無我夢中
花火があがる。
海田は一人で、
寺の境内を歩いていく。
「祭りの日の、
夜中は風情があるな」
出店を並べて、
お寺の祭りがあった。
一日の修行を終えて寄ったその帰り、
手を洗う所、
手水舎(ちょうずしゃ)に、金魚が9匹も泳いでいた。
非日常的な光景に少し見とれたが、
金魚すくいの後で捨てられたのだろう。
「飼う気も無いのに金魚すくいとは、
無駄なことをする」
眠っているのか、
酔っ払いが座っている。
その傍を通り、
海田は落ちていたビニールに水と共に、
柄杓ですくって全て入れた。
「どれ」
水面を見ても、もう居ないようだ。
それが終わり家に帰ろうとすると、
酔っ払いが立ち上がって、
「その金魚、そこへ戻せよ……」
「アンタのか?」
「さっき、人が入れていったんだ。
取りにくるかもしれない……」
正義感からかもしれないが、
「取りに来ないと思うがな」
「戻せよ。斜め上の屁理屈を、言いやがって」
そう言って見下ろす。
「……」
「何で戻さねぇ、馬鹿にしてんのか?」
酔っ払いが海田の胸ぐらをつかむと、
何故かその場に、ステーンとこけた。
酔っ払いは地面で額を打った。
これは相手の怒りを吸収して投げたとき、
相応した勢いが出る技だ。
海田は、
「技がうまく決まったもんだな」
そう呟いて、そそくさと立ち去った。
(師、植芝盛平先生は、
文武両道。北海道の開拓者であったので、
肉体的な修行は底知れないほどであった。
宗教書や兵法書などを読んで修養していた。
皇旭流柔術は、地球を洗濯する。
日本を今一度、洗濯する、という、
坂本龍馬の言葉を借りていたのだろう。
柔術の理合いを知り尽くすだけでなく、
意外と、カッコいいムードも重視する方であった。
ワシには何事も師匠はおらん。
これは兵法書、五輪書にも、
我何事においても師というものなし。
と書いてあった。
植芝師匠は稀代の名人であったから、
素晴らしいものはすぐに見抜いて自身の糧とされた。
あとは、修行時代の御苦労を、
忘れたかったのかもしれない。
修練の積み重ねが山となり昔を健全に忘れさせ、
技も己で思いついたというほどに修行したら、
その精神の中に、もはや、
師匠は居ないという事になるのかもしれない。
だがまだ、とても、
そんな師の境涯へ辿り着けそうもない)
海田の借りている家。
魔女の帽子をかぶった少女が外に立っている。
「なんだ、イフロムさん。
祭りに行ったら、
ほら金魚を見つけてきた」
「へぇ。私も花火を見ていたんですよ。
帰りに寄ったんです」
「そう。
花火大会よりは、
花火が少ないよな?」
「そうでしたね」
鍵を開け、
2人は家に入る。
海田のほうが背が低い。
海田は背伸びして、
金魚鉢を箪笥から下し、
水を張って9匹の金魚を入れた。
少し広い所へ移って散らばる。
10分後、
イフロムが首をかしげて、
「ずっと、
何を見ているんですか」
「経験になるんだ」
鉢を叩くと、
金魚がパッと散り散りに行く。
「面白いですか」
「ああ」
次の日曜、
昼頃に遊びに来たイフロムは、
海田に向けて、いたずらで息をかけ、
「金魚より近くのことに敏感になっては?」
海田は鉢に視線を戻して、
「君は安全だからな。
別に敏感になってもしょうがない」
「……」
一週間後、
海田が外で修行を積んでいる間に、
家の外に金魚のエサ袋が置かれていた。
走り去っていく知人の白い車が見えた。
「わざわざ、感謝だな」
家に入ってから、
シャツと短パンに着替える。
袋を開けてエサを落としてみると、
金魚は集まってきて口を出す。
「おお、食べている」
自身も5分間のレトルトスパゲティをレンジで温め、
テレビをつけ、
見たいような番組を探し始めた。
次々チャンネルを変える。
――
ドラゴン体操はじまるよ~っ!
――
『ブラスターとやらしてください』
『んぉ?』
『ブラスター・ベイヤーとシングルでやらしてください』
『本気かい?』
『本気の、つもりです』
猪崎、藤凪の雄姿を見たか、
非常識パチスロ好評稼働中。
――
16歳でプロレスの世界に入門し、
空前の藤凪ブームを巻き起こした、
藤凪辰美、40代の時の、新団体の旗揚げインタビュー。
「新団体ドラゴン・トラディション(竜の伝統)を旗揚げするというのは、
意識されたのはアントニオ猪崎さんの、功罪ということでしょうか」
「……。色々なことがあるけど、
ずっと同じ所だけへ所属するのではなく、
自分のやりたいことをできるように、
旗揚げすることにしました。
今は団体がいっぱいあって、どこも、
分かりやすいデスマッチやり過ぎたり、
レスリング以外の事をやり過ぎたりね。
それが全部間違いとかじゃなくてね。
プロレスという四文字の中に、レスリングを戻したい。
まだやりたいことは全部が見えてはいないです。
まだハッキリ言えないけど、地味かもしれないど、
レスリングには、
ちゃんとした攻防があるんですよっちゅう……。
僕もあくまでも新日本に背を向けたりはしない。
若い人は、ドラゴン・トラディションでプロレスを知って、
新日本にも行けるっちゅうね。
分かる人には、トラディションを知ってもらいたいですね」
――
旗揚げした組織は維持したまま、
藤凪は元の団体の社長になる。
その時を思い出して、
「僕が社長になったときは大変でしたね。
ダメって言ったのに、
いきなりZ1創るとか言い出した、
橋山の問題だけじゃなかったんですよ。
結局Z1は出来たけれど……。
僕の方は処理、業務の4年間」
「橋山選手をホームパーティに招待したとか」
「そうだね。
彼を呼んで焼き肉をやったんですよ。
人の家の肉だと思って食べまくってたよね。もう。
橋山は猪崎さんと山菜取りに行った時も、
猪崎さんの山菜も持って帰っちゃったっていうし、
どうなっとるのかな、あの男は!」
――
日本の城、彦根城や大阪城、
外国の城の絵を背景に、
プロレスラーと鎧を着た大男とが対談。
「藤凪さんも城が好きでいらっしゃいますか」
「御城、大好きです!」
「やはり、城の中が好きですか」
「中もいいですけど、
素晴らしい外観の御城が沢山ありますよ」
「はい。私は中から出てきたときに、
外観を見れば、感慨深いものがあります」
「そうですね。うん。
僕も御城建てたいって思って、
見積もりしたら、工務店が百億円って言うんですよ。
めちゃめちゃ高い~!」
「建てるわけですか。
宝箱も自分で置く?
御城っていうのは元からあるものを、
入ったり見るのが一番かもしれませんな」
――
地球環境と人間の生活を改善するための事業、
猪崎の夢がいっぱい・Aハイセル事業につぎ込まれた金の中には、
藤凪とその嫁の実家から借りたお金も入っている。
リング上に椅子を置いてのトークショー、
「藤凪、俺のこと怒っているんだったら訴えてもいいよ」
「猪崎さん、とんでもないです。ありがとうございます」
「ナハハ。昔の仲間を全員集めて、料理でも食べてみたいけどな」
地球と人間の未来を考えた猪崎の闘争本能は友愛に変わっていく。
――
トマト・スパゲティを食べ終えた海田は、
その後はまた金魚を見始めた。
1か月後の昼間。
今日のイフロムは、
魔女の帽子とマントを付けていない学生服。
春風にあおられ「きゃ」と声、
灰色のローレグが見え、
めくれ上がるスカートを片手で押さえた。
反対の手には、
ジンジャーエール2本と食材の入った袋をもっている。
海田の家に着いた。
「海田さん、こんにちは」
家に居る時は勝手に中に入っていいと海田は言っている。
「ああ、こんにちは」
海田はシャツと短パン姿、
体つきがしっかりしている。
「今日はいるんですね。
ジュース、いりますか?
後は井之上さんから、
冷凍の切り身をあげてほしいって」
井之上は海田の弟子になりたいという男である。
師匠、植芝の開拓した北海道出身ということで、
海田は縁を感じていた。切り身は6つも固まって入っている。
「サンキュー。じゃあ、
冷蔵庫に入れておくか。
入れる、かしてくれ」
「私が入れます」
「う、うん」
冷蔵庫の近くで、
海田とイフロムはなんとなく体が密着した。
しかしそのあとは、
海田はずっと静かに金魚鉢を見て、
時折叩いたりするだけ。
(きらきら泳ぐ姿のなんと美しい事か)
8か月後。
相変わらず、
金魚鉢を見ている。
「今日もですか」
「すごく進展がある、
分からないだろう」
「何が? ちっとも……」
金魚鉢も海田の体つきも、
何も変わっていない。
「何だと思う。なんてな」
「……。本当に分かりません」
もし分かったとしても、興味が無ければ、
何も感じないような事に違いなかった。
金魚を見ているだけだ。
しかし柔術の修行をしている海田の、
素養あるその瞳は、
鉢を叩いた時にパッと動く群れをこう捉えている。
逃げる金魚は、実はとんでもないことをやっている。
丁度のタイミングで自在に最高の速度になれるのだ。
金魚の速さを突き詰めると、きっと神速になる。
こんな小さな生命も奥義を持っている。
人間にも反射神経があるから、同じ原理の動きが出来る。
きっと神速になれる。
見えないほど速い動きも出来る柔術の使い手になろうと思う。
実際の金魚の動きから洞察力と動体視力を養った。
見て得たイメージで考えをまとめて、これが技になる。
秘された身体操作を使った、入り身転換、体さばきを修行できる。
「……」
イフロムの表情は少し嫌そうである。
海田は驚いて、
「おかしなところを見せて悪かったな」
イフロムは、
「ずっと幼いころを、
思い出しているのかと思いました」
「違うよ。それは間違った連想だな。
修行中に嫌なことを思い出しても、
ま、それも修行だが」
「そうですか」
「俺はあまりくよくよしない。
どこに、力があるかという事を知りたいんだ」
新しい技が完成した。
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