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「久しぶりね。誰その子?」

 蟹屋のご主人に連れられ雑居ビルにあるスナックに入るとママと思われる女性が私を見てそう言った。佳代子さんと名乗ったこの女性は四十代だろうか。きれいな人だった。しかし、少し冷たい印象も持った。

「旅行に来たんだって。悩みがあるみたいだから、ママ話聞いてやってよ」

 カウンターに腰を掛けた。私は「よろしくお願いします」と言った。

「悩みを聞くって言って、私はカウンセラーでもないしね」

「まあ、まずママの話を聞かせてやってよ。話したくないとは思うけど」

「その前に飲み物注文してくれないかしら。ここはスナックなもので」

「わしは水割り。お姉さんは?」

「私も同じもので」

 お酒を飲んだほうが話せると思った。佳代子さんは手際よくグラスに氷を入れてウイスキーを注ぎ込んだ。「お姉さんはお酒は強いのかしら。薄めにしとくね」と言って出来上がった水割りをカウンターに置いた。

 

「じゃあ、まずは乾杯。この出会いに」

 佳代子さんは真顔で言って自分のグラスを掲げた。

「どこまで聞いてるかわからないけど」

 佳代子さんは一口飲んだ。

「簡単に話すね。私はここで生まれて地元の高校を卒業して札幌に行ったんだけど、三十過ぎにここに戻って来たの」

「ここには戻ってきたくなかったけど、母親が病気で寝込んでね。ちょっと小金ができたからスナックを開くことにしたの」

「すごいですね」

「隠すことじゃないから話すけど、札幌で水商売をやって、それで稼いだの」

「幼馴染というか地元のヤンキーの男二人がいてね。その二人は一人は暴力的で、もう一人は根暗で性格は正反対だった。お互い憎み合ってたけど、つるんでいることが多かった。今から思うと不思議な二人だったよ」

「これから話すのはその二人がここで私とこの街を滅茶苦茶にしてくれたっていうお話」

 そう言うと佳代子さんは煙草に火を付けて煙を吐いた。

「そいつら二人は高校卒業後に東京に行ったんだけど、何年か経って根暗の方がここに戻ってきてたんだよね。ここに戻ってきたくなかったのはそいつと会いたくなかったっていうのもあるの」

「で、暴力的な方が東京でヤクザになっててね。ここに来てトラブルを持ち込んできたの」

「なんでも組のお金を持ち出したチンピラが逃げてきたらしく捕まえるためにここに来たらしいの。そのチンピラはロシアに逃げようと旧知だった根暗の方を頼って来たんだ」

「突拍子もない話に聞こえるかもしれないけど、本当の話なんだよね。残念ながら」

 佳代子さんはグラスをひとくち口にした。私は佳代子さんの話に聞き入っている。

「その時付き合ってた地元の代議士がいたんだけど、いろいろあったみたいでその二人ともお金のトラブルになってね。納沙布岬のほうで銃撃戦があったみたく二人とも死んだんだ。その二人はお互い憎み合ってたけど、私から見たら同類だった。死ぬ時も一緒だったなんてどれだけ絆が強いのかしらと嫉妬したくらいよ」

「私は代議士と別れた。二人に殺されかけたと言ってた。結婚も考えたてたけど、どうでもよくなった。それから細々とずっとここでスナックをやってる。それだけの話よ」

 銃撃戦――現実か作り話か判別がつかなかった。まるでハードボイルド小説の中の話だった。

 私が世間知らずなだけでこういった話はいくつも転がっているのだろうか。

「すごいお話ですね…」

「その二人のことは嫌いだったけど、思春期を一緒に過ごした奴らだったから何も思わなかったってことはない。結婚も何もかもどうでもよくなった」

 佳代子さんは遠い目をしている。心なしか心地よさそうに見える。

「それからね…その二人のうち根暗のことが好きだったってことに気付いたの」

 佳代子さんは自嘲気味に笑った。

「バカみたいな話でしょ」

「いえ、そんな…」

 私は何を口にすれば分からず口籠った。

「だから供養のつもりでずっとここにいようと思った。別に他に行くところもなかったからね」

 佳代子さんは笑顔で言った。すっきりした表情に見えた。

「こんな話で参考になったかしら。それでお姉さんには何があったの」

 佳代子さんは無遠慮に聞いてきた。こんな話を聞かされては話さないわけにはいかない。

「それではお話しさせていただきます」

「固いよ。飲んで」

 私は一口も飲んでいなかった。一口飲んでみた。

「私には三歳の娘がいたのですが、交通事故で亡くしました。ある日公園で私がスマホを夢中で見てたら、娘が公園の外に飛び出してトラックに跳ねられました」

 なるべく感情を出さないように話した。

「私が殺したようなものです」

 私は絞り出すように言った。やはり話すのは辛かった。

「話はそれで終わり?」

 佳代子さんは言った。

「はい。佳代子さんのお話に比べたら大したことはないのかもしれませんが」

 娘の死を軽んじて見られたように思えたので少し反抗的に言ってみた。

「いやいや。私の話なんかよりはるかに重い話だよ。私は子どもがいないけど、子どもを亡くしたらそれはそれは辛いと思う。三歳頃ったら一番かわいい盛りでしょうし」

 佳代子さんの話し方に棘を感じた。私は少し佳代子さんを睨んだ。

「ごめんね。意地悪な言い方をして。私は子どもはいないけど、子どもがいたら少しはまともな人生を歩めたかもしれないって思うこともあるの。辛いかもしれないけど、その子との思い出の話を聞かせてくれないかしら」

 あの子との思い出。そんなことを聞かれるとは思わなかった。

「え、はい。…何を話そうかな」


 あの子との思い出――封印していた過去。宝物のように大切にとっておきたかった過去。でも宝箱を開くようなワクワクした感情を覚えた。何を話すべきか決めかねるまま、とにかく口を開いた。

「そうですね…うちの子は公園で遊ぶのが好きで特に滑り台が大好きでした。…こんな話聞いても面白くないですよね」

 言葉が思うように出ない。

「ごめんなさいね。こんな話させて。辛かったら話さなくてもいいですよ」

「いえ、そんなことはないです。ただ、こんなことは聞かれるとは思っていませんでしたので、何を話して良いか頭が少し真っ白になっています」

「真面目なんだね。滑り台かー。子どもがいないと縁のないものだけど、私も子どものころは好きだった気がする」

 佳代子さんは最初の印象とは打って変わって柔らかい表情をしている。それが私に安心感を与えてくれた。

「話を続けます。とにかく滑り台を滑るのが好きでした。うちの子は『キャー』って歓声を上げながら滑るんですよ。親バカですが、それが可愛くてその姿を見ているのは本当に幸せでした。だから思う存分遊ばせてあげるようにしました。公園に一番最初に来て他の子が皆帰った後も飽きずに滑ってました」

 過去形で話すことに少し悲しくなった。そして事故のことが頭を過ったが、それを頭から追い払った。今は楽しい思い出を話したい。

「子どもって可愛いよね。この街には子どもが少ないけど、子どもの遊ぶ姿を見ると和むわ」

「あと絵本も好きでしたね。お化けの話が大好きでした。自分で話を創作してそれが可笑しいんです。お化けを自分のお友達と思っていたようで、いつもお料理を作ってあげていました。お化けのお友達に話しかける様子がとっても可愛かったんです。女の子なのでお飯事も大好きでいつも創作料理を作ってくれてました。苺が好きだったのでどんな料理でも苺が入っていました。これは子どもあるあるかもしれませんね」

 佳代子さんはハハッと笑って「可愛いね。不思議ちゃんってやつかしら」と言った。

 不思議ちゃん――それはとても肯定的な響きに聞こえた。子どもは認可外の保育園に入れていたが、先生たちは少し変わった子と否定的とも受け取れる評価をしていたので、私の娘の良さを認めてくれたように思えて嬉しくなった。

「久しぶりに娘の話をして、なんだか気分が良くなりました」

 私は子どものように正直な今の心情を述べた。

「いえいえ、こちらこそ素敵な話をありがとうございます」


 それからも私はあの子の思い出を話した。佳代子さんは楽しそうに聞いてくれた。そして偶に素敵な感想を添えてくれた。蟹屋のご主人も半分聞いていなかったようだったがたまに相槌を打ってくれたりした。会話がこんなにも楽しいと思えたのは本当に久しぶりだった。

 話した。呑んだ。あの子が蘇ったようだった。本当に素敵な毎日だった。育児ノイローゼになりかけたこともあったけど、それを差し引いても幸せだった。

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