第30話 鋼太朗side



―午後五時半・水海探偵事務所待合室。


事務所には夕飯を作ると張りきる瑠奈。店で買ってきた献立の材料を一通り冷蔵庫に締まった後、一端二階の自室へ戻り私服に着替え直して来た泪と、先程から何となく事務所の中周りをきょろきょろ見回している鋼太朗がいる。事務所を見渡しながら、待合へ戻って来た泪の姿をチラリと横目で覗き見る。泪の私服姿を見るのは初めてなのだが、服装には全く興味がないのかそれとも、単純に着られれば恰好などどうでもいいのか、泪の服は白い長袖トレーナーとデニムジーンズだけだ。


泪は瑠奈の夕飯作りの手伝いを申し出たが、瑠奈は一人で大丈夫だから問題ないと笑顔で返答しながら『台所借りるね~』と明るい返事をし、一階の奥にある台所へと引っ込んでしまった。リビングの代わりとなる待ち合い室には、鋼太朗と泪だけが向かい合うように座って待っている。


「あいつは毎日ここに乗り込んでるのか?」

「…瑠奈の方はたまに。夕飯目当てですぐ近所に住んでるユウ君と彼のお姉さんが、しょっちゅう転がり込んで来る事が多い位。お姉さんが大学入ってから流石に回数減りましたが」

「あいつ姉貴居たのか」


さすがに瑠奈も毎日は来ていないようだ。どうも泪の料理目当てで、副部長勇羅の方が頻繁に乗り込んでいるらしい。しかも姉弟揃ってしたたかだ。泪も知り合いから住み所を紹介してもらって住んでいる分、勇羅は特に泪と繋がりも大きいのだろう。


「…瑠奈がここで夕飯作る時。毎回僕の好きな食べものを作りたいと言ってるから、いつも何て答えればいいのか悩む。瑠奈が作る料理は美味しいから、味の心配しなくて良いのは嬉しい」


泪は瑠奈の料理を何度も食べているようで、味の方は別に問題ないみたいだ。


「好きなもの、か」


泪の好きなものを作りたい。瑠奈は瑠奈なりに数年ぶりに再会した泪の事をもっと知りたい、理解したいと懸命なのだ。台所から卵とチーズの焼ける香ばしい匂いがしてくる。買い物の途中、泪の好きなものの他に挽き肉入りのチーズオムレツを作ると言っていた。


「自分の好きなものって聞かれたら困るけど、何を食べたいのかを考えるのは···楽しい」


泪は昔から自分の事を相手に話すのが苦手だった。その辺りは余り変わっていないらしく、鋼太朗は表情を緩めた。



―…。



「はいっ! 瑠奈ちゃんの手料理。完成~」


大きめの白いプレート皿にはメインの挽き肉入りチーズオムレツに、オムレツの側に添えられている大雑把に千切られたレタスの下には、プチトマト二つと斜めに薄く切ったキュウリ数枚。

そして油切りしたツナとコーンを程々のせた簡単なサラダ。皿の両サイドにはそれぞれ泪がリクエストした、ワカメと大根の具が入ったシンプルな味噌汁に白いご飯だ。


「なんかお前の分だけオムレツでかくね?」

「いーじゃん、食べたいんだし」


三人分のオムレツを見比べると、瑠奈のオムレツは心なしか鋼太朗のものより僅かながら大きい。基本食の細い泪のものは泪の要望通り、小さめに作られているのはともかく、大きく作ってくれと希望した自分のものよりでかいとは実にがめつい。

しかもよく見ると泪や瑠奈のオムレツには、波がかかれてる程度のケチャップなのに、鋼太朗のオムレツにはケチャップの文字で、ご丁寧に『コータロー』と名前を書かれている。これは自分への嫌がらせか。


「それ以上食って、たわわなボディがでかくなっても知らねーぞ」

「!? セクハラで訴えてやる!!」

「いきなり裁判かよ!?」

「裁判を起こされたくなければ、そのでかい身長を寄越せ」

「理不尽すぎだっ!!」


二人の漫才じみたやり取りを見て、泪は箸を持っていない左手で口を塞ぎ、くつくつと笑いを堪えるような笑いを浮かべていた。


「あっ…」


笑われている事に気づいた瑠奈は、顔を真っ赤にしながらオムレツに箸をつけ初め、鋼太朗もそそくさと皿の横に添えられた茶碗へと、山盛りに盛られたご飯へ箸を付ける。



―ピーンポーン。



『泪さーん! 今日は姉ちゃん遅くなるから、夕飯いただきに来ちゃいましたー!』


少年とも少女とも似つかない甲高く元気の良い声と同時に、事務所の外壁に張り付けられているインターホンが鳴らされた。


「あの声は…」


泪はやっぱり来たか、と言わんばかりの苦々しい顔でこめかみを抑える。逆にオムレツを口に頬張っている途中の鋼太朗は、『?』の文字がいくつも頭に浮かばんばかりの顔で泪を見る。


「…瑠奈。夕飯の材料は?」

「えと、結構余分に買い込んだし後二人分位は」

「ユウ君……。それ以上食べるから、冷蔵庫の中に入ってる卵と挽き肉全部使って構いません」


インターホンを鳴らした客人の名前が発覚し、瑠奈も自然と顔が真っ青になる。単純だが短いやりとりで訪問客の正体を、大方察したのか鋼太朗も一筋汗を垂らす。


「……あいつか」

「勇羅。食べるもんね…」


この騒ぎを見るからに今日もまた泪個人の事は聞けなさそうだ。ただ滅多に自分を表に出さない泪の意外な一面を見られただけでも充分に収穫はある。


『泪の家族』は『泪の存在』すら知らないのだから。


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