12. 帳のぬくもりに抱かれて

 思うに、セックスのあとの虚脱感ほど世に空しいものはないよね。さなかにはすごく充実しているし、実際すごく気持ちいいのだが、終わってひとしおの満足感を味わったあとには、なんだかとても空虚な感じがする。

 欲情したアリスに抱きつかれ、流されるようにセックスへと突入したぼくも、している最中には彼女を愛するのに夢中だった。凡そ持てる限りの欲望を余すところなく満たしてくれる彼女は実にすばらしかったし、おかげで何戦やったかも思い出せないくらいだ。

 でもすべてことが終わって――それこそ後戯まで済んでへとへとになり、ひとり用にしては随分と豪奢なベッドにあおのけになってみれば、また自分の置かれた位置のことが頭に甦ってきてどうにも空しくなった。

「ねえ、アリス」

「なあに、二太郎さん」

 ぼくの胸のなかで頬を寄せて、甘えてくるアリスの呼ぶ声が二太郎さんに変わっている。でもそんなことも気にならないくらい、心はそこから離れていた。

「きみは神がどういう気持ちなのか、考えたことはあるかい?」

「ううん。それって、いまのあなたのこと?」

 甘い声で問い返してくるアリスのくすんだこがね色の髪を、腕枕したほうの手でやさしく梳いてあげた。彼女の髪は長い。肩から胸にかかる辺りを梳いてあげると、気持ちよさそうにのどを鳴らした。

「ぼくのことでもいいし、もっと一般的に世界を創った神のことでもいい。神は一体自分のことを何だと思って、何のためにいるのだろうね」

「どういうこと?」

 やはり甘えながら、アリスは訊いてくる。戯言とでも思っているのだろう。

「この世界はすべてぼくの想像が生み出したものだよね。この家も、今も外で降っているだろう雪も、流氷に凍りつく港も。空も、今朝のあの船乗りたちも、こうしてぼくの腕のなかにいるきみも。みんな、ぼくの考えごとのなかから生まれた」

「そうね」

「ここにあるものは人も物もすべて、ぼくにルーツを持っている。その世界のなかでぼくは、ただひとつぼくだけはここにルーツを持たない。きみには両親がいる。生まれ育った故郷もある。そしてぼくという造物主もいる」

「愛するひとでもあるわけだけど、ね」

 アリスがくすりと笑って言う。ぼくはそんなアリスの髪を撫でて、そのなめらかな額にキスをした。唇へは、さっきセックスの最中に何度もした。むしろ貪るようにした。しかしいまこのときは、気づいたら額にしていた。

「でもぼくはここでは、天涯孤独だ。ここにぼくの親はいない。故郷もない。だれかに造られた存在でもない。ここにぼくが存在する意義は、何なんだろう」

 これは予想外だったとみえて、アリスはくりくりと眼を開いて、ぼくを見つめてきた。

 ぼくは構わず、

「ぼくの知っている聖書では、神は人を創り、無償の愛をもって人間を愛することになっている。けど、それは人の側から見た神だ。人からみれば神は住むところを創ってくれて、対価も求めずに愛してくれる。嫉妬深く信仰を試すことはあるし、信じぬものを滅ぼすこともある。けれども神の愛そのものは試練やいけにえの対価として与えられるものじゃなく、あたかもそれが世界であるかのごとくの昔よりそこにあり、の先まであり続ける。それが人間の側から見た、ある意味神の存在意義だ」

 アリスはやはりきつねにつままれた顔で、ぼくを見あげてくる。

「でも、神から見たらそんな神自身ってのは、どうなんだろう。聖書によれば、神は在って在りつづけるものだそうだ。でも、それなら何のために在ろうとする? 何が目的で在りつづけようとする? ぼくの知る神は全知全能だそうだから、きっとそれも知っているんだろう。でも、ぼくは、この世界の神にしてはあまりにも無知すぎる」

 アリスは、答えなかった。なぜそんなことを考えているのだろうというつらだ。

 ――ああ、しまった。

 語っていて思い出したが、このアリスはちょっとばかし単細胞だ。なぜって、ぼくの女の子の好みが明るくておばかなお転婆娘だからだ。ぼくが彼女をそう作った。それにこんなことを尋ねたって、ためになる答えが返ってくるはずがない。分かっていたはずなのによりによって彼女に訊いてしまったおのれのばかさ加減に、ぼくはちょっと頭が痛くなった。

 だから彼女にも分かるように、質問をかえた。

「ごめん、話を変えよう。きみはつい今の今まで、ぼくとセックスをしていた。このことはどう思う?」

「どう思うって、そんな。恥ずかしい」

 アリスの顔が赤くなった。くすりと笑みを漏らして、やがて、

「よかった。……すっごく」

 それはひとりの男として、とても嬉しく思う。でも、そうじゃない。ぼくの聞きたいのは、そんなことじゃないのだ。ぼくはありがとうと礼をいいつつ、

「きみがぼくを押し倒したのは、ぼくがそうなるさまを想像したからだ。ぼくがそう望んだから、きみはそうしたくなった。だよね」

「うん、そうね」

「だとしたら、アリス。きみはそれでいいのかい?」

「いいのかって、なんで?」

「だってそれはきみの意思じゃないだろう。きみの意思はぼくによって曲げられ、きみが本当に望んでいたかどうかによらず、そう望むよう仕向けられたんだよ? それを、不満には思わないのかい」

「どうして?」

 即答だった。アリスは自立意識の強い子だ。彼女の家はあきんどで、彼女は妹とその跡目を争っている。彼女の夢は家をついで、田舎あきんどからわが家を世界に通じる大富豪へと成長させることだ。目的志向が強く、夢は自力で叶えるという希望を抱いている。そんなアリスのことだから、人に意思を左右されるのは好まないだろう。

 そう思っていただけに、この即答にはちょっと面食らった。

 いや、どうしても何も、きみは自分の意思を曲げられるのが嫌いじゃないか。そう問うと、彼女は驚いた顔をした。

「でも、それはわたしの意思だもの。わたしが望んだことには違いないでしょ」

「いやだけど、ぼくがそう仕向けたんだよ? たとえばきみを薬漬けにして、何でもぼくの意のままになるように洗脳するようなものだろう」

「春本にでもありそうな話ね」

 アリスはそう言ってくすりと笑う。言われて、なるほどと思った。洗脳もの、野卑な言葉でいえば調教もの。ぼくの趣味じゃないが、そんな分野は確かに男性向け娯楽にある。洗脳され、快楽に堕ちていく女の子は幸せか不幸せか。現実にはまず起こらないこともあって、その判断はとても難しい。

 でもまたすぐに、アリスは答えた。

「違う。薬はわたしでない誰かが、わたしの意思を無理に変える。それが不幸かは知らないけど、でもあなたが望んで変わるなら、そんなことを考える必要もない。だから違う」

 まるで意味が分からない。するとアリスはううんと唸って、

「わたしはあなたに創られた被造物だから。さっきあなたが言ったルーツの話でいうと、わたしのルーツはあなただから。あなたはわたしの神さまで、わたしの心のうつろいはすべて神さまの思し召しでしょ。わたしも思し召し、わたしの心も思し召しなら、思し召しでわたしの心が変わっても、それはわたしが自分で変えたのと同じ」

「――ああ」

 彼女の言いたいことは、よく分かった。なるほどよくできている。つまり、これが信仰だ。実にうまい仕組みだ。自分の存在理由を、ここまでしっかりと決めてくれるものがほかにあるだろうか。ほかの生きものとは違って余計なことを考えてしまうぼくら人間が、前途を見失うことなく繁栄してこられたのは、このあたりに因るところが大きいのじゃないだろうか。

 オウケイ、被造物たるものの存在理由は分かった。なら話を戻そうじゃないか。造物主たるもの、あるいはそんなものじゃなくたっていい。被造物でないものの存在理由は、どこに求めればいい?

 だがそれに対するアリスの答えも、即答だった。

「そんなこと、わたしが知るわけないじゃない」

 でも、だけど、と彼女は続ける。這いあがるようにしてぼくに顔を近づけ、

「だけど、愛する被造物のために、というのはどう?」

「え?」

「みなし子も大人になれば子を産むでしょ? ルーツがないからと言って、被造物まで無意味じゃないでしょ? それを愛して、そのために生きるのはどう?」

 アリスは上体を起こした。そのまま見おろすようにぼくに顔を近づけてくる。こがね色の髪が帳のように垂れて、ぼくの視界を覆った。ただ愛くるしい顔だけが、そこにある。くすりと笑って、

「なんならわたしが、なってあげようか? 愛する被造物に」

「え、でも……」

「いいの。わたしはあなたが好きだし、エッチもその、すっごくよかったしね。なんていうかもう、頭のなかを竜巻が通り抜けていくみたいな感じ。あんな気持ちいいものがあるだなんて、なんかもうすごくショックだった」

 いやごめん、それはぼくがアリスの、セックスで弱いところを、知り尽くしているからだ。というかそうきみを設計したのが、ぼくだからね。――

 内心でそんなことを思ったが、口には出さなかった。その代わりアリスの頭を抱き寄せ、もう一度キスをした。今度は額でなく、唇にだ。そのままぼくとアリスはもつれ合うように上体を絡ませ、男女の営みに突入していった。さっきあれほどやってへとへとになったはずなのに、ふしぎとぼくの体内には力が漲っていた。

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