第46話 みなもside


―午前五時半・神在市駅前



「ぅ……うぅん」


布で口を塞がれたと思ったら、何かの薬品らしきものを嗅がされ意識を失ったみなもが次に目を覚ましたのは、神在市駅前構内だった。横たわっていたベンチからゆっくりと起き上がると、構内の窓へ駆け寄り周りを見渡す。神在駅周辺は僅かながら、駅構内を駅員を始めとした人の姿が出入りし、空を見上げると既に朝を迎えていて陽も登り始めている。


「泪君、どうして…。どうして私の気持ちをわかってくれないの…?」


自ら進んで危険な事をする泪を何とかして止めようと、泪を追って異能力研究所へ単身向かったのは良い。だが研究所へ入ろうとする寸前の所で、見回りの警備員に発見され、研究所内部へ連行された。そして訳の分からない身体検査を受けさせられた挙げ句、結局泪の為に何も出来ないまま、神在の駅前まで戻されてしまった。


暖かな笑顔を浮かべながらもどこか陰のある泪に、みなもは何度も彼に手を差し伸べるが、その度に泪に拒絶され続け失意の底にいるみなも。そんな傷ついたみなもに手を差し伸べたのは、何処の誰だかもわからない、野蛮な物言いをする物騒な男達だった。『彼ら』は泪に拒絶されたまま、傷心のみなもに告げた。


『自分達と手を組み、協力してくれれば闇の中に居る泪を救ってあげられる事』。


『彼ら』はみなもの願いに全面的に協力する事を条件に、ある情報を求めた。それはみなもの知りうる限りの範囲内で、宝條学園内部の情報全てを引き渡す事。宝條学園の情報を渡してくれれば、泪はみなもによって救われる事を。


それで陰のある泪の本当の笑顔を取り戻せるならば、とみなもに迷いはなかった。日に日に曇っていく泪の暖かな笑顔を取り戻す為に、みなもは『彼ら』と手を組むことを決意した。最初に自分の知りうる限りの宝條学園の生徒達の情報を『彼ら』に明け渡した。


特に『彼ら』は若く見目の良い女子生徒の情報を、率先して欲しがっていた。同級生の男子から一目置かれている水海京香や、泪と親しい下級生の真宮瑠奈や彼女の従姉妹。学園卒業生であった彼女の友人の姉の情報をも、進んで『彼ら』に引き渡した。多くの女子生徒の情報を渡せば渡すほど、『彼ら』は諸手をあげて喜んだし、自分の求める泪の個人情報も、『彼ら』によって瞬く間にどんどん手に入った。


これまで入手した泪の情報でわかった事は、泪に家族と呼べる存在は既に居ないと言うものだった。今まで泪が見せた陰のある表情は、全て泪が孤独を隠すものと思えば納得した。


そんな泪の内の孤独を四堂鋼太朗や水海京香。そして真宮瑠奈は彼の孤独を、何もかも踏みにじっているのだ。みなもは大好きな泪を他者が好き勝手に踏みにじる事。それが何よりも許せなかった。



「私……。これから一体、どうすればいいの…?」


「みなものその様子だと…。研究所へ入るの、失敗しちゃった見たいだね」



朝の日射しや何重もの影が重なって顔は見えないが、みなもにとって既に顔見知りでもある相手。なにせ彼はみなもに、自分達への協力を持ちかけて来た男なのだから。


「私のやってる事なんて、あなたには関係ないわ。元々あなたが泪君を取り戻す力を持ってるから、力を貸して貰ってるだけ。私はあなた達が欲しがってる情報はあげてるだけあげてるし、私の目的の邪魔だけはしないで」


男はどんな時もどんな些細な事でも、泪以外の男性に興味をもたないみなもに対しても、積極的に突っ掛かって来る。だがもうみなもには泪しか居ない。こんな時にみなもの事を、欠片も理解出来ない男になど、みなも自身を構って欲しくない。みなもの心は常に泪だけのものなのだ。


「ううん。僕、みなもの事も心配なんだよ? みなもはいつも何でも、どんな些細な事でも一人で抱え込んでる…。だから僕は、そんなみなもの事が心配なんだ」


甘く響く美しいボーイソプラノ。相手はみなもより年下で、宝條とは別の学園に通う一年生。見た目は少女のように中性的な少年でも、彼の背後にはみなものような一般家庭など、相手にすらされない程の絶大な権力が控えているらしい。


初対面の地味で冴えない自分に対して、なれなれしく声を掛ける少年に、みなもは対面当初から大きく不信を感じた。彼は平凡な家庭に育ちかつつまらない自分よりも、何倍も世間を色々と知っていて、それ以上に自ら進んで危険へと入り込んでいく泪に、危険な行為を止めさせたいと思う気持ちが勝り、みなもは手段を選べなかった。


「やめて」


差し出される手を拒絶するみなもに、少年は不思議そうに首を傾げる。


「僕、みなもの事もっと知りたいんだ…。みなもが今どんな事考えてるか、みなもが僕にどんな笑顔を見せてくれるか、ね?」

「私、あなたなんかに興味ないわ。あなたなんかと話すより、私は今すぐにでも泪君と話したい」

「うん、それも知ってるよ。彼がみなもを全然見ていないことも、みなもが僕に興味ない事も…」


みなもの一途な心は全て泪の為にある。甘い戯れ言をかけてくるこの男になど決して惑わされない。



「人の弱みに無理矢理付け入るなんて…。あなたは卑怯な人よ」

「卑怯なのは分かってるし、君だってその手の道に入りかけてるんだよ? どうしようもないのなら僕に力を貸して。僕の力なら彼らを助けてあげられる」


「で、でも……。でも……っ」

「わかってるでしょ? 僕は君のお願いを現実に出来る」



今回の件でみなも自身が無力なのを身をもって実感させられた。躊躇いなく悪魔の領域に踏み込む泪に対し、これ以上何も出来ないみなもには、『彼ら』の力を借りるしかない。泪を救う為、泪の本当の笑顔を取り戻す為なら悪魔にだって魂を捧げる。



「さ。みなも……僕の手を取って。ね?」



再び手を差し出す少年に反応する所か彼の顔を見ることもせず、みなもは既に陽が昇り明るくなっている空をゆっくりと見上げた。


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