14. デウス・エクス・マーキナー

「これが昨日きみの言っていた思し召しというやつなんだが、どう思う?」

 ふたりとも着替え終わり、朝食をとる段になって、まずぼくが言ったのはそれだ。

 四人の船乗りを使って卑猥な言葉でアリスをからかったが、別に彼女を困らせるのが目的じゃない。いや、その気がまったくないかというとそれは嘘になるが、ぼくのやりたいのはそんなことより、昨日の話だ。つまり、

「きみは昨日、人から自分の意思を曲げられるのはいやだといった。それはそれが本当に神さまの思し召しかどうか分からないから。たしかにそう言ったね」

 アリスは機嫌悪そうにトーストを口に運んでいる。そりゃそうだ、あんなことを言われたあとに、気分のいいはずがない。それが分かっていたから構わず、

「じゃあ聞くけど、きみ以外のだれかがきみを薬で変えようとするのも、思し召しじゃないのかい? 世界のルーツがぼくなら、きみ以外のだれかの意思も思し召しだ」

「違う。それは、思し召しでないものが紛れてるかもしれないじゃない」

「じゃあ、これはどうだい? 水兵たちの言葉は、一字一句漏れなくぼくが言わせたものだ。きみの浴びた侮辱は、間違いなくぼくの与えた侮辱だ。ぼくと神とは同じこと、なら意思を曲げるのとはちょっと違うが、きみはこれを神の思し召しと受け入れるかい?」

「いやよ」

 にべもない。しかしこのにべもない返事こそが、ぼくの期待したものだ。

「でもきみは神の被造物で、神の思し召しならば何でも受け入れるんだろう? ならどんな目にあっても、それが神の思し召しである限り受け入れられるんじゃないのか?」

「いや」

 アリスがこう答えるだろうことは予想できている。でも、理由までは分からない。それを訊くと、アリスは怒ったようにつっけんどんに言った。

「当たりまえでしょ。神さまがそんなばかばかしいことをするわけがないじゃない」

「いやだけど、この世界の神はぼくだろう。そのぼくがかれらにやらせたと言っているんだよ? これでもするわけがないと言えるかい」

「わたしがクビとか言い出したから、あいつらを庇ってるだけでしょ! 神さまは慈悲深い方なんだからっ!」

 いや、実際庇っているつもりなんてない。むしろ二度も真っ裸に剥かれかけて、かれらにはあまりいい思いは持っていない。

 しかしアリスは、そんなぼくの主張を聞き入れようともしない。あげくの果てには、

「もしあなたがやらせたって言うなら、証明してよねっ!」

 駄々っ子のような言い種だ。そんなことを言われたって、ぼくの側には証明する手立てもない。言わせたのはぼくだが、言ったのはかれらの本心なのだ。心のなかみを立証する手段なんて、いくら神だってありはしない。

「なるほどね、神のアイデンティティって、そういうものかも知れないな」

「なによ。自分のアイデンティティで悩むなんて、ばかみたい」

 彼女にとっては、そうなのだろうね。でも、ぼくの言っているのはこの世界におけるぼくだけじゃない。もっと一般的な、造物主の概念だ。

「つまるところ、きみは神を選り好みしているわけだね。きみにとって神とは、きみ自身に都合のいいものでないといけないわけだ」

「そんなわけないでしょ。神さまは信じて、教えを守る人に微笑んでくれるものなんだから。わたしから背かない限り、嫌なことをするわけないじゃない」

 それを選り好みと言うんだよと、そう教えてあげたくなる。容認できるものは何でも神の思し召しでいい。容認できないものでも、納得がいくならそれでいい。むしろ思し召しのほうが、棚上げにはもってこいだ。でも納得できない不都合は、これはそうであっちゃ困る。当の神が何を言おうと、それが不都合である限り受け入れようとしない。逆に納得できるものならば、それを言いだしたのが神だろうと神またはその代理人を名乗る何かだろうと構いはしないわけだ。

「アリス」

「なに?」

「デウス・エクス・マーキナーって知っているかい?」

 知るわけないでしょ、現代語話しなさいよと、素っ気ない答えがかえってきた。

「つまりきみに言わせればぼくはきみらこの世界の人間を――さもなくばきみを愛するためにここにいる。そういうことだね」

「ていうか昔の偉い司教さんにそう教えたのはあなたでしょ? 聖書にも書いてあるし」

 それはあながち間違いじゃないな。この世界の聖書は、ぼくの想像が生み出したものだからね。そしてアリスから見たぼくは、彼女にとって不都合な存在であっちゃ困る。存在理由が彼女への愛であるところなんかも、まるっきり好都合だ。

「なるほど。だいたい分かったよ」

 ぼくは慨嘆する。ぼくの存在はつまり、アリスとこの世界とによって規定されているわけだ。まるでそう、あたかも初めから、そのためだけに生まれてきたように。まるっきり立ち位置が逆だね。これじゃ、どっちが被造物なのか分からない。神を創るという話を論じた哲学者がいたそうだが、面白いことを考えたものだ。

「デウス・エクス・マーキナー。機械から現れる神、機械仕掛けの神。訳はいろいろだ。纏めがたい筋書きを、絶対的な存在の介入によって収束させてしまう演劇の手法だ。元々は神を演じる人が機械で吊るされて出てくるからそう呼ばれるようになったというけど、ぼくは神が筋書きを解決させる舞台装置として働くこと、それをもってそう呼びたい」

「それがどうかしたの」

 まだ怒っているのか、アリスの声はつめたい。ぼくがやらせたと言っても信じないくせに、なぜかぼくにまで腹を立てている。この辺り矛盾だと思うけど、案外そんなものなのかも知れないね、気持ちっていうのは。

「人は、神を信じ神に仕えるためにある。人の存在は、神さまが保証してくれるわけだ。その神さまとやらが、ここじゃぼくなわけだね」

 その先は、あえて言わない。言わなければ、彼女はきっと何も酌み取ってくれないだろう。でもそんなことどうだっていい。ぼくはただ今ここにある感慨を、語りたかった。

 案の定、彼女はぼくの心に気づかなかった。やはり返る言葉は、つっけんどんだった。

「なによ今更。それがそのなんたらマーキナーとどう関係があるわけ」

「いや、何、まさにデウス・エクス・マーキナーだと思ってね」

「なにがよ」

「いや、何でもないよ」

 詰問するように尋ねる彼女に、ぼくは曖昧に微笑んでみせた。

 エクス・マーキナーな神があるわけじゃない。神とは、そもエクス・マーキナーなものなのだ。いや、ぼくは世界の神々をすべて学んだわけじゃないから、そうと断ずるにはちょっと早い。なかには本物の、ぼくらの造物主もいるのかも知れない。でも、ぼくの世界で信仰されている神のうち少なくとも幾つかはこんな、ちょうどこの世界におけるぼくのようなものじゃあるまいか。そんなことをこのときぼくは思った。

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