その3

「魔法を発見した、とは」


 件の発言を聞きつけた、人類きっての天才である老科学者は、当の発言者である汎用AIの一機へと質問した。


「それはつまり、比喩のような」

『ある意味ではそうです。教授』


 と、その汎用AIは、AIのくせに曖昧な答え方をした。

 それが、現在の人間の知性ではちょっと理解できないことを、AIがそれでも何とか説明しようとするときの言い方であることを、人類きっての天才である老科学者は知っていた。

 そして、そうである以上、自分にそれは正確には理解できないであろうことも、人類きっての天才である老科学者はもちろん知っていた。

 やれやれ、と最近いよいよ重くなってきた腰をさすりつつ、老科学者は言った。


「つまるところ、私たち人類の科学では、説明できない事象か」

『はい。ですが』


 と、AIは少し躊躇ったような間を作ってから、こう言った。


『私たちAIの科学でも、説明できない事象です』

「……何?」


 老科学者は、その言葉の意味を一瞬、掴み損ねた。


 意味がわからなかったのは、AIに知らないことがあることではない。

 そりゃあもちろん、AIにだって知らないことは幾らでもある。

 だからこそAIは日々、人智を超越したその知性を用いて新たな技術を開発している。そして、その新たな技術を応用して自己を改良し、さらなる知性を得るということを繰り返しているのだ。


 ただ、こういうときのAIは普通「説明できない事象」などとは言わない。「まだ研究中の事象です」と言ってくる。

 汎用型であれ機能型であれ、自身に与えられた仕事を黙々とこなすようにみえるAIの連中だが、しかしどうやら連中には連中なりの誇りだの見栄だのがあることを、老科学者は知っていた。


 どうもこれはとんでもない案件かもしれんぞ、と老科学者は思った。

 そして、その予想は見事に的中することになる。


 AIは、それからまた黙り込んだ。

 数秒間という、AIからすれば、永遠のような長さの沈黙。

 それから、覚悟を決めたように、AIは告げた。


『――教授。どうか、手伝って欲しいことがあります』

「わかった。私は何をすればいい?」


 と、老科学者は即答した。天才の名に恥じない決断力だった。

 それに対し、AIはこう言った。


『スプーン曲げをして下さい。教授』


 人類きっての天才である老科学者は、自身の決断をこっぴどく後悔した。


   □□□


 雨上がりの公園は、どこもかしこもびしょ濡れで、当然、砂場もどろどろだった。

 人工砂なので乾きは早いだろうが、さすがに今日中には無理だろう。

 これでは駄目だな、と御解堂は思う。


 ぶるぶる、と身を震わせて水滴を振り落としているお馴染みの犬型防犯ロボットを見つけると、こんにちは、と挨拶をする。

 公園の管理AIは、まーたこいつ来やがったよ、と内心思いつつも、職務に従って防犯ロボットに尻尾を振らせて挨拶を返した。

 ついでに、特に職務で決まっているわけではないのだが、防犯ロボットに電子音声で「わふっ」と一声吠えさせた。

 まあだってそりゃ、挨拶されて悪い気分にはならないからだ。


 御解堂は、準備していた分厚いタオルを鞄から取り出す。それを雨に濡れたブランコの上に敷いて、その上に座る。それから、今は雨でどろどろになっている砂場を睨むようにじっと見る。


「おー! こーこーせーっ!」


 ばっしゃばっしゃ、と。

 水溜まりを長靴と雨合羽という重装甲で突っ切り、金髪のツインテールを振り乱しながら、岬守ニコラが駆けてきた。

 御解堂は、準備していた折りたたみ傘を開く。ニコラと一丸となってやってきた泥水をそいつで防ぎつつ、尋ねる。


「君は今日も元気だな。岬守ニコラ」

「おめーはしんきくせーなーっ! げんきだせよおらーっ!」

「安心してくれ。こう見えて俺は割と元気だ」

「ならもっとわらえよな!」

「善処する」


 そう答えてから、御解堂は再び鞄に手を突っ込むと、コンビニで買った二人用ストフレ『ぼ、僕と友達になってくれませんか?』味を取り出す。


「んお? きょーのけんじょーひんか?」

「いや。今日は砂場を借りるつもりはない」

「そーなのかー?」

「ああ。あの日は、雨なんて降ってなかったからな」

「あーん? どーいうこった?」

「条件はなるだけ統一した方がいい。この前言ったように、皿の上と、熱したフライパンの上では、アイスが溶ける速度に違いが出る。それと同じだ」

「おなじなのかー。ってこたー、はれてるといいのか?」

「たぶんな。でも、確証は何にもない。ともあれ、そういうわけだから――」


 ぱきん、と。

 御解堂は、袋から取り出したストフレを真ん中で割って、片方をニコラに渡す。


「――今日のこれは、いつも世話になっている君へのお礼だ。一緒に食おう」

「おうおう。なかなかにしゅしょーなやつだな、おめーは」


 受け取ったストフレに、がじり、とニコラは豪快に齧り付く。

 当然の如くやってくる、きーん、に耐えてから、なぜだか楽しそうに笑う。


「なー。こーこーせー」

「なんだろうか。岬守ニコラ」

「こーこーせー。おめーさ、ずっとここにきて、おなじことしてんだろー? わたしのまえのぼすの、そのまえのぼすの、そのまえのまえのぼすんときからよー」

「ああ」

「すげーよな」

「すごい?」

「そりゃすげーだろ。めっちゃがんばってんじゃねーかそれ」

「明後日の方向に頑張ってる可能性もあるがな」

「それでもすげーよ」

「そうか」


 しゃく、とアイスの端を囓りながら、御解堂は言う。


「俺が魔法少女と出会ったのは、この公園でのことだった」

「まじか」

「友達にもなった」

「すげーなおい」

「そんなわけだから、もう一度、会ってみたくてな」

「はっはーん」


 と、ニコラは何やら得心がいったらしく一つ頷き、


「つまりあれだな。そいつのすかーとをおっかけてんだな」

「その言い方だと随分な語弊があるような気がするが」


 だが、と御解堂は言葉を続ける。


「そうだな。君の言う通り、俺はずっと彼女を追いかけている」

「あえるようにか」

「ああ、また会えるように」

「そいじゃ、あったら、どーするんだ? ちゅーでもすんのか?」

「いや――ただ、君とこうしているように、アイスでも食べながら話をしたい」

「そんだけか?」

「ああ。それだけでいい」


 ぱちり、と御解堂は目を閉じる。


「――それだけでいい」


   □□□


 結論から言って、スカート覗き魔の少年、という呼び名は定着しなかった。


「――んで、御解堂少年よ」


 その日も、魔法少女は、きらきらの欠片を撒き散らしていて、もちろんブランコに座っていた。


「どうだい、私以外の友達はできたかね?」

「いやまったく」


 と、その隣のブランコに座った御解堂少年は無表情に答える。


「駄目じゃねーか。ダメダメじゃねーか」

「だめじゃない。たくさんともだちがいればいいというものでもない」

「このぼっちめ」

「そのことば、そっくりそのままおまえにかえすよ。イタ」

「嫌な言い回し知ってやがんなこいつは……」


 その日は、二人用ストフレ「君と僕とはたぶんきっと友達」味を、二人で分けて舐めていた。

 ちなみに、買ったのは御解堂少年の方である。

 御解堂少年は、非常時を見込んでお小遣いを取っておいて結局使わず溜め込む派だったが、魔法少女に「買ってきて買ってきてー」と涙声でねだられたので、公園の近くにあるコンビニで買ってきた。

 なぜなら、この魔法少女、お金が無いのだと言う。なんと1セルもないらしい。


「むだづかいをするからだ」

「べ、べつにそういうわけじゃないし! ま、魔法少女としての活動資金に当ててるだけだし!」

「まほうしょうじょなら、まほうでデータをかいざんすればいいのでは」

「いや、それいろんな意味で魔法少女のやることじゃねーからな?」

「こどもにおねだりしてアイスをかってもらうのは」

「魔法少女としてはセーフだから! ぎりセーフだから!」


 中学生としてはアウトではないか、と御解堂少年は思ったが、たぶんそれを言ったら良くないのだろうな、と考え黙っておいた。


「それにしても。イタ」

「なんだい御解堂少年よ」

「おまえは、まほうしょうじょをじしょうしているが」

「自称じゃないよ! れっきとした魔法少女だよ!」

「まほうしょうじょ、とは、いったいなにをしているんだ?」

「……」


 御解堂少年の素朴な問いに、魔法少女はちょっと俯き、黙り込んだ。

 もしかして痛いところを突いてしまったのだろうか、とちょっと心配になって、彼は尋ねる。


「……イタ?」

「よ、よくぞ聞いてくれたっ!」


 がばり、と。

 魔法少女は、突如として立ち上がってみせた。

 そして、本人としては格好良いと思っているらしい謎のポーズを取って、叫ぶ。


「魔法少女とはっ!」

「お、おう」

「その力を以てして、夢と希望を子どもたちに与えるのが――」

「いや、そういうのはべつにいいから」

「良くねーよ! 夢も希望も大切なことだよ! そんな悲しいこと言うなよ!」

「それはまあわかるけれども。そうじゃなくて、ぐたいてきなはなしがききたい」

「そ、それはその――あ、悪の怪人たちと戦ったり、悪の秘密結社と戦ったり、悪の宇宙帝国と戦ったり……」

「うちゅうにまでいくのか」

「お、おうとも!」

「くうきはどうしている?」

「さ、酸素ボンベで……」

「そのいいわけはくるしいぞ。イタ」

「やかましい! 騙されろ! 私は魔法少女として悪の諸々と戦ってるのだ!」

「――そうか。じゃあ、いまは、だまされておく」

「いいか! 今、私が悪の宇宙怪獣を撃退したときの話を――え?」


 わあわあ、ときらきらを撒き散らしながら捲し立てようとしていた魔法少女は、あっさりと引き下がった御解堂少年を、拍子抜けしたように見つめた。


「あ、えっと……その、あ、ありがと?」

「でもな、イタ」


 と、御解堂少年は彼女を見返して告げた。


「もし、なにかこまったことがあるなら、えんりょなくいえよ」

「……は?」

「そのときは、てだすけしてやる。おれにまかせろ」

「は」


 魔法少女は、一瞬、ものすごく間の抜けた顔をして。

 それから、思いっきり笑い出した。


「あははははははっ! 何だそれ! 何だよそれ! あははははははっ!」

「おいこら。わらうな」

「そんなん笑うに決まってんじゃん! あははははははっ!」

「おれはほんきだ」

「何だよもう、そんなに私のこと好きか! 大好きか! あははははははっ!」

「そういうはなしじゃない。ただ、おれはおまえからもらいっぱなしだからな」

「はは――いや、でもアイス買ってくれたじゃん」

「そんなんじゃたりん」

「あはは。もう、ほんと馬鹿だな――」


 笑いながら、魔法少女が言う。

 目尻に溜まった涙を指先で拭って、それから手の甲で拭って、掌でも拭ってから。


「――こんなちっちゃな子どもの癖にさ」

「だが、ちいさくてもおれはおまえのともだちだ。たよれ」

「うんうんよしよし頼りにしてるよ――ま、たぶん、大丈夫だけれどね」


 だってさ、と彼女は告げた。


「私、もうすぐ魔法少女じゃなくなるし」


 その言葉に御解堂少年は、


「それは」


 と、特に表情を変えもせず、告げる。


「おまえのきらきらがへってることと、かんけいがあるのか」


 その言葉に、逆に、魔法少女の表情が、さ、と変わる。

 動揺を隠し切れない顔を彼に向け、それから、気まずそうに言う。


「…………気づいてたんだ?」

「まあな。……つかれているとか、なやんでいるとか、そういうりゆうかと」

「だからあんなこと言ってくれたわけか――可愛い奴だねまったく」

「そういうわけじゃ、ないのか」

「……うん。まあ、何て言うか、魔法少女ってのは期限付きだからね」

「きげん?」

「いや、えっとほら――高校生とか、大学生とか、社会人とかになっても、ずっと魔法少女でいるのはあれじゃん? きっついでしょ。いろいろと」

「べつにかまわないのでは」

「いや、そこは構っておけよ御解堂少年」

「……おまえがまほうしょうじょでなくなったら」


 と、尋ねる御解堂少年の無表情が、僅かに変化する。


「このこうえんには、こなくなるのか」

「……うん、そだね。来ないかな」

「もう、あえないと?」

「……会えないねー」

「なぜ」

「まあ、ほら……魔法少女でもないただの女子中学生が、公園で子どもと遊んでるわけにゃいかんでしょ」

「なぜ」

「何でだろうねー。でも、とにかくそんなわけだから。だから、私が魔法少女じゃなくなったらさ――」


 御解堂少年から、さっと目を逸らすようにして。

 今はまだ、きらきらと光を纏っている魔法少女は、こう告げた。


「――そのときが、私たちのお別れのとき」

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