなのに、この世界にはぼくの分からないことが多すぎる。
「きみたちにとってぼくは、いったい何なんだ?」
「旦那様ですっ」
即答。一片の迷いもない。ならばとぼくは、質問を替えた。
「昨日はお父さま、今日は旦那さま。いったいぜんたい、ぼくは格上げになったのか格下げになったのか、どっちなんだい?」
すると四人の船乗りは、きつねにつままれたような顔で互いに目を見合わせた。それは問いの答えに迷っているというよりは、問われた内容だに理解していないかのようだ。
そんな顔をして互いに眼だけでなにか交わしていた四人は、やがて、
「旦那様のお望みのほうでっ」
「もういいよ」
被造物に自分の扱いを尋ねるほどばからしいことはないね。
そのとき、ぼくの隣でアリスの目覚める音がした。むうんと甘い声を立ててそろそろと起きあがり、眠そうに眼をこすりながらぼんやり部屋のなかを眺めて、
「ううん、もう朝ぁ? あ、二太郎さん、おはよう」
「あ、ああ、おはよう」
「お前たちも、おはよう」
「おはようございますっ、お嬢様っ」
またしても雪が落ちた。アリスはむくむくと布団から起きだすと、やはり眠そうにしながら、四人の使用人に朝の支度を命じた。ちなみに、彼女は昨夜ぼくと寝たままの姿だ。下着以外は、なにもつけていない。それが、そのままの姿でふとんから出てきた。
いや、慌てたね。昨日あれだけ枕を交わしたぼくが相手だったら、羞恥心がないのもまだ分かる。でも、この部屋にいるのはぼくばかりじゃない。あのいかつい船乗りが四人、直立の姿勢でこっちを見ている。ぼくは慌てて、
「ま、待った、アリス! きみ、裸! 裸だよ!」
「当たりまえじゃない。起きたばかりなんだから」
返って来る答えは、さもつまらなげだ。いや待ってくれ、男どもの前で裸なんて、恥ずかしくないのか?――
「恥ずかしいわけないでしょ。うちの使用人じゃない」
つまらなげな返事。それで思い出した。いつかの時代では、貴族は着替えまで付き人にさせたとか。付き人は自分と対等な人の範疇に入らないから、かれらに対して羞恥心は持たないとか、何かの本で読んだことがある。アリスは貴族じゃないし、ぼくもこの世界にそんな設定を適用した憶えはない。でも、ここのアリスはどうもそういう性格らしい。
面白い。じつに面白い。ぼくはこの世界の神なのに、この世界のことを何も知らないらしい。それはおそらくはぼくも知らないぼく自身のなせる業なのだろう。となると、いよいよ面白い。これはまるで、思考実験のためにあるような世界じゃないか。
そう思うと、ちょっとしたいたずら心がむくむくと頭を擡げてきた。ぼくは、アリスを発情させたのと同じ要領で、ちょっとしたことを望んでみた。すると、
「昨夜はよく眠れましたかっ、お嬢様っ」
四つの声が、きれいに揃った。アリスは眠そうにうん、まあねと呟き、
「昨夜はとても気持ちよく眠れましたかっ、お嬢様っ」
またしても四つの声が、ウィーンの聖歌隊でもこうはいかないのじゃないかと思えるくらい見事なコーラスになった。アリスはえ、と意味を解しかねた顔で呟いて、そして、
「ああ、ぼくの腕のなかで、とても気持ちよさそうだったよ。こんな気持ちいいエッチは初めてだって、甘えながら言っていたよ」
と、これはぼくだ。大男四人は寸分違わぬ動作で頷き、これ以上ないほどの朗らかさで、
「お嬢様は夜の営みがお好きでいらっしゃいますからねっ。旦那様の逞しいもので、ずんずん突かれまくるのがお好きでいらっしゃいますからねっ」
「ちょっとっ! 何言ってんのお前たちっ!」
意味が分かって、アリスの顔が真っ赤になっている。しかし、
「種付けされるのがお好きでいらっしゃいますからねっ。お体のなかに、びゅるびゅると白くて粘りっこい精漿を注ぎ込まれるのが大好きでいらっしゃいますからねっ」
「うるさいっ!
あ、怒った。それにしてもさすがはぼくのアリスだ。怒るときにも洒落が利いている。韻を踏み切れていないのは、きっとぼくの英語センスの問題なのだろうが。
アリスはわなわなと震える指で、
「おまっ、お前たちなんかっ、クビよ! クビ!」
「まあまあ、ちょっと落ち着こう、アリス」
そんな彼女を、うしろから両肩を叩いて宥めた。顔はにやにやとチェシャ猫笑いが止まらない。それを必死に抑えこもうとして、しかし抑えきれないまま、たねを明かした。
「クビはないんじゃないかな。かれらにああ言わせたのは、ぼくだからね」
「えっ」
「いや本当にごめん。ぼくがそう望んだから、かれらはあんなことを言ったんだよ」
両手のひらを通じて、アリスの肩の震えが伝わってくる。まさに爆発前の火山だ。前みたいに裏拳をかまされてはかなわないから、ぼくは彼女が力技に訴えることのないよう思し召しておいた。造物主のこういうところは、とても便利だ。
「からかうような形になったのはごめん。でも、これで昨日の話の続きができるわけだ。まあとりあえず、服を着よう。いつまでも裸じゃ、お互いに寒い」
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