その4

『では、教授。お願いします』


 とAIからの指示を受ける老科学者の前にあるのは、種も仕掛けもないスプーン。

 その辺にあった空箱に、直立する形で、ぺたん、と貼り付けられている。

 これは魔法ではなく超能力なのでは、と老科学者は思う。

 いや、確かにどっちも似たようなものではあるのだが。


 こうして今、スプーンの前に立っている老科学者だが、実はここに来るまでに、AIからは執拗なまでに細かい指示を受けていた。


 スプーンとの距離、スプーンに対しての角度、スプーンのどこを見るか、スプーンの材質を知ること、スプーンのメーカーを知ること、スプーンの歴史を知ること、紙媒体に出力され両手の甲へとテープで貼り付けられた「魔法陣」と上の方に添え書きがしてあるどう見てもただの円と三角、老科学者の体温が平熱であるか、老科学者のポーズ、老科学者の服装、髭は何センチか、髪は染めないこと、爪は伸ばしておくこと、前日の夕食は何を食べるか、酒は飲むな、今日研究所に来るまでのルートはこう来てこう、途中でコンビニに寄ってアイスを買うこと、駅のホームで三回回ってわんと吠えろ、えとせとら、えとせとら。


 ちょっとばかり――いや、めちゃくちゃ大変だった。

 特に、もっとも難易度が高かった指示は「今日の朝は嫁に『おはよう』と挨拶するな」という指示であって、それの行為の理解を得るために行ったあれこれによって老科学者は三キロ痩せていた。

 ともあれ、散々苦労しながらも、受け取ったテキストをびっしりと埋め尽くしていた大量の理解不能な指示を全てこなしてのけて、老科学者は今ここに立っていた。


『後はもう、手を触れる必要はありません』


 最後に、AIは言った。


『――曲がれ、とだけ念じて下さい』


 正気か、と老科学者は思ったが、下手に刺激してへそを曲げられても困るので素直に従うことにする。狂ったAIが反乱し全人類を抹殺しようとするのはちょっとフィクションじみているが、AIがむくれて人類を困らせる程度のことならしょっちゅう起こっている。

 それにせっかくここまでやったのだし、と老科学者は三キロ痩せた身体で思う。


『さあ、お願いします――教授』


 曲がれ、と念じた。

 当然と言うべきか、スプーンは曲がらなかった。

 とりあえず、と老科学者は決心する。

 このAIにはしばし休養を取らせてやろう、と。

 最近ちょっと忙しかったかもしれない。人型のロボットの身体でも貸与してやって、観光客の少ない、のどかな南の島にでも連れていって一緒に休もう。

 このAIは、錆びそうだから、という謎の理由でとかく海を嫌いがちだったが、意外と悪くないもんなのだと教えてやろう。

 一瞬で、そう決心した。

 そこへ、AIが告げる。


『教授、教授』

「なんだ。南の島がどうしても嫌なら温泉にするか? 日本に良い温泉宿を知っている。善は急げだ。明後日には出発するぞ。準備しろ」

『いえ、教授。ネクタイピンの位置が少しだけずれています。直して、もう一度念じてください』


 それがどうした、と怒鳴りたくなる気持ちを老科学者は堪えた。

 AIの指示に従って、ネクタイピンを0.5センチほど直す。

 それから、曲がれ、と念じた。

 曲がった。


「……」


 くにゃり、と容赦なく曲がったスプーンを老科学者は見つめた。

 とりあえず、これが悪質なジョーク番組の企画ではないかと考えてみた。今に、看板を持ったスタッフがやってくるのではと。

 無論、それが現実逃避であることはよくわかっていた。

 なんたって、教授は人類きっての天才なのだ。それくらいはわかる。

 分かりたくもなかったが。


「何だ。これは」

『不明です』

「お前たちでもか」

『ええ。ただ、極めて複雑な条件を揃えた結果として、こういう現象が発生するということを発見しました。発見しただけですが」

「十分に発達していない科学にとっては、理解できない現象、ということか」

『はい。現在の科学においては、全く説明できません。ですが、確かに存在している何らかの法則です』

「だから、魔法か」

『ええ』

「だが、こんなものが一体何の役に立つ?」


 老科学者は思わず呟いてしまってから、すぐに、その問いの間抜けさに気づいて舌打ちをした。


「……愚問か。私も歳を取ったものだ」


 その呟きを、AIは聞こえなかったことにした。


   □□□


「――御解堂くん」


 と呼ばれて、御解堂は画像を表示した端末から顔を上げる。

 上げたその先、彼の机の前に立っていたのはクラス委員長の観崎で、彼女は生真面目さと鉄面皮と眼鏡で完全武装した顔を、御解堂の無表情へと向け、告げる。


「ちょっといいですか。御解堂くん」

「進路調査票ならオブラートに包んで提出したはずだが」

「いえ。今日はお弁当をご一緒にと思って」


 そう言って、観崎は御解堂の机の上を見下ろす。

 そこに置かれている、紙媒体に印刷されたテキストや画像の束。

 御解堂は凄まじい速度でそれをめくり、確かめ、それから何やら端末を操作し、また紙媒体をめくって、という作業を繰り返していた。


「えっと……まだお弁当、食べてないですよね?」

「今日の朝はちょっと忙しくてな。作ってくる時間がなかった」

「……お弁当、自分で作ってきてるんですか」

「両親が共働きだからな」

「それじゃ、ご一緒するのは駄目な感じですか」

「いや、君が良いなら別に構わないが」

「では、失礼します」


 と、観崎は近くの机を引き寄せ、御解堂の机にくっつけ座る。

 ちなみに、観崎は委員長らしく生真面目なので、わざわざその机の持ち主である生徒に許可を取っていた。その際、ぐっ、とその生徒が親指を立ててきたのだが、観崎としてはちょっとその意味を掴みかねている。  

 弁当の包みをほどきながら、観崎は御解堂に言う。

 

「――というかですね。書き直してもらった進路調査票ですが、あんまりオブラートに包めてませんでしたよ。先生またカンカンでした」

「また書き直しか」

「いえ、『もういい! それだけの覚悟があるなら御解堂は己の道を行けばいい! だから俺はもう知らん! 知らんぞ!』だそうです」

「そうか――君には悪いことをしたな」

「まあ仕事ですし……サンドイッチ一つ如何です?」

「いいのか?」

「ええ、どうぞ」

「なら頂戴しよう」


 御解堂は、サンドイッチを無表情に受け取った。

 そのまま、ぱくん、と無表情に齧り、咀嚼し、呑み込む。

 そして、無表情に告げた。


「美味い」

「……ありがとうございます」


 御解堂のその言葉が、本当に美味しいと思ってなのか、それともお世辞なのか、あるいは単に味覚が雑なのか、どうにも計りかねた観崎はひどく微妙な顔をする。

 はむ、と自身もサンドイッチに口を付けながら、御解堂の行っている正体不明の作業を見つめる。

 しばし、その意図を掴もうとするかのように観崎はその作業を眺め、


「あの、御解堂くん――」


 結局、理解に失敗したのか首を横に振り、御解堂に尋ねる。


「――それは何ですか」

「これか?」

「ええ。何の写真です?」

「砂場」

「砂場?」

「公園の砂場だ。俺は、公園の砂場でこいつを作っている」

「……」


 観崎の脳が、反射的に、その言葉の意味を理解することを拒む。

 はむ、とサンドイッチを一口囓り、それと一緒に、その意味を無理矢理飲み込む。


「あの……この公園って、子どもが普通に遊んでるようなところですよね?」

「ああ」

「子どもたち、砂場にいますよね?」

「ああ。だから砂場のボスに話を通し、ちょっと子どもたちから貸して貰っている」

「貴方は一体何をやっているのですか」

「今のところ、砂場のレンタル料はアイス一本一時間延長不可だ。現在のボスの場合、メーカーは箱宮製菓のストーリー・フレーバー・アイス指定」

「貴方は本当に何をやっているのですか」


 と、ほとんどわからないくらいに微妙に呆れた顔をする観崎。

 机に置かれた写真を見て、彼女はふと、あることに気づく。

 そのまま、特に考えもせずにその点を口にする。


「この写真――随分と昔に取られた写真なんですね」

「ああ。子どもの頃に撮ったからな――いろんな角度から撮っていたのが幸いした。おかげで、AIに立体図に起こしてもらうことができた。本当に幸運だった。そうじゃなけりゃ、再現できなくなるところだった」

「再現?」

「できれば、この写真に映っているものと寸分違わないものを作りたい――本来ならミクロ単位とかで同じものを作りたいんだが、、写真データから起こした立体図で、しかも手作業だと、どうしてたって誤差は出るな」

「え?」

「まあ、多少の誤差があっても発生したという報告だってあるみたいだし、どれがどれぐらい重要な要素なのかはもちろんはっきりしていない。もしかしたら、このオブジェよりも公園に来るまでの道のりの方が大事だったのかもしれんし、前の日の夕食に食べたカレーが何か関係を持っているのかもしれない。あるいは、一年前にくしゃみをしたのが原因ってことも考えられる。法則がまだ体系化されていない以上、考え始めると実際キリがない。正直、とにかく数を撃って総当たりするしかないのが現状だな。専門家の汎用AIとかなら、もう少し何か掴んでるのかもしれんが、どっちにしろ連中の思考で考えられた理論が人間に理解できるとは思えんし――」

「ちょ、ちょっと待って下さい」

「ああ、待とう。どうした?」

「あの……何を言っているんです? これは、何をしているんです?」

「そりゃあもちろん、魔法に決まっている」

「……え?」

「だから、魔法だ」


 これは、と御解堂は机に散らばるそれらの資料を示し、告げる。


「公園の砂場で魔法少女に出会うための、これは魔法だ」


   □□□


 もちろん、と言うべきか、悪の某の襲撃を受けることは最後までなかった。

 特に劇的なことは何一つ起こらず、あっさりとその日はやってきた。


「よーす、御解堂少年」


 と、ブランコに座って片手を挙げている魔法少女の表情を見た時点で、御解堂少年は何となく察しが付いていた。


「とうとう来ちゃったよ。この日が」

「さいご、ってことか」

「そ。魔法少女は、今日で卒業」


 あはは、と笑う彼女のきらきらは、もう随分と少なくなっていて、そうなってしまうと、確かに彼女はただの中学生の女の子でしかなかった。

 だから、御解堂少年は、その言葉に動揺はしなかった。

 少なくとも、見た目の上では。


「それならせんべつだ」


 と言って、ちょうど買ってきていたストフレ「今はさよなら。でも、いつかきっとまた会えるよ」味を渡す。


「ありがと」


 魔法少女は、それを受け取ってしゃく、とかじり、


「・・・・・・ほろ苦い味だねー」


 とつぶやいた。

 それから、御解堂と魔法少女は、お互いにブランコに座って話をした。いつもしているのと同じ、他愛のない、何でもない話をだ。

 時間か経つのは、あっという間だった。

 あっという間に、お別れの時間はやってきた。


「さて」


 ブランコから立ち上がって、魔法少女は言った。


「それじゃあ、お別れだな。御解堂少年」

「そうか」


 と、御解堂少年も立ち上がり、それから目一杯に腕を上げてみせる。


「さよならのあくしゅだ」

「あはは。なんか気恥ずかしーねこりゃ」


 照れくさそうにしながら、魔法少女は御解堂少年の手を握り返す。

 ぱしっ、と。

 御解堂少年のもう一方の手が、その手をがっちりと押さえ込んだ。


「……はい?」

「イタ。おれはいったぞ。たよれ、と」

「えっと……その、放してくれないかい?」

「はなさない」


 と、御解堂少年は告げる。


「おまえ、なにかかくしてるだろ。ちゃんといえ」

「いや痛いって……な、何も隠してないよ」

「おまえのうそはわかりやすい」

「ちょっと……おいこらてめー、本気で怒るぞ! 魔法で消し炭にされてーか!」

「うそつけ。そんなことできないだろ」

「で、できるし。というか、この際だからはっきり言わせて貰うけど、わ、私、あんたのこととか、ぜ、全然好きじゃねーし? ば、馬鹿なガキを馬鹿にして、あ、遊んでただけだし、そ、そ、そんなこともわかんねーの?」

「どもりすぎ。ばればれだ」

「うるせー放せよーっ! こんのえっち! スカート覗き魔! それでも男か! もっと紳士的になれっ!」

「おれはこどもだからな」

「こんなときだけ自分を子ども扱いしやがって! 何て奴だ!」


 そのまま、ぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ、とお互いに叫び合い罵り合って。

 それから、あーあーあー、と魔法少女は呻き声を上げ、がくん、と肩を落とした。


「あーあーもー滅茶苦茶だよちくしょー。せっかく、良い雰囲気でお別れができそうだったのにさー」


 スッポンか何かのように、がっちりと手を捕まえたまま離さない御解堂少年を見下ろして、諦めたように呟く。


「……ね、もう逃げたりしないからさ。放してくれないかな。割と本気で痛いよ」

「ごめん」


 と、手を離す御解堂少年。

 その姿を見下ろして、魔法少女は溜め息を一つ吐き、それから、んー、としばし宙を仰いでから、言う。


「さーて――どう話すべきかな」


 と、魔法少女は、ふわり、とした足取りで歩き出す。

 別に逃げ出したわけではなかった。

 まだ、微かに残っている光を瞬かせながら、彼女が向かう先。

 そこには、二人が出会った砂場がある。

 公園の砂場の上で、魔法少女は背を向けて立ち止まる。


「まあ、何て言うか、その……私、魔法少女なんだよね」

「それはしっているが」

「んにゃ。そういうこっちゃなくてだね」


 くるり、と砂場の上で振り向きつつ、告げる。


「私はさ、魔法でできてる少女なんだよね」


 とんとん、と砂場の上を靴の爪先でつっついて、彼女は告げる。


「一人ぼっちの男の子が、公園の砂場で、奇蹟みたいな偶然で構築した魔法」


 だからつまり、と彼女は告げる。


「君の魔法で生まれて、こうして存在してるのが――私」


 にまー、と。

 砂場の上で、彼女は笑ってみせた。

 自分が生まれた砂場の上で。

 魔法少女は、初めて出会ったときと同じく、御解堂少年に向けて笑ってみせた。

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