ゲームとは?
ゲーム会社では任天堂が好きである。
宮本茂、田尻智の雰囲気だけでも知ってほしい。
宮本茂はネガティブな気持ちにならないことを大事なこととして挙げている。
例えばあまり良くない人間がそのために暗い気持ちになる、
そんな場合だけではなく、常識的な考え方、頭になると、
現実問題、受け取り方が暗くなることで、
誰にも気づかせずに音も見た目もない迷惑を作り出していることがある。
普段は何も起こらないが、
エンターテイメントには覿面(てきめん)に響いてくる。
面白いものを作るという事と仕事であるという面は場合によっては水と油だ。
そんなゲーム制作環境の中、
ゲーム作りが上手になってきたところで、
今まで作っていたツマラナイものを捨てさせる、
宮本茂のちゃぶ台返し、
そこから生まれたノウハウ、
これを知らずに作るゲームは、
ゲーム性が無いので、
グラフィックとインターフェイスの標本でしかない。
宮本茂のゲームは最高だと言われてきた。
半面、彼の作った後は何にも残らない、
というほどゲーム機の機能を使い尽くす。
という風に昔は言われたが、それは立脚点。
当時の彼にとっては一種の最低条件だった。
今でもまだゲーム機は新しくなり続けていくし、
人間全体からの観点では、
人間がイマジネーションを使い尽くすことはない。
何も残らないどころか多くのものが残っている。
以前、任天堂はソーシャルゲームを強く否定し、
やらないと言った。
そのあとソーシャルゲームに参入し、一定の成果をあげている。
上辺だけ見れば時代に流されているが、
2000年代当時のソーシャルゲームはクリックだけで進み、
進んでいる感覚があれば人は課金した。
ハムスターの車や室内マラソンと変わらない。はた目には、
いくらなんでも人間否定のようなものだったのだ。
やらないというのは、
スーパーマリオと比べてみれば、
クリックだけで何千円、何万円取るんだ、
という意味だったのだろう。
任天堂が参入したころには、
スマートフォンの台頭と性能向上のおかげで、
一応はゲーム機として使えるようになっていた事も大きい。
ただ、言ってみればNINTENDO64時代の極貧生活で、
突っ走ることに、少し懲りていたところもあると思う。
スーパーファミコン時代に、ソフト一本が一万円ほどしたのは、
任天堂が元締めのようになって、
サードパーティー(他の制作会社)に制約を強いていたからである。
元々プレイステーションは任天堂から出る予定であったが、それを蹴って、
NINTENDO64を作ったとき、一斉にサードパーティは離れていた。
自分の業を受けて低迷する任天堂、
ソニーはプレイステーションで大儲け、
サードパーティもすべてプレステに移った時代があった。
64の次のゲーム機、
ゲームキューブでも状況は似ていたが、
だんだん時代に応じなければいけないということを感じ、
任天堂は成し遂げた。携帯ゲーム機DSでは回復した。
そして最も凄い点は、
ゲーム性は用意したい、
という一貫性である。
ゲームの根源。
そこに宮本茂が居たことは確かだ。
彼は長く任天堂の顔であり本心であったし、
海外でも有名になった。
田尻智はデータ構造を大事にするという意見を言っている。
ポケモンで有名になった人だが、彼は今までゲーム漬けの人間だ。
それ以前に、
ポケモンといえば田尻智ということを、
今となっては知らない人も居ると思う。
可愛くて強くてカッコイイ、
ポケモンの方が大きすぎたのか。
最初の予定ではポケモンの数も50もない、
少なくなるところだったが、
任天堂が容量ロムを出してくれたので、
当時としては一匹が割と多くの情報量を持ったポケモンを、
一定(151匹)まで増やすことが出来てヒットした。
その余波でポケモン型ゲームというほど、
コレクション性を満たしてくれるものが流行り、
今のゲームの根源にまで食い込んでいる。
品質や法則を持ったものを集めることで云々、というのは、
もはや大作ゲームやソーシャルゲームにおいて基本化しつつある。
これはポケモンの功績だ。
ちなみにポケモン・アニメ版のシナリオを途中まで担当した首藤剛は、
ポケモンバトルは代理戦争で、
自分が傷つかないで争う人間を増やしてしまう。
と言っていたが、何事にもプラスとマイナスの力学が発生する。
自分のポケモンが倒れれば、トレーナー(プレイヤー)だって傷つく。
ポケモンのおかげで、子供たちは優しくもなる。
それがなければ何もかも新しくてもパクリゲームである。
田尻智が考えるデータ構造は、
おそらく奥深いので、
今回は彼の存在だけで満足したい、
つまりいまのところ良く分からないが、
基本的にはゲームというのはどの情報が最初に出てくるのか、
どう出てくるのか、その順番で、
内容さえ変わったようなものになるという事だ。
彼はそれゲーム体験と考えて、まだ研究しているらしい。
確かに面白い。どの順番なら、元気や明るさ、
勇気をプレイヤーにプレゼントできるだろうか。楽しい思考だ。
歴史的なシューティングゲーム、ゼビウスのファンの一人、
ゲーム青年だった田尻智は、遠藤雅伸(ゼビウス製作者)と会って、
いつのまにか自身もクリエイターになっていた。
現代には、好きになれるモノが何にもない、
そんな人も多い中、
ゲームへの認識を極め続ける田尻智はさすがである。
こういったことは、ネット時代になった今、
すぐに分かる、
一週間も調べれば多くの人が理解できることが、
土台にあるとも言えるかもしれない。
しかしそれは上辺である。
その表層の差は無いにも関わらず、
一週間と一生、興味のあるなしでは中身の違いがある。
田尻智の存在は、殆どの場合において誰もが絶対にできない事である。
上辺の規則や標準的手続きが非常に矮小なものになる作業がある。創作だ。
他にも、さくまあきらに対するどんちゃんを知っていれば、
知っている本人にとって創作で大きな間違いをすることが減るだろう。
まず、さくまあきらは成功したゲームクリエイターだ。
そして、どんちゃんはルールやマナーより大事な存在で、
彼が良いと言ったことは多くの人もそうする。そんな人だ。
どんちゃんが面白くないと言ったことは投資しても売れることはない。
彼はゲーム制作の神でもルールでもないが、殆ど同じことである。
多くの人には謎としてしか認識できないのだが、
知って見れば、おそらく分かりやすい事なのだろう。
ゲームといえば、宮本茂、田尻智、どんちゃん、と思い浮かぶ。
彼らのような無限の教科書があることを喜びたい。
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