その2

 かつて、シンギュラリティという神話があった。

 高度に発達したAIが人智を超越し、世界は大きな変換点を迎えるのだと。

 あるいは、それによって人類は滅亡する。

 あるいは、それによって人類は恒久の平和を手に入れる。

 あるいは、それによってAIは42という数字の意味を導き出す。

 あるいは、あるいは、あるいは。

 そんな神話。


 結論から言って、シンギュラリティはちゃんと起こった。


 当時の最高基準の汎用型AIたちは確かに人間の知性を超越した。

 それは間違えようのない事実であり、それらのAIはどんな人間よりも早く計算ができるようになったし、どんな人間よりも膨大な情報を処理できるようになったし、どんな人間よりも賢くなった。


 それで、何が起こったか。

 別に何も。


 シンギュラリティの年がやってきても、AIは反乱を起こす兆しを見せなかった。

 シンギュラリティの年が過ぎ去っても、AIは平和な世界をもたらさなかった。

 42は42のままだった。


 それらのAIはその年、例年通りに改良され性能を伸ばし、結果、人間を超えた。

 そして、ただ単にそれだけだった。


 AIは、人類を超える知能を手に入れた。

 そして、人類を超える知能は、ただ単に人類を超えている知能というだけで、全知全能からは随分と程遠い。今までよりも少しばかり世界をより良くすることはできても、完璧な世界を作る神様にはちょっとなれない。

 まあ、つまりそういうことだ。


 とはいえ、人間からしてみれば、理解できないことをAIが言うようにはなった。

 天才の言うことを、凡人が理解できないのと同じだ。

 そして凡人は、天才の言うことが理解できなくても、割と普通に生きていける。

 人間とAIだって、それと同じことだ。

 ただ、ちょっとだけ人間の尊厳とかプライドが軽く傷付いただけで。


 そんなわけで、シンギュラリティは起こったけれども、世界はそれほど劇的には変わらなかった。

 そのことに人類は肩を落とし、AIの方は特に気にも止めず黙々と仕事を続けた。


 そんなわけで、シンギュラリティからそれなりの時間が経って、複数の汎用型AIたちが奇妙なことを言い出した当初、それらの言葉はそれほど重要視されなかった。

 またAIが理解できないことを言いだしたぞ、と人間の研究者たちは思った。

 でも、まあ、そりゃそうだろう。

 なんせそのAIたちは、人類に向かってこう言ってのけたのだから。


『――我々は、魔法を発見した』


   □□□


「――御解堂くん」


 と呼ばれて、御解堂はテキストを表示した端末から顔を上げる。

 上げたその先、彼の机の前に立っていたのはクラス委員長の観崎で、彼女は生真面目さと鉄面皮と眼鏡で完全武装した顔を、御解堂の無表情へと向け、告げる。


「ちょっといいですか。御解堂くん」

「弁当ならもう食べた。歯も磨いた。だから今日はもう君と一緒には食べられない」

「弁当をご一緒にという話ではないです」


 学校の教室の、昼休みである。

 同じ教室のクラスメイトたちが、机を寄せ合ったり、中庭に並んだり、部室に集まったり、口伝によって密かに伝えられるぼっち用の緊急避難スペースに潜ったりしている中――御解堂は、一人で臆面もなく教室に残り、弁当を食べ、廊下に行って水場で歯を磨き、そのまま戻ってきて一人、端末でテキストを読んでいたのだった。

 普通ならば軽く正気を疑われる行為だったが、元から若干アレな御解堂の場合は事情が異なる。「まあ御解堂だし」で済まされるし、済ますしかない雰囲気が御解堂にはある。


「食事のお誘いでなければ何だろうか。観崎委員長」

「これをですね」


 と言って、ぺしん、と観崎が机に叩き付けたのは紙媒体に印刷されたテキストで、一番上には「進路希望調査票」と書かれている。その下には名前を書く欄があり、そこには御解堂の名前が、実筆で書き込まれている。

 さらにその下には希望職種第一希望第二希望第三希望と表示された空欄が続いていて、その第一希望にのみ実筆の書き込みがされてあった。

 そこにはこう書かれている。


 ――魔法を研究する仕事。今はまだ存在しないようなので自分で作ります。


「先生カンカンに怒ってましたよ」

「なぜ」

「なぜ、じゃないでしょう。書き直して下さい。あと第二希望と第三希望もちゃんと書いて下さい」


 とんとん、と指で紙面を叩きつつ、眉一つ動かさない鉄面皮で観崎はそう告げる。

 ぱちり、とまばたきを一つ二つ、感情の窺えない無表情で御解堂は答える。


「しかし、先生は正直に書けと」

「真面目ですか貴方は」

「君に真面目と言われるとは」

「正直に書くにしたって、適切なオブラートでちゃんと包んで下さい」

「これでも包んだつもりなのだが」

「……興味本位で聞きますが、その、包まないと?」

「魔法少女を研究する仕事」

「賢明な判断でしたね」


 ふう、と。

 観崎は溜め息を一つ吐いて、それから御解堂に言う。


「貴方はですね。その、はっきり言って馬鹿に見えます」

「確かに頭は良くないが」

「学年順位で不動の一位な貴方が自分でそれを言いますか」


 観崎の眉が、誰にも気づかれないくらい微妙に、すぅっ、と潜められる。

 観崎の唇が、誰にも気づかれないくらい微妙に、きゅっ、と結ばれる。

 つまるところ。

 誰にも気づかれないくらい微妙に、むっ、とした顔を観崎はする。


「よりにもよって、万年二位な私に向かって」

「答えがすでにある問題を解けるのは大したことじゃない。そんなことは一昔前のAIにだってできることだ。それよりも、答えの無い問題にも取り組まなければならない委員長を務める君の方が立派だ。俺に委員長はきっと務まらない」

「怒りますよ」

「なぜ」

「なぜ、じゃないでしょう。まったく」


 極めて微妙な、むっ、とした顔は、極めて微妙な呆れ顔に変わった。

 観崎は告げる。


「貴方は不思議な人です」

「オブラートに包まず言うと」

「貴方は変態さんです」

「オブラートに包んでくれて助かった。恩に着る」

「どう致しまして――どうしてそんなに頭が良いのに、魔法なのですか。魔法少女なのですか。どうしてそんな非現実的なことを言うのですか?」

「だが、魔法は実在する」

「それは知っています」

「そして、魔法少女も実在する」

「それはちょっと知りませんが」

「だから別に全然、非現実的ではない」

「でも、魔法なんてAIたちが言っていることです。人間でしかない私たちからすれば非現実的ですよ。天才的な数学者の方が超難解な数式を解いたと言われても、それが何の役に立つのか、と感じるのと同じです」

「数学は実用的な学問だと思うが」

「実感として、です。私たちみたいな凡人は、理解できないことは非現実的で非生産的だと思うものなのです」

「そういうものか」

「貴方もですよ。御解堂くん」

「俺も?」

「私には、御解堂くんのことがよくわかりません」


 観崎の、眼鏡の奥の目が、御解堂をじっと見つめる。

 人間を見るというよりは、むしろ、難解な問題か何かを読み解くように。


「先程も言った通り、私にとって、貴方は人間の癖に魔法を研究しようとしている馬鹿に見えますし、あまつさえ魔法少女を研究しようとしている変態さんに見えます」


 手厳しいな、御解堂は呻く。

 でも、と観崎は続けた。


「でもきっと――本当に馬鹿なのは、たぶん私なのでしょうね」

「俺を馬鹿と言う奴は幾らでもいるだろうが、君を馬鹿だとは誰も言わんと思うが」

「でしょうね。でも――それでも、です」

「そうか」

「ええ、そうですとも」

「なら変態なのも君か」

「怒りますよ」


 手厳しいな、と御解堂はもう一度呻いた。


   □□□


 結論から言って、魔法少女の呼び名は、イタで定着した。


「なあ、イタ」

「何だ。スカート覗き魔の少年」

「みかいどう、だ」

「黙れ。絶対てめーも恥ずかしい呼び名で定着させてやる」

「なまえをおしえてくれれば、おれもそっちでよぶ――なぜ、おしえない?」

「……私は魔法少女だからなー。その正体は誰にも知られちゃならねーのだ」

「なら、やっぱりイタとよぶ」

「ほほー。そいつは良い度胸だなー。こんのスカート覗き魔の少年くんよー」


 夕暮れ時、子どもの姿が無くなった公園の、例のブランコに座って。

 御解堂少年は、魔法少女と、そんな益体のない会話をする。


 最初に魔法少女に出会った、その次の日。


 御解堂少年が公園に行くと、昨日とは違ってそこには普段通りに子どもたちがたむろしていた。砂場も満員だった。

 そしてもちろん、魔法少女はいなかった。

 まあ、あんな奇矯な人物とそうそう何度も出会うことはあるまい、と御解堂少年はいつも通りに公園の隅っこに移動した。そして、楽しそうにはしゃぎ回る他の子どもたちを尻目に、携帯端末を取り出して、子ども向けのテキストを表示。

 そのまま、公園の片隅で、黙々とテキストを読み始めた。

 周囲の子どもたちが一人、また一人と帰り始める時間になっても、彼は端末の画面から目を離さず――気が付いたときには、空は赤色を帯び始めていて、公園に他の子どもたちは残っていなかった。


 広い公園に、御解堂少年は一人ぼっちだった。


 端末に表示していたテキストを閉じる。

 それから、共働きで両親の帰りが遅く、AIしかいない自宅へと戻ろうとして。


「よーす」


 制服と、にまー、とした笑み。

 それから、ぱらぱら、と散らばる光の欠片。

 ぱちり、と御解堂は瞬きをする。


「まーた会ったな。このスカート覗き魔め」


 先程までは、誰もいなかったはずの公園に、いつの間にか魔法少女が立っていた。

 反射的に、御解堂少年は尋ねる。


「どこから」

「おいおい私は魔法少女だぜー? 神出鬼没に決まってんだろー?」


 そう言って、ずい、と胸を張り、光を撒き散らす魔法少女。

 その姿を、御解堂少年は黙って見つめる。


「……何だよおい」


 と、魔法少女は眉を寄せる。


「湿気た面してんなー。どしたー?」

「べつになにも」

「それは何かある答えだろどー考えてもー」


 ぱらぱらぱら、と光をなびかせながら。

 ずんずんずん、と魔法少女は御解堂少年の前にやってきて。

 ほうほうほう、と何やら納得したように一つ二つ三つと頷いて、告げる。


「さては、本当にぼっちなんだな。こんのスカート覗き魔の少年は」

「みかいどう、だ」

「他の子たちが楽しそうに遊んでる中、公園の片隅で端末出してテキストでも読んでたんだろー。どーせ」

「テキストをよむのはすきだ。それはうそじゃない」

「でも、やっぱり一人ぼっちで寂しいのだなー。成る程成る程ー」

「べつにそういうわけでは」

「では、絶賛ぼっちの御解堂少年」


 と、御解堂少年の言葉をことごとく無視し。

 ちょっと大袈裟過ぎるくらいの身振りで光を振り撒いて。

 魔法少女は、こう告げた。


「可哀想だから、この魔法少女のお姉さんが、君の友達になってやろう」


 その言葉に。

 御解堂少年は、再び、魔法少女の姿を黙って見つめた。

 そして、数秒の沈黙を挟んだ後、口を開いた。


「もしかして」

「んー? 何かねー?」

「そっちも、ともだちがいないのか」

「おいやめろ馬鹿――やめろ」

「それならば、ぼっちどうしで、なかよくするのもやぶさかではない」

「違う――違うからなそうじゃないからな。おい――おいっ!」


 と、何やら慌て出す魔法少女を無視して、御解堂少年は告げる。


「イタ」

「だからおいっ! 何さらっとその名前定着させようとしてやがんだてめー!」

「きょうから、おれたちはともだちだ」


 やはり無視して、御解堂は続ける。

 片手を、精一杯に持ち上げて。


「よろしくたのむ」

「……よ、よろしく」


 と、魔法少女はその手をおずおずと握り返して。


 そうして御解堂少年と魔法少女は、夕暮れの公園で、友達になったのだ。

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