3

 路地から出ようとして、少年は通りの井戸端会議の声に足を止める。

「さっきの異人さんの行列」

「またえらい高い買い物したねえ。あの娘の故郷の家族に家までプレゼントしたそうだよ」

「でも、まだあんな……十五かそこらの」

「そういうヘキなんだよ、あそこの旦那は。聞けば、別のめかけに産ませた自分の娘まで孕ませたって話じゃないか。奥さんが死んだのも、大きな声じゃ言えないけどありゃきな臭いよ」

 どくり、と少年の左胸の臓器が大きく脈を打つ。同時に背筋に悪寒が走った。頭の中に浮かんだ淫らな映像を振り解こうとするが、消えない。消えない。

 違う、あの少女は王宮での舞踏会に参加するのだ。あんなに豪勢な行列の真ん中で、今夜の饗宴を楽しみにして、だから、少女は、馬車の中で。


 ──泣いていた。


「家のためとはいえ、私ならあんな豚と一晩一緒なんて死んでもごめんだね」

「抱かれるだけならまだしも、文字通り傷物にするって話だからねえ。妾と言えばまだ聞こえはいいけど、やってることは奴隷より酷いさ。あそこの屋敷から顔をこんなに腫らした女が出てきたのを何度も見たって、郵便屋の──」



◇ ◇ ◇

 

 

 駆け出していた。何から、誰から逃げ回っていた時よりも速く、あの行列を追いかけた。吹き抜ける風が己を追い抜いていくことにさえ苛立ちを覚えながら、少年は馬車のわだちを追って例の高原に辿り着いた。小高い丘の頂にある、城と見紛みまごうまでに大きな屋敷に至る曲がりくねった坂道を、落ちかかった西日を背景に行列がやはりのろのろとした動きで上っているのが見えた。

 身体中から熱気が立ち上る。息が荒い。鼓動がうるさい。塩気をたっぷり含んだ汗が目に入るのも厭わず、少年は眼を見開いてそれを見た。

 屋敷の門が開き、パン屋の主人を更に横に引き伸ばしたような体躯の男が、手を広げて馬車を降りた少女を迎え入れるのを見た。まるで子供が新しい人形を買ってもらった時にそうするように彼女の細い身体を乱暴に抱き締めるのを。

 見た。

 全身に狂熱を帯びたまま再び足を前に踏み出そうとして、ふと少年は思い留まる。両の掌は、ただ汗で湿っていた。空手だ。まだガキんちょで、ひょろひょろで、こんな自分に何が出来る?自分は、何をしようとしている?

 俯いたまま、静かに拳を握り込む。

 きびすを返し、また走った。もうすぐ日が暮れる。纏ったぼろ布は、闇より薄暮によく紛れることを少年は知っていた。

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